/*/ 木星圏外縁 クロノス第一防衛線 /*/
宇宙では、悲鳴が聞こえない。
だから、戦場は静かだった。
光が走る。
重力場が歪む。
宇宙怪獣の群れが、黒い海のように押し寄せる。
クロノスの第一防衛線は、木星圏外縁に展開していた。
箱舟一番艦を中心に、軌道砲台、無人迎撃機、ゾアノイド強襲群、人造コントロールメタル殖装部隊が配置されている。
そして、その最前面に、巨大な影があった。
アルカンフェル。
クロノス総帥。
地球生命の管理者。
その身は、既に人の形を超えていた。
殖装。
強殖装甲がアルカンフェルの肉体を包み、さらに増殖し、拡張し、巨人の姿へ膨れ上がっている。
ギガンティック・エクシード。
木星の暗い影を背に、黄金の巨神が宇宙に立っていた。
その大きさは、通常の殖装兵とは比較にならない。
宇宙怪獣の一群と正面から渡り合えるほどの巨大さ。
胸部装甲は閉じられ、背部からは重力制御の光が翼のように広がっている。
周囲の空間が、アルカンフェルを中心に歪んでいた。
彼は逃げていない。
後方で命令しているだけでもない。
最前線にいた。
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通常のゾアノイドは、宇宙空間で長時間戦えない。
呼吸。
体液の沸騰。
放射線。
温度差。
姿勢制御。
いかに獣化兵が強靭でも、生身のまま真空に放り出せば限界がある。
だから、彼らは宇宙服代わりに人造コントロールメタルを与えられていた。
殖装。
強殖装甲が肉体を包む。
真空を遮断し、呼吸を補助し、放射線を防ぎ、宇宙空間での機動を可能にする。
理屈の上では、それでよかった。
だが、問題は一つあった。
殖装した瞬間、ゾアノイドはゾアロードの思念波支配を受け付けなくなる。
命令波が届かない。
統制が効かない。
恐怖を抑え込めない。
木星圏外縁で、最初の崩壊はそこから始まった。
『第六強襲群、前進。群体外縁を焼け』
管制官の声が通信に流れる。
だが、返答は揃わない。
『待て、待て、近すぎる!』
『後退許可を! 後退許可を!』
『嫌だ、あれは数が多すぎる!』
『隊列を維持しろ! 命令を聞け!』
『思念波誘導が切れている! 音声命令だけでは追いつかん!』
強殖装甲をまとったゾアノイド部隊が、光点となって散開する。
本来ならば、ゾアロードの思念波によって恐怖を押さえ込まれ、命令のままに突撃するはずだった。
だが、今の彼らは違った。
強殖装甲の中にいる。
外界から守られている。
だが同時に、支配からも切り離されている。
自分で見てしまう。
自分で考えてしまう。
自分で恐れてしまう。
正面から、宇宙怪獣の群れが迫っていた。
一体一体が巨大だった。
甲殻のような外殻。
長い棘。
推進器官のように脈動する肉の穴。
光を吸う腹部。
砲撃を受けても、外殻の一部を剥がしながら進んでくる。
その後ろに、また次がいる。
さらに後ろにも。
さらに、その後ろにも。
数えられない。
終わりがない。
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その黒い海の前面で、アルカンフェルが動いた。
ギガンティック・エクシードの巨体が、宇宙怪獣の群れへ突入する。
手を掲げる。
空間が落ち込んだ。
疑似ブラックホール。
アルカンフェルの掌の前方に、黒い点が生まれる。
それは光すら歪める重力の穴となり、周囲の宇宙怪獣を引きずり込んだ。
外殻が軋む。
棘が折れる。
巨大な肉体が、あり得ない方向へ捻じ曲がり、黒点へ吸い込まれていく。
数十。
数百。
宇宙怪獣の一群が、悲鳴なきまま消滅する。
アルカンフェルは、次の瞬間、その疑似ブラックホールを強制蒸発させた。
黒点が白く弾ける。
蒸発爆破。
ホーキング放射じみた閃光が球状に広がり、吸い込まれ損ねた宇宙怪獣をまとめて焼き払う。
光が走った。
木星圏外縁の闇に、太陽の欠片のような爆発が咲く。
