アルカンフェル転生   作:ぶーく・ぶくぶく

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いつもの力技

/*/ クロノス統治初期 先進国行政区 /*/

 

 

 クロノス統治が始まって数年。

 

 旧時代に激しく燃えていた社会問題の一つが、急速に沈静化した。

 

 LGBT問題。

 

 正確には、性別不一致をめぐる戸籍、医療、競技、トイレ、更衣室、学校、職場、兵役、婚姻制度の問題である。

 

 クロノスは、そこに長い議論を持ち込まなかった。

 

 身体を調整した。

 

 男の身体を女へ。

 

 女の身体を男へ。

 

 骨格。

 

 筋肉。

 

 内分泌。

 

 声帯。

 

 皮膚。

 

 体毛。

 

 二次性徴。

 

 外見。

 

 代謝。

 

 生殖機能については個体差と安全審査を要したが、それでも旧時代の医療とは比較にならない精度で、本人の望む性に身体を近づけることができた。

 

 クロノス医療調整局は、それを「性別不一致治療調整」と呼んだ。

 

 政治的な呼称ではない。

 

 宗教的な呼称でもない。

 

 医療分類だった。

 

 そして、本人同意と審査を経て調整を受けた者たちは、驚くほど早くそれを受け入れた。

 

「もう、自分が何者なのか悩まなくていい」

 

 最初の調整者の一人は、記者会見でそう言った。

 

「鏡を見るのが怖くなくなった」

 

 別の一人は、泣きながら言った。

 

「身体を説明しなくていい。証明しなくていい。私は私だと、やっと身体が言ってくれる」

 

 その言葉は、多くの当事者に刺さった。

 

 旧時代には、診断書、ホルモン治療、手術、戸籍変更、社会的承認、トイレ使用、競技参加、職場の理解、家族の反応。

 

 すべてが長く、重く、争いになった。

 

 クロノスは、それを一つずつ説得しなかった。

 

 身体を変えた。

 

 法律上の性別は、調整後の身体記録に連動して更新された。

 

 学校も職場も、競技団体も、行政窓口も、それに従った。

 

 長年の論争が、拍子抜けするほど早く細っていった。

 

 

 

/*/

 

 

 

 もちろん、すべてが消えたわけではない。

 

 性的指向は調整対象ではない。

 

 同性を愛する者も、両性を愛する者も、誰も愛さない者も、変わらず存在した。

 

 クロノスはそこには基本的に介入しなかった。

 

 問題が激減したのは、主に「身体と性別の不一致」をめぐる領域だった。

 

 当人が望むなら、身体を合わせる。

 

 戸籍も合わせる。

 

 競技区分も合わせる。

 

 公共施設利用も合わせる。

 

 それで済む。

 

 それがクロノスの発想だった。

 

 だが、旧時代の論争で利益や立場を持っていた者たちは反発した。

 

 特に激しかったのは、女子競技に参加していた一部の自認女性選手だった。

 

 彼女たちは、女性として扱われることを求めてきた。

 

 だが、クロノスは言った。

 

 ならば、身体も女性へ調整すればよい。

 

 筋量、骨格、心肺機能、ホルモン値、競技適性を含め、女性競技区分に適合する身体へ。

 

 その提案に、彼女たちの一部は沈黙した。

 

 そして、反発した。

 

「身体調整を受けなければ女性として認めないのか」

 

「これは強制だ」

 

「性自認を身体で証明させるな」

 

 彼女たちの主張は、旧時代の言葉としては成立していた。

 

 だが、女子競技団体の反応は冷たかった。

 

「女子競技は、女子の身体条件を前提とする」

 

「調整技術が存在する以上、身体条件を揃えない理由はない」

 

「自認を尊重することと、競技上の公平性を放棄することは別である」

 

 それは、長年言えなかった言葉だった。

 

 クロノスの調整技術が、それを言えるようにしてしまった。

 

 

 

/*/

 

