アルカンフェル転生   作:ぶーく・ぶくぶく

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秩序が定着するまで

 

/*/ 第三世界統治区 /*/

 

 

 

 その地域では、支援物資が届くたびに暴動が起きた。

 

 食料を積んだ輸送車が来れば、武装した集団が道路を封鎖する。

 

 医薬品が届けば、地方役人と有力者が倉庫を先に押さえる。

 

 配給名簿には、存在しない世帯が並んでいた。

 

 同じ人物が名前を変えて何度も登録され、すでに死んだ者にまで食料が支給される。

 

 夜になると、無料で配られたはずの穀物が市場に並んだ。

 

 抗生物質は診療所ではなく、武装勢力の倉庫から見つかった。

 

 給水車は市街地へ入る前に止められ、水は住民へ配られる前に売られた。

 

 飢えた者が群がる。

 

 その混乱に紛れて略奪する者がいる。

 

 略奪を隠すために店へ火を放つ者がいる。

 

 支援物資を奪うため、意図的に騒ぎを煽る者がいる。

 

 旧政府は、そのたびに声明を出した。

 

 国際機関は懸念を表明した。

 

 支援団体は対話を呼びかけた。

 

 地方有力者は、次の支援予算を要求した。

 

 翌月、同じことが起きた。

 

 その翌月も。

 

 道路は作られなかった。

 

 水道は直らなかった。

 

 学校は建たなかった。

 

 薬は届かなかった。

 

 予算だけが消えた。

 

 クロノスは、同じ対応をしなかった。

 

 

 

/*/

 

 

 

 統治初日。

 

 クロノス輸送部隊は、食料、医薬品、浄水装置、仮設住宅資材を積んで地域中心部へ入った。

 

 その前を、治安戦闘員の一個分隊が進む。

 

 まだ人間の姿だった。

 

 黒い戦闘服。

 

 ヘルメット。

 

 顔を覆うバイザー。

 

 腰には拘束具。

 

 だが、銃器は持っていなかった。

 

 それを見た現地の武装集団は笑った。

 

「また支援団体か」

 

「トラックを止めろ!」

 

「倉庫へ運ばれる前に奪え!」

 

 群衆が道路へ出た。

 

 石。

 

 鉄棒。

 

 古い自動小銃。

 

 火炎瓶。

 

 その後ろでは、仲買人たちが荷車を用意して待っている。

 

 奪った物資を、その日の夜には市場へ流すつもりだった。

 

 拡声器から、現地語で警告が流れた。

 

『支援物資は、登録住民へ配給される』

 

『道路を空けよ』

 

『武器を捨てよ』

 

『輸送車への接近、放火、略奪は重大犯罪として処理する』

 

 群衆は止まらなかった。

 

 一人が火炎瓶を投げた。

 

 瓶は戦闘員の手前で割れ、路面に炎を広げた。

 

 別の一人が、輸送車の運転席へ発砲した。

 

 先頭のクロノス戦闘員が止まった。

 

 ゆっくりとヘルメットを外す。

 

 続いて、黒いバイザーを取る。

 

 他の戦闘員たちも、無言で同じ動作をした。

 

 硬い装具が、次々と路面へ置かれていく。

 

 隊長が言った。

 

「警告終了」

 

 一拍。

 

「総員、獣化」

 

 身体が膨張した。

 

 骨格が軋む。

 

 筋肉が盛り上がる。

 

 戦闘服が分割線に沿って外れ、その内側から人間ではない肉体が現れる。

 

 重装型。

 

 高速型。

 

 索敵型。

 

 複腕の制圧型。

 

 数秒前まで人間だった戦闘員が、巨大な獣化兵となって道路を埋めた。

 

 隊長格の一体が、低く告げる。

 

『暴動参加者の処理に移る』

 

 そこから先は短かった。

 

 銃を持つ者。

 

 火炎瓶を持つ者。

 

 輸送車へ取りついた者。

 

 倉庫を破ろうとした者。

 

 獣化兵は、一人ずつ見分けて殺した。

 

 銃弾を受けても、重装型は止まらなかった。

 

 逃げる者には、高速型が追いついた。

 

 建物へ隠れた者は、索敵型に発見された。

 

 群衆へ紛れようとした者も、行動記録と現地協力者の証言から識別された。

 

 武器を捨て、地面へ伏せた者だけが拘束された。

 

 十分後。

 

 道路には死体と、震える生存者が残った。

 

 獣化兵たちは、支援物資の状態を確認した。

 

