/*/ 太陽系接近警報 /*/
最初に異常を捉えたのは、海王星軌道外縁の無人観測網だった。
恒星が消えた。
ただの観測ノイズではなかった。
ひとつ、ふたつ、三つ。
背景星の光点が、黒い幕に呑まれるように欠けていく。
観測AIは、当初それを微小天体群と判定した。
次に、彗星群。
その次に、未知の塵雲。
だが、どの分類にも合わなかった。
黒いものは、移動していた。
しかも、自ら進路を変えた。
さらに、発光した。
暗黒の中で、青白い筋が走る。
クレフシン発光。
宇宙怪獣の生体器官が、真空中で淡く燃えるように光っていた。
観測網が、警報を発した。
外縁観測網より緊急通報。
未知大型生体群、太陽系外縁へ接近。
背景恒星の連続遮蔽を確認。
推定数、算定不能。
黄道面方向より侵入中。
対象群、自己発光あり。
生体反応、重力擾乱、クレフシン発光を確認。
分類、宇宙怪獣群。
クラウド・ゲートの戦略管制室は、数秒だけ静まり返った。
数秒だけだった。
その後、すべてが動き出した。
箱舟起動命令。
軌道リング防衛装置の全系統確認。
月面砲台の照準同期。
地球各行政区への地下避難準備命令。
ゾアノイド軍団の展開。
人造コントロールメタル殖装部隊の動員。
そして、市民への情報公開。
外縁観測網の簡略映像。
黄道面から侵入する黒い群体。
背景恒星の遮蔽。
クレフシン発光による夜空の異常光。
木星圏第一防衛線の展開。
軌道リングと箱舟による迎撃準備。
それらは、統治局の公式発表として市民へ示された。
伏せれば、空を見た者から噂が広がる。
夜が敵の光で明るくなっている以上、隠蔽は不可能だった。
ならば、恐怖を噂に任せるより、事実として告げる。
クロノスの判断は早かった。
太陽系外縁より、未知大型宇宙生体群が接近中。
対象は宇宙怪獣群と分類。
黄道面方向より侵入し、太陽系包囲行動を取っている。
木星圏第一防衛線にて迎撃を実施。
地球圏防衛機構、軌道リング、月面基地、箱舟部隊は戦闘準備に移行。
市民は地下避難区画への移動準備を開始せよ。
情報更新は統治局公式回線を確認せよ。
未確認情報を拡散するな。
恐怖してもよい。だが、手順を守れ。
だから、市民は知っていた。
空を明るくしているものが、オーロラでも月光でもないことを。
あれが、敵の光であることを。
自分たちの頭上で、軌道リングが最終防衛線として展開していることを。
そして、そのさらに遠い木星圏で、箱舟一番艦が宇宙怪獣の群れを迎え撃とうとしていることを。
/*/
地球の夜は、奇妙に明るかった。
月明かりではない。
都市光でもない。
空の高みに、青白い霞のような光が広がっていた。
はじめはオーロラのように見えた。
だが、緯度に関係なく見えた。
日本でも。
旧欧州行政区でも。
北米でも。
南半球でも。
砂漠でも、海上でも、山岳地帯でも。
夜の空が、薄く、気味悪く明るい。
人々は家の窓から空を見上げた。
子供は綺麗だと言った。
大人は何も言えなかった。
端末には、クロノス統治局からの避難準備通知が届いている。
不要不急の外出を停止してください。
地下避難区画への移動経路を確認してください。
飲料水、医療端末、身分証、家族登録証を携行してください。
軌道防衛訓練ではありません。
係員の指示に従ってください。
軌道防衛訓練ではありません。
その一文だけで、街は静かになった。
駅前では、ゾアノイド治安部隊が誘導に立っていた。
混乱は少ない。
暴動もない。
略奪もない。
クロノス統治下の市民は、非常時の手順を知っている。
手順を破れば、自分だけでなく周囲が危険になることも知っている。
それでも、恐怖はあった。
空が明るい。
夜なのに、宇宙から照らされている。
誰かが端末で外縁観測網の簡略画像を見つけた。
映っていたのは、黒い波だった。
黄道面に沿って、太陽系を削るように侵入してくる影。
その縁が、青白く発光している。
恒星の光が遮られている。
星座が消えている。
夜空の明るさは、希望ではなかった。
敵の光だった。
「何だよ、これ」
地下避難区画へ向かう階段で、青年が呟いた。
隣にいた老人が、空を一度だけ見上げて言った。
「空が敵で明るいのは、嫌なものだな」