 

 

 人権団体も反発した。

 

 声明は激しかった。

 

 

 

 性別を国家が医療分類することに反対する。

 身体調整を受けなければ社会的承認を得られない構造は、新たな強制である。

 性別不一致者を“治療対象”として扱うことは、多様性の否定である。

 クロノスは、社会の側を変えるのではなく、個人の身体を変えることで問題を消している。

 

 

 

 それに対して、当事者団体の中でも意見は割れた。

 

 旧来型の活動家は怒った。

 

 だが、実際に調整を受けた者たちは、必ずしもその怒りに同調しなかった。

 

「多様性を守ると言われて、私は何年も苦しんだ」

 

「社会を変えるまで待てと言われた。でも、私の身体は毎日ここにあった」

 

「私は思想の象徴になりたいわけじゃない。普通に生きたいだけだ」

 

「調整を受けて、やっと活動家ではなく一人の女になれた」

 

「俺は男として働き、男として老いたい。それだけだ」

 

 その声は強かった。

 

 人権団体は困惑した。

 

 守るべき当事者が、クロノスの調整を歓迎している。

 

 国家による身体介入だ。

 

 危険な前例だ。

 

 そう言っても、当人たちは言った。

 

「それでも、私は救われた」

 

 その言葉は、あまりにも重かった。

 

 

 

/*/

 

 

 

 クラウド・ゲートの会議室で、村上征樹は世論分析を見ていた。

 

「予想以上に、当事者側の受容が高いですね」

 

 ヴァルキュリアが頷く。

 

「はい。特に長期間の性別違和、旧時代医療で満足な結果を得られなかった者、若年期から強い不一致を抱えていた者で、調整希望が集中しています」

 

 アプトムが画面を眺めながら言った。

 

「人権団体より、本人たちの方がクロノス寄りってわけか」

 

「その傾向があります」

 

 バルカスは満足そうに笑った。

 

「フォッフォッフォ。身体と意識が合わぬなら、身体を合わせればよい。実に単純じゃ」

 

 村上は苦い顔をした。

 

「単純だからこそ怖いんです。社会の側が受け入れる努力をしなくなる」

 

 ヴァルキュリアは淡々と答えた。

 

「社会的摩擦は減少しています」

 

「ええ。減っています。ですが、減り方がクロノスらしすぎます」

 

 アプトムが笑った。

 

「思想で殴り合ってたら、横から身体を作り替えて解決。力技にも程があるな」

 

 アルカンフェルは、静かに言った。

 

「本人が望むならよい」

 

 村上が顔を上げる。

 

「望まない者は」

 

「強制するな」

 

 アルカンフェルは即答した。

 

「だが、競技や公的区分に関わるなら、身体条件を無視するな」

 

 ヴァルキュリアが記録する。

 

「性別不一致治療調整は本人同意を原則。非希望者への強制なし。ただし、競技、公的施設、医療統計、兵科分類等では身体条件を基準にする」

 

「それでよい」

 

 アプトムがぼそりと言った。

 

「また燃えそうだな」

 

「もう燃えています」

 

 ヴァルキュリアが答えた。

 

 

 

/*/

 

 

 

 だが、火種はそこで終わらなかった。

 

 新たな問題は、調整を受けた者たちの姿だった。

 

 美しかったのだ。

 

 クロノスの性別不一致治療調整は、単に身体を変えるだけではなかった。

 

 骨格の歪みを整える。

 

 皮膚を滑らかにする。

 

 ホルモンバランスを安定させる。

 

 代謝を調整する。

 

 過去のホルモン治療や手術痕を修復する。

 

 声や顔つき、髪質、体型の不一致を整える。

 

 その結果、調整後の者たちは、しばしば見違えるほど整った外見になった。

 

 それは本人たちにとっては、救いだった。

 

 ようやく自分の望む姿になれた。

 

 ようやく鏡を見られる。

 

 ようやく身体を嫌わずに済む。

 

