アルカンフェル転生   作:ぶーく・ぶくぶく

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終端崩壊

/*/ 地球圏発 箱舟一番艦 再出撃航路 /*/

 

 

 

 箱舟一番艦は、再び木星圏へ向かっていた。

 

 外殻修復は完全ではない。

 

 軌道兵装も全数復旧には遠い。

 

 内部の戦闘管制区画では、第一次会戦で焼き切れた神経線維に代わる仮設伝達索が走り、まだところどころに生体修復膜が張られている。

 

 だが、動ける。

 

 戦える。

 

 それだけで十分だった。

 

 木星圏では、すでに第二波との戦闘が始まっている。

 

 箱舟二番艦を中心とする防衛線。

 

 総指揮官プルクシュタール。

 

 補佐シン。

 

 重力戦術補佐、村上征樹。

 

 彼らはよく持ちこたえていた。

 

 だが、第二波は第一波より重かった。

 

 兵隊怪獣バボラーの密度が違う。

 

 巡洋艦級ギドドンガスの数が違う。

 

 高速型は防衛線の隙間を本能的に突き、上陸艇型は木星圏の軌道砲台群へ体当たりしながら兵隊を撒いた。

 

 二番艦は後退していた。

 

 敗走ではない。

 

 後退戦だった。

 

 木星重力圏を利用し、ガリレオ衛星群を盾にし、軌道砲台の残骸すら障害物として使い、敵群を少しずつ削りながら下がっている。

 

 だが、押されていた。

 

 圧力が違いすぎた。

 

 箱舟一番艦の戦闘管制室で、アルカンフェルは戦況図を見つめていた。

 

 赤い敵群。

 

 青い味方部隊。

 

 そして、後退線の末端に残る一つの重力反応。

 

 村上征樹。

 

「二番艦の後退完了まで?」

 

「あと四分二十秒」

 

 ヴァルキュリアが答えた。

 

 彼女の声は硬い。

 

「敵高速型が後退線へ食い込んでいます。プルクシュタール艦は防御姿勢を維持。シン部隊が側面を押さえていますが、限界です」

 

 バルカスが別端末を睨む。

 

「マサキの重力場出力が上がっておる」

 

 アルカンフェルは何も言わなかった。

 

 言う必要はなかった。

 

 村上が何をしようとしているのか、分かっていた。

 

 通信が入る。

 

 ノイズ混じりの声だった。

 

『こちら村上』

 

 戦闘管制室が静まる。

 

『敵第二波主群を、木星L五宙域へ寄せました。二番艦と残存部隊の退避線は確保済み』

 

 アルカンフェルは静かに答えた。

 

「マサキ」

 

『はい』

 

「使用するのか」

 

 一瞬、間があった。

 

『ここで使わなければ、抜かれます』

 

 それは、淡々とした声だった。

 

 恐怖がないわけではない。

 

 だが、震えていない。

 

『二番艦は退避できます。シンも引きます。プルクシュタールには、すでに使用を通達しました』

 

「君自身は」

 

『帰投経路は残します』

 

「残す、ではない。帰れ」

 

 ノイズの向こうで、村上が少しだけ笑ったような気配があった。

 

『努力します』

 

「命令だ」

 

『分かっています』

 

 その返答は、素直ではなかった。

 

 だが、村上征樹らしかった。

 

 通信の奥で、シンの声が入る。

 

『閣下。退避線、開きます』

 

「シン」

 

『マサキを連れ戻します』

 

「頼む」

 

『御意』

 

 アルカンフェルは戦況図を見た。

 

 敵第二波主群が、一箇所へ集まりつつある。

 

 村上が重力場で流れを曲げたのだ。

 

 木星の重力。

 

 ガリレオ衛星の軌道。

 

 破壊された砲台残骸。

 

 無人迎撃機の誘爆。

 

 それらを利用し、敵群を一点へ押し込んでいる。

 

 だが、まだ足りない。

 

 敵群の外縁部が暴れている。

 

 高速型が重力場の縁をかじり、上陸艇型が自らの巨体を犠牲にして後続の逃げ道を作ろうとしていた。

 

 疑似ブラックホールを生成し、終端崩壊へ持ち込むには、あと少しだけ時間がいる。

 

