次の仕事
/*/ 東京新宿 クロノス極東統治拠点《クラウド・ゲート》 /*/
新宿の空は、以前より高く見えた。
実際には、空が高くなったわけではない。
旧東京都庁の数倍の高さを持つクロノス極東統治拠点《クラウド・ゲート》の上層から見下ろしているから、そう錯覚するだけだ。
都市は復興している。
地上の傷はまだ残っている。
北半球防衛戦で失われた者たちの慰霊施設は、各地でまだ建設中だ。
人造コントロールメタル戦時殖装者たちの社会復帰も、ようやく軌道に乗り始めたばかりだった。
それでも、地球は残った。
太陽系外縁には、赤いアプトム群体が防衛圏を形成している。
木星圏では、かつて宇宙怪獣だった母艦級が、赤い生体輸送船へ改造されつつある。
そして今、我々は次の問題を前にしていた。
戦後の技術を、戦争だけに使うのか。
それとも、地球生命を太陽系へ広げるために使うのか。
会議室には、バルカス、ヴァルキュリア、エドワード・カールレオン、村上征樹、リ・エンツイが揃っていた。
壁面の通信投影には、アリゾナ本部からアルフレッド・ヘッカリングが参加している。
開発局ナンバー2。
バルカスの片腕として、アリゾナの死んだ遺跡宇宙船基地で実務を回している科学者だ。
理論のバルカスに対して、ヘッカリングは実装の男だった。
動くものを作る。
運用に落とす。
危険なら危険なりに、どう縛れば使えるかを考える。
そういう種類の研究者だ。
私は会議卓の中央へ視線を落とした。
そこには、人造コントロールメタル改良型の立体図が浮かんでいる。
拳大の人造制御球。
六角形へ折り畳まれる強殖生物ユニット。
周囲に描かれた神経接続と融殖組織の網。
戦時中、三百万人の獣化兵を宇宙へ送り出した未完成の王冠。
多くを救い、多くを壊しかけた装備。
これを、廃棄するか、続けるか。
答えは、すでに決まっていた。
廃棄はしない。
だが、同じものを量産することも許さない。
「ヘッカリング」
私は言った。
「改良案を説明しろ」
「はい、閣下」
投影の中のヘッカリングが頷いた。
「現行型人造コントロールメタルの最大欠陥は、高次神経情報の保持精度です。肉体情報の維持は実用域にあります。骨格、筋肉、内臓、免疫系、獣化兵としての基本構造。これらは保持できます。問題は、記憶と人格です」
ヴァルキュリアが端末を見ながら言う。
「ニューロンマップ初期化ですね」
「はい。長時間殖装、重度損傷、頻繁な再殖装によって、装着者のニューロンマップが保持しきれず、記憶と人格の連続性が削られる」
ヘッカリングの声は淡々としていた。
だが、会議室にいる者たちは全員、その言葉の重さを知っている。
木星圏で、自分の名前を忘れた兵士がいた。
地球軌道で、戦友を敵と誤認した者がいた。
強殖装甲に命を救われながら、その装備に自分を食われかけた者もいた。
肉体は調整槽で修復できる。
腕が千切れても、脚が失われても、時間と資源をかければ戻せる。
だが、記憶と人格はそうではない。
戻せるように見えても、何かが抜け落ちる。
その恐怖を、戦争は我々に見せた。
「コントロールメタル単体での完全解決は、現段階では不可能です」
ヘッカリングは続けた。
「そこで、ミューオン・スキャナーとの運用連携を前提にします」
画面に手順が表示された。
一、出撃前スキャン。
二、殖装。
三、任務遂行。
四、帰還。
五、殖装解除前スキャン。
六、殖装解除。
七、解除後、ニューロンマップ補正書き込み。
八、人格連続性照合。
「重要なのは、解除前に記録することです」
ヘッカリングは言った。
「任務中に得た経験は、殖装中に形成されています。解除後に記録すれば、すでに一部の高次神経情報が欠落している可能性がある。そこで、殖装を解く直前に頭部ニューロンマップをミューオン・スキャナーで読み取り、解除後に補正書き込みを行います」
村上征樹が静かに頷いた。
「出撃前へ戻すのではなく、出撃後の人格状態を守る」
「その通りです」
「戦訓も、作業中の学習も、消さない」
「はい。出撃ごとの経験差分を保持しつつ、初期化による欠落だけを補います」
ヴァルキュリアが眉を寄せる。
「正規施設でスキャンを受けなければ、安全性が保証されない」
「それが安全弁にもなります」
