/*/ 第三世界統治区 /*/
その地域では、支援物資が届くたびに暴動が起きた。
食料を積んだ輸送車が来れば、武装した集団が道路を封鎖する。
医薬品が届けば、地方役人と有力者が倉庫を先に押さえる。
配給名簿には、存在しない世帯が並んでいた。
同じ人物が名前を変えて何度も登録され、すでに死んだ者にまで食料が支給される。
夜になると、無料で配られたはずの穀物が市場に並んだ。
抗生物質は診療所ではなく、武装勢力の倉庫から見つかった。
給水車は市街地へ入る前に止められ、水は住民へ配られる前に売られた。
飢えた者が群がる。
その混乱に紛れて略奪する者がいる。
略奪を隠すために店へ火を放つ者がいる。
支援物資を奪うため、意図的に騒ぎを煽る者がいる。
旧政府は、そのたびに声明を出した。
国際機関は懸念を表明した。
支援団体は対話を呼びかけた。
地方有力者は、次の支援予算を要求した。
翌月、同じことが起きた。
その翌月も。
道路は作られなかった。
水道は直らなかった。
学校は建たなかった。
薬は届かなかった。
予算だけが消えた。
クロノスは、同じ対応をしなかった。
/*/
統治初日。
クロノス輸送部隊は、食料、医薬品、浄水装置、仮設住宅資材を積んで地域中心部へ入った。
その前を、治安戦闘員の一個分隊が進む。
まだ人間の姿だった。
黒い戦闘服。
ヘルメット。
顔を覆うバイザー。
腰には拘束具。
だが、銃器は持っていなかった。
それを見た現地の武装集団は笑った。
「また支援団体か」
「トラックを止めろ!」
「倉庫へ運ばれる前に奪え!」
群衆が道路へ出た。
石。
鉄棒。
古い自動小銃。
火炎瓶。
その後ろでは、仲買人たちが荷車を用意して待っている。
奪った物資を、その日の夜には市場へ流すつもりだった。
拡声器から、現地語で警告が流れた。
『支援物資は、登録住民へ配給される』
『道路を空けよ』
『武器を捨てよ』
『輸送車への接近、放火、略奪は重大犯罪として処理する』
群衆は止まらなかった。
一人が火炎瓶を投げた。
瓶は戦闘員の手前で割れ、路面に炎を広げた。
別の一人が、輸送車の運転席へ発砲した。
先頭のクロノス戦闘員が止まった。
ゆっくりとヘルメットを外す。
続いて、黒いバイザーを取る。
他の戦闘員たちも、無言で同じ動作をした。
硬い装具が、次々と路面へ置かれていく。
隊長が言った。
「警告終了」
一拍。
「総員、獣化」
身体が膨張した。
骨格が軋む。
筋肉が盛り上がる。
戦闘服が分割線に沿って外れ、その内側から人間ではない肉体が現れる。
重装型。
高速型。
索敵型。
複腕の制圧型。
数秒前まで人間だった戦闘員が、巨大な獣化兵となって道路を埋めた。
隊長格の一体が、低く告げる。
『暴動参加者の処理に移る』
そこから先は短かった。
銃を持つ者。
火炎瓶を持つ者。
輸送車へ取りついた者。
倉庫を破ろうとした者。
獣化兵は、一人ずつ見分けて殺した。
銃弾を受けても、重装型は止まらなかった。
逃げる者には、高速型が追いついた。
建物へ隠れた者は、索敵型に発見された。
群衆へ紛れようとした者も、行動記録と現地協力者の証言から識別された。
武器を捨て、地面へ伏せた者だけが拘束された。
十分後。
道路には死体と、震える生存者が残った。
獣化兵たちは、支援物資の状態を確認した。
火を消した。
破損した車両を退かせた。
薬品箱を回収した。
それから輸送隊へ合図を送った。
配給は、予定どおり始まった。
/*/
二日後。
別の地区で、配給所が襲われた。
前回の半分ほどの人数だった。
警告。
拒否。
獣化。
処理。
三日後。
夜間に倉庫へ侵入した集団がいた。
監視網が検知した。
獣化兵が出動した。
処理。
五日後。
元地方議員が支持者を集め、役所へ火を放とうとした。
「クロノスは侵略者だ!」
「自由を守れ!」
「支援物資は我々のものだ!」
その後ろで、部下たちが燃料缶を運んでいた。
警告。
拒否。
獣化。
処理。
一週間後。
配給所へ集まった群衆は、列を作るようになった。
二週間後。
銃を持って現れる者はいなくなった。
一か月後。
子供たちは、遠くに立つ獣化兵を見ても逃げなくなった。