 だが、周囲は別のものも見た。

 

 美。

 

 老化の緩和。

 

 体型の安定。

 

 肌質の改善。

 

 顔立ちの調和。

 

 そして、それが医療として提供されている事実。

 

 女性団体の一部が、声を上げた。

 

「なぜ性別不一致者だけが、美しくなる調整を受けられるのか」

 

 最初は小さな投稿だった。

 

 だが、瞬く間に拡散した。

 

 

 

 私たちも身体に苦しんでいる。

 産後の変化、加齢、体型、肌、骨格、月経、内分泌。

 性別不一致だけが身体の苦しみなのか。

 医療調整と美容調整の境界を誰が決めるのか。

 障害や疾患がある者だけが、美しくなる権利を持つのか。

 女にも、自分の身体を整える権利がある。

 

 

 

 新しい団体が作られた。

 

 女性身体調整権連盟。

 

 彼女たちは、クロノス医療調整局の前で集会を開いた。

 

 横断幕には、こう書かれていた。

 

 

 

 美しくなる権利を、すべての女性に。

 苦痛の証明を求めるな。

 医療か美容かを国家が独占するな。

 私たちにも調整を受ける権利がある。

 

 

 

 その主張は、単なる美容要求ではなかった。

 

 彼女たちは言った。

 

 女性は長く、身体によって評価されてきた。

 

 老い、出産、病気、ホルモン、体型、肌。

 

 それらに苦しんできた。

 

 クロノスが身体を整える技術を持つなら、なぜ救済対象を限定するのか。

 

 性別不一致者が自分の身体を望む形にできるなら、女性もまた、自分の身体を望む形に整える権利があるのではないか。

 

 それは、危険なほど説得力のある要求だった。

 

 

 

/*/

 

 

 

 人権団体は、さらに混乱した。

 

 彼らは性別不一致治療調整には反対していた。

 

 国家が身体を作り替えることは危険だと。

 

 だが、女性団体は逆に要求した。

 

 自分たちにも調整を受けさせろ、と。

 

 しかも、その中には旧来のフェミニズム団体も含まれていた。

 

 若い女性たちは、もっと率直だった。

 

 

 

 なんで性別違和があれば綺麗にしてもらえて、普通の女は駄目なの?

 産後の身体を戻したい。

 生理を軽くしたい。

 更年期を調整したい。

 肌と骨格を整えたい。

 男性基準の美容医療じゃなく、女性の身体苦痛を前提にした調整が欲しい。

 美容って言葉で軽く見るな。毎日この身体で生きてるんだよ。

 

 

 

 クロノス医療調整局には、問い合わせが殺到した。

 

 美容調整は可能か。

 

 加齢調整は可能か。

 

 体型調整は可能か。

 

 産後回復調整は医療か美容か。

 

 月経負担軽減は治療か能力強化か。

 

 更年期調整は公費対象か。

 

 顔貌調整はどこまで許されるのか。

 

 美しさは医療資源の対象になるのか。

 

 ヴァルキュリアは、報告書に赤字で注記した。

 

 

 

 性別不一致治療調整の成功により、身体調整権要求が一般女性層へ拡大。

 医療、福祉、美容、階級格差、ジェンダー問題が再接続。

 放置すれば、調整資源をめぐる新たな社会運動へ発展。

 

 

 

 アプトムがその注記を読んで、乾いた笑いを漏らした。

 

「一つ片付けたら、十個増えたな」

 

 村上は頭を抱えた。

 

「予想できたはずです。身体を望む形に変えられる技術を見せれば、当然、他の人たちも求めます」

 

 バルカスは悪びれずに言った。

 

「技術的には可能じゃ」

 

「博士」

 

「何じゃ」

 

「そこで簡単に言わないでください」

 

「可能なものは可能じゃ」

 

 ヴァルキュリアが冷静に言う。

 

