/*/ 木星圏第二防衛線 /*/
箱舟二番艦は、木星圏で後退戦を続けていた。
敗走ではない。
だが、勝ってもいない。
敵第二波は、第一波よりも重かった。
兵隊怪獣バボラーの密度が違う。
高速型の突入角が違う。
上陸艇型は、軌道砲台へ体当たりしながら腹を裂き、内部に抱えた兵隊級を撒き散らしてくる。
巡洋艦級ギドドンガスは、木星圏の防衛線を押し潰すための生きた杭だった。
黄金の巨神はいない。
アルカンフェルは、箱舟一番艦と共に後方にいる。
第一次会戦で傷ついた一番艦を修復し、再出撃の航路に乗せている最中だった。
その穴を埋める者は、いなかった。
神の代わりなど、存在しない。
だから人類は、神の代わりに、自分たちの罪を持ち出した。
「旧時代核弾頭群、全基認証完了」
箱舟二番艦の戦闘管制区画で、オペレーターが声を張った。
「第一から第十二投射群、発射軌道固定。安全解除、段階三」
プルクシュタールは、戦況図を見つめていた。
彼の顔に迷いはない。
だが、喜びもなかった。
旧時代の大国が保有していた核弾頭。
世界を何度も焼けるほど蓄えられ、人類が互いを脅すために地下深く、海中深く、移動基地の奥に隠し続けた兵器。
クロノス統治後、それらはすべて接収された。
解体されるはずだったもの。
あるいは、封印されるはずだったもの。
人類最悪の兵器。
だが今、それは木星圏へ運ばれていた。
地球を焼くためではない。
地球を守るために。
「全投射群、射出」
プルクシュタールが命じた。
箱舟二番艦の外殻が開いた。
巨大な生体艦の内部から、無数の投射体が吐き出される。
黒い宇宙へ。
木星の縞模様を背に。
かつて人類が互いへ向けて作った滅びの種が、宇宙怪獣の群れへ向かって飛んでいく。
数秒後。
漆黒の宇宙に、核の炎が咲き乱れた。
一つ。
二つ。
十。
百。
千。
暗黒に、無数の太陽が瞬いた。
音はない。
だが、光は凶暴だった。
高熱と放射線と衝撃が、バボラーの群れを白く焼く。
高速型が、進路の途中で蒸発する。
上陸艇型の外殻が裂け、内部に詰まっていた兵隊級が熱線の中で崩壊する。
巡洋艦級ギドドンガスの表皮に、巨大な火傷のような破壊痕が刻まれる。
宇宙怪獣たちは止まらない。
核の光を浴びても、まだ前へ来る。
焼かれ、削られ、千切れながら、それでも木星圏防衛線へ食らいつく。
人類最悪の兵器でさえ、宇宙怪獣の海を完全には止められなかった。
だが、穴は塞いだ。
黄金の巨神アルカンフェルがいない空白。
その空白を、人類が最も忌むべき兵器の乱れ撃ちが、一時だけ塞いでいた。
管制区画で、シンが低く呟いた。
「皮肉なものだな」
「何がだ」
「人類を滅ぼすために作られたものが、人類を守っている」
「兵器に意思はない」
プルクシュタールは答えた。
「どこへ向けるかを決めるのは、使う者だ」
その言葉は冷たかった。
だが、冷たいだけではなかった。
戦況図の赤は、まだ減り切っていない。
核の花の向こうから、さらに敵群が押し寄せてくる。
バボラーの群れが、焼け焦げた同族の残骸を盾にして進む。
上陸艇型が、核爆発の高エネルギー粒子雲を突き破ってくる。
巡洋艦級が、外殻の半分を失いながらも、なお進路を変えない。
「第二投射群、再装填不能。残弾、三割を切ります!」
「軌道砲台群、残存火力二十二パーセント!」
「無人迎撃機、損耗率七十六パーセント!」
報告が重なる。
プルクシュタールは目を閉じなかった。
彼は木星を見た。
巨大な惑星。
嵐の星。
人類の故郷ではない。
だが今、人類の防衛線だった。
「雷撃系統を開け」
プルクシュタールが言った。
管制室の空気が変わる。
オペレーターが一瞬だけ振り返った。
「閣下、木星磁場への接続ですか」
「そうだ」
「負荷が大きすぎます。二番艦の伝達索が」
「持たせろ」
プルクシュタールは淡々と言った。
