マサキに止められたが実行した。
後悔はしていない。
即日死刑
/*/ クロノス統治初期 日本行政区・特別刑事法廷 /*/
本能が強すぎるものはいらない
その政策は、アルカンフェルの一言から始まった。
日本行政区治安局から上がってきた性犯罪統計。
押し込み強盗。
通り魔。
薬物犯罪。
組織犯罪。
その中に、旧時代から積み上がり続けていた性犯罪の記録があった。
未解決事件。
不起訴。
示談。
執行猶予。
再犯。
被害者の転居。
被害者の自死。
加害者の社会復帰。
その資料を読んだアルカンフェルは、淡々と言った。
「本能が強すぎるものはいらない」
会議室は静まり返った。
バルカスは、興味深そうに資料を見ていた。
ヴァルキュリアは、すでに制度化の可能性を計算している。
村上征樹だけが、わずかに顔を曇らせた。
「総帥。それは、性犯罪者への処罰強化という意味ですか」
「そうだ」
アルカンフェルは答えた。
「獣化兵には、順法意識、命令への服従、暴力衝動の制動が必要だ。命令に従えぬ理性の低いものは必要ない」
彼は資料を閉じた。
「未調整のまま、弱い者を襲い、力でねじ伏せる者がいる。獣化兵にも成れぬ本能しか持たぬ者に、社会を歩かせる理由はない」
アプトムが、低く口笛を吹いた。
「きついな」
「きつくはない」
アルカンフェルは静かに言った。
「当然だ」
/*/
数日後、日本行政区は特別刑事法改正を発表した。
強姦、集団強姦、児童への性暴力、薬物使用を伴う性犯罪、監禁を伴う性犯罪、再犯性犯罪。
これらを特別重大侵害犯罪に指定。
証拠が明白で、被害者証言、医療検査、映像記録、生体痕跡、位置情報、思念波検証補助、治安局解析が揃った場合、特別刑事法廷で即日審理。
有罪確定時、原則死刑。
再調整による更生措置は適用しない。
獣化兵調整も認めない。
理由は明確だった。
性暴力は、本能の制御不全による重大な社会破壊である。
その本能を制御できない者へ、より強い身体を与えることはできない。
そして、未調整者であっても、社会に残す必要はない。
発表直後、日本行政区は割れた。
/*/
特別刑事法廷の前には、二つの群衆が集まっていた。
一方は、人権団体だった。
彼らは横断幕を掲げている。
即日裁判反対
死刑拡大反対
未調整者差別を許すな
クロノスによる司法殺人を止めろ
代表者が、拡声器を握って叫ぶ。
「これは司法ではありません! 恐怖に乗じた処刑制度です! 性犯罪が重大であることは否定しません。しかし、即日裁判、原則死刑、再調整なしという制度は、あまりにも乱暴です!」
群衆が応える。
「人権侵害だ!」
「死刑反対!」
「未調整者を標的にするな!」
彼らの主張は、こうだった。
性犯罪者の多くが未調整者であるという統計を理由に、未調整者全体を危険視している。
クロノスは、調整済み市民を安全な市民、未調整市民を潜在的犯罪者として扱おうとしている。
即日裁判は、冤罪を防ぐには速すぎる。
死刑の拡大は、国家による暴力の拡大である。
加害者にも人権はある。
司法は怒りの道具であってはならない。
その言葉は、理屈としては成立していた。
だが、法廷の反対側には、別の群衆がいた。
女性団体だった。
被害者支援団体。
母親の会。
夜間通勤者の会。
学生団体。
性暴力被害者遺族会。
彼女たちの横断幕には、別の言葉が書かれている。
性暴力に更生の猶予はいらない
被害者の人権はどこへ行った
クロノスは初めて加害者ではなく被害者を守った
よくやった日本統治局
一人の女性が、拡声器を取った。
声は震えていた。
だが、はっきりしていた。
「私の妹は、旧時代に襲われました」
法廷前が静まる。