 火を消した。

 

 破損した車両を退かせた。

 

 薬品箱を回収した。

 

 それから輸送隊へ合図を送った。

 

 配給は、予定どおり始まった。

 

 

 

/*/

 

 

 

 二日後。

 

 別の地区で、配給所が襲われた。

 

 前回の半分ほどの人数だった。

 

 警告。

 

 拒否。

 

 獣化。

 

 処理。

 

 三日後。

 

 夜間に倉庫へ侵入した集団がいた。

 

 監視網が検知した。

 

 獣化兵が出動した。

 

 処理。

 

 五日後。

 

 元地方議員が支持者を集め、役所へ火を放とうとした。

 

「クロノスは侵略者だ!」

 

「自由を守れ!」

 

「支援物資は我々のものだ!」

 

 その後ろで、部下たちが燃料缶を運んでいた。

 

 警告。

 

 拒否。

 

 獣化。

 

 処理。

 

 一週間後。

 

 配給所へ集まった群衆は、列を作るようになった。

 

 二週間後。

 

 銃を持って現れる者はいなくなった。

 

 一か月後。

 

 子供たちは、遠くに立つ獣化兵を見ても逃げなくなった。

 

 ただし、道路を塞ぐこともしなかった。

 

 クロノスは、暴動が起きなくなるまで、同じことを繰り返した。

 

 説得して駄目なら警告する。

 

 警告して駄目なら処理する。

 

 相手によって基準を変えない。

 

 回数を重ねても、罰を軽くしない。

 

 対話を拒んだ者が疲れるまでではない。

 

 地域全体が、何をすれば死に、何をすれば生きられるのか理解するまで続ける。

 

 慈悲はなかった。

 

 だが、例外もなかった。

 

 

 

/*/

 

 

 

 同時に、クロノスは学校を作った。

 

 最初に建てたのは、大学ではない。

 

 成人向けの読み書き教室だった。

 

 文字。

 

 数字。

 

 時刻。

 

 地図。

 

 衛生。

 

 契約。

 

 給与明細。

 

 市民登録。

 

 水道料金。

 

 電気料金。

 

 社会保険。

 

 役所への申請方法。

 

 大人たちは、子供と同じ机へ座らされた。

 

 拒否する者もいた。

 

 怒鳴る者もいた。

 

「文字など読めなくても生きてきた」

 

 そう言う男へ、教育官は淡々と答えた。

 

「その結果、配給票を騙し取られた」

 

「その結果、賃金を抜かれた」

 

「その結果、薬の用量を読めず、子供を危険にさらした」

 

 教育官は黒板を指した。

 

「読め」

 

 授業は毎日続いた。

 

 文字を覚えた者から、職業訓練へ回された。

 

 最初に用意された仕事は、地域の再建だった。

 

 道路。

 

 電線。

 

 水道。

 

 下水道。

 

 排水路。

 

 橋。

 

 ごみ処理場。

 

 浄水施設。

 

 通信塔。

 

 配電所。

 

 診療所。

 

 学校。

 

 立派な産業施設より先に、人間が生活するための基礎を作った。

 

 自分たちが住む地域を、自分たちの手で作り直す。

 

 給与は統一市民口座へ振り込まれた。

 

 途中で役人が抜くことはできない。

 

 出勤記録は、現場監督と端末の双方で確認された。

 

 資材の搬入量と使用量は、人工衛星と監査記録で照合された。

 

 セメントを横流しすれば、その日のうちに不足が発覚した。

 

 銅線を盗めば、工事が止まる前に追跡された。

 

 架空の労働者を名簿へ加えても、本人確認が通らず給与は振り込まれない。

 

 以前なら、道路工事の予算は途中で消えた。

 

 今は道路が残った。

 

 以前なら、井戸を掘る予算で役人の家が建った。

 

 今は水が出た。

 

 以前なら、下水道は図面の上にしかなかった。

 

 今は雨季になっても、街が汚水へ沈まなくなった。

 

 

 

/*/

 

 

 

 労働者説明会で、一人の男が不満をぶつけた。

 

「俺たちを安い土木作業に使っているだけだ!」

 

 クロノスの職業官は否定しなかった。

 

「そうだ」

 

 男が言葉に詰まる。

 

 職業官は地域図を表示した。

 

「道路がない」

 

「電気がない」

 

「水道がない」

 

「下水道がない」

 

「それらがなければ、工場も病院も学校も作れない」

 

 建設計画が順番に表示される。

 

「まず土を掘る」

 