ただし、道路を塞ぐこともしなかった。
クロノスは、暴動が起きなくなるまで、同じことを繰り返した。
説得して駄目なら警告する。
警告して駄目なら処理する。
相手によって基準を変えない。
回数を重ねても、罰を軽くしない。
対話を拒んだ者が疲れるまでではない。
地域全体が、何をすれば死に、何をすれば生きられるのか理解するまで続ける。
慈悲はなかった。
だが、例外もなかった。
/*/
同時に、クロノスは学校を作った。
最初に建てたのは、大学ではない。
成人向けの読み書き教室だった。
文字。
数字。
時刻。
地図。
衛生。
契約。
給与明細。
市民登録。
水道料金。
電気料金。
社会保険。
役所への申請方法。
大人たちは、子供と同じ机へ座らされた。
拒否する者もいた。
怒鳴る者もいた。
「文字など読めなくても生きてきた」
そう言う男へ、教育官は淡々と答えた。
「その結果、配給票を騙し取られた」
「その結果、賃金を抜かれた」
「その結果、薬の用量を読めず、子供を危険にさらした」
教育官は黒板を指した。
「読め」
授業は毎日続いた。
文字を覚えた者から、職業訓練へ回された。
最初に用意された仕事は、地域の再建だった。
道路。
電線。
水道。
下水道。
排水路。
橋。
ごみ処理場。
浄水施設。
通信塔。
配電所。
診療所。
学校。
立派な産業施設より先に、人間が生活するための基礎を作った。
自分たちが住む地域を、自分たちの手で作り直す。
給与は統一市民口座へ振り込まれた。
途中で役人が抜くことはできない。
出勤記録は、現場監督と端末の双方で確認された。
資材の搬入量と使用量は、人工衛星と監査記録で照合された。
セメントを横流しすれば、その日のうちに不足が発覚した。
銅線を盗めば、工事が止まる前に追跡された。
架空の労働者を名簿へ加えても、本人確認が通らず給与は振り込まれない。
以前なら、道路工事の予算は途中で消えた。
今は道路が残った。
以前なら、井戸を掘る予算で役人の家が建った。
今は水が出た。
以前なら、下水道は図面の上にしかなかった。
今は雨季になっても、街が汚水へ沈まなくなった。
/*/
労働者説明会で、一人の男が不満をぶつけた。
「俺たちを安い土木作業に使っているだけだ!」
クロノスの職業官は否定しなかった。
「そうだ」
男が言葉に詰まる。
職業官は地域図を表示した。
「道路がない」
「電気がない」
「水道がない」
「下水道がない」
「それらがなければ、工場も病院も学校も作れない」
建設計画が順番に表示される。
「まず土を掘る」
「次に管を埋める」
「電線を張る」
「道路を固める」
「それが終われば工場を建てる」
「工場ができれば、機械工、整備員、運転手、倉庫管理者が必要になる」
「学校ができれば、教師、事務員、給食員が必要になる」
「病院ができれば、看護補助、清掃、事務、輸送が必要になる」
男は画面を見た。
「ずっと穴を掘るわけじゃないのか」
「適性と成績があれば、次の訓練へ進める」
「適性がなかったら?」
「熟練土木作業員になる」
「それは出世なのか」
「未熟練より給料は高い。資格も残る」
男は黙った。
職業官が続ける。
「教育を受けろ」
「働け」
「保険料を払え」
「病気になれば制度を使え」
「子供を学校へ行かせろ」
「それを繰り返せば、この地域は支援物資を奪い合う場所ではなくなる」
男はしばらく迷い、最後に尋ねた。
「明日も同じ現場か」
「第三区下水幹線だ」
「分かった」
/*/ 公職者は軍団の一員となる /*/
最も大きな変化は、公職者に起きた。
市長。
地方行政官。
警察署長。
税務官。
配給責任者。
公共工事監督。
学校長。
病院管理者。
公金と公権力を扱う者は、全員が指定施設へ集められた。
そこで、クロノス統治官は告げた。
「公職者は、全員、獣化兵への強制調整を受ける」
室内がどよめいた。
「我々を怪物にするつもりか!」
「公務員だぞ。兵士ではない!」
「拒否権は?」
「ない」
統治官は淡々と答えた。
「クロノス統治下において、公職者は軍団の一員である」
「行政官まで戦わせるのか!」
「戦闘能力は、職務上の副次機能にすぎない」
