作者のSF的好奇心からテラフォーミングをクロノスならどんな感じにするかを考察していくので、その辺りが好きな方はどうぞよろしくお願いいたします。
何色が良い?
/*/ 最高機密会議室 プロジェクト・アレス審議 /*/
報告書は、厚かった。
物理的な紙ではない。
クラウド・ゲート最上層、最高機密会議室の中央に浮かぶ立体投影が、幾層にも重なっている。
火星。
その中心点。
疑似ブラックホール。
重力連星。
空間転位。
カー・ニューマン解。
火星磁場。
大気循環。
地殻圧力。
森林型生体ユニット。
そして、報告書の表題。
『プロジェクト・アレス修正・確定案』
提出者は、ハミルカル・バルカス。
アルカンフェルは、その表題をしばらく眺めていた。
嫌な予感がする。
バルカスが「確定案」と書く時は、たいてい危ない。
隣に控えるヴァルキュリアも、同じことを考えている顔をしていた。
村上征樹は、すでに資料の数式部分へ視線を落としている。
シン、プルクシュタール、カールレオン、リ・エンツイ、ガレノス、ワフェルダノスも招集されていた。
地球圏残留神将の大半が揃っている。
それだけで、この案件が普通ではないことを示していた。
バルカスは、会議卓の向こうに立っている。
老博士の目は輝いていた。
危険な輝きだった。
「閣下」
バルカスは深く頭を下げる。
「プロジェクト・アレス、修正・確定案について、理論検証が完了いたしました」
「確定案か」
アルカンフェルは静かに言った。
「お前がそう書く時は、だいたい誰かが止めねばならん」
「今回は止める必要はございませぬ」
バルカスは即答した。
その時点で、ヴァルキュリアが端末に監察項目を一つ増やした。
アルカンフェルは見なかったふりをした。
「説明しろ」
「はっ」
バルカスは手を振る。
会議室の中央に、火星が浮かんだ。
赤い星。
薄い大気。
死んだ磁場。
低い重力。
地球生命圏が次に本格的な足場とするべき開拓惑星。
だが、火星は足りなかった。
大気が足りない。
磁場が足りない。
熱が足りない。
重力が足りない。
火星を火星のまま使うなら、地下都市やドーム都市でよい。
だが、バルカスが示したものは違った。
火星そのものを変える計画だった。
「従来案では、アステロイドベルトからの質量資源投入を検討しておりました」
バルカスは言った。
「質量を運び、火星へ付与し、重力を補う。泥臭く、長く、輸送コストも膨大です」
「当然だ」
村上が低く言った。
「惑星の質量を増やすとは、そういうことです」
「そこで、発想を変えます」
バルカスは笑った。
「質量を運ばない。質量を作る」
会議室が静まった。
村上が顔を上げる。
シンの表情が硬くなる。
カールレオンは腕を組んだまま、目を細めた。
アルカンフェルは、ただ黙っていた。
バルカスは続ける。
「閣下とマサキの重力制御を完全同調させ、二つの疑似ブラックホールを極近領域で連星運動させます」
立体投影が切り替わる。
二つの黒い点。
周囲の空間を捻じ曲げる疑似特異点。
それらが、互いの事象の地平面を擦り合わせるように高速で周回する。
重力波が重なり、空間が鳴動し、虚数空間の膜が引き攣る。
「我々獣神将が生成する疑似ブラックホールは、通常、重力制御球によって局所空間を極限湾曲させる一時的特異点です。エネルギー供給が絶たれれば消失する」
バルカスの声に、熱が乗る。
「しかし、二つの疑似特異点を連星化し、互いを食わせ合えば、空間歪曲は単純な足し算を超える。閣下の出力と村上神将の重力位相を完全同調させれば、虚数空間のエネルギー膜から質量エネルギーを引きずり出し、疑似特異点を実在するマクロブラックホールへ相転移させられる可能性がございます」
村上が思わず呟いた。
「……正気ですか」