「次に管を埋める」

 

「電線を張る」

 

「道路を固める」

 

「それが終われば工場を建てる」

 

「工場ができれば、機械工、整備員、運転手、倉庫管理者が必要になる」

 

「学校ができれば、教師、事務員、給食員が必要になる」

 

「病院ができれば、看護補助、清掃、事務、輸送が必要になる」

 

 男は画面を見た。

 

「ずっと穴を掘るわけじゃないのか」

 

「適性と成績があれば、次の訓練へ進める」

 

「適性がなかったら?」

 

「熟練土木作業員になる」

 

「それは出世なのか」

 

「未熟練より給料は高い。資格も残る」

 

 男は黙った。

 

 職業官が続ける。

 

「教育を受けろ」

 

「働け」

 

「保険料を払え」

 

「病気になれば制度を使え」

 

「子供を学校へ行かせろ」

 

「それを繰り返せば、この地域は支援物資を奪い合う場所ではなくなる」

 

 男はしばらく迷い、最後に尋ねた。

 

「明日も同じ現場か」

 

「第三区下水幹線だ」

 

「分かった」

 

 

 

/*/ 公職者は軍団の一員となる /*/

 

 

 

 最も大きな変化は、公職者に起きた。

 

 市長。

 

 地方行政官。

 

 警察署長。

 

 税務官。

 

 配給責任者。

 

 公共工事監督。

 

 学校長。

 

 病院管理者。

 

 公金と公権力を扱う者は、全員が指定施設へ集められた。

 

 そこで、クロノス統治官は告げた。

 

「公職者は、全員、獣化兵への強制調整を受ける」

 

 室内がどよめいた。

 

「我々を怪物にするつもりか!」

 

「公務員だぞ。兵士ではない!」

 

「拒否権は?」

 

「ない」

 

 統治官は淡々と答えた。

 

「クロノス統治下において、公職者は軍団の一員である」

 

「行政官まで戦わせるのか!」

 

「戦闘能力は、職務上の副次機能にすぎない」

 

 ホログラムに、調整内容が表示される。

 

 健康状態の最適化。

 

 身体能力の向上。

 

 疾病耐性。

 

 老化速度の低下。

 

 寿命の延長。

 

 獣化能力。

 

 そして、軍団構成員としての精神補正。

 

「遵法意識」

 

「公共への奉仕意識」

 

「職務責任」

 

「正規命令系統への服従心」

 

「汚職、横領、縁故登用、配給物資の横流しに対する心理的忌避」

 

 公職者たちは、表示された項目を見つめた。

 

「洗脳ではないか」

 

 一人が言った。

 

「人格は維持される」

 

 調整技術官が答えた。

 

「記憶も、知識も、趣味も、家族への感情も失われない」

 

「政治的見解や宗教を統一することもしない」

 

「では、何を変える」

 

「軍団の一員として不適切な衝動を補正する」

 

「不適切な衝動?」

 

「賄賂を受け取る」

 

「公金を私物化する」

 

「親族へ不当な便宜を図る」

 

「住民へ配るべき物資を横流しする」

 

「虚偽の報告を行う」

 

「私欲や怠慢を理由に、正規命令へ従わない」

 

 技術官は一つずつ読み上げた。

 

「そのような行為を、しようと思えなくする」

 

 室内が静まった。

 

「考えることすらできなくなるのか」

 

「不正の概念は理解できる」

 

「他者の汚職を発見し、報告することもできる」

 

「ただし、自分が実行することには強い嫌悪と拒絶を感じる」

 

「つまり、賄賂を前にしても受け取れない」

 

「受け取ろうと思わない」

 

「家族を優遇したくても?」

 

「公職上の権限を使って不当に優遇しようとは思わない」

 

「命令なら、何でも従うのか」

 

「正式な指揮系統から出された、統治法上有効な命令への服従心を補正する」

 

「不正な命令は?」

 

「監察部へ報告する」

 

 統治官は、公職者たちを見回した。

 

「お前たちは、これまで公職を富を得る手段として扱った」

 

「支援物資を売った」

 

「道路建設費を盗んだ」

 

「名簿へ親族を加えた」

 

「学校予算で自宅を建てた」

 

「病院の薬を闇市場へ流した」

 

「水道予算を宴会へ使った」

 

 誰も反論しなかった。

 

 反論できる者が、ほとんどいなかった。

 

「今後、公職は軍務となる」

 

 統治官は言った。

 

「公金を扱う者は、軍需物資を扱う者と同じだ」

 

