/*/ 太陽系外縁 宇宙怪獣本隊侵食戦 /*/
赤は、逆流した。
地球を強襲した宇宙怪獣別働隊。
その群れを内側から染め替えた赤い侵食は、そこで止まらなかった。
兵隊怪獣バボラーを食い、上陸艇型を食い、高速型を食い、巡洋艦級の内部へ潜り込む。
そして、地球へ降下する流れとは逆に、宇宙怪獣の群れの奥へ、奥へと戻っていった。
黒い群れの中を、赤い血管が走る。
バボラーから上陸艇へ。
上陸艇から巡洋艦級へ。
巡洋艦級から混合型へ。
混合型から、さらに巨大な母艦級へ。
外宇宙から来た宇宙怪獣本隊は、何が起きているのか理解していなかった。
いや、そもそも理解という概念がない。
彼らは知性を持たない。
バニシングドライブ波に反応し、超空間航法文明を本能で殲滅する。
銀河の免疫。
知的生命体という異物を排除するための、巨大な条件反射。
だが、その条件反射の中に、別の反射が紛れ込んだ。
食う。
取り込む。
適応する。
染め替える。
アプトム。
クロノスのロストナンバーズ。
失敗作と呼ばれた男。
その異常適応性が、宇宙怪獣という外宇宙生体兵器の群体構造へ噛みついた。
最初は、赤い点だった。
次に、赤い線になった。
やがて、赤い面になった。
数日後には、宇宙怪獣本隊の外縁部が、地球へ向かうのをやめた。
赤くなった個体が、黒い個体へ襲いかかる。
黒い個体が反撃する。
だが、噛まれた場所から赤が走る。
切り裂かれた傷口から、赤い細胞が入り込む。
宇宙怪獣のクレフシン発光が暴走し、周囲を焼き払う。
それでも赤は止まらない。
焼けたはずの肉片が、別の個体に付着する。
付着した先で、また赤く脈動する。
宇宙怪獣は、食われていた。
外からではない。
内側から。
同じ宇宙怪獣の姿をした、赤い何かに。
/*/ 木星圏 箱舟一番艦 /*/
最初、クロノスはそれを警戒した。
赤い宇宙怪獣。
アプトム反応を含む生体群。
地球を救ったとはいえ、それが味方であり続ける保証はどこにもなかった。
アルカンフェルは、木星圏から全観測網を外宇宙へ向けていた。
箱舟一番艦、二番艦、月面基地、太陽系外縁観測器、残存軌道砲台。
そのすべてが、赤い侵食の進行を追っていた。
バルカスは端末に張りついていた。
「信じられぬ」
老博士は何度目か分からない言葉を漏らした。
「宇宙怪獣の生体構造へ適応しておる。いや、適応どころではない。あれは、宇宙怪獣の群体構造そのものを乗っ取っておる」
ヴァルキュリアが別画面を見ながら言う。
「赤色個体群、さらに拡大。母艦級と思われる巨大個体の外殻にも侵食反応」
「母艦級までか」
アルカンフェルは静かに言った。
「本当に食ったのか」
村上征樹は医療区画から通信で参加していた。
疑似ブラックホール蒸発の反動で重傷を負い、まだ完全には動けない。
それでも、意識は戻っていた。
『アプトムは、制御できるんですか』
「分からん」
アルカンフェルは正直に答えた。
『分からないのに、見ているんですか』
「止める手段がない」
『……それもそうですね』
赤は広がり続けた。
一週間。
二週間。
三週間。
地球では、その映像が段階的に公開された。
最初は恐怖だった。
宇宙怪獣が赤く染まっていく。
それは救いには見えなかった。
だが、赤い群れは地球へ向かわなかった。
むしろ、太陽系外縁へ押し返すように、黒い宇宙怪獣を食い続けた。
人々は、やがてその赤を別の意味で見るようになった。
アプトムの赤。
クロノスの失敗作が、宇宙怪獣を食っている色。
おぞましい。
だが、希望だった。
地球の子供たちは、地下シェルターの壁に赤い怪獣の絵を描いた。
