アルカンフェル転生   作:ぶーく・ぶくぶく

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治せば戻るとは限らない

/*/ 宇宙怪獣迎撃戦後 クラウド・ゲート軍医科学局 /*/

 

 

 

 宇宙怪獣との戦闘が終わってから、半年が過ぎた。

 

 アルカンフェルは、その半年をかけて三百万の獣化兵から殖装を解除した。

 

 人造コントロールメタル。

 

 量産型殖装ユニット。

 

 宇宙怪獣戦用に急造された強化外殻。

 

 生体負荷を無視して戦場へ送り出された兵士たち。

 

 彼らは勝った。

 

 少なくとも、太陽系は残った。

 

 宇宙怪獣の群れは撃退され、地球は砕けず、月軌道も維持された。

 

 だが、勝った兵士たちが無事だったわけではない。

 

 殖装を解除された獣化兵たちは、次々と医療施設へ送られた。

 

 肉体の損傷。

 

 神経系の過負荷。

 

 内分泌異常。

 

 睡眠障害。

 

 幻聴。

 

 攻撃衝動。

 

 感情鈍麻。

 

 記憶の混濁。

 

 自傷衝動。

 

 そして、宇宙怪獣戦由来の極度戦闘後ストレス障害。

 

 バルカスは、その治療を命じられていた。

 

 アルカンフェルの命令は、単純だった。

 

「治せ」

 

 それだけだった。

 

 バルカスは、当然のように技術で応じた。

 

 脳内物質の分泌を正常化する。

 

 過剰なアドレナリン反応を抑える。

 

 セロトニン、ドーパミン、ノルアドレナリンの分泌バランスを再調整する。

 

 慢性的な恐怖反応で萎縮した海馬を再生する。

 

 前頭葉の機能低下を修復する。

 

 扁桃体の過敏化を抑える。

 

 睡眠相を整え、記憶処理を正常化する。

 

 獣化兵の身体であれば、治療は可能だった。

 

 クロノスの医療なら、脳組織の物理的損傷すら修復できる。

 

 バルカスはそう考えた。

 

 肉体を治せば、兵士は戻る。

 

 そのはずだった。

 

 だが、最初の治療例で、軍医科学局は地獄を見た。

 

 

 

/*/

 

 

 

 第一群、二百名。

 

 殖装解除後、脳機能修復処理を受けた獣化兵たちは、最初は穏やかだった。

 

 顔色が戻った。

 

 睡眠時間が伸びた。

 

 反応速度が安定した。

 

 感情の平板化が改善した。

 

 認知テストの数値も上がった。

 

 記憶力も戻った。

 

 論理判断も戻った。

 

 医療記録上は、成功だった。

 

 問題は、その夜に起きた。

 

 治療済みの一人が、病室で突然絶叫した。

 

 次に、別の兵士が壁へ頭を叩きつけた。

 

 三人目は、拘束具を引き千切って床を這いながら「口が来る」「口が来る」と繰り返した。

 

 四人目は、静かに泣きながら、存在しない仲間の名を呼び続けた。

 

 五人目は、自分の腹を押さえ、そこにない怪獣の牙を抜こうとした。

 

 フラッシュバックだった。

 

 ただし、人間のそれではない。

 

 調整済みの強靭な脳が、完全に修復された海馬と前頭葉で、戦場の記憶を高解像度で再生していた。

 

 宇宙怪獣に捕食された瞬間。

 

 殖装外殻が砕けた音。

 

 通信に残った断末魔。

 

 仲間が肉片になって流れていく映像。

 

 真空越しに伝わる振動。

 

 自分の腕が消えた感覚。

 

 怪獣の内部へ引きずり込まれた恐怖。

 

 肉体はここにある。

 

 だが、脳は戦場へ戻っていた。

 

 それも、曖昧な悪夢としてではない。

 

 今、そこにいるかのように。

 

 匂いまで。

 

 音まで。

 

 痛みまで。

 