「住民名簿を扱う者は、兵員名簿を扱う者と同じだ」

 

「病院を管理する者は、軍団の生命線を預かる者と同じだ」

 

「水道、電力、道路、教育、食料配給」

 

「すべて兵站である」

 

 一人の行政官が、かすれた声で尋ねた。

 

「調整を拒否し、公職を辞めることはできないのか」

 

「統治移行後に新たに任官する者は、公職を選ばなければ調整を拒否できる」

 

「我々は?」

 

「旧体制下で公金、住民名簿、配給物資、行政権限へ関与していた」

 

 統治官は答えた。

 

「監査と統治移行が終了するまで、辞職は認めない」

 

「監査後は?」

 

「重大な汚職がなければ、公職を離れることはできる」

 

「その場合、調整は?」

 

「維持される」

 

 誰かが椅子を蹴った。

 

「一生、クロノスの兵士にされるのか!」

 

「公権力を私物化した責任は、一生残る」

 

 冷たい返答だった。

 

 

 

/*/

 

 

 

 強制調整は、翌日から始まった。

 

 識別器は埋め込まれなかった。

 

 監視装置もない。

 

 思考を逐一送信する機械もない。

 

 クロノスが行ったのは、もっと根本的な介入だった。

 

 肉体そのものを作り変える。

 

 遺伝子を修正する。

 

 臓器を強化する。

 

 疾病を除去する。

 

 老化を遅らせる。

 

 獣化形態を与える。

 

 そして、脳と内分泌系へ、軍団構成員としての規律を刻む。

 

 地方知事だった男が、調整槽へ入れられる前に叫んだ。

 

「私は選挙で選ばれた!」

 

 技術員は準備を止めなかった。

 

「旧制度の選挙です」

 

「市民は私を支持している!」

 

「市民名簿の四割が重複しています」

 

「事務上の問題だ!」

 

「死亡者一万二千人が投票しています」

 

「私の責任ではない!」

 

「あなたの親族が管理する地区で、最も多く発生しています」

 

 男は黙った。

 

 調整槽の蓋が閉じる。

 

「公職者標準調整を開始します」

 

 透明な液体が満たされていく。

 

 男の意識が沈んだ。

 

 数日後。

 

 調整槽から出てきた男は、見た目だけなら以前と大きく変わっていなかった。

 

 だが、肌の色艶は良くなっている。

 

 長年患っていた糖尿病は消えていた。

 

 動脈硬化もない。

 

 肝臓も正常。

 

 視力も回復している。

 

 膝の痛みもなくなった。

 

 寿命は、旧人類の基準を大きく超えて延長されていた。

 

 そして、獣化能力を得ていた。

 

「立てますか」

 

 技術員が尋ねた。

 

 男は自分の足で立ち上がった。

 

「身体が軽い……」

 

「機能を最適化しました」

 

「私は、何年生きる」

 

「事故や戦闘がなければ、数十年単位です」

 

 男は自分の手を見た。

 

「これが調整か」

 

「はい」

 

「私はまだ、私なのか」

 

「名前を」

 

 男は答えた。

 

「家族は」

 

 答えた。

 

「宗教は」

 

 答えた。

 

「支持していた政党は」

 

 答えた。

 

「クロノスをどう思う」

 

 男は一瞬迷い、それから言った。

 

「侵略者だ」

 

「人格は維持されています」

 

 技術員は記録した。

 

 男は少し安堵した。

 

 その後、机の上に置かれた封筒へ目を向けた。

 

 中には現金が入っている。

 

「これは」

 

「あなたへ渡された賄賂という想定です」

 

 男は封筒へ手を伸ばそうとした。

 

 途中で止まった。

 

 指が動かないのではない。

 

 動かしたくなかった。

 

 金を受け取り、その見返りに公共工事の契約を動かす。

 

 以前なら当然の取引だった。

 

 今も方法は分かる。

 

 誰へ連絡し、帳簿をどう書き換え、どの業者を通せばよいかも覚えている。

 

 だが、それを実行する自分を想像した瞬間、強烈な嫌悪感が込み上げた。

 

「……気分が悪い」

 

「正常です」

 

「何をした」

 

「公金と権限を私物化する衝動を補正しました」

 

「私は、もう賄賂を受け取れないのか」

 

「物理的には可能です」

 

「だが、受け取りたくない」

 

「はい」

 

「命令されたら?」

 

「不正な命令なら、監察部へ報告したくなる」

 

 男は封筒から目を背けた。

 