「問題は資源配分、審査基準、社会的公平性、階級固定化です。高所得者だけが美しく若くなる場合、社会不安を招きます」

 

 アプトムが言った。

 

「逆に公費で全員にやるのか?」

 

「財源が足りません」

 

「だろうな」

 

 

 

/*/

 

 

 

 アルカンフェルは、しばらく黙っていた。

 

 性別不一致治療。

 

 女子競技区分。

 

 人権団体の反発。

 

 当事者の歓迎。

 

 女性団体の美容調整要求。

 

 身体を変える技術は、社会の線引きを次々に壊していく。

 

「身体は政治になるのだな」

 

 彼は言った。

 

 村上が頷く。

 

「旧時代からそうでした。ただ、クロノスは本当に身体を変えられる。だから、政治問題が一気に医療資源の問題になります」

 

「本人が苦しんでいるなら調整すればよい」

 

 バルカスが言う。

 

「どこまでを苦しみと認めるかが問題です」

 

 村上が返す。

 

「性別不一致。障害。疾患。老化。体型。外見。出産後の変化。更年期。どこまで医療で、どこから美容なのか」

 

 アプトムが笑う。

 

「人間は面倒だな」

 

 ヴァルキュリアが即答する。

 

「統治です」

 

「出たよ」

 

 アルカンフェルは、資料を閉じた。

 

「基準を作れ」

 

 ヴァルキュリアが姿勢を正す。

 

「医療調整と美容調整の区分ですか」

 

「そうだ」

 

「性別不一致治療調整は継続」

 

「継続しろ」

 

「本人同意を必須」

 

「当然だ」

 

「競技区分は調整後身体を基準」

 

「そうしろ」

 

「美容目的の全身調整は」

 

 アルカンフェルは少し考えた。

 

「禁止するな」

 

 村上が驚いたように顔を上げた。

 

「認めるのですか」

 

「制限付きで認めろ」

 

 アルカンフェルは言った。

 

「人間は美を欲しがる。禁じれば地下化する。闇調整が生まれる。ならば、表で管理しろ」

 

 ヴァルキュリアが記録する。

 

「美容調整を登録制、上限付き、段階制、健康リスク審査付きで認可。公費対象は医療必要性のあるものに限定。純美容目的は自己負担。ただし搾取的価格設定と未成年への過度な施術は禁止」

 

 村上が言う。

 

「女性団体は、それでは納得しないでしょう」

 

「だろうな」

 

 アルカンフェルは言った。

 

「だが、全員を無制限に美しくする資源はない」

 

 アプトムが笑った。

 

「言い方」

 

 ヴァルキュリアは淡々と修正した。

 

「外部向けには、“身体調整資源には限りがあり、医療必要性の高い調整を優先する”と表現します」

 

「好きにしろ」

 

 そこで、アルカンフェルは再び資料に目を落とした。

 

 若返り。

 

 老化抑制。

 

 肌質改善。

 

 内分泌安定化。

 

 生殖機能維持。

 

 出生率。

 

 人口構成。

 

 軍団維持。

 

 それらの項目が、彼の中では一つの線で結ばれていた。

 

「若く、美しいままでいたいと言うなら、死ぬまで子を産める体に調整してしまえ」

 

 会議室の空気が凍った。

 

 アルカンフェルは、あくまで淡々と続けた。

 

「軍団の維持には、その方が有用だ」

 

 沈黙。

 

 次の瞬間、村上が両手で顔を覆った。

 

 ヴァルキュリアは即座に記録区分を最高機密へ切り替えた。

 

 アプトムは一瞬だけ笑いかけ、すぐに真顔になった。

 

「総帥。それ、外で言ったら終わるぞ」

 

 村上が顔を上げる。

 

「終わります。確実に終わります」

 

 アルカンフェルは不思議そうに問うた。

 

「なぜだ。若さを望む。美を望む。身体機能の維持を望む。ならば、生殖機能も維持すればよい。種族維持の観点では合理的だ」

 