「犯人は捕まりました。ですが、裁判は長引き、弁護士は妹の服装を責め、夜に一人で歩いたことを責め、抵抗が足りなかったと言いました」
彼女は一度、唇を噛んだ。
「犯人は数年で出てきました。妹は戻ってきませんでした」
人権団体側から、かすかなざわめきが起きる。
女性は続けた。
「加害者の人権を語る人たちは、いつも法廷に来ます。でも、被害者が壊れていく時間には来ない。家族が夜道を怖がる時間にも来ない。子供に防犯ブザーを持たせて、それでも不安で眠れない夜にも来ない」
彼女は、正面の人権団体を見た。
「私たちは、初めて思いました。国家が本当にこちら側に立った、と」
女性団体側から、大きな拍手が起きた。
「性犯罪者を守るな!」
「被害者を守れ!」
「即日裁判を支持する!」
「クロノスはよくやった!」
その叫びは、怒りというより、長く抑え込まれてきた感情の噴出だった。
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二つの団体は、裁判所前でぶつかり合った。
「加害者にも人権はある!」
「被害者の人権はどうした!」
「国家による殺人を許すな!」
「性暴力を軽く扱った旧司法の方が殺してきた!」
「冤罪が起きたらどうする!」
「証拠が明白な事件だけだと発表されている!」
「クロノスを信用するのか!」
「旧司法よりは信用する!」
警備の獣化兵が、両者の間に立った。
彼らは武器を構えていない。
だが、その存在だけで、衝突は物理的暴力へ発展しなかった。
人権団体の若い男が、獣化兵に向かって叫ぶ。
「お前たちは命令で人を殺すのか!」
獣化兵は答えなかった。
その隣で、女性団体の中年女性が叫ぶ。
「その命令で、娘たちが守られるなら私は支持する!」
獣化兵は、やはり答えなかった。
答える必要はない。
彼らは壁だった。
クロノスの秩序そのものだった。
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法廷の中では、最初の即日審理が行われていた。
被告は未調整者だった。
身元は明白。
犯罪歴あり。
過去に性犯罪で有罪。
出所後、再び犯行。
被害者は未成年。
証拠は揃っていた。
監視映像。
生体痕跡。
端末位置情報。
治安局の時系列解析。
医療検査。
被害者証言。
弁護人は手続きの拙速さを訴えた。
検察官は、証拠の明白性と再犯性を示した。
裁判官は、静かに判決を読み上げた。
有罪。
死刑。
傍聴席から声が漏れた。
泣き崩れる者。
目を閉じる者。
拳を握る者。
外では、判決速報が流れた瞬間、女性団体側から歓声が上がった。
人権団体側からは怒号が上がった。
裁判所前は、さらに騒然となった。
/*/
クラウド・ゲートでは、特別刑事法廷前の映像が中継されていた。
アプトムは、腕を組んで画面を見ている。
「割れたな」
村上征樹は沈んだ表情だった。
「割れますよ。性犯罪への怒りは深い。でも、即日裁判と死刑拡大への恐怖も当然あります」
バルカスは、淡々と言った。
「証拠が揃っておるなら、時間をかける意味は少ない。まして再犯性が高く、本能制御に欠ける者であれば、社会から除去するのが合理的じゃ」
村上が苦く言う。
「博士。合理的という言葉だけでは、人間社会は動きません」
「だから揉めておるのじゃろう」
ヴァルキュリアが世論分析を表示する。
「女性層、特に被害経験者、娘を持つ親、夜間労働者からの支持が高いです。反対は人権団体、法曹関係者、旧リベラル層、未調整者権利団体に集中しています」
アプトムが鼻で笑った。
「ネットは?」
「荒れています」