「研究者としては正気です」
バルカスは即答した。
「それが一番危ない」
村上は低く言った。
アプトムなら笑っただろう。
だが、この場にはいない。
アルカンフェルは静かに問う。
「目標質量は」
「一ヨタグラム」
その数字に、会議室の空気がさらに重くなる。
地球の約六分の一。
火星の不足分を補うには、あまりに都合のよい数字。
だが、それはつまり、惑星を左右する質量を人為的に生成しようということだった。
シンが口を開いた。
「それを火星中心へ置くと」
「火星は、マクロブラックホールを芯に持つ惑星となります」
バルカスは言った。
「イベントホライズンはわずか一・五ミリ程度。しかし、その有効重力と回転電荷により、火星全体の重力場、磁場、内部熱を再構成する」
ヴァルキュリアが淡々と確認する。
「火星を一つの実験炉にする、ということですね」
「惑星改造です」
「言い換えただけです」
バルカスは少しだけ咳払いした。
アルカンフェルは、火星の中心に置かれた黒い点を見ていた。
「続けろ」
「はっ」
投影が次の段階へ移る。
マクロブラックホール生成。
その最終瞬間に、シン・ルベオ・アムニカルスが電荷を付与する。
アルカンフェルの重力波が自転を与える。
帯電し、回転するブラックホール。
カー・ニューマン・ブラックホール。
「特異点に電荷とスピンを持たせます」
バルカスは説明した。
「これにより、中心核は単なる重力点ではなく、惑星規模の磁場を生み出す電磁核となる。火星内部に新たな心臓を置くわけですな」
シンは静かに資料を見ていた。
「私の役目は、電荷の付与と磁場の誘導か」
「うむ。中心核のブラックホール自身が超巨大電磁石として機能し始める。その固有磁場を火星全土へ誘導し、太陽風を偏向する磁気シールドとして安定させるには、シンの生体エネルギー制御とバリヤー制御が不可欠じゃ」
シンはしばらく沈黙した。
「できるかできないかなら、できる」
その声は慎重だった。
「だが、火星規模の磁場を扱うなら、一度の失敗で軌道施設が焼ける」
「そこは当然、段階起動で」
バルカスが言うと、ヴァルキュリアが即座に言った。
「段階起動の回数と出力制限を明記してください。『当然』では監察を通しません」
「ヴァルキュリア嬢は相変わらず厳しい」
「必要です」
次に、投影上の火星静止軌道へリ・エンツイの印が浮かぶ。
右目を髪で隠した若い容姿のゾアロードは、黙ってそれを見ていた。
「問題は配置です」
バルカスは言った。
「マクロブラックホールを物理的に火星中心へ撃ち込めば、火星は地殻ごと破壊されます。よって、リ・エンツイの空間制御を使う」
リ・エンツイは静かに言った。
「空間転位」
「生成済みの帯電・回転マクロブラックホールを、火星の地殻、マントル、核を一切通過させず、中心点へ直接転位させる」
空間が切られる。
静止軌道上の実験空間にある黒点が、火星中心へ直接置かれる。
途中経路はない。
物理移動もない。
ただ、そこにある。
「理論上、地殻変動リスクはゼロです」
バルカスは言った。
リ・エンツイが、少しだけ目を細めた。
「理論上、か」
「実施には貴殿の空間縫合が必要じゃ」
「転位そのものは可能だ」
李・エンツイは言った。
「だが、一ヨタグラムの重力源を火星中心へ置いた瞬間、火星の『位置』は変わる。座標が同じでも、空間の意味が変わる」
カールレオンが続けた。
「だから私の虚数空間が要る」
バルカスは満足そうに頷く。
「その通りじゃ。転位直後の空間歪み、次元のブレ、座標の揺らぎを、カールレオンが虚数空間へ逃がす。リ・エンツイが切り裂いた空間を縫合し、カールレオンが余剰歪みを受け流す。これにより、火星の位置そのものを宇宙空間に固定する」
カールレオンは淡々と言った。