ヘッカリングは即答した。
「改良型は、管理施設から切り離された私的運用に向きません。正規施設で出撃前後のスキャンと補正を受けなければ、人格保持を保証できない。無用な持ち出しを抑制できます」
カールレオンが腕を組んだ。
葉脈のような意匠を施された装備が、抑えた光を帯びている。
「思念波を受け付けない兵士が、管理外で人造コントロールメタルを使うのは治安上の悪夢だ。その運用縛りは必要だな」
「はい」
ヘッカリングは頷く。
「さらに、改良型では非殖装状態でも融殖組織を通じて恒常性を高めます」
画面が切り替わる。
装着者の身体に、細い融殖組織の網が走っている。
「殖装していない状態でも、免疫安定、出血制御、組織接合補助、神経伝達保護を行います。例えば手足が千切れた場合、欠損部位が残っていれば、融殖組織が断端を保持し、血管・神経・筋組織を仮接続する。調整槽へ入れれば、再接合は従来より容易になります」
ヴァルキュリアが即座に確認した。
「非殖装状態で戦闘能力を強化するものではありませんね」
「違います。筋力や攻撃力を上げるのではなく、生存性と恒常性を高める設計です」
「そこは監察部門が確認します」
「承知しています」
バルカスは満足そうに頷いた。
「ヘッカリングらしい。制御球単体に理想を詰め込むのではなく、運用と生体補助で現実に落としておる」
「褒めていますか、バルカス翁」
「褒めておる」
「光栄です」
ヘッカリングは表情を変えなかった。
この男は、実務家らしく、褒められても報告を止めない。
「殖装時間制限は撤廃しません」
その言葉に、会議室の空気が少し動いた。
私はヘッカリングを見る。
「理由は」
「第一に、長時間殖装は人格初期化リスクを上げます。改良型でも、完全に消えるわけではありません」
「第二は」
「管理上の安全弁です。時間制限があるから、装着者は施設へ戻る。戻ればスキャンと補正ができる。制限を消せば、装着者が装備ごと行方をくらます危険が増します」
「第三は」
「宇宙開発用としても、連続作業は危険です。融殖組織過同調、テレパシー疲労、判断力低下、精神疲労。長く使える装備ほど、戻る理由を設計側が用意しなければなりません」
私は少し笑った。
「よい」
ヘッカリングが小さく頭を下げる。
「つまり、君の案はこうだな。作業用ガイバー構想は将来目標。だが、今はまず人格初期化を抑える改良型人造コントロールメタルを作る。出撃ごとにミューオン・スキャナーで解除前記録を取り、解除後に補正書き込みを行う。非殖装時にも融殖組織で恒常性を高める。殖装時間制限は撤廃せず、安全弁として残す」
「はい。殖装時間制限を、実用に耐える範囲まで改良すればよいと考えています」
カールレオンが低く言った。
「戦闘用と作業用の切り分けはどうする」
ここで、ヴァルキュリアが資料を切り替えた。
画面に二つの人造コントロールメタル仕様案が並ぶ。
戦闘用。
作業用。
「将来的には二系統へ分けます」
ヴァルキュリアは言った。
「戦闘用は従来型の延長。メガスマッシャー、ソニックバスター、全武装を保持。作業用は、メガスマッシャーおよびソニックバスターを発現しない制限型とする」
村上が補足する。
「宇宙開発用なら、残すべき機能は重力操作、高周波ブレード、ヘッドビーム、真空適応、放射線防護、融殖組織テレパシーです」
「テレパシーは近距離通信ではないな」
私が言うと、村上は頷いた。
「はい。融殖組織を介したテレパシーは、通常の無線より遮蔽や距離への耐性が高い。生体艦やアプトム群体を中継すれば、広域の作業通信網にもなり得ます」
バルカスが楽しげに笑う。
「アプトム母艦級を通信中継体に使えば、木星圏や金星軌道でも作業班を繋げるじゃろうな」
ヴァルキュリアは冷静に釘を刺した。
「便利ですが、精神汚染、過同調、群体意識への巻き込みの危険があります。作業用であっても、融殖組織テレパシーは監察対象にします」
「当然だ」
私は頷いた。
「作業用ガイバー構想は採用する。ただし、今すぐ作業用モデルを作る話ではない。第一段階は人格保持型人造コントロールメタルだ」
ヴァルキュリアが記録する。
「第一段階、人格保持型改良。第二段階、メガスマッシャーとソニックバスターを発現しない作業用モデル。第三段階、戦闘用再設計」
