/*/ 東京新宿 クロノス極東統治拠点《クラウド・ゲート》 /*/
朝は、思ったよりも静かだった。
東京新宿の高層にある私室には、白い光が差し込んでいる。
巨大な窓の向こうには、戦後復興の進む都市が見えた。
軌道輸送機の航跡。
遠くに立つ調整医療棟。
新しい交通管制塔。
夜のきらびやかさとは違う、朝の東京。
私はベッドの上で、しばらく天井を見ていた。
隣では、ヴァルキュリアが眠っている。
金髪が白いシーツの上に散っていた。
昨夜の熱はもう静まっている。
だが、身体にはまだ余韻が残っていた。
精を放った夜を抜けた朝は、気分が良い。
その単純な事実に、少しだけ笑ってしまう。
30万年を生きた地球生命の指揮個体。
ウラヌスに作られ、ウラヌスに否定され、それでも地球生命を守るなどと大仰なことを言っている存在。
だが、こうして女を抱いた翌朝に、身体が満ち足りたような感覚を覚える。
それは、私もまた地球生命系の一角なのだと、嫌になるほど分かりやすく教えてくる。
生き物なのだ。
責任者である前に。
総帥である前に。
ゾアロードである前に。
私は、地球で作られた生き物なのだ。
「……気分がいいな」
小さく呟いた。
ヴァルキュリアは起きない。
昨夜、彼女は気を張っていた。
リスカー家の娘としてではなく、監察補佐としてでもなく、一人の女としてここにいることを、自分で選ぼうとしていた。
その緊張が解けたのだろう。
今はよく眠っている。
私はそっとベッドを出た。
ナイト・ガウンを羽織り、窓際へ歩く。
東京の朝が眼下に広がっていた。
戦争は終わった。
宇宙怪獣はアプトムに食われ、太陽系外縁には赤い防衛圏がある。
人造コントロールメタルを装備した獣化兵三百万人の解除も終えた。
死者の名は記録され、帰還兵の治療は続いている。
まだ傷は深い。
だが、地球は残った。
残ってしまった、と言うべきか。
守った以上、次を考えなければならない。
そんなことを考えていると、扉の外に控えめな気配があった。
「入れ」
声をかけると、扉が開く。
入ってきたのはバルカスだった。
手には朝の報告端末を持っている。
いつもの老博士の顔。
だが、私を見た瞬間、その目がほんのわずかに柔らかくなった。
「おはようございます、閣下」
「ああ」
「ご機嫌麗しいようで」
「……バルカス」
「何でございましょう」
「その顔をやめろ」
バルカスは、わざとらしく首を傾げた。
「どの顔でございましょうか」
「安堵した祖父みたいな顔だ」
「それは失礼を」
まったく失礼と思っていない声だった。
私は少し顔を背けた。
年齢で言えば、私の方が遥かに年上だ。
バルカスなど、私からすれば後の時代に生まれた人間でしかない。
だが、この肉体のデザイン上なのか、あるいはバルカスの性質なのか、彼には妙に保護者めいたところがある。
私が少し人間らしいことをすると、こういう顔をする。
それが気恥ずかしい。
「閣下が少しでも穏やかな朝を迎えられたなら、老骨としては安堵もいたします」
「余計な気遣いだ」
「そうでございましょうな」
バルカスは穏やかに笑った。
私はため息を吐いた。
だが、不快ではなかった。
長き孤独の時間は終わった。
かつては、ウラヌスに捨てられた地球生命の指揮個体として、ただ一人で眠りと目覚めを繰り返していた。
だが今は違う。
バルカスがいる。
シンがいる。
プルクシュタールも、カールレオンもいる。
村上征樹も、まだ完全に従順ではないが、信頼に値する。
ヴァルキュリアも、面倒だが使える。
アプトムに至っては、太陽系外縁で赤い群体防衛圏になっている。
ひどい人材欄だ。
だが、悪くない。
「報告を」
「はっ」
バルカスが端末を開く。
「太陽系外縁のアプトム群体は安定。母艦級個体の改造案について、研究班が第一次報告を提出しております」
「研究班がアプトムに食われていないなら上出来だな」
「今のところは」
「今のところか」
「アプトムを解剖したがっておりますので」
「止めておけ」
「努力いたします」
私は窓の外を見た。
「木星圏は?」
「防衛線再建は順調です。村上征樹はまだリハビリ中ですが、重力戦術顧問として復帰準備に入っております」
「無理をさせるな」
「本人は無理をしたがっております」
「だろうな」
「シンが抑えております」
「ならいい」
「地球圏復興は、北半球の被害が大きいものの、調整医療と建設獣化兵の投入で予測より早く進んでおります」
「カールレオンは?」
「地球防衛司令職を継続。北極天頂防衛線の再編案を出しております」