ホログラムに、調整内容が表示される。
健康状態の最適化。
身体能力の向上。
疾病耐性。
老化速度の低下。
寿命の延長。
獣化能力。
そして、軍団構成員としての精神補正。
「遵法意識」
「公共への奉仕意識」
「職務責任」
「正規命令系統への服従心」
「汚職、横領、縁故登用、配給物資の横流しに対する心理的忌避」
公職者たちは、表示された項目を見つめた。
「洗脳ではないか」
一人が言った。
「人格は維持される」
調整技術官が答えた。
「記憶も、知識も、趣味も、家族への感情も失われない」
「政治的見解や宗教を統一することもしない」
「では、何を変える」
「軍団の一員として不適切な衝動を補正する」
「不適切な衝動?」
「賄賂を受け取る」
「公金を私物化する」
「親族へ不当な便宜を図る」
「住民へ配るべき物資を横流しする」
「虚偽の報告を行う」
「私欲や怠慢を理由に、正規命令へ従わない」
技術官は一つずつ読み上げた。
「そのような行為を、しようと思えなくする」
室内が静まった。
「考えることすらできなくなるのか」
「不正の概念は理解できる」
「他者の汚職を発見し、報告することもできる」
「ただし、自分が実行することには強い嫌悪と拒絶を感じる」
「つまり、賄賂を前にしても受け取れない」
「受け取ろうと思わない」
「家族を優遇したくても?」
「公職上の権限を使って不当に優遇しようとは思わない」
「命令なら、何でも従うのか」
「正式な指揮系統から出された、統治法上有効な命令への服従心を補正する」
「不正な命令は?」
「監察部へ報告する」
統治官は、公職者たちを見回した。
「お前たちは、これまで公職を富を得る手段として扱った」
「支援物資を売った」
「道路建設費を盗んだ」
「名簿へ親族を加えた」
「学校予算で自宅を建てた」
「病院の薬を闇市場へ流した」
「水道予算を宴会へ使った」
誰も反論しなかった。
反論できる者が、ほとんどいなかった。
「今後、公職は軍務となる」
統治官は言った。
「公金を扱う者は、軍需物資を扱う者と同じだ」
「住民名簿を扱う者は、兵員名簿を扱う者と同じだ」
「病院を管理する者は、軍団の生命線を預かる者と同じだ」
「水道、電力、道路、教育、食料配給」
「すべて兵站である」
一人の行政官が、かすれた声で尋ねた。
「調整を拒否し、公職を辞めることはできないのか」
「統治移行後に新たに任官する者は、公職を選ばなければ調整を拒否できる」
「我々は?」
「旧体制下で公金、住民名簿、配給物資、行政権限へ関与していた」
統治官は答えた。
「監査と統治移行が終了するまで、辞職は認めない」
「監査後は?」
「重大な汚職がなければ、公職を離れることはできる」
「その場合、調整は?」
「維持される」
誰かが椅子を蹴った。
「一生、クロノスの兵士にされるのか!」
「公権力を私物化した責任は、一生残る」
冷たい返答だった。
/*/
強制調整は、翌日から始まった。
識別器は埋め込まれなかった。
監視装置もない。
思考を逐一送信する機械もない。
クロノスが行ったのは、もっと根本的な介入だった。
肉体そのものを作り変える。
遺伝子を修正する。
臓器を強化する。
疾病を除去する。
老化を遅らせる。
獣化形態を与える。
そして、脳と内分泌系へ、軍団構成員としての規律を刻む。
地方知事だった男が、調整槽へ入れられる前に叫んだ。
「私は選挙で選ばれた!」
技術員は準備を止めなかった。
「旧制度の選挙です」
「市民は私を支持している!」
「市民名簿の四割が重複しています」
「事務上の問題だ!」
「死亡者一万二千人が投票しています」
「私の責任ではない!」
「あなたの親族が管理する地区で、最も多く発生しています」
男は黙った。
調整槽の蓋が閉じる。
「公職者標準調整を開始します」
透明な液体が満たされていく。
男の意識が沈んだ。
数日後。
調整槽から出てきた男は、見た目だけなら以前と大きく変わっていなかった。
だが、肌の色艶は良くなっている。
長年患っていた糖尿病は消えていた。
動脈硬化もない。
肝臓も正常。
視力も回復している。
膝の痛みもなくなった。