『総帥機、敵群外縁を消滅!』
『前面密度、二割低下!』
『いや、後続が来る! 穴が塞がるぞ!』
管制室の声が震える。
アルカンフェルは止まらない。
右腕を振る。
重力刃が伸び、宇宙怪獣の列を斜めに断ち割る。
左腕をかざす。
重力井戸が生まれ、敵群の進行方向を強引に曲げる。
その進路上へ、軌道砲台の集中砲火が叩き込まれる。
無人迎撃機が突入し、核融合弾頭が連鎖起爆する。
宇宙怪獣の外殻が砕け、体液が凍り、破片が木星の重力へ引かれていく。
それでも、群れは止まらない。
削った端から、奥から次が押し寄せる。
黒い海は、波頭を失っても海であり続けた。
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『来るな、来るな、来るな!』
一機が命令を無視して後退した。
直後、隣の機体も崩れる。
隊列に穴が開いた。
宇宙怪獣の一群が、その穴へ突っ込む。
『戻れ! そこを開けるな!』
『無理だ! 無理だ!』
『総帥が前にいるのに、なんでまだ来るんだよ!』
『あんなに消してるのに、なんで減らないんだ!』
恐怖は伝染した。
思念波支配がない。
だから、恐怖を止めるものもない。
指揮官が怒鳴る。
管制官が座標を送る。
だが、声だけでは足りなかった。
強殖装甲の中で、ゾアノイドたちは人間に戻っていた。
恐怖する人間に。
前方では、アルカンフェルが戦っている。
それは勇気を与えるはずだった。
だが同時に、絶望も与えた。
総帥がいる。
ギガンティック・エクシードがいる。
疑似ブラックホールで敵を消し、テラスマッシャーで宙域を焼いている。
それでも、敵はまだ来る。
それでも、群れは尽きない。
それを見てしまった兵士たちは、理解してしまった。
これは、自分たちが知っている戦争ではない。
総帥一人で終わる戦場ではない。
/*/
アルカンフェルの胸部装甲が開いた。
巨大な装甲板が左右へ展開する。
内部に、光が満ちた。
通常のメガスマッシャーとは違う。
ギガンティック・エクシードの巨体が集束する、惑星規模の砲撃。
テラスマッシャー。
照準線上の宇宙が白く染まる。
発射。
音はない。
だが、光だけで戦場が震えたように見えた。
超高エネルギーの奔流が、宇宙怪獣の群れを真正面から貫く。
巨大な外殻が蒸発する。
肉が焼ける。
後続ごと穴が穿たれる。
黒い海に、白い道ができた。
その直線上にいた宇宙怪獣は、跡形もなく消えた。
『敵群中央に大規模空隙!』
『総帥機、テラスマッシャー発射確認!』
『射線上の敵、消滅!』
『空隙維持、十秒……いや、後続が回り込む!』
十秒。
それだけだった。
アルカンフェルが宙域ごと敵を削り飛ばしても、群れは左右から回り込み、穴を埋める。
光の道が、再び黒い影に飲まれていく。
アルカンフェルは胸部装甲を閉じる。
次弾までの冷却。
再集束。
そのわずかな間にも、敵は来る。
来る。
来る。
/*/
事故が起きた。
『第三班、稼働時間限界まで二分。帰投しろ』
『まだ行ける!』
『帰投しろ! 人造コントロールメタルの安定限界だ!』
『総帥が前にいるんだぞ! ここで引けるか!』
『引くのも命令だ!』
『目の前にいるんだ! ここで引いたら抜かれる!』
血走った声。
そのゾアノイドは、強殖装甲の出力をさらに上げた。
背部から光が噴き、体が宇宙怪獣へ突っ込む。
爪が外殻を裂いた。
熱線が肉を焼いた。
怪獣の体液が真空に散り、白く凍る。
だが、稼働時間は限界を越えていた。
人造コントロールメタルが警告光を発する。
肉体恒常性維持が乱れる。
強殖装甲が、装着者を守るために再構成を始める。
だが、未完成の人造コントロールメタルは、その境界を見誤った。
装着者を維持する。
損傷を修復する。
足りない組織を補う。
足りないエネルギーを、近くの生体組織から得る。
『やめろ』
通信に、かすれた声が入った。