 その少しが、戦場では最も高い。

 

 村上の周囲に、まだ青い味方反応が残っていた。

 

 木星圏残存機動防衛隊。

 

 もはや正規の編制ではない。

 

 獣化兵部隊の生き残り。

 

 軌道砲台の脱出艇。

 

 調整体歩兵。

 

 木星コロニー防衛隊。

 

 無人機母艇を手動操縦に切り替えた技術兵。

 

 負傷し、後退命令を受け、それでも後退線から戻ってきた者たち。

 

 通信が割り込んだ。

 

『よぉ、獣神将さまぁ』

 

 ひどいノイズ。

 

 それでも声は妙に明るかった。

 

 村上が息を呑む。

 

『君たちは!』

 

『大技の時間稼ぎに、肉盾が必要だろう?』

 

『戻れ! 退避線は開いている!』

 

『へへ、カッコつけたって、一人じゃ成功しねぇぜ』

 

 別の声が入る。

 

『いいねぇ。木星防衛線を死守する為の捨て身の殉職。教科書に載っちまうぜ』

 

『冗談を言っている場合じゃない!』

 

『冗談じゃねえよ、村上司令補佐』

 

 声は笑っていた。

 

 だが、その奥にあるものは覚悟だった。

 

『こんなかっけぇ死に場所、あんた一人にゃ勿体ねぇ』

 

 残存機動防衛隊は、散開した。

 

 逃げるためではない。

 

 敵群の外縁を押し戻すためだった。

 

 損傷した突撃艇が、上陸艇型の進路へ体当たりする。

 

 片腕を失った殖装獣化兵が、重力球を最大稼働して高速型へ組みつく。

 

 軌道砲台の残存ブロックを牽引していた作業艇が、残骸ごと敵群の逃げ道へ滑り込む。

 

 重力井戸の外へ出ようとする宇宙怪獣を、人と機械と肉体が押し返していく。

 

 村上は叫んだ。

 

『やめろ! そこは蒸発範囲だ!』

 

『知ってる』

 

『巻き込まれる!』

 

『知ってるって』

 

『命令だ、退避しろ!』

 

 ほんの一瞬、通信が静かになった。

 

 それから、最初の声が返ってきた。

 

『悪いな。今回は聞けねぇ』

 

 村上は、言葉を失った。

 

 思念波による命令ではない。

 

 上位存在からの強制でもない。

 

 戦闘本能に刻み込まれた服従でもない。

 

 彼らは命じられたから残ったのではなかった。

 

 勝てるから残ったのでもない。

 

 生き残れるから残ったのでもない。

 

 自分たちがここで消えれば、木星圏が守られる。

 

 二番艦が逃げられる。

 

 後方のコロニーが生きる。

 

 地球へ向かう時間が稼げる。

 

 それを理解したから、残った。

 

 人は、時にそういうことができる。

 

 思念波による命令がなくとも。

 

 我が身を顧みない命令がなくとも。

 

 人は時に、我が身を犠牲にして群れを守ることができる。

 

 それはウラヌスが設計した服従ではない。

 

 クロノスが与えた命令でもない。

 

 地球人類が、長い戦と災害と共同体の記憶の中で、何度も繰り返してきた選択だった。

 

 村上の声が震えた。

 

『……すみません』

 

『謝んなよ。成功させろ』

 

『必ず』

 

『それでいい』

 

 残存部隊は、重力井戸の縁を閉じた。

 

 逃げようとした高速型が、巻き戻される。

 

 上陸艇型が、押し潰される。

 

 巡洋艦級ギドドンガスの外殻が、重力勾配で歪む。

 

 中心で、黒い点が生まれた。

 

 疑似ブラックホール。

 

 まだ小さい。

 

 だが、周囲の空間が沈み始めている。

 

 バボラーが吸われる。

 

 タンク型が引き裂かれる。

 

 巡洋艦級の外殻が歪む。

 

 宇宙怪獣たちは本能で逃れようとするが、重力井戸から抜けられない。

 

 残存部隊の青い反応も、その縁に張りついたままだった。

 

 村上の声が、最後に入った。

 

『蒸発誘導に入ります』

 

 アルカンフェルは目を閉じなかった。

 

