アルカンフェル転生   作:ぶーく・ぶくぶく

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貧困が市場へ戻る日

 

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 かつて、その町は終わった町と呼ばれていた。

 

 五大湖沿岸の、古い工業都市。

 

 錆びた鉄橋。

 

 閉鎖された製鉄所。

 

 窓ガラスの割れた工場。

 

 誰も住まなくなった住宅街。

 

 教会の炊き出しに並ぶ人々。

 

 学校へ通っても、十分な読み書きを身につけないまま卒業する子供たち。

 

 薬物と借金と安い酒と、消えた仕事。

 

 それが旧時代の記録だった。

 

 だが、クロノス統治下、その町には再び音が戻っていた。

 

 朝六時。

 

 工場のサイレンが鳴る。

 

 旧製鉄所の巨大な門には、新しい銘板が取り付けられていた。

 

 《クロノス北米重工業再編区 第七軌道構材工場》

 

 かつて自動車部品を作っていたラインは、今では軌道リング用のトラス部材を吐き出している。

 

 廃倉庫は職業訓練校へ変わった。

 

 古い教会の隣には、成人識字教育センターが建てられた。

 

 路上に座っていた者たちは、今では作業服を着て出勤している。

 

 全員ではない。

 

 立ち直れなかった者もいる。

 

 治療施設へ送られた者もいる。

 

 犯罪組織との関係を断てず、監察対象となった者もいる。

 

 それでも、町の姿は変わっていた。

 

 人が働き、人が食べ、人が買い物をする町へ戻っていた。

 

 

 

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 朝の訓練校で、黒人の中年男が鉛筆を握っていた。

 

 名前はマーカス・ヘイル。

 

 旧時代には建設現場を転々とし、怪我をしてから仕事を失い、しばらく路上生活をしていた男だった。

 

 彼は今、机に向かっていた。

 

 四十六歳。

 

 成人識字基礎課程。

 

 目の前の教材には、こう書かれている。

 

 

> 安全弁を閉じる前に、圧力計を確認する。

> 赤色表示の場合、作業を中止し、監督員へ報告する。

 

 

 マーカスは、ゆっくり声に出して読んだ。

 

「安全弁を……閉じる前に、圧力計を……確認する」

 

 隣の席に座る若い女性教官が頷く。

 

「はい。続けて」

 

「赤色表示の場合、作業を中止し……監督員へ報告する」

 

「合格です」

 

 マーカスは深く息を吐いた。

 

 たったそれだけの文章を読むのに、額へ汗を浮かべていた。

 

 昔なら笑われただろう。

 

 学校を出た大人が、作業手順書も読めないのかと。

 

 だが、ここでは誰も笑わなかった。

 

 読めないなら読ませる。

 

 計算できないなら教える。

 

 安全規則を理解できないなら、理解するまで現場には出さない。

 

 クロノスの教育は冷たかった。

 

 成績は記録される。

 

 怠ければ再訓練になる。

 

 適性がなければ、別の職種へ回される。

 

 だが、見捨てなかった。

 

「ヘイルさん。来週から配管補助の実習に入れます」

 

「本当か」

 

「はい。ただし、圧力計と警告表示の読み取りで間違いが出れば、基礎課程へ戻します」

 

「分かってる」

 

 マーカスは教材を見つめた。

 

 字が読める。

 

 手順書が読める。

 

 それだけで、現場へ戻れる。

 

 それだけで、給料が出る。

 

 それだけで、娘に送る金ができる。

 

 旧時代、彼は何度も慈善団体の食料配布に並んだ。

 

 教会で祈ってもらったこともある。

 

 だが、祈りは作業手順書を読めるようにはしてくれなかった。

 

 クロノスは祈らなかった。

 

 ただ、彼を登録し、診断し、治療し、読み書きを教え、現場へ戻した。

 

 それは救済というより、修理に近かった。

 

 だが、マーカスにとっては十分だった。

 

 

 

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 町の古い教会では、牧師が空席の目立つ礼拝堂を見ていた。