「普通の敵相手なら虚数空間に逃げればよい。だが、惑星の歪みを逃がすとなると話が違う」
「可能ですかな」
「可能だ」
カールレオンは言った。
「ただし、虚数空間側へ流す量を間違えれば、こちらの構造が崩れる」
「監察項目に入れます」
ヴァルキュリアが即座に言った。
カールレオンは小さく頷いた。
次に、プルクシュタールの領域が表示された。
火星大気。
薄い空。
そこへ熱と水分が流れ出す。
内部加熱により、氷が融け、ガスが放出される。
ブラックホール核による重力増大で、逃げかけていた大気が掴み直される。
「フリドリッヒ・フォン・プルクシュタール」
バルカスは言った。
「中心核起動後、火星の大気は急激に変化する。内部加熱によるガス放出。地下氷の融解。大気圧上昇。重力変化による循環再編。これを放置すれば、大規模嵐、電磁異常、局所熱暴走が起きる」
プルクシュタールは目を伏せた。
「私に、火星の空を整えろと」
「うむ。気象制御と雷制御で、初期大気循環を強制起動させて貰いたい。理想的には、火星規模のハドレー循環を段階的に形成する」
「火星全土か」
プルクシュタールは苦笑した。
「地球の嵐とは桁が違うな」
「難しいですかな」
「難しい」
プルクシュタールは即答した。
「だが、面白い」
バルカスの目がさらに輝いた。
アルカンフェルは静かに言った。
「面白いで済ませるな」
二人とも、少しだけ姿勢を正した。
次はガレノスだった。
火星地殻。
圧力。
内部熱。
重力増大。
全てが、火星の岩盤を再計算させる。
岩のような肌の巨漢は、これまで会議でほとんど発言しなかった。
だが、投影された火星地殻の応力図を見た時、その目が初めて動いた。
「トゥアハ・デ・ガレノスには、地殻安定化を」
バルカスが言う。
「火星の地殻は、急激な内部加熱と重力増加により悲鳴を上げます。プレート全体の圧力を、その質量特性で物理的に抑え込み、応力を逃がす。言わば、火星の骨格を押さえる役目です」
ガレノスは、しばらく黙っていた。
それから、低く言った。
「火星を握れ、ということか」
「はい」
「できる」
短い答えだった。
だが、その場の誰も疑わなかった。
最後に、ワフェルダノスの領域が表示される。
火星の大地。
赤い砂。
そこへ、緑の線が走る。
森林型生体ユニット。
臣毛。
大気と水と磁場と重力が整った後、彼の本来の姿が火星全土へ広がる。
「ワフェルダノス」
バルカスの声が、ほんの少し柔らかくなる。
「大気と磁場、重力が整い次第、本来の森林型生体ユニットへ回帰してい貰いたい。臣毛を火星大地へ走らせ、微生物、苔類、草本、樹木、菌糸、人工土壌を結びつける。火星を、一気に呼吸する地表へ変える」
ワフェルダノスは、毛深い巨体を揺らして笑った。
「赤い大地に、森を生やすか」
「はい」
「よい。長く眠っていた根が騒ぐ」
その声は、人間のものというより、森そのものの声に近かった。
会議室は静まり返る。
プロジェクト・アレス。
それは単なる火星改造ではなかった。
神将たちの能力を、それぞれ惑星規模へ拡大し、火星を一つの新しい生命圏へ変える計画だった。
バルカスは、最後の投影を出した。
赤い火星が、青と緑に変わっていく。
磁場に包まれ、大気を抱え、水を巡らせ、森を持つ惑星。
「これこそ、降臨者すら成し得なかった新たな神話の創造じゃ」
バルカスは言った。
「閣下とマサキの重力が紡ぎ出す一ヨタグラムの奇跡を、リ・エンツイの指先が火星の心臓へ送り込む。シンが磁場を起こし、プルクシュタールが空を巡らせ、ガレノスが大地を支え、ワフェルダノスが森を広げる」
彼は深く頭を下げた。
「火星は、ホーキング星として覚醒します」
沈黙。
その沈黙の中で、アルカンフェルは火星を見ていた。
美しい計画だった。
危険だった。
馬鹿げていた。