「全艦、観測遮断。防御膜最大。放射線防御を上げろ」

 

 ヴァルキュリアが即座に叫ぶ。

 

「全観測系、遮断! 外部センサー一時閉鎖! 重力波防御、最大!」

 

 バルカスが歯を食いしばる。

 

「来るぞ」

 

 次の瞬間、木星圏の一角で太陽が生まれた。

 

 いや、太陽ではない。

 

 疑似ブラックホールの終端崩壊。

 

 超重力点が、外部から無理やり蒸発へ追い込まれた。

 

 蓄積されたエネルギーが一気に吐き出される。

 

 ホーキング放射めいた終端放出。

 

 超高熱。

 

 強放射線。

 

 ガンマ線。

 

 重力波の衝撃。

 

 空間歪曲の反動。

 

 局所宙域そのものが、内側から裂けたように光った。

 

 戦況図は白く塗り潰された。

 

 通信は死んだ。

 

 センサーは沈黙した。

 

 箱舟一番艦の防御膜越しですら、光が管制室の壁を青白く染めた。

 

 誰も声を出さなかった。

 

 出せなかった。

 

 数秒。

 

 あるいは数十秒。

 

 実際の時間感覚が失われた。

 

 やがて、遮断された観測系が一つずつ復旧していく。

 

 最初に戻ったのは、重力波観測だった。

 

 次に、放射線警報。

 

 次に、粗い光学観測。

 

 木星圏L五宙域は、消えていた。

 

 いや、空間そのものは残っている。

 

 だが、そこに展開していた敵第二波主群は、ほぼ完全に消滅していた。

 

 宇宙怪獣の群れは、黒い残骸と高エネルギー粒子の雲になっていた。

 

 巡洋艦級も。

 

 高速型も。

 

 上陸艇型も。

 

 兵隊怪獣も。

 

 まとめて焼き払われている。

 

 第二波は、全滅していた。

 

 そして、重力井戸の縁に残っていた青い反応も消えていた。

 

 時間を稼いだ残存機動防衛隊は、全滅していた。

 

 彼らの艇も。

 

 彼らの装甲も。

 

 彼らの肉体も。

 

 彼らが最後に押し戻した敵ごと、疑似ブラックホールの蒸発に呑まれて消えた。

 

「村上は」

 

 アルカンフェルが言った。

 

 ヴァルキュリアが端末を叩く。

 

「識別信号、途絶」

 

 管制室が凍る。

 

「シン部隊は」

 

「退避線上に残存反応。ですが、通信不能。高放射線帯で詳細確認できません」

 

「二番艦は」

 

「退避完了。防御膜に損傷あり。戦闘続行困難ですが、航行可能」

 

 アルカンフェルはしばらく何も言わなかった。

 

 白い光の残滓が、モニターの中でゆっくりと拡散している。

 

 村上が作った墓標。

 

 そして、名も階級も異なる者たちが、自分の意志でそこへ残った墓標。

 

 第二波を全滅させた、最悪の爆発。

 

 時間は稼げた。

 

 木星防衛線は、再び持ち直した。

 

 だが、その代償はまだ分からない。

 

「一番艦は木星防衛線へ入る」

 

 アルカンフェルは言った。

 

「二番艦を後退させろ。プルクシュタール艦の損傷状況を回収。シン部隊と村上の捜索を最優先」

 

「御意」

 

 バルカスが答えた。

 

 その声は低い。

 

 だが、命令は進む。

 

 箱舟一番艦は、再び木星圏へ入る。

 

 爆発の残滓を避け、放射線帯を迂回し、破壊された防衛線の空白へ向かう。

 

 地球圏へ流す映像は、また編集されるだろう。

 

 第二波撃滅。

 

 木星圏防衛線保持。

 

 村上征樹の名は、まだ出せない。

 

 生死不明だからだ。

 

 そして、蒸発範囲に残った部隊の名も、すぐには出せない。

 

 全滅確認が必要だからだ。

 

 だが、アルカンフェルは知っている。

 

 あれは、ただの勝利ではない。

 

 防衛線ごと焼く覚悟で、敵を止めた者たちの勝利だった。

 

 その時、ヴァルキュリアが別の警報に反応した。

 

「閣下」

 