 

 かつて日曜の午前、ここには多くの人が集まった。

 

 食料を受け取りに来る者。

 

 子供を預けに来る者。

 

 聖書を読み、歌い、泣き、慰められる者。

 

 今も信者はいる。

 

 礼拝も続いている。

 

 だが、教会はもう町の福祉窓口ではなかった。

 

 食料配給はクロノス行政局が行う。

 

 医療登録は公共診療所が行う。

 

 成人識字教育も、職業訓練も、住宅支援も、教会ではなく公共センターが担う。

 

 牧師の前に、若い母親が立っていた。

 

「息子さんは?」

 

「今日から基礎教育センターです」

 

「そうですか」

 

「あの子、字を読むのが苦手で……でもクロノスの先生が、半年で安全文書を読めるところまでは引き上げると」

 

 牧師は微笑もうとした。

 

 うまくいかなかった。

 

「よいことです」

 

「はい」

 

 母親は少し迷ってから言った。

 

「信仰は家で教えます。礼拝にも来ます。でも、学校では読み書きと計算をやらせたいんです」

 

「……ええ」

 

「すみません」

 

「謝ることではありません」

 

 牧師は首を振った。

 

 実際、謝ることではなかった。

 

 けれど、その言葉は時代が変わったことを示していた。

 

 かつて教会は、貧困層の最後の受け皿だった。

 

 だが、最後の受け皿であるということは、他に受け皿がないということでもあった。

 

 クロノスは、そこへ行政を差し込んだ。

 

 信仰は残した。

 

 礼拝も、説教も、慈善も禁じなかった。

 

 だが、教育と福祉と仕事への導線は、教会から切り離した。

 

 牧師は礼拝堂の十字架を見上げた。

 

 信仰は許されている。

 

 だが、町を動かす唯一の力ではなくなっていた。

 

 

 

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 工場の昼休み、マーカスは食堂でトレーを受け取った。

 

 温かいシチュー。

 

 パン。

 

 サラダ。

 

 果物。

 

 安い。

 

 量がある。

 

 給料から天引きされても痛くない額だった。

 

 向かいには、元ホームレスだった白人青年と、移民家庭出身の若い整備士が座っている。

 

「ヘイルさん、次の給料で何を買うんです」

 

「洗濯機」

 

「地味だなあ」

 

「昔はコインランドリーまで歩いてたんだ。部屋に置けるなら、それでいい」

 

「俺は工具一式」

 

「お前、前にも買ってなかったか」

 

「今度は認定整備士用ですよ。安物じゃなくて、ちゃんとしたやつ」

 

 青年たちは笑った。

 

 その向こうで、食堂の隅に置かれた大型テレビが昼の経済ニュースを流していた。

 

 分厚いブラウン管の画面に、棒グラフが映し出される。

 

『北米統治区では、貧困層再登録者の就労率上昇に伴い、基礎消費財の需要が伸びています』

 

 家電。

 

 家具。

 

 作業服。

 

 工具。

 

 住宅修繕。

 

 学用品。

 

 公共交通。

 

 画面の棒が、前年より大きく伸びている。

 

『旧工業都市では小売売上と地域税収が回復し、閉鎖店舗の再開も相次いでいます。統治局はこれを、貧困層再統合による内需拡大と説明しています』

 

 マーカスには難しい言葉だった。

 

 だが、意味は分かる。

 

 昔、彼は金を使えなかった。

 

 仕事がなかったからだ。

 

 わずかな金が入っても、借金と医療費と家賃で消えた。

 

 壊れた冷蔵庫を買い替えられなかった。

 

 娘に靴も買えなかった。

 

 今は違う。

 

 給料がある。

 

 住所がある。

 

 医療費で破産しない。

 

 銀行口座がある。

 

 読み書きができる。

 

 契約書を読める。

 

 だから、買える。

 

 買えば、店が儲かる。

 

 店が仕入れる。

 

 工場が作る。

 

 配送業者が運ぶ。

 