 死ぬ直前の恐怖まで。

 

 完全な鮮度で再生していた。

 

 バルカスは、記録映像を見て、初めて沈黙した。

 

 村上征樹は、青い顔で言った。

 

「博士。脳を治したせいで、記憶が鮮明になったんですか」

 

 バルカスは、髭に触れたまま答えた。

 

「……そうじゃな」

 

「つまり、壊れていたから耐えられていた」

 

「そういうことになる」

 

 アプトムが低く言った。

 

「最悪だな。壊れたラジオを直したら、地獄の放送がクリアに聞こえるようになったってことか」

 

 誰も笑わなかった。

 

 

 

/*/

 

 

 

 軍医科学局は、治療結果を三分類した。

 

 

 

 第一類型:完全フラッシュバック型

 脳機能修復により記憶再生能力が回復。

 戦場記憶が極めて鮮明に再体験され、急性錯乱、発狂、自傷、戦闘再現行動を起こす。

 

 

 

 第二類型:感情リンク切断型

 記憶は鮮明だが、恐怖・悲嘆・罪悪感との結合が遮断される。

 兵士は戦場の惨状を理解しているが、情緒反応を示さない。

 

 

 

 第三類型:正常倫理回復型

 脳機能・感情反応・倫理判断が回復。

 結果として戦闘継続への拒否、退役希望、怪獣戦闘への恐怖、平穏な生活への強い志向が発生。

 

 

 

 ヴァルキュリアは、分類表を読み上げた後、淡々と付け加えた。

 

「いずれも、兵器としての再投入には問題があります」

 

 アプトムが皮肉っぽく言う。

 

「治療成功例が全部問題かよ」

 

「はい」

 

 ヴァルキュリアは即答した。

 

「第一類型は戦闘不能。第二類型は人間性の欠損が重く、社会復帰と統治上の倫理問題が大きい。第三類型は健全ですが、再戦闘を拒否します」

 

 村上が小さく言った。

 

「第三類型は、問題じゃないでしょう。普通に治ったんです」

 

 バルカスは首を傾げた。

 

「兵士としては使えんぞ」

 

「だから、そこです」

 

 村上は、強い声で言った。

 

「治療の目的を“再び戦わせること”に置くのか、“人間として戻すこと”に置くのか。そこを決めないといけません」

 

 会議室の空気が止まった。

 

 クロノスにとって、兵士は資源である。

 

 獣化兵は兵器である。

 

 宇宙怪獣はまだ完全に消えたわけではない。

 

 次の襲来があれば、また戦力が必要になる。

 

 だが、彼らはすでに一度、地獄へ行って帰ってきた者たちだった。

 

 アルカンフェルは、長く沈黙していた。

 

 

 

/*/ 第二類型 感情リンク切断型 /*/

 

 

 

 第二類型は、当初「感情が欠落した冷酷な兵器」と分類されかけた。

 

 だが、それは正確ではなかった。

 

 彼らは、感情を失ったわけではない。

 

 笑う。

 

 怒る。

 

 悼む。

 

 寂しがる。

 

 仲間の死を悲しいと思う。

 

 かつて同じ班で食事をした者がいないことに、喪失感も覚える。

 

 ただし、宇宙怪獣との戦闘記憶だけが、当時の恐怖、興奮、絶望、肉体感覚と切り離されていた。

 

 記憶はある。

 

 映像もある。

 

 音もある。

 

 誰がどこで死んだかも覚えている。

 

 自分が何を判断し、何を捨て、誰を助けられなかったかも理解している。

 

 だが、それを思い返しても、脳は戦場へ戻らない。

 

 怪獣の口腔へ引きずり込まれる恐怖は再生されない。

 

 殖装外殻が砕ける衝撃は、身体を震わせない。

 

 通信越しの断末魔は、耳の奥で蘇らない。

 

 仲間が肉片になった記憶を見ても、胃が裏返らない。

 

