/*/ 地球圏 第一次木星圏会戦勝利報道 /*/
地球は、勝利に沸いていた。
木星圏第一防衛線。
宇宙怪獣第一群、撃退。
混合型旗艦、撃破。
木星圏防衛線、保持。
アルカンフェル総帥、自ら前線へ出撃。
その速報が全世界に流れた瞬間、地球の空気は変わった。
それまで、街は息を殺していた。
配給所の列でも、人々は必要以上に喋らなかった。
学校では教師が明るく振る舞っても、子供たちは窓の外ばかり見ていた。
病院の待合室では、誰もが壁面モニターに映る木星圏の戦況図を見つめていた。
宇宙怪獣。
億単位の生体兵器群。
それが太陽系へ入ってきた。
そして、クロノスの防衛線と衝突した。
誰もが、負けるかもしれないと思っていた。
いや。
正確には、勝てると信じたかった。
だが、信じ切れなかった。
だから、勝利速報が流れた瞬間、人々は一拍遅れて反応した。
『木星圏第一防衛線、保持』
『敵第一群、撃退』
『混合型旗艦個体、アルカンフェル総帥により撃破』
画面の文字を読んでも、最初は意味が入ってこなかった。
だが、キャスターが同じ内容をもう一度読み上げた時、広場のどこかで誰かが叫んだ。
「勝った!」
その一言が、群衆に火をつけた。
歓声が上がった。
泣き出す者がいた。
膝から崩れる者がいた。
配給所の列で、知らない者同士が抱き合った。
地下避難区画で待機していた子供たちが、職員に抱きついた。
病院のロビーでは、車椅子の老人が震える手で拍手した。
調整センターの前では、ゾアノイド候補生たちが拳を突き上げた。
旧国家の旗はもうない。
国歌もない。
だが、その日だけは、世界中の都市で同じ言葉が叫ばれた。
「地球は勝った!」
もちろん、正確ではない。
地球が勝ったのではない。
第一次会戦を生き延びただけだ。
宇宙怪獣第一群を撃退しただけだ。
敵の本隊はまだ太陽系外縁から押し寄せている。
億単位の群れのうち、木星圏で潰したのは先触れにすぎない。
だが、そんなことを今すぐ理解できる者は少なかった。
人間は、絶望の中で小さな勝利にすがる。
そして今、その小さな勝利は、あまりにも大きく見えた。
クロノス中央放送は、編集済みの映像を流した。
木星を背に展開する第一防衛線。
ゾアノイド殖装部隊のメガスマッシャー交代射撃。
白い奔流に焼かれる兵隊怪獣バボラー。
巡洋艦級ギドドンガスの外殻を貫く軌道砲撃。
そして、白銀のギガンティックを纏ったアルカンフェル。
彼が前線へ出る映像が流れた時、世界中が静まり返った。
総帥が出ている。
後方の玉座ではない。
木星圏の宇宙空間。
ゾアノイドたちと同じ戦場。
宇宙怪獣の光槍が届く場所。
その位置に、アルカンフェルがいた。
人々は、それを見た。
そして、理解した。
少なくとも、この支配者は逃げていない。
恐怖政治の頂点にいる怪物ではある。
世界を征服した独裁者でもある。
だが、宇宙怪獣の前から逃げてはいない。
その事実は、支配への恐怖とは別の感情を生んだ。
信仰に近い何か。
あるいは、逃げない王への本能的な安堵。
画面の中で、アルカンフェルが混合型旗艦へ接近する。
巨大な宇宙怪獣の発光器官が一斉に彼へ向く。
光槍が集中する。
ギガンティックの外装が焼ける。
それでも、アルカンフェルは止まらない。
そして、疑似ブラックホールが撃ち込まれる。
混合型旗艦が、内側へ潰れ、収束し、消滅する。
映像はそこで切り替わった。
実際には、その周囲で多くのゾアノイドが死んでいた。
暴走した強殖装甲に食われた者もいた。
味方に処分された者もいた。
帰投できず、木星の重力へ落ちた者もいた。
だが、地球の人々が見たのは、敵旗艦が消滅する場面だった。
それで十分だった。
今は、十分だった。
街頭の大型モニターに、ナレーションが流れる。
『第一次木星圏迎撃戦、勝利。クロノス第一防衛線は、宇宙怪獣に対抗可能であることを証明しました』
歓声が再び上がった。