 誰かの仕事になる。

 

 貧困から立ち直るということは、ただ一人の人間が救われることではない。

 

 町全体が、再び動き出すことだった。

 

 

 

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 同じ日の夜、全国放送の報道番組で討論が行われていた。

 

 題名は刺激的だった。

 

『貧困解消か、労働力再編か――クロノス式成長の正体』

 

 年配の経済評論家が、険しい顔で言った。

 

「これは市場の自然な回復ではありません。クロノスによる強権的な人的資源再編です」

 

 司会者が聞き返す。

 

「人的資源再編」

 

「貧困層を登録し、健康状態を診断し、依存症を治療し、教育し、訓練し、産業へ配置する。これは福祉というより管理です」

 

「一方で、北米統治区の雇用と内需は拡大しています」

 

「それは事実です。しかし、彼らは自由な選択だけによって労働市場へ戻ったわけではありません。登録され、訓練され、配置されたのです」

 

 画面が、若い産業アナリストへ切り替わった。

 

「ただ、旧時代はその人々を放置していました」

 

 スタジオが少し静まる。

 

「放置、ですか」

 

「読み書きが十分にできない。病気がある。依存症がある。住所がない。犯罪組織や高利貸しに囲われている。そういう人々を、旧時代の市場は雇いませんでした」

 

「しかし、慈善団体や宗教組織による支援は存在した」

 

「食事を一度配ることと、読み書きを教え、治療し、雇用へつなげることは違います」

 

 評論家は眉をひそめる。

 

「だから国家が人間を労働者へ作り替えてよいと?」

 

「よいとは言っていません。強引であることも認めます」

 

 若いアナリストは、机の上の資料を開いた。

 

「ただ、結果として彼らは収入を得て、家を借り、家具を買い、子供を学校へ入れ、地域商店を支えています。金融市場の数字だけが膨らんだのではありません。現実の生活需要が増えている」

 

「貧困者を消費者に変えたから成功したという言い方は危険です」

 

「危険です」

 

 アナリストは頷いた。

 

「ですが、貧困者を貧困者のまま放置した旧時代より、少なくとも町は動いています」

 

 番組の後半、司会者は視聴者から届いた手紙とファクシミリを読み上げた。

 

「工場勤務、五十三歳の男性からです。『再編でも構わない。二十年ぶりに仕事がある』」

 

 次の紙を取る。

 

「教会へ通う女性から。『牧師は祈ってくれた。クロノスは息子に文字と仕事を与えた。どちらも必要だと思う』」

 

 さらに一枚。

 

「匿名希望。『旧時代の自由とは、貧しい者を放置する自由だったのではないか』」

 

 司会者の声が、わずかに止まった。

 

 強すぎる言葉だった。

 

 だが、生放送の電波にはすでに乗っていた。

 

 

 

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 翌朝、新聞各紙はその討論を大きく取り上げた。

 

 

> 貧困救済か、国家による労働配置か

 

> 北米工業地帯、雇用回復の代償

 

> 「自由な貧困」より「管理された就労」か

 

 

 駅の売店で新聞が売れた。

 

 工場の休憩室で回し読みされた。

 

 大学の食堂では、学生たちが社説を机へ広げて議論した。

 

 ラジオの電話参加番組にも、朝から意見が殺到した。

 

『自由が減ったと言いますけど、私は以前、自由に飢えていただけです』

 

『仕事を拒否した時に、行政がどこまで介入するのか。その線引きは必要でしょう』

 

『子供に読み書きを教えることまで管理と言うなら、学校は全部管理です』

 

『成果が出ているからといって、強制を正当化してはいけない』

 

 議論は割れた。

 

 だが、旧工業都市で工場が再稼働していることだけは、誰も否定できなかった。

 

 

 

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 アメリカ南部では、反発も強かった。

 

 古い私立宗教学校の校門前で、父親たちが抗議していた。

 

「子供から信仰を奪うな!」

 

「学校に神を戻せ!」

 