 彼らはその記憶を、まるで本を読むように思い返す。

 

 悲しい物語を読んで、胸が痛む。

 

 戦友の名を見て、寂しいと思う。

 

 自分が生き残った意味を考える。

 

 だが、それは「いま自分がそこにいる」という再体験ではない。

 

 戦場の熱と、記憶の意味が切り離されている。

 

 だからこそ、彼らは落ち着いていた。

 

 そして、だからこそ不気味だった。

 

 

 

/*/

 

 

 

 元殖装獣化兵、識別番号KG-1928。

 

 彼は白い診察室で、静かに座っていた。

 

 手の震えはない。

 

 呼吸も安定している。

 

 視線も澄んでいる。

 

 医師が尋ねた。

 

「宇宙怪獣戦の記憶はありますか」

 

「あります」

 

「どの程度、思い出せますか」

 

「ほぼ全てです」

 

「戦友が死亡した記憶も?」

 

「あります」

 

「それについて、どう感じますか」

 

 兵士は少し考えた。

 

 無表情ではなかった。

 

 むしろ、穏やかに悲しそうな顔をした。

 

「悲しいです」

 

 医師は、記録端末から顔を上げた。

 

「悲しい?」

 

「はい。彼らは同じ班でした。食事もしました。訓練もしました。帰還後に飲む約束もありました。もういません。それは、寂しいことです」

 

「では、恐怖は?」

 

「ありません」

 

「恐怖はない?」

 

「はい」

 

 兵士は、自分の胸に手を置いた。

 

「記憶としては分かります。あの時、私は恐怖していました。怪獣の口が開き、第三小隊が吸い込まれ、通信が潰れた。自分の殖装外殻も裂けました。私は恐怖していたはずです」

 

「はず?」

 

「記録としては分かります。ですが、今それを思い返しても、恐怖反応は起きません」

 

「まったく?」

 

「はい。心拍は上がりません。手も震えません。吐き気もありません。身体が戦場へ戻りません」

 

 医師は慎重に聞いた。

 

「戦友が死んだことは悲しい。しかし、その死の瞬間を思い返しても、当時の恐怖は蘇らない」

 

「そうです」

 

「それは、どう感じますか」

 

 兵士は、そこで少しだけ困ったような顔をした。

 

「申し訳ない、と思います」

 

「誰に?」

 

「死んだ者たちに」

 

 彼は静かに続けた。

 

「私は、彼らの死を悲しいと思っています。ですが、彼らが死んだ瞬間の地獄を、もう身体で感じることができません。まるで、誰かが書いた記録を読んで泣いているようです」

 

「自分の記憶なのに?」

 

「はい。自分の記憶なのに、距離があります」

 

 診察室に沈黙が落ちた。

 

 彼は壊れていない。

 

 少なくとも、感情を失ってはいない。

 

 だが、戦場の記憶だけが、現実から遠ざけられている。

 

 それは救済のようでもあり、裏切りのようでもあった。

 

 

 

/*/

 

 

 

 バルカスは、その面談記録を見て言った。

 

「なるほど。感情の完全消去ではない。戦闘記憶に付随する身体反応と急性恐怖のリンクが切れておるのじゃな」

 

 村上征樹は、慎重に頷いた。

 

「つまり、仲間の死を悲しむ心は残っている。でも、戦場に引き戻される回路だけが切られている」

 

「そうじゃ」

 

 バルカスは端末を操作した。

 

「記憶の意味処理は残る。情緒も残る。だが、扁桃体と身体性恐怖反応への直結が遮断されている。フラッシュバックは起きにくい」

 

 アプトムが腕を組む。

 

「じゃあ、冷酷な戦闘マシーンってわけじゃねぇのか」

 

「違います」

 

 村上が答えた。

 

「むしろ、人間らしさは残っています。だからこそ厄介です」

 

「厄介?」

 

「本人は悲しめるんです。でも、その悲しみが戦場の恐怖とは繋がらない。自分の記憶なのに、どこか他人の戦記を読んでいるようになる」

 