「戦闘用は最後でよい」
私が言うと、バルカスが少しだけ惜しそうな顔をした。
「最後ですか」
「戦争は終わった。今欲しいのは、強い兵器ではなく帰ってこられる装備だ」
その言葉で、会議室は静かになった。
全員、解除区画を思い出しているのだろう。
半年近く続いた列。
見た目は平常でも、亜空間に強殖生物を抱え、思念波を受け付けず、悪夢に震えていた兵士たち。
あれを繰り返すわけにはいかない。
「では、次だ」
私は会議卓の表示を切り替えた。
金星。
黄色い雲に覆われた地獄の星。
高温。
高圧。
二酸化炭素大気。
濃硫酸の雲。
地球に近い重力。
過剰な大気保持能力。
火星が開拓の旗なら、金星は惑星改造の本命だった。
「金星改造計画に入る」
バルカスの目が輝いた。
この老人は、こういう話になると露骨に若返る。
「まずは大気ですな」
「ああ。金星は足りない惑星ではない。多すぎる惑星だ。熱が多すぎる。大気が多すぎる。二酸化炭素が多すぎる。硫酸雲が多すぎる」
「火星は足す惑星。金星は引く惑星、というわけですな」
「そうだ」
画面に三種類の調整微生物が表示される。
第一種、硫酸雲分解菌。
第二種、二酸化炭素固定菌。
第三種、水循環生成菌。
「金星の濃硫酸雲へ、調整微生物を撃ち込む」
ヴァルキュリアが眉を寄せた。
「通常の微生物では不可能ですね」
「当然だ」
バルカスが言った。
「金星雲の酸性、紫外線、乾燥、温度変化に耐えられるわけがない。だが、クロノス製の調整微生物なら話は別じゃ」
私は第一種を指した。
「硫酸雲分解菌。濃硫酸雲滴の中で代謝し、硫酸を硫黄化合物、硫酸塩、水素供与体へ変えていく。目的は雲の腐食性を下げ、後続の微生物が活動できる場を作ることだ」
村上が第二種を見る。
「二酸化炭素固定菌は、大気圧低下のためですね」
「そうだ。二酸化炭素を炭酸塩、炭素粒子、炭素繊維状バイオマスへ固定する。酸素を出すだけでは足りない。炭素を固定しなければ、反応系が戻る」
ヴァルキュリアが第三種を見る。
「水循環生成菌。硫酸処理由来の水素を酸素と結合させ、水を作る」
「ただし、これだけで海は作れん」
バルカスが言った。
「金星は全体として水素が足りぬ。硫酸由来の水素だけでは、雲内水循環の補助にはなるが、惑星規模の海には届かん」
「では、外から水素を運ぶ」
私は画面を切り替えた。
木星。
その上層大気へ降下する、赤い母艦級アプトム。
かつて宇宙怪獣の母艦級だった巨大生体構造体。
今は、アプトムに侵食され、赤い太陽系防衛群の一部となっている。
私は通信を開いた。
「アプトム」
『聞こえてるぜ、総帥』
通信の向こうから、幾億の群体のうちの一部が笑うような声が返ってきた。
『今度は何を食えばいい』
「木星だ」
『でかいな』
「木星上層大気から水素を採集し、金星へ運ぶ。金星上層大気で段階放出し、微生物群と軌道化学工場へ供給する」
『木星を啜って、金星に吐けばいいんだろ。食って運ぶだけなら得意だぜ』
「ヘリウムも回収する」
『ヘリウム?』
アプトムの声が少しだけ興味を帯びた。
「木星大気には水素だけではなくヘリウムも含まれる。水素は金星へ。ヘリウムは地球圏へ回す」
村上が補足する。
「医療、半導体、極低温冷却、超伝導、量子計算、ミューオン・スキャナー。ヘリウムは地球圏の戦略資源になります」
ヴァルキュリアが資料を確認する。
「旧世界でもヘリウム供給不足は問題になっていました。クロノス統治後は再配分で凌いできましたが、太陽系開発を進めるなら地球由来の供給では足りません」
「だから木星から取る」
私は言った。
「金星を育てるための水素輸送。それに伴うヘリウム回収。どちらも主目的だ」
バルカスが楽しそうに笑った。
「母艦級アプトムを水素タンカー兼ヘリウム分離船にする。悪夢のような合理性ですな」
『俺、とうとうガス屋かよ』
アプトムがぼやいた。
「太陽系最大のガス屋だ」
『悪くねぇな』
アプトムは笑った。
『木星をちょいと啜って、金星に吐いて、地球にヘリウムを土産で持って帰る。戦争終わったら平和な仕事が来るもんだな』
「平和な仕事というには、木星も金星も過酷すぎるがな」
『俺にはちょうどいい』
ヴァルキュリアは冷静に言った。