「クロノスの世俗教育は魂を殺す!」

 

 その向かい側で、クロノス教育局の職員が静かに立っている。

 

 職員は調整済みだった。

 

 怒鳴らない。

 

 挑発に乗らない。

 

 ただ、淡々と説明する。

 

「信仰は家庭および礼拝所で自由に継続できます。公教育では、読み書き、計算、科学、安全教育、職業基礎を優先します」

 

「聖書は不要だと言うのか!」

 

「信仰文書として否定しません。ただし、工場の安全規則、医療説明書、雇用契約書、公共申請書を読めない状態は許容されません」

 

「神より契約書が大事か!」

 

「公共教育においては、児童が生存し、就労し、市民手続きを理解できることを優先します」

 

 父親たちは怒った。

 

 新聞記者が写真を撮る。

 

 地元ラジオ局の取材車が、抗議者の声を録音している。

 

 だが、後ろにいた母親たちの何人かは黙っていた。

 

 彼女たちは知っていた。

 

 祈りだけでは、子供は仕事に就けない。

 

 読み書きができなければ、クロノスの工場には入れない。

 

 計算ができなければ、安全管理もできない。

 

 科学を知らなければ、核融合炉も軌道リングも理解できない。

 

 仕事に就けなければ、貧困から出られない。

 

 信仰は残せる。

 

 だが、貧困から子供を出すには教育が要る。

 

 クロノスはそこを見逃さなかった。

 

 

 

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 三年後、その町には新しい店が並んでいた。

 

 工具店。

 

 家電店。

 

 作業服専門店。

 

 安価な家具屋。

 

 住宅修繕業者。

 

 子供向け教材店。

 

 通勤用小型車両の販売所。

 

 労務者向け食堂。

 

 銀行の支店。

 

 職業訓練校の第二校舎。

 

 マーカスは洗濯機を買った。

 

 工具も買った。

 

 娘に机を買った。

 

 そして、初めて自分の名前で小さなアパートを借りた。

 

 契約書は自分で読んだ。

 

 分からないところは窓口で質問した。

 

 職員は嫌な顔をせず説明した。

 

 賄賂も、手数料の上乗せも、契約の罠もなかった。

 

 その夜、マーカスは固定電話の受話器を取った。

 

 遠く離れて暮らす娘へ電話をかける。

 

『パパ、本当に仕事続いてるの?』

 

「ああ」

 

『大丈夫?』

 

「大丈夫だ。字も読めるようになった」

 

『すごい』

 

 娘の声が少し震えた。

 

 マーカスは窓の外を見た。

 

 かつて暗かった通りに、街灯が並んでいる。

 

 夜でも食堂が開いている。

 

 巡回の警官が通る。

 

 誰もマーカスを追い払わない。

 

 彼はふと、旧時代の支援団体から言われた言葉を思い出した。

 

 あなたには自由がある。

 

 だが、その自由の中で、彼は路上にいた。

 

 今、彼は管理されている。

 

 登録され、教育され、配置され、記録されている。

 

 それでも部屋がある。

 

 仕事がある。

 

 娘に送る金がある。

 

「なあ」

 

『何?』

 

「今度、こっちに来るか。机を買ったんだ」

 

 電話の向こうで、娘が泣き出した。

 

 

 

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 北米統治局の経済報告書には、こう記されていた。

 

 

> 貧困層再統合による内需拡大は、当初予測を上回る。

> 基礎消費財需要、住宅修繕需要、職業用品需要、教育関連支出、公共交通利用、地域小売売上が連動して増加。

> 旧工業地帯の再稼働率は上昇。

> 成人識字課程修了者の就労定着率も高い。

> 貧困対策は単なる財政負担ではなく、人的資源の回復を通じた生産・消費両面の拡張として機能している。

 

 

 報告書を読んだ若い官僚が言った。

 

「貧困対策が、最大の景気刺激策になっていますね」

 

 上司は頷いた。

 

「旧時代は、貧困層を市場の外へ置きすぎた」

 