大人たちは、それを止めなかった。
赤い怪獣は怖い。
だが、黒い怪獣を食ってくれる。
その程度の理解で、今は十分だった。
/*/ 太陽系外縁 侵食完了 /*/
一か月が過ぎた。
観測画面から、黒が消えた。
太陽系へ迫っていた宇宙怪獣本隊。
億単位の群れ。
そのすべてが、赤く染まっていた。
兵隊怪獣。
上陸艇型。
高速型。
巡洋艦級。
混合型。
そして、母艦級。
全長数千キロを超える、お椀型の巨大個体までもが、赤い脈動を帯びていた。
宇宙怪獣は消えたわけではない。
形は残っている。
質量も残っている。
クレフシン発光も残っている。
だが、その群れはもう、以前の宇宙怪獣ではなかった。
アプトムだった。
幾億の群体へ進化した、アプトムだった。
箱舟一番艦の通信管制室に、信号が入った。
通常通信ではない。
思念波でもない。
宇宙怪獣の生体通信を、クロノス系の生体マトリクスで翻訳したような、奇妙な声。
ノイズ。
咆哮。
笑い。
それらが混ざった声が、全艦に届いた。
『総帥』
アルカンフェルは、画面の赤い群れを見た。
「アプトムか」
『ああ』
声は、以前のアプトムとは違った。
一人の男の声ではない。
幾億の喉が、同時に一つの冗談を言っているような声。
だが、その根にある皮肉っぽさは、確かにアプトムだった。
『あんた、俺をバックアップだと言っていたな』
「言った」
『俺の方が本命だったぜ』
管制室の誰もが、息を呑んだ。
バルカスは椅子から立ち上がりかけた。
ヴァルキュリアは端末を握り締める。
シンは無言で画面を見ていた。
村上は通信の向こうで、低く息を吐いた。
アルカンフェルだけが、静かに笑った。
「その通りだ」
赤い群れが、太陽系外縁で脈動する。
まるで、その返答に満足したように。
「見事だ、アプトム」
アルカンフェルは言った。
「よくやった」
一瞬、通信が静かになった。
それから、照れ隠しのようなノイズが混じる。
『……総帥にそう言われると、気持ち悪いな』
「褒めている」
『分かってるよ』
「望みはあるか」
その問いに、管制室が静まった。
アルカンフェルは本気だった。
宇宙怪獣本隊を侵食し、太陽系を救った存在へ、望みを問うている。
赤い群れは、しばらく沈黙した。
その間にも、幾億の個体が太陽系外縁でゆっくりと配置を変えている。
防衛線を作るように。
あるいは、狩場を整えるように。
『俺が取り込んだ母艦級とかよ』
やがて、アプトムが言った。
『あれ、改造したら外宇宙開発に使えるんじゃねぇか』
アルカンフェルの目が細くなる。
「母艦級を、開拓船にする気か」
『元が星間物質を食って動くバケモンだ。巡洋艦級も抱えられる。内部をいじれば、資源採掘にも、外宇宙航行にも、前線基地にも使えるだろ』
バルカスが、震える声で呟いた。
「宇宙怪獣母艦級の再利用……」
研究者としての目が、完全に輝き始めていた。
「閣下、理論上は可能です。いや、可能どころではない。あれらはすでに恒星間航行生体構造体ですぞ。アプトムが制御できるなら、箱舟とは別系統の外宇宙生体艦隊として……」
「落ち着け、バルカス」
「落ち着いております」
「落ち着いていない」
アプトムの声が笑った。
『博士にも食いでがありそうだな』
「わしを食うな」
『冗談だよ』
本当に冗談かどうか、誰にも分からなかった。
アルカンフェルは、赤い群れを見つめる。
「続けろ、アプトム」
『太陽系の防衛に俺を半分残す』
その言葉に、全員が反応した。
『もう半分は開拓でも、太陽系内開発でも使えるだろ。外縁に赤い防衛群を置く。母艦級を何隻か改造して、資源採掘と外宇宙探査へ回す。巡洋艦級は護衛や輸送に使う。兵隊級は……まあ、作業用にでもするか』