「あいつは使える」
「はい」
バルカスはそこで少しだけ間を置いた。
「それと、ヴァルキュリア嬢については」
「何だ」
「本日の午前予定は、こちらで調整しておきました」
「何を調整した」
「休養扱いに」
「……バルカス」
「監察補佐にも休養は必要でございましょう」
私は何か言い返そうとして、やめた。
確かに必要だ。
昨夜の後で、朝一番に人造コントロールメタル管理会議へ出すのもどうかしている。
「好きにしろ」
「御意」
バルカスの口元が、またわずかに緩んだ。
「その顔をやめろと言った」
「失礼いたしました」
まったく失礼と思っていない。
私はもう一度ため息を吐いた。
だが、気分は悪くない。
むしろ、胸の奥が少し軽い。
地球圏の発展。
これからのことを考えると、少しわくわくしている自分がいる。
この感覚は久しぶりだった。
守らねばならない。
備えねばならない。
処理せねばならない。
そういう義務ではなく、未来を作ることへの期待。
今の戦力ならば、火星や金星のテラフォーミングも現実的だろう。
アプトム群体を外縁防衛と資源採掘に分ける。
宇宙怪獣母艦級を改造し、外宇宙開発船団へ転用する。
箱舟群は、当初の種苗船だけでなく、太陽系内の巨大生態都市としても使える。
人造コントロールメタルは危険だが、ミューオン・スキャナーと人格保持技術が進めば、宇宙船外活動や極限環境作業に使える。
ゾアノイド調整は、戦闘用だけでなく、惑星改造、生態系管理、建設、医療へ広げられる。
地球は、守られるだけの星ではなくなる。
太陽系そのものが、地球生命の活動圏になる。
「何から手を付けるか」
私は呟いた。
バルカスが端末を閉じる。
「火星でございますか。金星でございますか」
「火星は分かりやすい。気圧、磁気圏、大気、地下氷。手を入れる場所が見える」
「金星は難物ですな」
「だが面白い」
私は少し笑った。
「高温高圧、濃硫酸雲、大気組成。普通の人類なら地獄だが、我々なら手を出せる」
「先に火星で実績を作り、金星は研究艦隊とアプトム母艦級で長期観測、というのが妥当でしょう」
「堅いな」
「老骨ですので」
「嘘をつけ。お前、金星の調整生態系案をすでに三つくらい作っている顔だ」
バルカスは咳払いした。
「五つでございます」
「増えている」
「閣下が金星と仰る予感がしておりましたので」
私は笑った。
本当に、もう一人ではない。
私が未来を考える前に、こいつはもう資料を作っている。
シンは実務へ落とすだろう。
プルクシュタールは防衛線と行政を整える。
カールレオンは地球防衛を再設計する。
ヴァルキュリアは危険技術の監察を厳しくする。
アプトムは外縁で笑いながら宇宙怪獣母艦級を改造している。
面倒だ。
だが、楽しい。
私は窓の外の東京を見た。
戦後の朝。
酒の余韻。
女の温もり。
バルカスの保護者めいた笑み。
そして、火星と金星の未来。
「まずは火星だ」
私は言った。
「地球市民に、次の空を見せる。戦争のためではなく、住むための赤い星を」
「では、火星環境改造計画を第一優先へ」
「いや」
私は首を振った。
「その前に、帰還兵の社会復帰計画を片付ける。地球を守った者たちが地球で居場所を失うようでは、火星どころではない」
バルカスは深く頷いた。
「御意」
「その上で火星だ。金星は研究班を走らせておけ」
「承知いたしました」
「それと、アプトムに伝えろ」
「何と?」
「母艦級改造案を三案出せ。防衛用、開拓用、資源採掘用。研究班に好き勝手させるな、と」
「アプトムなら喜びましょうな」
「だろうな」
私はグラスの残りを飲み干した。
ほとんど酔わない酒。
それでも、今朝は少しだけ世界が明るく見えた。
背後のベッドで、ヴァルキュリアが小さく身じろぎする気配がした。
バルカスは、それに気づいて一礼する。
「では、私はこれで」
「逃げるのが早いな」
「老骨は空気を読むのでございます」
「本当に余計なところで保護者面をする」
「長くお仕えしておりますので」
バルカスは静かに退室した。
私はしばらく扉を見て、それから笑った。
長き孤独の時間は終わった。
戦争も、ひとまず終わった。
地球は残り、太陽系は開き始めている。
ならば、次は作る番だ。
火星。
金星。
外縁防衛圏。
アプトム母艦級。
人造コントロールメタルの安全化。
帰還兵の社会復帰。
ヴァルキュリアとの面倒な関係。
やることは山ほどある。
私は窓の外の朝日を見て、静かに呟いた。
「さて、地球生命の次の仕事を始めようか」