その言葉に、誰も笑わなかった。
/*/
宇宙では、太陽系が包囲されていった。
宇宙怪獣は、一直線に地球へ向かってきたわけではない。
黄道面から順に、厚みのある黒い潮のように侵入してきた。
外縁天体軌道を越え、海王星軌道の外側を塗り潰し、天王星軌道をかすめ、土星圏へ圧力をかける。
それは軍隊の進軍ではなかった。
生態系の移動だった。
群れ。
群体。
捕食圏。
進む先にある光と熱と重力と生命反応を、ただ呑み込むもの。
個体数は、算定不能だった。
大きな個体の影に、小さな個体が群れる。
そのさらに周囲に、幼生か、寄生体か、あるいは別種かも分からない生体群がまとわりつく。
クロノス観測AIは何度も数を出した。
一億。
三億。
十億。
推定不能。
数値は更新されるたびに意味を失った。
木星圏外縁に展開した箱舟一番艦から見ると、それは、宇宙そのものが肉になって押し寄せてくるようだった。
黒い海。
青白く発光する波頭。
恒星光を遮る群れ。
重力場に微細な乱れを生むほどの質量。
アルカンフェルは、箱舟一番艦の戦略展望室に立っていた。
正面投影には、木星が映っている。
そのさらに向こうに、敵がいる。
巨大ガス惑星の圏界を、第一防衛線とする。
クロノスはそう決めた。
地球圏で迎え撃つには近すぎる。
火星圏では後退余地が少ない。
木星圏ならば、衛星、重力、広大な空間、前進基地、箱舟の機動力を活かせる。
ここで削る。
ここで止める。
止められなくとも、ここで数を減らす。
アルカンフェルの隣で、バルカスが戦況予測を見ていた。
「数が多すぎるのう」
その声には、普段の軽さがなかった。
シンが答える。
「外縁観測網の推定では、第一波だけでも木星圏防衛戦力を上回ります」
「第一波で、か」
「はい」
ヴァルキュリアが別画面を開いた。
「後続群も確認されています。黄道面上に厚い侵入帯。太陽極方向からの迂回群は現時点では少数。ただし、包囲は進行中です」
村上征樹が低く言った。
「つまり、太陽系そのものを囲むつもりか」
「囲むというより」
ヴァルキュリアは数秒だけ言葉を選んだ。
「食べられる範囲を覆っているように見えます」
管制室が静かになった。
アルカンフェルだけが、変わらぬ顔で前を見ている。
「箱舟一番艦は木星圏外縁で迎撃する。二番艦は後詰めとしてガニメデ軌道外側に待機。三番艦は火星圏後方で予備戦力として待機し、地球圏最終防衛線への後退に備える。月面基地、軌道リング、地球圏迎撃装置は最終防衛線として温存する」
「地上ゾアノイド軍団は?」
シンが問う。
「全行政区に展開。避難誘導、暴動抑止、落下破片対応、降下個体迎撃に備えろ」
「御意」
「人造コントロールメタル強殖装甲部隊は」
アルカンフェルは、少しだけ間を置いた。
「総数三百万。一番艦、二番艦、三番艦に百万ずつ配備する」
管制室に、かすかな緊張が走った。
三百万。
数字だけなら巨大だった。
だが、正面の戦況図では、その三百万でさえ小さかった。
まして、木星圏に今展開できるのは一番艦搭載分の百万である。
敵の光点は、面になっていた。
味方は、線でしかない。
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箱舟一番艦の格納区画では、百万の獣化兵が出撃準備に入っていた。
全員が通常のゾアノイドではない。
宇宙戦闘適性、精神安定値、強殖装甲適合率、恐怖反応、命令遵守、個体再生力、短時間真空耐性。
あらゆる基準で選抜された兵士たちだった。
それでも、彼らは生身では宇宙で戦えない。
その前に、人間だったものとしての限界がある。
呼吸が要る。
体液は沸騰する。
放射線は細胞を焼く。
温度差は組織を壊す。
推進と姿勢制御が要る。
宇宙怪獣へ接近し、攻撃し、離脱するには、宇宙服では足りない。
だから、彼らは人造コントロールメタル強殖装甲を与えられた。
純正ではない。
降臨者の完全なユニットではない。
精神感応金属オリハルコンを用いた複製制御核。
人造コントロールメタル。
強殖装甲を宇宙服として、装甲として、推進器として、兵器として使うための急造品。