ヴァルキュリアが半ば呆然と呟く。
「宇宙怪獣を、作業用に……」
『でかいし、力はあるし、真空でも動く。使わねぇ手はないだろ』
確かに。
あまりにも乱暴だが、理屈は通っていた。
人類が恐怖した宇宙怪獣の群れ。
それをアプトムが侵食し、制御し、今度は太陽系開発の労働力とする。
悪夢のような合理性だった。
「お前自身はどうする」
アルカンフェルが問う。
『俺自身?』
「ああ。幾億の群体へ広がった。個としてのアプトムは残っているのか」
少し間があった。
『残ってるさ』
「本当にか」
『たぶんな』
アプトムは笑った。
『正直、前より俺が多い。多すぎる。兵隊怪獣の俺、巡洋艦級の俺、母艦級の俺、外縁に散った俺、地球を見てる俺。全部俺だ。だが、最初に総帥から血をもらった俺も、まだいる』
その言葉に、アルカンフェルは黙った。
アプトムが、自分の血を取り込んだ時のことを覚えている。
それは重要だった。
アプトムは完全に宇宙怪獣へ呑まれたわけではない。
宇宙怪獣を取り込んだまま、アプトムであり続けている。
「ならば命じる」
アルカンフェルは言った。
「太陽系外縁に半数を残せ。防衛群として再配置する。残りは、開発局の研究班の監督下で母艦級改造計画へ回す」
『博士も噛むのかよ』
「嫌か」
『嫌ではないが、俺を切り刻みそうだな』
「切り刻もうとしたら、食っていい」
管制室の何人かが固まった。
アプトムは大声で笑った。
『総帥、雑だな』
「お前相手ならこれくらいでいい」
『いいぜ。食わない程度に協力してやる』
「それと」
『まだあるのか』
「お前の個としての中枢を定義し直す。幾億に広がったままでは、いずれ自己が拡散する」
『ああ、それはちょっと思った』
アプトムの声が、少しだけ真面目になる。
『俺が多すぎる。便利だが、長く続くと俺が俺じゃなくなるかもしれん』
「バルカス」
「はっ」
「アプトム群体の中枢安定化を最優先課題へ回せ。人造コントロールメタルの人格保持技術、ミューオン・スキャナー、ゾアクリスタル共振制御、全て使っていい」
「御意」
「ヴァルキュリア」
「はい」
「監察に入れ。アプトム群体は太陽系防衛の要になる。だが、制御不能になれば第二の宇宙怪獣だ」
「承知しました」
『おい、俺をいきなり危険物扱いか』
「今さらだろう」
『否定できねぇな』
アルカンフェルは、そこで少しだけ表情を緩めた。
「アプトム」
『何だ』
「お前は失敗作ではない」
通信が静まった。
赤い群れの発光が、一瞬だけ弱まる。
「クロノスのどの完成品よりも、お前はこの戦争で役に立った」
長い沈黙。
幾億のアプトムが、太陽系外縁で黙った。
そして、ようやく返事があった。
『……気持ち悪いくらい褒めるな、総帥』
「褒めていると言った」
『分かってる』
「なら受け取れ」
『……ああ』
赤い群れが、ゆっくりと広がった。
太陽系外縁を囲むように。
まるで赤い防壁のように。
それは地球を襲った悪夢の残骸だった。
だが今は、地球を守る壁になろうとしている。
宇宙怪獣本隊は、アプトムに食われた。
太陽系は生き残った。
地球も。
箱舟も。
外宇宙へ旅立った四隻も。
そして、クロノスの失敗作は、幾億の群体へ進化し、赤い太陽系防衛圏そのものになった。
アルカンフェルは画面の赤い群れを見上げ、静かに言った。
「では、始めよう」
バルカスが問う。
「何をでございますか」
「外宇宙開発だ」
アルカンフェルは答えた。
「今度は、宇宙怪獣を食った地球生命が、星の海へ出る」