そして、クロノスだからこそ、実行可能に見えてしまう。
しばらくして、村上が口を開いた。
「総帥」
「何だ」
「この計画は、僕とあなたが同調することを前提にしています」
「そうだ」
「僕の出力が乱れれば、生成途中の疑似ブラックホールが不安定化する」
「分かっている」
「あなたが主導すれば、僕は従う形になる。ですが、僕はまだ、自分がそこまで完全に合わせられるとは思っていません」
その言葉には、恐れがあった。
だが、逃げではない。
自分の危険性を理解している者の言葉だった。
アルカンフェルは頷いた。
「だから第一段階は、火星では行わん」
バルカスが顔を上げる。
「閣下?」
「重力同調実験のみだ」
アルカンフェルは言った。
「外縁の空虚宙域で、エクサトン級にも満たない疑似特異点を生成し、連星運動の安定を確認する。質量相転移はさせない。虚数空間からのエネルギー引き出しも、閾値未満で止める」
バルカスは少し不満そうにした。
「しかし、それでは」
「バルカス」
アルカンフェルの声が静かに落ちた。
「お前は確定案と書いた。だが、これはまだ神話ではない。実験だ」
会議室の空気が引き締まる。
「火星は玩具ではない。地球生命の第二の大地となる星だ。美しいからといって、いきなり心臓を抉るな」
バルカスは、少しだけ目を伏せた。
「……御意」
ヴァルキュリアが即座に発言した。
「監察部門として、段階実験案を提出します」
「言え」
「第一段階。アルカンフェル閣下と村上神将による微小重力同調。質量相転移なし」
「よい」
「第二段階。疑似特異点連星運動の安定確認。李・エンツイ神将、カールレオン神将は空間歪みの観測のみ」
「よい」
「第三段階。電荷・スピン付与の模擬試験。シン神将参加。ただし、生成対象は消失可能な疑似核のみ」
「よい」
「第四段階。火星外縁軌道における極小ホーキング核試験。火星へは転位しない」
「よい」
「第五段階。火星衛星軌道上で、磁場・気象・地殻安定化の小規模連動実験」
「よい」
「第六段階以降は、各段階の結果を見て再審議」
「それでよい」
バルカスが、やや恨めしそうに言った。
「慎重ですな」
「惑星を改造するのだ。慎重でなければならん」
アルカンフェルは言った。
それから、火星の映像へ視線を戻す。
「だが、計画そのものは棄却しない」
バルカスの目が再び輝いた。
村上が深く息を吐く。
リ・エンツイは静かに頷き、カールレオンは虚数空間の負荷計算を始めていた。
シンは磁場誘導図を見つめ、プルクシュタールは火星の薄い大気を眺めている。
ガレノスは赤い地殻を見ている。
ワフェルダノスは、まだ存在しない火星の森を見ているようだった。
アルカンフェルは、最後に言った。
「バルカス」
「はっ」
「火星の空は、何色が良いと思う」
バルカスは、一瞬だけ息を呑んだ。
それから、老人とは思えぬほど嬉しそうに笑った。
「青でございましょう、閣下」
「そうか」
アルカンフェルは、火星の赤い球体を見た。
赤い大地。
薄い空。
死んだ磁場。
そこへ、まだ存在しない青を重ねる。
「ならば、青にしろ」
バルカスは深々と頭を下げた。
「御意」
その日、プロジェクト・アレスは正式に凍結されなかった。
だが、実行もされなかった。
神話は、まず実験計画へ落とされた。
重力同調実験、第一段階。
外縁空虚宙域にて開始。
報告書の最後に、ヴァルキュリアの追記が入る。
バルカス博士の表現には過剰な高揚が見られる。
計画自体の可能性は否定しないが、各段階において監察部門の即時停止権限を認めること。
火星は実験槽ではない。
バルカスはそれを読み、少しだけ不満そうにした。
だが、削除はしなかった。
アルカンフェルが許可したからだ。
火星の空を青くする。
そのための最初の実験が、始まろうとしていた。