青白い装甲ユニットが、格納槽に並んでいる。
それは整然としていた。
あまりにも整然としていて、墓標の列にも見えた。
兵士の一人が、隣の同僚に言った。
「百万だってよ」
「ああ」
「この艦だけで百万。二番艦にも百万。三番艦にも百万。全部で三百万」
「数字だけなら大軍だな」
「普通なら勝てる数だよな」
同僚は、少しだけ間を置いた。
「普通の敵ならな」
兵士は笑おうとして、失敗した。
彼らも見ていた。
外縁観測網の映像を。
黒い群れ。
青白いクレフシン発光。
星を隠すほどの数。
自分たちが百万いても、それが多いのか少ないのか分からなくなるような敵。
「思念波は殖装体になると届かなくなるんだってな」
「ああ」
「つまり、怖いと思ったら、そのまま怖いのか」
「そういうことだ」
「嫌な自由だな」
同僚は装甲ユニットを見た。
「でも、それがないと宇宙で死ぬ」
「着ても死ぬかもしれない」
「着なけりゃ確実に死ぬ」
その言葉で、会話は終わった。
出撃警報が鳴る。
兵士たちは、ユニットの前に立った。
人造コントロールメタルが、淡く光る。
精神感応金属オリハルコンの劣化複製結晶が、宿主を読み始める。
心拍。
恐怖。
記憶。
攻撃衝動。
帰還願望。
命令。
強殖細胞が目覚める。
装甲が開く。
兵士たちは、一歩前へ出た。
/*/
地球軌道では、軌道リングが戦闘形態へ移行していた。
普段は物流、発電、通信、軌道輸送、宇宙港管制を担う巨大構造物。
その外縁部が、ゆっくりと開いていく。
迎撃装置。
重力偏向砲。
高出力レーザー群。
質量弾射出器。
思念波中継施設。
月面砲台との同期ミラー。
都市の夜空からも、軌道リングの一部が赤く光るのが見えた。
地下避難区画に移動する人々は、それを見上げた。
「あれで止められるのか」
「木星で止めるって聞いた」
「なら、あれは最後の壁か」
「最後って言うな」
地下への入口で、ゾアノイド治安兵が手を上げた。
「立ち止まらないでください。身分証を提示。家族単位で移動。荷物は一人一つまで」
声は落ち着いている。
それが人々を少しだけ落ち着かせた。
駅前広場の大型モニターには、アルカンフェル総帥の声明が流れていた。
『市民は避難指示に従え。地球圏防衛機構は稼働している。軌道リング、箱舟、月面基地、地上軍団は各防衛線に展開済みである』
総帥の声は、いつも通りだった。
『恐怖するなとは言わない。恐怖してもよい。ただし、手順を守れ。混乱は敵を利する』
避難する者たちは、無言でそれを聞いた。
恐怖してもよい。
その一言は、奇妙に効いた。
クロノスは恐怖を否定しなかった。
ただ、恐怖しても列を乱すなと言った。
だから人々は歩いた。
空は、敵の発光で明るい。
夜が、夜ではなくなっている。
それでも、人々は地下へ降りた。
/*/
月面基地では、砲台群が木星方向へ照準同期していた。
火星圏の補給基地は無人化され、後方中継拠点として切り替えられた。
軌道都市は外殻を閉じ、非戦闘区画を隔離した。
グリーンコロニー群では、子供たちが教育区画から避難区画へ移された。
宇宙港では、最後の民間便が停止した。
太陽系は、生活圏から戦闘圏へ変わっていた。
地球圏だけではない。
月も。
火星も。
軌道リングも。
箱舟も。
すべてが、ひとつの防衛機構として動いている。
それでも足りるかどうかは、誰にも分からなかった。
いや、分かっている者もいた。
数は足りない。
火力も足りない。
時間も足りない。
だから、木星圏で削るしかない。
第一防衛線で、敵の質量を減らす。
箱舟一番艦で受ける。
二番艦で支える。
三番艦で後退戦に備える。
人造コントロールメタル殖装部隊のうち、まず百万を木星圏に展開させる。
それでも抜かれるなら、火星圏で遅らせる。
それでも抜かれるなら、軌道リングで焼く。
それでも抜かれるなら、月面砲台。
それでも抜かれるなら、地上ゾアノイド軍団。
それでも。
それでも。
戦略計画は、後退線ばかりだった。
/*/
箱舟一番艦、戦略管制室。
巨大な戦況図には、太陽系全体が表示されていた。
青が味方。
赤が敵。
木星圏に展開する青い防衛線は、細い。
外縁から迫る赤い帯は、太い。