「木星そのものを使う」
彼の能力は、気象を操るものだった。
雷を呼び、雲を動かし、大気を支配する。
地球上であれば、それは天災に等しい力だった。
だが、ここは木星圏。
そこに地球の空はない。
代わりにあるのは、太陽系最大の惑星がまとう巨大な磁場。
イオの火山が撒き散らしたプラズマ。
木星を囲む電磁の海。
そして、その中を流れる、見えざる嵐。
プルクシュタールは、それへ手を伸ばした。
箱舟二番艦の生体伝達索が悲鳴を上げる。
管制区画の壁面を、青白い光が走った。
彼の背後に展開した制御器官が震え、獣神将としての力が、艦の外へ、木星磁場の奥へと伸びていく。
「雷撃場、形成開始!」
「プラズマ流、異常加速!」
「木星磁力線、こちらの制御に引かれています!」
ヴァン・アレン帯めいた高エネルギー粒子の流れが捩じれる。
イオ・プラズマトーラスの一部が、巨竜の胴のようにうねる。
木星の極域から放たれるオーロラの光が、戦場へ伸びていく。
それは雷だった。
だが、地上の雷ではない。
大気を裂く白線ではない。
木星の巨大な磁場から引きずり出された、宇宙規模の雷。
プロミネンスのようにのたうち回る、青白い竜。
その雷竜が、木星の闇を這い、宇宙怪獣の群れへ喰らいついた。
先頭のバボラー群が、一瞬で焼き切れる。
高速型の群れが、進路ごと青白い光に呑まれる。
上陸艇型の表皮が爆ぜ、内部の兵隊級が炭化する。
巡洋艦級ギドドンガスの外殻に、雷竜が巻きついた。
巨大な生体装甲が赤熱する。
神経束が焼ける。
内部圧が暴走し、巡洋艦級の腹が内側から裂けた。
「第一雷撃、命中!」
「敵前衛、崩れます!」
「ですが後続、なお接近!」
プルクシュタールの額に、血管のような光が浮かんだ。
彼は、木星の嵐を掴んでいた。
惑星を武器にしていた。
アルカンフェルほどではない。
黄金の巨神のように、単身で宇宙怪獣の海を裂くことはできない。
だが、プルクシュタールは獣神将だった。
この星の磁場を、雷を、嵐を、戦場へ引きずり出すことはできる。
「第二雷撃」
彼が命じる。
雷竜が二つに割れた。
片方は高速型の群れを追い、もう片方は上陸艇型の腹へ潜り込む。
青白い光が膨張し、上陸艇型の巨体が内側から爆ぜた。
木星圏の闇に、核の炎と雷の竜が同時に咲き乱れる。
それは美しくすらあった。
人類最悪の兵器の花。
獣神将が呼んだ木星の雷。
そして、その光の中で燃える宇宙怪獣の群れ。
だが、美しさは勝利を意味しない。
敵はまだ来る。
核の花を越え、雷竜の牙を越え、焼けた同族の死骸を越え、なお前進してくる。
プルクシュタールの膝が、わずかに沈んだ。
シンが支えようとする。
「触るな」
プルクシュタールは言った。
「まだ落ちない」
「閣下」
「二番艦を下げる。敵主群をL五へ寄せる」
シンは目を細めた。
「マサキに渡すのか」
「そうだ」
プルクシュタールは戦況図を見た。
核と雷で削った敵群。
だが、まだ多すぎる。
このまま正面で受ければ、二番艦も木星防衛線も押し潰される。
ならば、寄せるしかない。
一箇所へ。
重力の罠へ。
村上征樹が待つ宙域へ。
「マサキに伝えろ」
プルクシュタールは言った。
「道は開けた。あとは閉じろ、と」
シンは短く頷いた。
「わかった」
木星圏第二防衛線は、崩れながらもまだ生きていた。
核の炎が宇宙を染める。
雷竜が木星磁場から生まれ、敵を焼く。
黄金の巨神がいない穴を、人類の罪と、獣神将の力が塞いでいる。
だが、それでも足りない。
最後に必要なのは、重力だった。
村上征樹が、疑似ブラックホールを作るための時間だった。
その数分を稼ぐために、二番艦は後退しながら戦い続けた。
そして、その先で。
名も階級も異なる残存機動防衛隊が、重力井戸の縁に残ることになる。
勝つためではない。
帰るためでもない。
ただ、地球へ続く時間を守るために。