 ヴァルキュリアが分類表を書き換えた。

 

 

 

 第二類型:戦場記憶・身体恐怖反応分離型

 戦闘記憶は保持。

 戦友への悲嘆、喪失感、罪悪感、寂しさは残存。

 ただし、戦場記憶を想起しても、当時の恐怖・興奮・絶望・身体感覚が再発火しない。

 結果として、記憶を「自分の体験でありながら、距離のある物語」のように処理する。

 フラッシュバック抑制効果は高いが、自己同一性の違和感、罪悪感、記憶の現実感低下に注意。

 

 

 

 アプトムが画面を見て、低く言った。

 

「……本を読んで泣けるけど、その本が自分の日記ってことか」

 

 村上は頷いた。

 

「そうです」

 

「きついな」

 

「はい」

 

 バルカスは静かに言った。

 

「だが、第一類型よりは安定する」

 

 村上は否定しなかった。

 

「安定はします。ただし、それを“便利だから再投入しやすい”とだけ見てはいけません」

 

「なぜじゃ」

 

「彼らは感情を失ったわけではないからです。悲しむし、迷うし、自分が薄情になったのではないかと苦しむ」

 

 ヴァルキュリアが追加記録した。

 

 

 

 第二類型を「冷酷化」と表現することは禁止。

 正式名称は「戦場記憶・身体恐怖反応分離型」。

 再戦闘適性評価は可能だが、本人同意と継続面談を必須とする。

 村上確認済。

 

 アプトムが苦笑した。

 

「村上確認済、今回はまともに命綱だな」

 

 村上は疲れたように言った。

 

「今回は、毎回そうです」

 

 

 

/*/

 

 

 

 第二類型の兵士たちは、治療施設の中で妙な位置にいた。

 

 第一類型のように、悲鳴を上げて戦場へ戻ることはない。

 

 第三類型のように、もう二度と戦えないと泣き崩れる者ばかりでもない。

 

 彼らは落ち着いていた。

 

 仲間の名前を覚えている。

 

 戦闘記録を整理できる。

 

 犠牲者名簿の前で黙祷もする。

 

 遺族への手紙も書く。

 

 だが、戦場の映像を見ても、手は震えない。

 

 怪獣の咆哮を聞いても、呼吸は乱れない。

 

 仲間が喰われた座標を指し示す時でさえ、声は安定している。

 

 その安定が、本人たちを苦しめることがあった。

 

「俺は、薄情になったんでしょうか」

 

 ある兵士が、面談でそう言った。

 

「戦友のことは悲しいんです。でも、あの時の恐怖が戻ってこない。あいつが死んだ映像を思い出しても、身体が震えない。泣けるのに、怖くないんです」

 

 医師は答えた。

 

「それは、あなたが薄情になったからではありません」

 

「では、何ですか」

 

「脳が、あなたを戦場へ連れ戻さないようにしている」

 

「治療で、そうしたんですか」

 

「はい。あなたの同意に基づいて、戦場記憶と急性恐怖反応の結合を弱めました」

 

 兵士はしばらく黙った。

 

「なら、俺は助かったんですか」

 

 医師は即答できなかった。

 

 それは助けだった。

 

 だが、完全な救いではなかった。

 

 恐怖から救われる代わりに、自分の記憶との距離を背負う。

 

 それが第二類型だった。

 

 

 

/*/

 

 

 

 アルカンフェルは、修正された分類表を読んだ。

 

「感情は残るのか」

 

 バルカスが答えた。

 

「残ります。切るのは戦場記憶と身体恐怖反応の直結ですじゃ。恐怖そのもの、悲嘆そのものを消すわけではない」

 

「ならば、兵士としては使える」

 

 村上がすぐに言った。

 

「使えるかどうかだけで判断しないでください」

 

 アルカンフェルは、村上を見た。

 

「なぜだ」

 