「その“種族維持の観点”が駄目です」

 

 村上の声は、いつもより強かった。

 

「女性団体は、自分の身体を自分のために整える権利を求めています。そこへ“死ぬまで子を産める体にする”などと言えば、女性の身体を出産資源として見ていると受け取られます」

 

 バルカスが首を傾げる。

 

「実際、繁殖能力は種族維持の重要資源じゃろう」

 

「博士も黙っていてください」

 

 だが、バルカスはさらに首を傾げた。

 

「いや、しかしじゃな。若いままの姿で生殖系だけ老化させるのは、全体のバランスから逆に不自然じゃぞ。技術的に挑戦する価値はあるが、全部若いままではいかんのかの?」

 

 村上は、数秒だけ黙った。

 

 そして、低く言った。

 

「博士。それも外では絶対に言わないでください」

 

「なぜじゃ。調整としては整合性の問題じゃ」

 

「そこが問題なんです。女性の若返り調整の話を、生殖機能維持と一体化させると、“若く美しくいたいなら産める身体であれ”という圧力になります」

 

 バルカスは不思議そうに言った。

 

「本人が望まぬなら使わねばよいだけではないか」

 

「社会はそう単純に動きません」

 

 村上は答えた。

 

「産める身体に調整できると分かった時点で、家族、配偶者、宗教団体、企業、行政、国家が圧力をかける可能性が出ます。本人が望む美容調整が、いつの間にか生殖管理に接続されるんです」

 

 アプトムが低く笑う。

 

「今日の村上、胃に穴が空きそうだな」

 

「もう空いている気がします」

 

 ヴァルキュリアが画面に想定見出しを表示する。

 

 

 

「アルカンフェル総帥、女性を死ぬまで産める体へ調整と発言」

「クロノス、女性身体調整を人口政策へ利用か」

「美しくなる権利の裏に生殖管理」

「バルカス博士、若返り調整と生殖機能維持の一体化を示唆」

「女性団体、総帥発言に激怒」

 

 

 

 アプトムが顔をしかめた。

 

「地獄みたいな見出しだな」

 

「はい。地獄です」

 

 アルカンフェルは、少しだけ不満そうだった。

 

「私は強制しろとは言っていない」

 

「聞いてもらえません」

 

 村上は即答した。

 

「しかも、“軍団の維持”という言葉が最悪です。女性を兵站資源扱いしているように聞こえます」

 

「軍団の維持には人口が必要だ」

 

「事実でも言い方があります」

 

「またそれか」

 

「またそれです」

 

 アプトムが肩を震わせた。

 

「総帥、村上に何回それ言われてんだよ」

 

 

 

/*/

 

 

 

 ヴァルキュリアは、外部向け文言を組み立て始めた。

 

「総帥発言を次のように置換します」

 

 画面に、修正文案が表示される。

 

 

 

 加齢に伴う身体機能低下、妊娠・出産・産後回復、更年期症状、不妊治療については、本人の意思を最優先とし、医療調整の対象として検討する。

 

 生殖機能に関わる調整は、本人同意、倫理審査、医療適応、将来設計支援を必須とし、国家または家族による強制を禁じる。

 

 美容調整と生殖機能調整は明確に区分し、女性の身体を人口政策の道具として扱わない。

 

 

 

 村上は大きく頷いた。

 

「それなら出せます」

 

 アプトムが吹き出した。

 

「すげぇな。“死ぬまで子を産める体にしろ”が“本人同意と倫理審査を必須”になったぞ」

 

「そうしなければ出せません」

 

 ヴァルキュリアは平然と言った。

 

 アルカンフェルは、文案を見て言った。

 

「長い」

 

「必要です」

 

「私の言葉ではない」

 

「外に出せる総帥の言葉です」

 

 村上が補足する。

 