ある都市では、旧時代のサッカースタジアムが避難集合所として使われていた。
人々は客席に詰め込まれ、中央の巨大スクリーンを見ていた。
勝利報道が流れると、全員が立ち上がった。
誰かが泣きながら叫んだ。
「生きられる!」
その言葉に、周囲が応えた。
「生きられる!」
「まだ終わってない!」
「クロノスが勝った!」
「地球が勝った!」
矛盾した叫びが混ざった。
クロノスを嫌っていた者も、今だけはその名を叫んだ。
別の街では、女性用非戦闘型調整を受けた母親が、幼い子供を抱いて空を見上げていた。
夜空には、木星は見えない。
だが、彼女はそこに戦場があることを知っている。
子供が尋ねた。
「怪獣、やっつけたの?」
母親は、少しだけ迷った。
そして答えた。
「一つはね」
「じゃあ、もう大丈夫?」
母親は答えられなかった。
だが、抱く腕に力を込めた。
「今日は、大丈夫」
その言葉で、子供は笑った。
今日は大丈夫。
その程度の希望でも、人は眠れる。
学校では、教師たちが予定していた避難訓練を一時中断し、特別授業を行った。
黒板には、木星、土星、火星、地球の軌道図が描かれている。
「ここで戦いがありました」
教師が木星の近くを指す。
「地球から遠い場所です。でも、そこを守らなければ、次は火星、そして地球へ来ます」
生徒の一人が手を上げた。
「アルカンフェル様が倒したんですか?」
教師は一瞬だけ言葉に詰まった。
様。
その呼び方が、最近増えている。
クロノスへの恐怖が、宇宙怪獣への恐怖によって形を変え始めていた。
「総帥が前線に出たのは事実です」
教師は慎重に言った。
「でも、戦ったのは総帥だけではありません。ゾアノイド部隊、軌道砲台の担当者、箱舟一番艦の乗組員、管制官、整備士、医療班。たくさんの人が戦いました」
「ゾアノイドの人たちは帰ってくるの?」
別の子供が尋ねた。
教師は、今度こそ長く黙った。
報道では、死者数はまだ出ていない。
だが、全員が帰ってくるはずがないことくらい、大人なら分かる。
「帰ってくる人もいます」
教師は言った。
「帰ってこられない人もいます」
教室が静かになった。
「だから、名前を覚えましょう。戦った人たちのことを、消さないように」
その日の午後、多くの学校で、木星圏会戦の犠牲者名簿がまだ発表されていないにもかかわらず、白紙の慰霊ノートが作られた。
名前が出たら、書くために。
そして夜。
地球各地で、空へ向けて光が灯された。
旧宗教の祈り。
クロノス式の戦没者追悼。
家族の手作りの灯火。
都市のライトアップ。
それらが混ざり合い、統一された儀礼ではないまま、地球全体が木星方面へ祈った。
その頃、クロノス中央統治府では、次の防衛線準備が始まっていた。
人々はまだ知らない。
第一次会戦の勝利が、どれほど高くついたのか。
人造コントロールメタルの暴走事故がどれほど多かったのか。
強殖装甲に食われたゾアノイドがいたこと。
味方に撃たれた者がいたこと。
アルカンフェルが前線に出なければ、戦線が崩壊していたこと。
それらは、まだ地球には伏せられていた。
今必要なのは、真実ではなく、呼吸だった。
恐怖で硬直していた地球に、もう一度息を吸わせるための勝利だった。
クロノス中央放送の最後に、アルカンフェルの短い声明が流れた。
『第一次会戦は勝利した』
世界中が画面を見た。
『だが、戦争は終わっていない。市民は生活を続けよ。水を使え。食事を取れ。子を学ばせよ。病院へ行け。働け。眠れ』
命令のようで、祈りのようでもあった。
『地球はまだ生きている』
その言葉で、放送は終わった。
地球は、その夜、久しぶりに少しだけ眠った。
完全な安心ではない。
明日への保証でもない。
だが、木星の向こうで宇宙怪獣が一度止められた。
アルカンフェルは逃げなかった。
ゾアノイドたちは戦った。
箱舟一番艦は戻ってくる。
その事実だけで、人類は一晩だけ、希望を持つことを許された。