「何だ」

 

「黄道面外観測網から緊急信号」

 

 アルカンフェルが振り返る。

 

「黄道面外?」

 

「はい」

 

 画面が切り替わる。

 

 木星でもない。

 

 土星でもない。

 

 太陽系の黄道面でもない。

 

 天頂方向。

 

 太陽系を上から見下ろすような角度。

 

 そこから、別の群れが落ちてきていた。

 

 宇宙怪獣別働隊。

 

 主力より小さい。

 

 だが、速い。

 

 黄道面の防衛線を迂回し、太陽重力井戸の底へ向かっている。

 

 その先にあるのは、地球。

 

 生命反応が豊富な青い惑星。

 

 宇宙怪獣が本能で最も強く反応する餌場。

 

「数は」

 

「推定、数百万規模。兵隊級、上陸艇型、高速型が中心。混合型反応は確認できません」

 

「到達時間」

 

 ヴァルキュリアが一瞬だけ黙った。

 

「現在の軌道なら、地球圏交差まで三十六時間」

 

 戦闘管制室が沈黙した。

 

 三十六時間。

 

 木星圏からは、間に合わない。

 

 一番艦は木星防衛線へ入ったばかり。

 

 二番艦は損傷。

 

 村上は消息不明。

 

 シン部隊も退避中。

 

 防衛の主力は、黄道面に展開している。

 

 天頂方向から、重力井戸の底を目指して落ちてくる敵群には、配置が薄い。

 

 アルカンフェルは、画面を見つめた。

 

 別働隊は、迷っていない。

 

 木星も土星も無視している。

 

 生命反応の最も濃い地球へ。

 

 一直線に。

 

 バルカスが低く言った。

 

「囮、ですかな」

 

「本能だろう」

 

 アルカンフェルは答えた。

 

「だが、高度な本能だ。黄道面の抵抗を嫌い、生命反応へ直進している」

 

「一番艦を転進させますか」

 

「間に合わん」

 

 即答だった。

 

 その一言が、管制室を重くした。

 

 アルカンフェルは通信を開く。

 

「地球圏へ緊急通達。天頂方向から別働隊。全軌道防衛網を上へ向けろ。月面基地、ラグランジュ砲台、残存箱舟群、全て起動。三番艦を地球へ」

 

 ヴァルキュリアが叫ぶ。

 

「地球市民への情報は」

 

「出せ」

 

「全てですか」

 

「隠している時間がない」

 

 アルカンフェルは言った。

 

「地球圏防衛戦が始まる」

 

 地球。

 

 青い星。

 

 第一次会戦の勝利に安堵していた人々。

 

 木星の向こうで勝ったと信じ、久しぶりに眠った人々。

 

 その頭上へ、今度は天頂方向から宇宙怪獣が降ってくる。

 

 箱舟一番艦は、木星にいる。

 

 間に合わない。

 

 アルカンフェルは、奥歯を噛み締めた。

 

 逃げないと言った。

 

 地球を離れないと言った。

 

 だが、今。

 

 自分は木星圏にいる。

 

 地球の頭上に開いた穴へは、まだ届かない。

 

「残存箱舟群を盾にしろ」

 

 彼は言った。

 

「地球軌道上の全てを使え。迎撃可能なものは、軌道都市の作業艇でも出せ」

 

「閣下」

 

 バルカスが、珍しく声を荒げた。

 

「それでは民間施設も巻き込まれます」

 

「巻き込まなければ、地球が食われる」

 

 アルカンフェルの声は冷たかった。

 

 だが、その眼は怒っていた。

 

 自分に。

 

 敵に。

 

 そして、間に合わない距離にいる現実に。

 

「地球圏へ伝えろ」

 

 彼は低く言った。

 

「空を見上げるな。地下へ入れ。全市民、即時避難」

 

 ヴァルキュリアが震える指で通信文を打つ。

 

 画面の中で、別働隊は加速している。

 

 太陽重力井戸の底へ。

 

 地球へ。

 

 青い生命の星へ。

 

 木星圏では、第二波の死骸がまだ光っていた。

 

 残った者たちが命で稼いだ勝利の光。

 

 その光が消える前に、次の絶望が地球の真上から降ってきていた。

 

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