「消費者に戻しただけで、ここまで伸びるとは」

 

「消費者だけではない。労働者、納税者、親、地域住民だ」

 

 上司は資料を閉じた。

 

「人間を捨てると、市場も痩せる。人間を戻せば、市場も戻る」

 

「クロノスらしくない言い方ですね」

 

「クロノスらしいさ」

 

 上司は淡々と言った。

 

「使える資源を放置しない。それだけだ」

 

 若い官僚は苦笑した。

 

 優しさではない。

 

 慈善でもない。

 

 人的資源の回復。

 

 それがクロノスの言葉だった。

 

 だが、その冷たい言葉で救われる人間がいる。

 

 町が戻る。

 

 店が開く。

 

 子供が学校へ行く。

 

 工場が動く。

 

 内需が伸びる。

 

 その事実を、誰も否定できなかった。

 

 

 

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 数日後、地方テレビ局の若者向け討論番組で、大学生が言った。

 

「アメリカンドリームって、旧時代より今の方があるんじゃないですか」

 

 司会者が驚いた顔をする。

 

「それは、かなり強い言葉ですね」

 

「でも、そう見えます」

 

 学生は続けた。

 

「昔は貧困層が読み書きもできないまま放置されて、仕事もなくて、医療費で破産して、犯罪組織や高利貸しに食われていたんですよね」

 

「そうした地域が存在したことは、記録に残っています」

 

「今は登録される。教育される。訓練される。仕事に入る。給料が出る。家を借りる。買い物をする。町が戻る」

 

 学生は少し笑った。

 

「民主主義の時代より、総帥の管理下の方がアメリカンドリームをやっていませんか」

 

 スタジオが静まった。

 

 その言葉は危険だった。

 

 旧時代を知る者には、あまりにも痛い言葉だった。

 

 放送翌日、新聞は発言を切り取って掲載した。

 

 

> 「総帥の管理下の方が、アメリカンドリームを実現している」――学生発言に賛否

 

 

 

 大学では新聞記事が掲示板へ貼られた。

 

 工場の休憩室では、油のついた指で紙面を指しながら議論が始まった。

 

 タクシーのラジオでも、その話題が流れた。

 

 理髪店でも、食堂でも、教会の前でも、人々は話した。

 

「言いすぎだ」

 

「だが、間違っているか?」

 

「自由を失っている」

 

「旧時代に俺たちへ、どんな自由があった」

 

「仕事を選ぶ自由は必要だ」

 

「選ぶ前に、選べる人間へ戻してもらったんだ」

 

 全国紙は危機感を示す社説を掲載した。

 

 地方紙は町の再生を写真つきで報じた。

 

 宗教放送局は、魂を行政へ委ねる危険を説いた。

 

 労働組合の機関紙は、訓練後の配置に労働者の意思を反映させるよう要求した。

 

 経済誌は、貧困層の所得上昇によって家電と住宅修繕市場が拡大していると分析した。

 

 議論は、放送が終わっても消えなかった。

 

 しかし人々は、議論を続けながら翌朝には仕事へ向かった。

 

 工場のサイレンが鳴る。

 

 訓練校の教室に明かりがつく。

 

 教会の鐘が鳴る。

 

 クロノス教育センターの門が開く。

 

 町は動き続ける。

 

 貧困は消えたわけではない。

 

 完全な救済でもない。

 

 管理され、登録され、再教育され、配置される社会には、確かに恐ろしさがある。

 

 拒否できる範囲はどこまでか。

 

 国家はどこまで人間の生活へ介入してよいのか。

 

 成果が出ているなら、強制は許されるのか。

 

 答えは出ていない。

 

 それでも、旧時代に捨てられていた人々が仕事を持ち、家を持ち、買い物をし、子供へ机を買う。

 

 その金が店へ入り、工場へ戻り、別の人間の給料になる。

 

 貧困層が市場へ戻る。

 

 それはクロノス統治下のアメリカに訪れた、もっとも皮肉な好景気だった。

 

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