「彼らは壊れない機械になったわけではありません。記憶との距離に苦しみます。悲しいのに怖くない。自分の体験なのに物語のように感じる。その違和感は、別の形で残ります」

 

 アルカンフェルは少し考えた。

 

「では、説明しろ」

 

「はい」

 

「本人に、自分がどう処理されたかを理解させろ」

 

「必要です」

 

「再戦闘は」

 

「希望者のみです」

 

「恐怖が戻らないなら、戻れる者もいる」

 

「います。ですが、戻らないことが本人の望みとは限りません」

 

 アルカンフェルは頷いた。

 

「ならば、選ばせろ」

 

 ヴァルキュリアが記録する。

 

 

 

 第二類型運用方針:

 感情欠落者として扱わない。

 戦場記憶と身体恐怖反応の分離処理を本人へ説明。

 悲嘆・喪失感・罪悪感は正常な反応として扱う。

 再戦闘志願は本人希望、継続面談、撤回権を前提とする。

「冷酷兵器化」の表現は禁止。

 村上確認済。

 

 

 

 アプトムは、ふっと息を吐いた。

 

「冷酷な機械なら、まだ楽だったのかもな」

 

 村上は静かに答えた。

 

「そうですね」

 

 第二類型の兵士たちは、冷酷ではなかった。

 

 壊れていないわけでもなかった。

 

 ただ、自分の記憶を少し遠くから見るようになった。

 

 悲しみはある。

 

 寂しさもある。

 

 罪悪感もある。

 

 だが、宇宙怪獣の口は、もう目の前には開かない。

 

 それは救いだった。

 

 そして同時に、彼らが背負う新しい傷だった。

 

 

 

/*/

 

 

 

 第三類型は、別の意味でクロノスを困らせた。

 

 元殖装獣化兵、識別番号SB-7701。

 

 彼は、治療後の面談で泣いた。

 

 錯乱ではない。

 

 発狂でもない。

 

 ただ、静かに泣いた。

 

「もう行けません」

 

 医師が尋ねた。

 

「宇宙怪獣戦に、ですか」

 

「はい」

 

「命令があれば」

 

「行けと言われれば行くのでしょう。でも、行きたくありません」

 

 彼は自分の手を見た。

 

「怖いんです」

 

「怪獣が」

 

「はい」

 

「戦うことが」

 

「はい」

 

「殺すことが」

 

「はい」

 

「仲間が死ぬことが」

 

「はい」

 

「自分だけ生き残ることが」

 

 兵士は嗚咽した。

 

「はい」

 

 それは、極めて正常な反応だった。

 

 宇宙怪獣と戦い、仲間を失い、肉体を破壊され、殖装で無理やり戻ってきた者が、もう戦いたくないと言う。

 

 怪獣が怖いと言う。

 

 地球に帰りたいと言う。

 

 静かに暮らしたいと言う。

 

 それは、人間として当然だった。

 

 だが、兵器としては役に立たない。

 

 ヴァルキュリアは報告書に記した。

 

 

 

 第三類型は、社会復帰適性が最も高い。

 一方、宇宙怪獣戦への再投入適性は著しく低下。

 治療により正常な恐怖心、倫理観、自己保存欲、平穏志向が回復したものと推定。

 

 

 

 アプトムがその一文を見て言った。

 

「“治したら普通の人になったので戦えません”ってことか」

 

 村上は静かに答えた。

 

「それでいいんです」

 

「クロノス的には?」

 

「困るでしょうね」

 

 アルカンフェルは、報告書を黙って読んでいた。

 

 

 

/*/

 

 

 

 治療方針会議は、長引いた。

 

 バルカスは、複数の選択肢を提示した。

 

「第一。記憶を保持したまま脳機能を安定化する。ただし、完全フラッシュバック型が一定数出る」

 

「危険です」

 

 村上が言った。

 

「第二。記憶と恐怖感情のリンクを切る。再戦闘能力は高くなる」

 