寿命は、旧人類の基準を大きく超えて延長されていた。
そして、獣化能力を得ていた。
「立てますか」
技術員が尋ねた。
男は自分の足で立ち上がった。
「身体が軽い……」
「機能を最適化しました」
「私は、何年生きる」
「事故や戦闘がなければ、数十年単位です」
男は自分の手を見た。
「これが調整か」
「はい」
「私はまだ、私なのか」
「名前を」
男は答えた。
「家族は」
答えた。
「宗教は」
答えた。
「支持していた政党は」
答えた。
「クロノスをどう思う」
男は一瞬迷い、それから言った。
「侵略者だ」
「人格は維持されています」
技術員は記録した。
男は少し安堵した。
その後、机の上に置かれた封筒へ目を向けた。
中には現金が入っている。
「これは」
「あなたへ渡された賄賂という想定です」
男は封筒へ手を伸ばそうとした。
途中で止まった。
指が動かないのではない。
動かしたくなかった。
金を受け取り、その見返りに公共工事の契約を動かす。
以前なら当然の取引だった。
今も方法は分かる。
誰へ連絡し、帳簿をどう書き換え、どの業者を通せばよいかも覚えている。
だが、それを実行する自分を想像した瞬間、強烈な嫌悪感が込み上げた。
「……気分が悪い」
「正常です」
「何をした」
「公金と権限を私物化する衝動を補正しました」
「私は、もう賄賂を受け取れないのか」
「物理的には可能です」
「だが、受け取りたくない」
「はい」
「命令されたら?」
「不正な命令なら、監察部へ報告したくなる」
男は封筒から目を背けた。
「これは、私の意思なのか」
技術員は少し考えた。
「調整後のあなたの意思です」
「答えになっていない」
「元のあなたも、教育、宗教、家族、貧困、権力、周囲の慣習によって形成されています」
技術員は淡々と言った。
「クロノスは、そこへ軍団規律を加えました」
男は何も言えなかった。
/*/
調整後の公職者たちは、職場へ戻された。
以前と同じ机。
以前と同じ部下。
以前と同じ住民。
だが、行動は変わった。
配給責任者は、自分の親族を名簿の先頭へ置こうとして、端末から手を離した。
税務官は、商人から差し出された現金を見て、その場で監察部へ通報した。
公共工事監督は、規格を満たさないセメントの受け入れを拒否した。
警察署長は、地元有力者の息子を釈放するよう求められ、正式な捜査手続きを続行した。
病院管理者は、薬品を闇市場へ流していた古い取引先との契約を切った。
彼らは善人になったわけではない。
住民へ横柄な者もいる。
部下へ細かすぎる者もいる。
クロノスを嫌う者もいる。
昔の地位を懐かしむ者もいる。
私生活で性格が悪い者もいる。
だが、汚職だけはできなかった。
やろうと思えなかった。
公金を盗むことは、自分の腕を切り落とすことと同じほど不自然になっていた。
正規命令への服従も同様だった。
命令内容を理解する。
疑問があれば確認する。
実行上の問題があれば報告する。
法や軍団規律に抵触するなら、監察部へ通す。
だが、私欲や怠慢を理由に無視することはできない。
公職者は、行政官である前に、クロノス軍団の一員となった。
/*/
公職者への強制調整は、世界中で激しく批判された。
「人格改造である」
「自由意思への侵害である」
「公務員を兵士へ変える軍事独裁だ」
「汚職防止を口実とした精神統制である」
その批判は正しかった。
クロノスは、人間の内面へ直接手を加えていた。
法律で汚職を禁じるのではない。
監査で発見するだけでもない。
汚職をしようと思えない人間へ変えていた。
だが、現地住民の反応は複雑だった。
> 人格改造は怖い。
>
> でも今の市長、予算を本当に道路へ使ったぞ。
> 税務官が賄賂を返した。
> というか、自分で監察官を呼んだ。
> 学校長が給食費を盗まなくなった。
> 病院の薬が市場へ流れなくなった。
> 怖い。
> でも助かる。
> 人権団体は、公職者にも自由意思があると言う。
>
> こっちは、その自由意思で水道予算を盗まれていたんだが。
> やめろ刺さる。
> 汚職しない公務員を教育で作るべきだった。
> 何十年かかる?
> その間、子供は汚れた水を飲むの?