「ヘリウム配分は監察対象にします。医療、半導体、研究、防衛、宇宙開発の優先順位を明確にしないと、必ず利権化します」
「よい」
私は即答した。
「ヘリウムは戦略資源として扱う。娯楽用や浪費用途には回さない。まず医療、次に半導体と超伝導設備、次に宇宙開発、防衛、研究だ」
カールレオンが頷く。
「戦後復興にも効く。医療機器と半導体工場が止まらないのは大きい」
「金星改造は遠い未来の夢に見える。だが、木星ヘリウム輸送はすぐに地球の生活へ返ってくる」
私は会議卓の金星モデルを見た。
黄色い雲。
硫酸の空。
二酸化炭素の海。
高温高圧の地表。
だが、その向こうに別の姿が見える。
軌道日傘で冷やされる金星。
雲層へ撒かれる三種の調整微生物。
木星から運ばれる水素。
地球へ戻るヘリウム。
高層に浮かぶ都市。
いつか、地表へ降りる者たち。
「放置ではない」
私は言った。
「育てるのだ。惑星を」
バルカスが頷く。
「まずは軌道培養槽で試験株を千世代。暴走防止には増殖制限、自壊遺伝子、微量元素依存性を入れる。金星へ撒くのは、その後ですな」
「そうしろ。惑星に微生物を撒くのだ。慎重すぎるくらいでよい」
ヴァルキュリアが小さく頷いた。
「その言葉は記録しておきます」
「記録しろ」
私は次にアプトムへ言った。
「母艦級改造案を三案出せ。防衛用、開拓用、資源採集用だ。リ・エンツイと連携しろ。彼なら、母艦級の生体制御と太陽系内航行の実務をまとめられる」
『リ・エンツイか。あいつ、俺を細切れにして管理しようとしねぇだろうな』
リ・エンツイが静かに目を細めた。
「必要があれば切り分ける。だが、無駄に切り刻む趣味はない」
『言い方が怖ぇんだよ』
「君ほどではない」
アプトムは笑った。
『まあいい。母艦級の使い道を考える相手としては悪くねぇ。防衛用、開拓用、資源採集用。三案出してやる』
「よし」
通信の向こうで、赤い母艦級が木星の縞模様の上へ降下していく映像が映った。
巨大な生体採集口が開く。
木星上層大気が、ゆっくりと赤い母艦級の腹へ吸い込まれていく。
水素は金星へ。
ヘリウムは地球へ。
かつて人類を滅ぼしに来た宇宙怪獣母艦級は、今や太陽系の資源循環を担う輸送船になろうとしていた。
私は、その映像を見ながら思った。
戦争で得たものを、戦争だけに使うな。
地球生命は、敵を食って生き残った。
ならば次は、その死骸で文明を育てる。
「結論を出す」
会議室が静まった。
「人造コントロールメタルは、ヘッカリング案を第一段階改良型として採用する。人格保持、ミューオン・スキャナー補正、非殖装時恒常性強化、殖装時間制限の実用化を優先する」
ヘッカリングが深く頭を下げた。
「光栄です」
「作業用ガイバーは第二段階。メガスマッシャーとソニックバスターを発現しない制限型を目指す。戦闘用は第三段階だ」
ヴァルキュリアが記録する。
「承認しました」
「金星改造計画は、三種調整微生物の試験株培養を開始。金星投入は軌道培養槽での千世代試験後。木星水素輸送およびヘリウム回収は、アプトム母艦級改造計画に組み込む。リ・エンツイは母艦級改造の実務統括に入れ」
リ・エンツイが静かに頭を下げた。
「承知しました」
バルカスが楽しげに頷く。
「忙しくなりますな」
「今さらだ」
私は会議室の面々を見渡した。
バルカス。
ヴァルキュリア。
カールレオン。
村上征樹。
リ・エンツイ。
ヘッカリング。
通信の向こうのアプトム。
長き孤独の時間は終わった。
今の私には、実務を任せられる者たちがいる。
危険を止める者がいる。
疑う者がいる。
食らいつく者がいる。
ならば、次へ進める。
「地球生命は、もう地球だけに閉じていない」
私は言った。
「火星を開き、金星を育て、木星を資源化し、外縁を守る。人造コントロールメタルはそのための身体となる。アプトム母艦級はそのための船となる。調整微生物はそのための手となる」
誰も異論を挟まなかった。
「始めろ」
私の言葉で、会議は動き出した。
戦後処理は終わっていない。
死者の名も消えない。
帰還兵の傷も、地球の傷も、まだ癒えきっていない。
だが、未来は待たない。
守った星から、育てる星へ。
戦争の技術から、開発の技術へ。
地球生命の次の仕事が、始まった。