「これは、私の意思なのか」

 

 技術員は少し考えた。

 

「調整後のあなたの意思です」

 

「答えになっていない」

 

「元のあなたも、教育、宗教、家族、貧困、権力、周囲の慣習によって形成されています」

 

 技術員は淡々と言った。

 

「クロノスは、そこへ軍団規律を加えました」

 

 男は何も言えなかった。

 

 

 

/*/

 

 

 

 調整後の公職者たちは、職場へ戻された。

 

 以前と同じ机。

 

 以前と同じ部下。

 

 以前と同じ住民。

 

 だが、行動は変わった。

 

 配給責任者は、自分の親族を名簿の先頭へ置こうとして、端末から手を離した。

 

 税務官は、商人から差し出された現金を見て、その場で監察部へ通報した。

 

 公共工事監督は、規格を満たさないセメントの受け入れを拒否した。

 

 警察署長は、地元有力者の息子を釈放するよう求められ、正式な捜査手続きを続行した。

 

 病院管理者は、薬品を闇市場へ流していた古い取引先との契約を切った。

 

 彼らは善人になったわけではない。

 

 住民へ横柄な者もいる。

 

 部下へ細かすぎる者もいる。

 

 クロノスを嫌う者もいる。

 

 昔の地位を懐かしむ者もいる。

 

 私生活で性格が悪い者もいる。

 

 だが、汚職だけはできなかった。

 

 やろうと思えなかった。

 

 公金を盗むことは、自分の腕を切り落とすことと同じほど不自然になっていた。

 

 正規命令への服従も同様だった。

 

 命令内容を理解する。

 

 疑問があれば確認する。

 

 実行上の問題があれば報告する。

 

 法や軍団規律に抵触するなら、監察部へ通す。

 

 だが、私欲や怠慢を理由に無視することはできない。

 

 公職者は、行政官である前に、クロノス軍団の一員となった。

 

 

 

/*/

 

 

 

 公職者への強制調整は、世界中で激しく批判された。

 

「人格改造である」

 

「自由意思への侵害である」

 

「公務員を兵士へ変える軍事独裁だ」

 

「汚職防止を口実とした精神統制である」

 

 その批判は正しかった。

 

 クロノスは、人間の内面へ直接手を加えていた。

 

 法律で汚職を禁じるのではない。

 

 監査で発見するだけでもない。

 

 汚職をしようと思えない人間へ変えていた。

 

 だが、現地住民の反応は複雑だった。

 

 

 

> 人格改造は怖い。

>

> でも今の市長、予算を本当に道路へ使ったぞ。

 

> 税務官が賄賂を返した。

> というか、自分で監察官を呼んだ。

 

> 学校長が給食費を盗まなくなった。

 

> 病院の薬が市場へ流れなくなった。

 

> 怖い。

> でも助かる。

 

> 人権団体は、公職者にも自由意思があると言う。

>

> こっちは、その自由意思で水道予算を盗まれていたんだが。

 

> やめろ刺さる。

 

> 汚職しない公務員を教育で作るべきだった。

 

> 何十年かかる?

 

> その間、子供は汚れた水を飲むの?

 

 

 

/*/

 

 

 

 統治局の記者会見で、記者が質問した。

 

「公職者の精神を調整することは、明白な人権侵害ではありませんか」

 

 ヴァルキュリアは否定しなかった。

 

「はい。本人の意思に反して実施する場合、身体および精神への重大な介入です」

 

 記者席がざわつく。

 

「では、なぜ行うのですか」

 

「旧行政機構が、教育、法、監査、選挙、司法のすべてによって汚職を防止できなかったためです」

 

「だから、人間を作り変える?」

 

「住民へ届くべき食料が売られました」

 

「病院へ届くべき薬品が売られました」

 

「水道予算が盗まれました」

 

「道路建設費が盗まれました」

 

「学校予算が盗まれました」

 

「結果として、市民が死亡しました」

 

 ヴァルキュリアは続けた。

 

「公職者の自由意思を保護するために、住民が汚水を飲み続ける状態を、クロノスは容認しません」

 

「公職を辞める自由は?」

 

「新規任官者にはあります」

 

「旧公職者には?」

 

「監査と統治移行が終了するまでは認めません」

 

「過酷すぎる」

 

「旧体制が住民へ課した負担よりは軽いと判断しています」

 

 記者はさらに問う。

 

「調整された公職者は、クロノスへ絶対服従するのですか」

 

「正式な指揮系統から発せられた、統治法上有効な命令への服従心が補正されます」

 