『やめろ、俺だ。俺を食うな。俺はまだ――』
強殖装甲が膨れた。
装着者の腕が、装甲の内側で溶けるように取り込まれる。
胸部装甲が脈動し、頭部制御器官が赤く明滅する。
人造コントロールメタルが、装着者を守るために、装着者を材料として使い始めていた。
『暴走個体発生!』
『識別コード、第三班二号!』
『強殖装甲が装着者を捕食中!』
『切り離せ!』
『撃て! 撃ち落とせ!』
味方の砲撃が向けられる。
暴走した強殖装甲は、もう人型ではなかった。
長い腕。
不自然に開いた胸部。
獣化兵の肉体と強殖装甲が混ざり、怪物じみた形へ変わっている。
それは宇宙怪獣へ向かうでもなく、味方へ戻るでもなく、ただ近くの熱源へ突っ込んだ。
味方を掴む。
装甲を割る。
内部のゾアノイドを引きずり出そうとする。
『いやだ! こっちに来るな!』
『撃て! 早く撃て!』
『味方だぞ!』
『もう味方じゃない!』
閃光。
暴走個体が味方の砲撃で吹き飛んだ。
爆発は小さかった。
宇宙では音がない。
ただ、破片と体液と装甲片が、光を受けて散った。
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アルカンフェルは、その破片を見た。
戦場の最前線にいながら、彼は見ていた。
宇宙怪獣の群れ。
崩れる隊列。
恐怖する兵士。
装甲に食われる者。
味方に撃たれる者。
自分が作った戦争。
自分が選んだ手段。
自分が投入した兵士。
そのすべてが、目の前にあった。
彼の周囲に、複数の疑似ブラックホールが生まれる。
一つ。
二つ。
三つ。
黒い点が、敵群の中で同時に開く。
宇宙怪獣が吸い込まれる。
群れの一部が渦を巻く。
巨大な体が潰れ、引き裂かれ、重力の井戸へ落ちる。
アルカンフェルは腕を振った。
疑似ブラックホールを順に蒸発させる。
白い爆発が連鎖した。
敵群の外縁が、まとめて消し飛ぶ。
戦況図上で、赤い光点が一気に消える。
だが、その後ろから、また赤が押し寄せる。
消しても、消しても、尽きない。
箱舟管制室で、バルカスが低く唸った。
「これほど削ってなお、数が減らぬか」
シンが通信卓から顔を上げる。
「第一防衛線の一部が崩れます」
ヴァルキュリアが監察卓から言った。
「暴走個体、増加。稼働限界超過が主因です。現状の限界表示では甘すぎます」
村上征樹は、戦況図とアルカンフェルの戦闘映像を見比べていた。
「総帥が前線で敵主力を削っている。それでも防衛線の穴が塞がらない」
「敵密度が高すぎます」
ヴァルキュリアは端末を叩く。
「安全域を三割削ってください。警告ではなく強制帰投信号に変更すべきです」
バルカスが即座に答える。
「強制帰投は思念波支配の代替になり得るが、反発する個体も出るぞ」
「反発して食われるよりマシです」
ヴァルキュリアの声は冷たかった。
「暴走個体の八割が、稼働限界超過後に発生しています。恐怖による逃亡は別問題ですが、捕食事故は制限強化で減らせます」
通信回線に、アルカンフェルの声が入った。
『採用する』
前線からの声だった。
ギガンティック・エクシードの巨体が、宇宙怪獣を片腕で押し潰しながら命じている。
『全前線へ通達。稼働時間の安全域を三割削る。限界接近時は強制帰投。従わない個体は装甲ごと停止処理』
ヴァルキュリアは一瞬だけ唇を結んだ。
だが、反論しなかった。
「了解しました」
/*/
戦場では、また一つ隊列が崩れた。
宇宙怪獣が群れの一部を裂き、味方の宙域へ食い込む。
強殖装甲部隊が迎撃する。
アルカンフェルが疑似ブラックホールで一群を吸い込み、蒸発爆破で消し飛ばす。
胸部装甲を再び開き、テラスマッシャーで敵の進路を焼き払う。
重力場で敵の群れを圧縮し、軌道砲台の射線へ押し込む。
片腕で巨大個体の頭部を掴み、握り潰す。
背部から重力翼を広げ、敵群の前進そのものを押し戻す。
八面六臂。
神話の戦神そのものの働きだった。
それでも、宇宙怪獣は多かった。