太陽系を斜めに切り裂くように、黄道面に沿って侵入してくる。
その赤い帯の背後には、まだ影がある。
第二波。
第三波。
あるいは本体。
観測不能。
アルカンフェルは、しばらくその図を見ていた。
「太陽系が囲まれるか」
誰に言うでもない声だった。
バルカスが答える。
「包囲というより、捕食範囲の展開じゃろうな」
「変わらん」
「そうじゃな」
シンが報告する。
「箱舟二番艦、後詰め位置へ到達。ガニメデ軌道外側で待機。主砲同期完了」
「三番艦は」
「火星圏後方にて待機。地球圏への後退戦に備えています」
「軌道リングは」
ヴァルキュリアが答える。
「迎撃装置、七割が戦闘準備完了。残り三割は民間区画切り離し後に稼働可能。地上ゾアノイド軍団、全行政区で避難支援と降下迎撃体制に移行」
「人造コントロールメタル部隊は」
「総数三百万。各箱舟へ百万ずつ配備済み。一番艦搭載分、殖装準備完了。木星圏展開可能数、百万」
数字が、戦況図に表示された。
1、〇〇〇、〇〇〇。
味方としては壮観だった。
敵と比べれば、あまりにも少なかった。
村上が呟いた。
「百万でも、壁にならないのか」
バルカスが低く言う。
「壁にはなる。じゃが、海を止める壁ではない。押し寄せる波を削る刃じゃ」
「刃は折れる」
「折れるじゃろうな」
沈黙。
それを破ったのは、アルカンフェルだった。
「それでも出す」
誰も反論しなかった。
反論できなかった。
地球が後ろにある。
その事実だけで、選択肢は狭まっていた。
/*/
出撃前、全前線に短い通信が流れた。
アルカンフェル総帥の声だった。
『宇宙怪獣群は黄道面より侵入し、太陽系を包囲しつつある』
兵士たちは聞いていた。
箱舟の格納区画で。
軌道砲台で。
月面基地で。
地下避難区画で。
『敵の数は多い。第一防衛線の戦力は、数において劣勢である』
その言葉に、誰かが息を呑んだ。
総帥は、勝てるとだけ言わなかった。
優勢だと偽らなかった。
『だが、ここで迎え撃つ。木星圏で削り、火星圏で遅らせ、地球圏で焼く。すべての防衛線は連動している』
アルカンフェルの声は静かだった。
『お前たちは、支配される兵士としてではなく、地球生命の防衛者として出る』
人造コントロールメタル殖装部隊の一部が、顔を上げた。
『殖装体となれば、思念波は届かなくなる。恐怖を感じるだろう。命令ではなく、自分の意思で戦う瞬間が来る』
格納区画が静まった。
『恐怖を恥じるな。恐怖しても隊列を守れ。限界を超えるな。帰投命令に従え。死ぬためではなく、止めるために出ろ』
短い沈黙。
『地球は後ろにある』
それだけで、通信は終わった。
兵士たちは、誰も歓声を上げなかった。
ただ、前を見た。
人造コントロールメタルが光る。
強殖装甲が開く。
百万の獣化兵が、宇宙へ出る準備を整える。
/*/
木星圏外縁。
敵の先頭群が、ついに射程に入った。
軌道砲台が動く。
無人迎撃機が発進する。
箱舟一番艦の主砲が、重力場を歪ませる。
木星の巨大な影の向こうに、青白い怪獣群の発光が広がっている。
それは夜明けのようだった。
だが、昇るのは太陽ではない。
敵だった。
戦術管制官が叫ぶ。
「敵先頭群、第一射程へ侵入!」
「軌道砲台、照準同期!」
「無人迎撃機、射出開始!」
「人造コントロールメタル部隊、第一波、発進準備!」
箱舟一番艦の外殻が開いた。
百万の光点が、まだ格納区画の内側に並んでいる。
その前方には、黒い海。
その後方には、木星。
さらに遠くには、地球。
誰かが通信回線で呟いた。
『数、多すぎるだろ』
別の声が返した。
『今さらだ』
『怖いな』
『ああ』
『でも、行くんだよな』
『行くしかない』
発進灯が、青から赤へ変わった。
管制官の声が響く。
『第一波、発進』
百万の獣化兵が、強殖装甲をまとって宇宙へ放たれた。
彼らは、宇宙服を着た兵士ではない。
支配された獣でもない。
人造コントロールメタルに守られ、同時に危険に晒された、急造の宇宙機動殖装兵だった。
敵は数で勝る。
火力でも不明。
生態も不明。
勝算は薄い。
それでも、彼らは木星圏外縁へ進んでいく。
静かな宇宙に、光が走り始めた。
そして、人類史上初めての太陽系防衛戦が始まった。