/*/ アレス・ランタン建造計画 /*/
ホーキング星化を終えた火星は、もはや赤い荒野ではなかった。
地表重力は一G。
惑星内部は再び活動を始め、地熱と地磁気は十分な強度を取り戻している。
大気圧も組成も地球に近づき、海と河川が生まれ、低地には都市と農業地帯が広がっていた。
火星の太陽は、地球から見るものより小さい。
だが、それは人間が暮らせないほど暗いわけではない。
クロノスは火星移住者に低光量視力を与え、植物にも弱い日射で効率よく光合成できる調整を施していた。
生態系そのものが、火星の日射量を前提として設計されている。
そのため、クラウドゲート中央会議室へ提出された新計画に対し、アルカンフェルが最初に抱いたのは、純粋な疑問だった。
立体映像の中に、太陽を囲む巨大な銀色の環が浮かんでいる。
火星日照補完施設。
計画名――《アレス・ランタン》。
「火星の補光か」
アルカンフェルは、計画書を見ながら言った。
「地球の四十三パーセントの光でも光合成のできる植物や、対応できる低光量視力等の調整をしたが、必要か?」
計画主任は一瞬だけ言葉に詰まった。
必要かと問われれば、絶対に必要なものではない。
アレス・ランタンがなくても、火星人は生活できる。
作物も育つ。
都市も存続できる。
惑星改造は、すでに成功していた。
だが、主任の隣に座っていた防衛局代表が答えた。
「非常時に要塞砲として使えますので、あればあっただけの効果はあると思います」
会議室が静かになった。
村上征樹が、ゆっくりと防衛局代表を見る。
「日照補完施設の説明ですよね?」
「はい」
「今、要塞砲と言いましたか」
「非常時の副次機能です」
「副次機能の規模ではないでしょう」
立体映像の表示が切り替わった。
巨大な環を構成する三十六枚の集光花弁が角度を変え、火星へ向けていた光を宇宙空間の一点へ集める。
照射予想地点に、赤い警告表示が浮かんだ。
> 惑星間脅威迎撃モード
> 総帥権限による安全制限解除を要求
アルカンフェルは、少しだけ身を乗り出した。
「詳しく説明しろ」
村上は目を閉じた。
必要性を疑っていた総帥の関心が、明らかに別の方向から高まっていた。
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「アレス・ランタンの通常目的は、火星昼面への補助日射です」
計画主任が説明を再開する。
「自然日射だけでも調整植物の生育は可能ですが、光量が増えれば農業生産量、森林成長速度、海洋植物プランクトンの活動量を引き上げられます」
「現在の生産量では不足するのか」
「不足はしておりません」
「ならば余剰か」
「将来余力です」
主任は言い直した。
「人口増加、外宇宙船団への食料供給、軌道居住区の拡大を考えれば、農業生産力は高いほど有利です」
「調整植物をさらに改良すればよい」
「可能です。しかし、生態系の全構成種を際限なく低光量特化させると、地球系生物との互換性が失われます」
立体映像の中に、二種類の森林が表示された。
一方は、火星向けに調整された黒緑色の植物群。
もう一方は、地球由来の一般植物を中心とした森林だった。
「現在の火星植生は、弱い光を効率よく吸収するため、葉の色素、葉面積、代謝速度を調整しています」
「だが、アレス・ランタンがあれば、地球由来の未調整植物も広範囲に導入できます」
「火星独自の生態系と地球生態系を併存させられるため、生物多様性と遺伝資源の保存に有利です」
アルカンフェルは表示を見た。
「つまり、火星を火星環境へ適応させるだけでなく、地球環境に近づける余地を残すということか」
「はい」
「必要ではないが、選択肢が増える」
「その通りです」
ヴァルキュリアが計画書へ補足を加える。
「また、低光量視力を持たない人間の滞在も容易になります」
「火星移住者は調整すればよい」
「短期滞在者、旅行者、外交使節、旧世代の非調整市民、原種保存区の人間には、調整を義務づけない方が運用上は容易です」
「照明を増やす方が、全員の目を作り直すより安いというのか」
「長期的には、その可能性があります」
村上が口を挟む。
「それに、人間の目が見えるかどうかだけではありません」
「何だ」
「昼が暗いことを、心理的に嫌う人もいます」
「生活できるなら問題ないだろう」
「総帥にとっては、そうでしょうけど」
村上は慎重に言葉を選んだ。
「地球から移住した人間にとって、毎日の昼が薄暗いことは、思った以上に負担になります」
「照明都市に住めばよい」
「都市の外へ出るたびに薄暗いんです」
「慣れろ」
「それで済ませると、火星移住希望者が減ります」
アルカンフェルは黙った。
人口政策へ影響すると言われると、個人の感傷だけでは済まなくなる。
「地球に似た空」
「地球に近い昼の明るさ」
「未調整の植物も育つ土地」
「それらは、火星へ人を呼び込むための商品価値になります」
村上が続ける。
「火星は住める惑星から、住みたい惑星へ変わる」
「住みたいという感情のために、外径一万八千キロメートルの建造物を作るのか」
「それだけが理由ではありません」
防衛局代表が言った。
「要塞砲になります」
「君は少し黙っていてください」