「総帥の命令なら、何でも?」

 

「軍団規律と統治法に従って判断します」

 

「その統治法を作るのもクロノスでは?」

 

「はい」

 

 ヴァルキュリアは、そこも否定しなかった。

 

 

 

/*/

 

 

 

 統治から半年後。

 

 以前は支援物資が到着するたびに暴動が起きていた広場へ、配給車が入った。

 

 住民は列を作っている。

 

 登録証を見せる。

 

 家族人数を確認する。

 

 食料を受け取る。

 

 横入りしようとした男がいた。

 

 後ろの老婆が言う。

 

「並びなさい」

 

 男は振り返り、怒鳴りかけた。

 

 広場の端に、黒い戦闘服のクロノス戦闘員が立っていた。

 

 ヘルメット。

 

 黒いバイザー。

 

 まだ人間の姿だった。

 

 ただ立っているだけだった。

 

 男は口を閉じた。

 

 列の最後尾へ歩いていく。

 

 戦闘員は動かなかった。

 

 もう動く必要がなかった。

 

 配給所には、調整済みの責任者が座っていた。

 

 以前なら、自分の親族へ先に物資を渡していた男である。

 

 今は、名簿を上から順に確認している。

 

「次。家族四名。食料一週間分」

 

 一人の男が、受付へ身を寄せた。

 

「昔みたいに頼むよ。少し多くくれ」

 

 配給責任者は顔をしかめた。

 

「列へ戻れ」

 

「金ならある」

 

「必要ない」

 

「家族だろ」

 

「だから何だ」

 

 配給責任者は、本気で理解できない顔をした。

 

「他の家族の分を減らして、お前へ渡す理由がない」

 

 男は黙った。

 

 そのまま列の最後尾へ歩いていった。

 

 広場の向こうでは、道路工事が続いている。

 

 新しい電柱が立つ。

 

 給水管が埋められる。

 

 下水幹線が伸びる。

 

 作業服を着た地元住民が、測量器を覗き込んでいる。

 

 かつて支援物資を奪い合っていた若者が、今は重機を運転していた。

 

 火炎瓶を作っていた男が、溶接資格を取り、浄水場の配管をつないでいた。

 

 学校からは、子供たちの声が聞こえる。

 

 診療所には薬がある。

 

 役所では、獣化兵に調整された公務員たちが働いている。

 

 彼らは健康だった。

 

 長寿だった。

 

 病気に倒れにくく、長時間の行政業務にも耐えた。

 

 災害が起きれば獣化し、瓦礫を運び、住民を救助した。

 

 洪水が起きれば堤防を支えた。

 

 建物が崩れれば、下敷きになった者を助け出した。

 

 暴動が起きれば、治安部隊の指揮下へ入った。

 

 そして平時には、賄賂を受け取ろうとすらしなかった。

 

 住民は、その姿を恐れていた。

 

 人間の精神を作り変える制度を嫌悪する者もいた。

 

 公務員が全員軍団員である社会に、不安を持つ者もいた。

 

 強制された秩序を、自由とは呼べないと言う者もいた。

 

 その批判は正しかった。

 

 だが、道路は残った。

 

 電気は点いた。

 

 蛇口から水が出た。

 

 下水は街の外へ流れた。

 

 給与は本人へ届いた。

 

 支援物資は横流しされず、登録された家族へ渡った。

 

 公職は、富を得る手段ではなくなった。

 

 健康で長寿な獣化兵が、長い年月にわたり住民へ奉仕する軍務となった。

 

 クロノスは、汚職を監視して減らしたのではない。

 

 汚職のできない公職者を作った。

 

 暴動を説得して収めたのでもない。

 

 暴動を起こした者を、起きなくなるまで処理した。

 

 同時に、住民を貧困の中へ放置しなかった。

 

 文字を教えた。

 

 仕事を作った。

 

 道路を敷いた。

 

 水を通した。

 

 病院を動かした。

 

 子供を学校へ入れた。

 

 クロノスは、その地域へ自由を与えなかった。

 

 先に秩序を与えた。

 

 次に教育を与えた。

 

 仕事を与えた。

 

 医療を与えた。

 

 そして、それらを壊そうとする者には、何度でも獣化兵を差し向けた。

 

 収まるまで。

 

 理解されるまで。

 

 地域が、自力で回り始めるまで。

 

 それは法治の完成ではなかった。

 

 人間を、法と軍団規律に従うよう作り変える。

 

 クロノス式の統治だった。

 

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