「総帥。女性の身体調整は、特に慎重に扱わなければなりません。歴史的に、女性の身体は国家、宗教、家族、医療、産業から管理され続けてきました。そこにクロノスの調整技術が入ると、救済にもなりますが、支配にもなります」

 

 アルカンフェルは村上を見た。

 

「本人が望むならよい、と私は言った」

 

「はい。そこは重要です」

 

「強制するな、とも言った」

 

「はい。だから、その部分を前面に出してください」

 

 ヴァルキュリアが記録する。

 

 

 

 身体調整権広報方針:

 本人意思最優先。

 生殖機能調整への国家・家族・雇用者・配偶者による強制禁止。

 美容調整と医療調整の区分明確化。

 産後回復・更年期・月経困難症・不妊治療は医療優先枠。

 純美容目的は登録制・自己負担・上限制。

 未成年への純美容調整禁止。

 総帥発言の外部文言、村上確認必須。

 

 

 

 アプトムが呟く。

 

「最後の一文、もう定番になってんな」

 

 村上は疲れた声で言った。

 

「必要なんです」

 

 

 

/*/

 

 

 

 だが、バルカスはまだ納得していなかった。

 

「しかし、長命化や若返り調整をするなら、生殖機能も維持する方が自然じゃ。卵巣、子宮、内分泌、骨盤、血管、代謝。若い外見だけを保ち、生殖系を老化させたままにするのは、調整としては不完全じゃろう」

 

 村上は慎重に答えた。

 

「医学的にはそうかもしれません。ですが、本人が望まない限り、生殖機能を維持・強化する調整はしてはいけません」

 

「なぜじゃ」

 

「妊娠可能であることと、妊娠を望むことは別だからです」

 

 その言葉に、会議室が少し静まった。

 

 村上は続ける。

 

「若く美しくありたい女性が、必ず子供を産みたいわけではありません。産みたい人もいる。産みたくない人もいる。産めないことに苦しむ人もいる。産める身体であることを重荷に感じる人もいる。そこを一括りにすると、必ず傷つく人が出ます」

 

 ヴァルキュリアが赤字で注記する。

 

 

 

重要:妊娠可能性と妊娠意思を分離して扱うこと。

 

 

 

 バルカスは、少しだけ考えた。

 

「では、生殖系だけ老化を許容する選択肢と、生殖系も含めて維持する選択肢を分けるべきということか」

 

「はい」

 

 村上は頷いた。

 

「本人が明確に望むなら、生殖機能維持調整も医療として検討できます。ですが、美容調整の標準パッケージに入れてはいけません」

 

「標準ではなく、選択式か」

 

「そうです」

 

 バルカスは髭を撫でた。

 

「面倒じゃのう」

 

「身体の自己決定権とは、面倒なんです」

 

 アプトムが感心したように言った。

 

「今日の村上、現代倫理フィルターとしてかなり仕事してるな」

 

「いつもしているつもりです」

 

 アルカンフェルは、しばらく黙っていた。

 

 そして言った。

 

「人間は、自分の身体機能すら選びたいのか」

 

 村上は頷いた。

 

「はい。特に生殖に関しては」

 

「種族維持に関わる」

 

「だからこそです」

 

 村上は静かに答えた。

 

「種族維持に関わるから、個人の意思を無視すると支配になります」

 

 アルカンフェルは、その言葉を少しだけ考えた。

 

「面倒だな」

 

「はい」

 

「だが、覚えておく」

 

 村上は少しだけ表情を緩めた。

 

「お願いします」

 

 

 

/*/

 

 

 

 数日後、クロノス医療調整局は新しい制度案を発表した。

 

 性別不一致治療調整は継続。

 

 美容・生活改善調整は登録制で限定解禁。

 

 産後回復、更年期負担軽減、月経困難症、内分泌安定化、不妊治療、瘢痕修復は医療または準医療として優先枠。

 

 顔貌美化、体型美化、若返り、肌質改善は自己負担の登録制。

 

 そして、生殖機能に関わる調整については、特別な一文が加えられた。

 