画面に投稿が流れる。
よくやったクロノス。
レイプ犯に人権を語る前に被害者を見ろ。
即日死刑はさすがに怖い。
冤罪だったら取り返しがつかない。
証拠揃ってる奴だけならいい。
その“証拠揃ってる”を誰が判断するんだよ。
未調整者ばかり狙い撃ちじゃないか。
調整者はそもそもそんな犯罪しないんだよ。
それはそれで怖い。
女としては支持する。夜道が少し安心になる。
国家が性犯罪者を即日殺す社会を安心と言えるのか。
旧司法が甘すぎた反動だろ。
村上は、その投稿群を見て静かに言った。
「社会の怒りが、ここで噴き出していますね」
「旧時代に処理し損ねたものだ」
アルカンフェルが口を開いた。
全員が彼を見る。
「被害者を守れず、加害者を処理できず、裁判で被害者を再び傷つけ、再犯を許した。その蓄積がある」
村上は言った。
「ですが、総帥。即日死刑はあまりにも強い」
「強い」
アルカンフェルは認めた。
「だが、性暴力も強い。弱い者の尊厳を破壊し、生涯を壊す。再犯する者に更生を与え続ける理由はない」
バルカスが頷く。
「そもそも本能制御に失敗しておる。獣化兵素体として見ても、質が悪い」
村上の眉が動いた。
「博士、その言い方も危険です」
「事実じゃろう」
アルカンフェルは、画面の中の群衆を見たまま言った。
「種族繁栄という観点だけなら、インポよりレイプ犯の方がまだましだがな」
会議室の空気が凍った。
ヴァルキュリアの指が即座に動き、記録区分が最高機密へ切り替わる。
村上が顔を上げた。
「総帥」
アルカンフェルは淡々と続けた。
「だが、人間は獣化兵の素体だ。本能に負けるような兵士候補はいらない」
沈黙。
アプトムが、引きつった笑みを浮かべた。
「うわ。総帥、それ、外で言ったら世界が燃えるぞ」
「なぜだ」
村上は深く息を吸った。
「まず、最初の一文が絶対に駄目です。倫理的にも、広報的にも、政治的にも、完全に駄目です」
「事実の整理だ」
「人間社会では、そういう整理を口にした時点で終わります」
ヴァルキュリアが淡々と補足する。
「外部流出時の想定見出し。『アルカンフェル総帥、レイプ犯を種族繁栄上有用と発言』。女性団体、人権団体、宗教団体、法曹界、未調整者団体、全方位で炎上します」
アプトムが顔をしかめた。
「見出しだけで最悪だな」
「はい。最悪です」
アルカンフェルは、なお理解しきれないようだった。
「私は擁護していない。むしろ不要だと言っている」
「そこまで聞いてもらえません」
村上は即答した。
「総帥の意図は、“本能に負ける個体は獣化兵素体として不適格であり、社会に残す理由もない”というものです。それは分かります。しかし、種族繁栄という比較を持ち出した時点で、性犯罪を機能面から評価したように聞こえます」
バルカスが首を傾げる。
「機能面から評価しておるのではないか?」
「博士も黙っていてください」
村上の声は疲れていた。
アプトムが小さく笑う。
「現代人代表、限界だな」
ヴァルキュリアは、外部向け文言を組み立て始めていた。
「修正文案。総帥発言は次のように置換します」
画面に文章が表示される。
性暴力は、他者の尊厳を破壊する重大侵害行為である。
また、衝動制御と社会規範を欠く者は、獣化兵調整の対象としても不適格である。
クロノスは、弱者を襲う本能を制御できない者を、社会防衛上の重大危険個体と判断する。
村上は頷いた。
「それなら出せます」
アプトムが笑った。
「すげぇな。あの発言が、ここまでまともになるのか」
「まともにしなければ出せません」
ヴァルキュリアは淡々と言った。
アルカンフェルは少し不満そうだった。
「長い」
「必要です」