「駄目です」

 

「第三。記憶を曖昧化する。映像、音、痛覚、臭覚記憶をぼかす」

 

「本人同意が必要です」

 

「第四。記憶そのものを消去する」

 

「本人同意が必要です。しかも、非常に重い同意です」

 

「第五。闘争本能のコードを書き換え、怪獣への恐怖を攻撃衝動へ変換する」

 

 村上は、そこで絶句した。

 

 アプトムが顔をしかめる。

 

「おいおい」

 

 バルカスは続けた。

 

「怪獣を見て怯えるのではなく、殺意が立ち上がるようにする。恐怖記憶を回避反応ではなく突撃反応へ接続する。希望者に限れば、再デプロイ可能な兵士を作れる」

 

 村上は低く言った。

 

「博士。それは治療ではありません」

 

「強化じゃな」

 

「言い換えないでください」

 

 ヴァルキュリアが端末に記録した。

 

 

 

 案五:怪獣恐怖記憶の攻撃衝動化。

 内部検討限定。

 外部公開不可。

 倫理審査必須。

 村上確認前に実施禁止。

 

 

 

 アプトムが呆れたように言う。

 

「村上確認前に実施禁止って、もうほとんど危険物ラベルだな」

 

「危険物です」

 

 村上は即答した。

 

 バルカスは、少し不満そうだった。

 

「だが、希望者がいるかもしれんぞ。怪獣に仲間を喰われた者の中には、恐怖より復讐を選ぶ者もおる」

 

「いるでしょう」

 

 村上は否定しなかった。

 

「ですが、その人たちは正常な判断力を取り戻した上で、時間を置いて、複数回確認されなければなりません。治療直後の絶望や怒りを利用してはいけない」

 

 アルカンフェルが口を開いた。

 

「希望者には許す」

 

 村上は振り向いた。

 

「総帥」

 

「ただし、強制はしない」

 

 アルカンフェルは静かに言った。

 

「退役を望む者は引き留めるな」

 

 会議室が静まった。

 

 その言葉は、クロノスとしては異例だった。

 

 アルカンフェルは続けた。

 

「一度、宇宙怪獣と戦った者たちだ。役目は果たした。戻れぬ者を無理に戻しても壊れるだけだ」

 

 村上は、少しだけ表情を和らげた。

 

「記憶処理については」

 

「本人が望むなら、曖昧化を許す。消去も、許す」

 

 バルカスが頷く。

 

「では、処理段階を設けよう。曖昧化、部分遮断、完全消去、感情リンク調整、闘争本能再接続」

 

 村上がすぐに言った。

 

「最後は別枠です。再戦闘志願者だけ。しかも倫理審査、医療審査、心理審査、冷却期間、撤回権付きです」

 

「面倒じゃな」

 

「必要です」

 

 ヴァルキュリアが記録する。

 

 

 

 宇宙怪獣戦後獣化兵治療方針案:

 一、脳組織修復は段階的に行う。

 二、フラッシュバック発生リスクを事前説明。

 三、希望者には戦場記憶の曖昧化・部分遮断・消去処理を認める。

 四、退役希望者は引き留めない。

 五、再戦闘志願者に限り、怪獣恐怖記憶を攻撃衝動へ再接続する処理を検討可能。

 六、上記五は強制禁止、即日同意禁止、複数審査必須。

 七、村上確認済。

 

 

 

 アプトムが小さく笑った。

 

「また村上確認済か」

 

 村上は疲れた声で答えた。

 

「今回ばかりは、本当に必要です」

 

 

 

/*/

 

 

 

 その後、治療施設には三つの窓口が設けられた。

 

 社会復帰窓口。

 

 記憶処理窓口。

 

 再戦闘志願窓口。

 

 社会復帰窓口には、長い列ができた。

 

 怪獣が怖い。

 

 宇宙へ戻りたくない。

 

 家族に会いたい。

 

 農業区画で働きたい。

 