多すぎた。
接近されれば恐怖が増す。
恐怖が増せば統制が乱れる。
統制が乱れれば稼働時間を守れなくなる。
そして、装甲に食われる。
阿鼻叫喚。
ただし、宇宙に音はない。
悲鳴は通信の中にだけあった。
『帰投信号!? まだ戦える!』
『強制帰投に従え!』
『嫌だ! 総帥が前にいるのに、俺だけ戻れるか!』
『違う、限界だ! 戻れ!』
『うるさい、俺はまだ――』
その通信は、途中で途切れた。
代わりに、黄色い暴走表示が一つ増えた。
そしてすぐ、赤い処分完了表示に変わった。
アルカンフェルは目を閉じなかった。
前線で戦いながら、すべて見ていた。
見ないふりはできなかった。
/*/
『第二波を出せ』
アルカンフェルの声が通信に入った。
箱舟管制室が、一瞬だけ静まった。
シンが確認する。
「第二波を、ですか」
『第一波で敵外縁は削った。崩れた穴を塞ぐには、今出すしかない』
「第二波も同じ事故が起きます」
『起きる』
アルカンフェルは即答した。
その声の向こうで、また疑似ブラックホールが開き、宇宙怪獣の一団が消えていく。
『だが、第一波の記録を反映しろ。稼働時間を短縮。強制帰投。恐怖反応の強い個体は後方支援へ回せ。前線には志願個体と精神安定値の高い者を出せ』
村上が低く言った。
「それでも、多くが死にます」
『分かっている』
「総帥、あなたがあれだけ削っても、まだ足りないんですか」
通信の向こうで、白い巨神が宇宙怪獣の群れへ突入する。
胸部装甲が開く。
テラスマッシャーの光が、黒い海を裂く。
だが、その奥に、さらに黒い影がある。
アルカンフェルは静かに言った。
『足りん』
その一言が、管制室に重く落ちた。
『私一人で終わるなら、兵を出す必要はない』
誰も答えられなかった。
『だが、これはそういう戦場ではない』
村上は拳を握った。
非難したかったのかもしれない。
だが、非難だけでは足りなかった。
出さなければ地球へ来る。
出せば兵士が壊れる。
どちらも地獄だった。
アルカンフェルは、静かに言った。
『私は地球生命の責任者だ』
それは、いつもの言葉だった。
だが、この場では呪いのように聞こえた。
『責任者は、犠牲を見ないふりはできん』
/*/
通信回線の向こうで、第二波のゾアノイドたちが殖装を始める。
人造コントロールメタルが起動する。
強殖装甲が肉体を包む。
彼らは宇宙服を得る。
武器を得る。
代わりに思念波支配から切り離されている。
自由意思で、宇宙怪獣の海へ出ていく。
『第二波、出撃』
『各員、稼働時間を厳守せよ』
『恐怖反応を恥じるな。限界前に戻れ』
『総帥は前線にいる。だが、総帥を見るな。自分の計器を見ろ』
『暴走兆候を確認した場合、味方による停止処理を行う』
通信が流れる。
沈黙。
そして、誰かが小さく言った。
『怖い』
別の誰かが答えた。
『俺もだ』
さらに別の声。
『総帥があそこまでやっても、まだ来るんだぞ』
『だったら、俺たちも行くしかないだろ』
第二波が、木星の暗い影を背に進んでいく。
前方には宇宙怪獣。
そのさらに前には、白銀の巨神。
ギガンティック・エクシード化したアルカンフェルが、黒い海を裂き続けている。
後方には地球。
そして、戦場にはまだ、第一波の破片が漂っていた。
装甲片。
凍った体液。
割れた人造コントロールメタル。
帰れなかった者たちの残骸。
その中を、新たな兵士たちが進む。
静かな宇宙で、通信回線だけが震えていた。
悲鳴と命令と祈りで。
アルカンフェルは、再び胸部装甲を開いた。
テラスマッシャーの光が満ちる。
その射線の向こうには、無数の宇宙怪獣。
その背後には、さらに無数の影。
撃てば消える。
だが、消しても来る。
だから撃つ。
撃ち続ける。
兵士たちは、その光を見ながら前進した。
総帥は逃げていない。
神のような力で戦っている。
それでも足りない。
だから、自分たちも行くしかない。
木星圏防衛戦は、まだ始まったばかりだった。