「私の言葉ではない」
「外部に出せる総帥の言葉です」
村上が付け加えた。
「総帥の本音をそのまま出すと、政策そのものが攻撃されます。被害者保護の話だったはずが、総帥の女性観や人類観の問題にすり替わります」
アルカンフェルは、しばらく黙った。
そして言った。
「ならば、そうしろ」
ヴァルキュリアが記録する。
「御意」
/*/
村上は、改めて問うた。
「冤罪はどうしますか」
「防げ」
短い答えだった。
村上は目を伏せる。
「完全には防げません」
「ならば、証拠基準を極限まで上げろ。疑わしきは通常審理へ回せ。即日判決は、証拠が揃ったものだけにしろ」
ヴァルキュリアが記録する。
「特別即日審理の証拠基準を再確認。複数系統証拠必須。単独証言のみでは不可。被害者保護手続き必須。弁護権は実質的に維持」
アプトムが言う。
「形式上じゃなくなったな」
「村上確認により修正しました」
「また村上確認済かよ」
バルカスが笑う。
「フォッフォッフォ。処刑するにも手続きがいる。人間社会は面倒じゃ」
村上は小さく言った。
「その面倒さが、最後の歯止めです」
/*/
アルカンフェルは、裁判所前の映像を見た。
人権団体。
女性団体。
怒号。
涙。
横断幕。
獣化兵の警備線。
そのすべてを、静かに見ていた。
「人権団体は、間違っていない」
意外な言葉に、アプトムが眉を上げる。
「へえ」
「国家が即日で人を殺すことを恐れるのは当然だ」
アルカンフェルは言った。
「女性団体も、間違っていない」
村上が顔を上げる。
「性暴力への怒りも、当然ですか」
「そうだ」
アルカンフェルは頷いた。
「どちらも正しい。だから衝突する」
彼は、画面の中の裁判所を見据えた。
「だが、統治者は選ばねばならん」
室内が静まる。
「私は、弱い者を襲う本能を制御できぬ者を残さない」
それは政策ではなく、裁定だった。
ヴァルキュリアは、静かに記録した。
特別重大性犯罪即日審理制度。
総帥裁可。
証拠基準厳格化。
冤罪防止措置強化。
被害者保護優先。
反対世論、継続監視。
人権団体との対話窓口設置。
女性被害者支援団体との連携強化。
総帥発言の外部文言、村上確認必須。
アプトムが呟いた。
「対話窓口を作りながら死刑は続けるのか」
「統治です」
ヴァルキュリアが答えた。
アプトムは乾いた笑いを漏らした。
「便利な言葉だな、本当に」
/*/
裁判所前の衝突は、その後もしばらく続いた。
人権団体は、即日裁判をクロノス司法の暗黒面と呼んだ。
女性団体は、性暴力被害者を初めて国家が本気で守った日だと呼んだ。
法曹界は、証拠基準と手続き保障をめぐって割れた。
ネットは、怒りと不安と称賛で燃えた。
そして、街の夜は少し変わった。
夜道を歩く女性たちの中に、初めて安堵を口にする者が出た。
「捕まれば、もう戻ってこない」
その言葉は、重かった。
同時に、別の未調整者は不安を口にした。
「次は何を理由に、即日で殺されるんだ」
その言葉もまた、重かった。
クロノス統治は、正しさを一つにまとめない。
力で線を引く。
性犯罪者、とくに再犯性と証拠が明白なレイプ犯は、社会から即座に除去される。
その強権は、多くの女性にとって救いだった。
多くの人権活動家にとって恐怖だった。
そしてアルカンフェルにとっては、ただ一つの判断だった。
本能が強すぎるものはいらない。
その言葉は、統治初期の刑事政策に深く刻まれることになった。
ただし、その裏にあったさらに冷たい本音は、外には出されなかった。
人類は獣化兵の素体である。
本能に負ける兵士候補はいらない。
それは、クロノスの中枢でだけ共有された、あまりにも非人間的な基準だった。