 

 

 妊娠・出産・生殖機能に関わる調整は、本人の明確な意思を最優先とする。

 国家、家族、配偶者、雇用者、宗教団体、医療機関による強制、誘導、圧力を禁じる。

 妊娠可能性の維持と妊娠意思は別個のものとして扱い、本人の選択を尊重する。

 若返り・美容調整に生殖機能維持を自動的に含めることを禁じ、個別同意と医療説明を必須とする。

 

 

 

 女性団体は、一定の勝利と受け止めた。

 

 同時に、警戒も解かなかった。

 

 

 

 クロノスの技術は救いになる。

 だが、女性の身体を人口政策の道具にさせてはならない。

 美しくなる権利は、産まされる義務ではない。

 調整を望む自由と、調整を拒む自由を同時に守れ。

 

 

 

 人権団体は、なお批判した。

 

 

 

 身体調整が制度化されれば、社会的圧力は必ず生まれる。

 本人同意という言葉だけでは足りない。

 国家が女性の身体機能を管理する時代が始まった。

 

 

 

 その批判もまた、正しかった。

 

 だが、産後の身体不調から解放された女性もいた。

 

 更年期症状が軽くなった者もいた。

 

 不妊治療で救われた夫婦もいた。

 

 瘢痕修復で顔を上げられるようになった者もいた。

 

 若返り調整を望む者もいた。

 

 妊娠機能の維持を望む者も、望まない者もいた。

 

 身体を変える技術は、また一つ社会の線を壊した。

 

 

 

/*/

 

 

 

 クラウド・ゲートで報告を受けたアルカンフェルは、短く言った。

 

「本人の意思を最優先、か」

 

 村上が頷く。

 

「はい」

 

「種族維持よりもか」

 

「その問いを外で言わないでください」

 

 アプトムが笑った。

 

「また出たぞ」

 

 アルカンフェルは、少しだけ目を細めた。

 

「分かっている」

 

 村上は本当に少し驚いた。

 

「ありがとうございます」

 

 バルカスが楽しげに笑う。

 

「フォッフォッフォ。閣下も学習しておられる」

 

 ヴァルキュリアは淡々と記録した。

 

 

 

 総帥、身体調整権問題において本人意思優先原則を確認。

 ただし、種族維持観点の発言は外部非公開継続。

 バルカス博士の生殖系維持発言も外部非公開。

 若返り調整と生殖機能維持は制度上分離。

 村上確認済。

 

 

 

 アプトムが最後の一文を見て、また笑った。

 

「もう印鑑みたいだな、村上確認済」

 

 村上は深くため息をついた。

 

「その印鑑がないと、世界が燃えるんです」

 

 アルカンフェルは、窓の外の地球を見た。

 

 作られた種族。

 

 兵器として設計され、繁殖し、増え、文化を作り、自分の身体の意味まで問い始めた生き物。

 

 その種族は、今や自分の身体を選びたいと言っている。

 

 若くありたい。

 

 美しくありたい。

 

 子を産みたい。

 

 子を産みたくない。

 

 女でありたい。

 

 男でありたい。

 

 どちらでもありたくない。

 

 自分で決めたい。

 

 アルカンフェルには、やはり面倒に見えた。

 

 バルカスには、技術的な不整合が気になった。

 

 村上には、その面倒さこそが人間に見えた。

 

「ならば、管理しろ」

 

 アルカンフェルは言った。

 

「望む者には道を作れ。望まぬ者には押し付けるな。だが、闇に潜らせるな」

 

 ヴァルキュリアが頷く。

 

「御意」

 

 クロノスは、また一つ学んだ。

 

 身体を変える技術は、救いになる。

 

 だが、誰のために変えるのかを間違えれば、支配になる。

 

 その境界を、クロノスは制度で引こうとした。

 

 強引に。

 

 冷徹に。

 

 そして、村上征樹の胃を削りながら。

 

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