/*/
統治局の記者会見で、記者が質問した。
「公職者の精神を調整することは、明白な人権侵害ではありませんか」
ヴァルキュリアは否定しなかった。
「はい。本人の意思に反して実施する場合、身体および精神への重大な介入です」
記者席がざわつく。
「では、なぜ行うのですか」
「旧行政機構が、教育、法、監査、選挙、司法のすべてによって汚職を防止できなかったためです」
「だから、人間を作り変える?」
「住民へ届くべき食料が売られました」
「病院へ届くべき薬品が売られました」
「水道予算が盗まれました」
「道路建設費が盗まれました」
「学校予算が盗まれました」
「結果として、市民が死亡しました」
ヴァルキュリアは続けた。
「公職者の自由意思を保護するために、住民が汚水を飲み続ける状態を、クロノスは容認しません」
「公職を辞める自由は?」
「新規任官者にはあります」
「旧公職者には?」
「監査と統治移行が終了するまでは認めません」
「過酷すぎる」
「旧体制が住民へ課した負担よりは軽いと判断しています」
記者はさらに問う。
「調整された公職者は、クロノスへ絶対服従するのですか」
「正式な指揮系統から発せられた、統治法上有効な命令への服従心が補正されます」
「総帥の命令なら、何でも?」
「軍団規律と統治法に従って判断します」
「その統治法を作るのもクロノスでは?」
「はい」
ヴァルキュリアは、そこも否定しなかった。
/*/
統治から半年後。
以前は支援物資が到着するたびに暴動が起きていた広場へ、配給車が入った。
住民は列を作っている。
登録証を見せる。
家族人数を確認する。
食料を受け取る。
横入りしようとした男がいた。
後ろの老婆が言う。
「並びなさい」
男は振り返り、怒鳴りかけた。
広場の端に、黒い戦闘服のクロノス戦闘員が立っていた。
ヘルメット。
黒いバイザー。
まだ人間の姿だった。
ただ立っているだけだった。
男は口を閉じた。
列の最後尾へ歩いていく。
戦闘員は動かなかった。
もう動く必要がなかった。
配給所には、調整済みの責任者が座っていた。
以前なら、自分の親族へ先に物資を渡していた男である。
今は、名簿を上から順に確認している。
「次。家族四名。食料一週間分」
一人の男が、受付へ身を寄せた。
「昔みたいに頼むよ。少し多くくれ」
配給責任者は顔をしかめた。
「列へ戻れ」
「金ならある」
「必要ない」
「家族だろ」
「だから何だ」
配給責任者は、本気で理解できない顔をした。
「他の家族の分を減らして、お前へ渡す理由がない」
男は黙った。
そのまま列の最後尾へ歩いていった。
広場の向こうでは、道路工事が続いている。
新しい電柱が立つ。
給水管が埋められる。
下水幹線が伸びる。
作業服を着た地元住民が、測量器を覗き込んでいる。
かつて支援物資を奪い合っていた若者が、今は重機を運転していた。
火炎瓶を作っていた男が、溶接資格を取り、浄水場の配管をつないでいた。
学校からは、子供たちの声が聞こえる。
診療所には薬がある。
役所では、獣化兵に調整された公務員たちが働いている。
彼らは健康だった。
長寿だった。
病気に倒れにくく、長時間の行政業務にも耐えた。
災害が起きれば獣化し、瓦礫を運び、住民を救助した。
洪水が起きれば堤防を支えた。
建物が崩れれば、下敷きになった者を助け出した。
暴動が起きれば、治安部隊の指揮下へ入った。
そして平時には、賄賂を受け取ろうとすらしなかった。
住民は、その姿を恐れていた。
人間の精神を作り変える制度を嫌悪する者もいた。
公務員が全員軍団員である社会に、不安を持つ者もいた。
強制された秩序を、自由とは呼べないと言う者もいた。
その批判は正しかった。
だが、道路は残った。
電気は点いた。
蛇口から水が出た。
下水は街の外へ流れた。
給与は本人へ届いた。
支援物資は横流しされず、登録された家族へ渡った。
公職は、富を得る手段ではなくなった。
健康で長寿な獣化兵が、長い年月にわたり住民へ奉仕する軍務となった。
クロノスは、汚職を監視して減らしたのではない。
汚職のできない公職者を作った。
暴動を説得して収めたのでもない。
暴動を起こした者を、起きなくなるまで処理した。
同時に、住民を貧困の中へ放置しなかった。
文字を教えた。
仕事を作った。
道路を敷いた。
水を通した。
病院を動かした。
子供を学校へ入れた。
クロノスは、その地域へ自由を与えなかった。
先に秩序を与えた。
次に教育を与えた。
仕事を与えた。
医療を与えた。
そして、それらを壊そうとする者には、何度でも獣化兵を差し向けた。
収まるまで。
理解されるまで。
地域が、自力で回り始めるまで。
それは法治の完成ではなかった。
人間を、法と軍団規律に従うよう作り変える。
クロノス式の統治だった。