 子供の顔が見たい。

 

 眠れるようになりたい。

 

 もう戦いたくない。

 

 そう言う獣化兵たちを、クロノスは引き留めなかった。

 

 記憶処理窓口にも、列ができた。

 

 全部は消したくない。

 

 仲間のことは覚えていたい。

 

 だが、喰われる音だけ消してほしい。

 

 臭いだけ消してほしい。

 

 痛みだけぼかしてほしい。

 

 最後の通信だけは残してほしい。

 

 自分が逃げた記憶は残してほしい。

 

 忘れたら、彼らに申し訳ない。

 

 医療職員は、一人ずつ聞き取った。

 

 どこを残すか。

 

 どこを曖昧にするか。

 

 どこを消すか。

 

 記憶の処理は、治療であると同時に、墓標を削る作業でもあった。

 

 そして、再戦闘志願窓口には、少数だが確かに人が来た。

 

 彼らの目は、静かだった。

 

「怖い」

 

 ある獣化兵は言った。

 

「だが、次に来たら殺したい」

 

 医師は尋ねた。

 

「恐怖を攻撃衝動へ変換する処理を希望しますか」

 

「希望する」

 

「理由は復讐ですか」

 

「復讐もある。だが、それだけではない」

 

「では」

 

「怖いままでは、仲間の死が無駄になる」

 

 その言葉を記録した村上は、しばらく黙った。

 

 彼らを止めることはできる。

 

 だが、彼らの選択を全て否定することもできない。

 

 だからこそ、手続きが必要だった。

 

 怒りを利用しないために。

 

 絶望を兵器化しないために。

 

 それでも戦うと言う者だけを、もう一度戦場へ送るために。

 

 

 

/*/

 

 

 

 半年後、アルカンフェルは、最後の殖装解除記録に署名した。

 

 三百万人。

 

 解除完了。

 

 死亡者、後遺症者、社会復帰者、退役者、記憶処理者、再戦闘志願者。

 

 数字はすべて並んでいた。

 

 だが、その数字の中に、地獄の重さは入らない。

 

 アルカンフェルは、報告書を閉じた。

 

「治療は終わったか」

 

 バルカスが答える。

 

「肉体の治療は終わりました。心の治療は続いております」

 

 村上が少し驚いてバルカスを見た。

 

 バルカスは、珍しく笑わなかった。

 

「脳を直せば戻ると思った。だが、記憶は別じゃ。肉を直しても、戦場は消えん」

 

 アプトムが低く言った。

 

「博士らしくねぇな」

 

「事実じゃ」

 

 アルカンフェルは、静かに言った。

 

「ならば、選ばせろ」

 

 村上が頷く。

 

「はい」

 

「忘れる者。覚える者。退く者。戻る者。すべて記録しろ」

 

「記録します」

 

「次に宇宙怪獣が来た時、戻る者だけを使う」

 

 村上は、少しだけ息を吐いた。

 

「退役者は」

 

「引き留めない」

 

 アルカンフェルは答えた。

 

「一度、地獄を支えた。それで十分だ」

 

 会議室は静かになった。

 

 クロノスは兵士を作る。

 

 兵器を作る。

 

 身体を変え、脳を直し、記憶すら加工する。

 

 だが、この時だけは、少なくとも選択肢を与えた。

 

 忘れる自由。

 

 覚える自由。

 

 逃げる自由。

 

 戻る自由。

 

 そして、恐怖を怒りへ変えて再び戦場へ行く自由。

 

 それが優しさなのか、さらに洗練された戦力管理なのかは分からない。

 

 おそらく、その両方だった。

 

 宇宙怪獣戦を生き残った獣化兵たちは、治療によって救われたのではない。

 

 治療によって、自分がどう壊れているのかを知った。

 

 そして、その壊れ方を選ばされた。

 

 クロノスの医療は、地獄から兵士を連れ戻した。

 

 だが、地獄そのものを消すことはできなかった。

 

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