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アルカンフェルは、アレス・ランタンの通常運用図を見つめた。
三十六枚の集光花弁が、火星の周囲を通過する太陽光を拾い上げる。
それを自然光とほぼ同じ方向から昼側へ送り込む。
夜側へ光を回すことはない。
火星が自転すれば、追加光も太陽と共に沈む。
夜は暗いままだ。
「夜側を照らさないのはよい」
アルカンフェルが言った。
「生物の活動周期を乱す必要はない」
「同意します」
「出力は常時最大か」
「いいえ。火星環境は、自然日射だけでも存続できます」
主任は照射曲線を表示した。
「通常時は地球相当の日射まで補うのではなく、地域と季節に応じて出力を調整します」
「赤道域では二十から三十パーセントの追加」
「冬半球と高緯度農業地帯では四十から六十パーセント」
「原種保存区や観光都市では、地球相当の日射を維持します」
「惑星全体を均等に照らさないのか」
「均等にする必要がありません」
「火星環境へ適応済みの地域は、そのままでも機能します」
「不足する場所へ、不足する時間だけ光を配ります」
アルカンフェルは頷いた。
「余剰能力を常に残せるな」
「はい」
防衛局代表が素早く反応する。
「その余剰能力を、敵性目標への照射に――」
「まだ話の途中です」
主任が遮った。
防衛局代表は、不満そうに黙った。
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次に、故障時の運用が説明された。
「アレス・ランタンは、火星存続に不可欠な設備とはしません」
主任の言葉に、アルカンフェルがわずかに目を細める。
「不可欠にしない?」
「はい」
「ランタンが停止しても、火星の生態系と住民は自然日射だけで生存できます」
「低光量植物も、低光量視力調整も維持します」
「補光を前提に、それらを廃止することはありません」
「なぜだ」
「単一障害点になるからです」
ヴァルキュリアが補足した。
「アレス・ランタンが火星環境の存続条件となれば、施設の故障や破壊が、そのまま惑星規模の危機につながります」
「自然日射だけでも生存できる状態を維持し、ランタンは生活水準と生産力を向上させる付加設備とします」
「つまり、なくても生きられる」
「はい」
「あれば豊かになる」
「はい」
「敵に奪われても、火星を人質に取られない」
「その点も重要です」
アルカンフェルの表情がわずかに変わった。
それまでの疑問が解けたらしい。
「ならば理にかなっている」
村上が尋ねる。
「建造を承認されますか」
「まだだ」
アルカンフェルは防衛局代表を見る。
「要塞砲としての性能を聞いていない」
村上の肩が落ちた。
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防衛局代表は待っていたとばかりに表示を切り替えた。
「通常時、集光花弁は火星昼面へ広く光を分散します」
「兵器運用時には、安全制限を解除し、複数の花弁群を単一目標へ指向させます」
「最大出力では、数十ペタワット級の太陽光を収束可能です」
「照射時間は」
「目標距離と追尾精度によります」
「木星圏から接近する大型宇宙怪獣に対しては、惑星間迎撃網と連携し、長時間の連続加熱を行います」
「表皮を焼く程度か」
「小型個体なら蒸散させられます」
「大型個体でも、外殻、感覚器官、推進器官、放射器官への損傷が期待できます」
「単独撃破できるとは言わぬのだな」
「敵の規模が不明である以上、保証はできません」
アルカンフェルは満足そうに頷いた。
「正直でよい」
「ただし、アレス・ランタン単独で撃破できなくとも、敵を減速させ、進路を変え、外殻を脆弱化させることができます」
「その後、軌道艦隊、殖装獣化兵軍団、惑星防衛砲が攻撃します」
「照明施設が第一射を担うのか」
「火星へ光を与える位置は、同時に太陽系外縁方向へ広い射界を持つ位置でもあります」
「日照補完と防衛の配置条件が一致しました」
村上が資料を覗き込む。
「本当に偶然ですか?」
「設計開始時点では、日照補完が主目的でした」
「開始時点では?」
「防衛局が参加した後、灯台核十二基に軍用管制設備が追加されました」
「兵装も?」
「副次的です」
「副次的という言葉を便利に使わないでください」
ヴァルキュリアが淡々と記録した。
> アレス・ランタン計画における用途比率
>
> 民生用途:日照、気候、農業、生態系維持
> 防衛用途:外宇宙脅威への指向性照射
>
> 公式上の主用途は民生。
> 設計上の優先順位については非公開。
アプトムが資料を横から見た。
「要するに、普段は照明で、怪獣が来たら焼くんだろ」
「簡潔に表現すれば」
「最初からそう言えよ」
「広報上の問題があります」
「クロノスらしい施設だな」
アプトムは笑った。
「街灯だと思って近づいたら、要塞砲だったってやつだ」
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アルカンフェルは、再び全体計画へ視線を戻した。
「工期三十年」
「はい」
「ピーク時の直接労働者、四百万人」
「標準計画では、その程度を見込んでいます」
「建造後の常駐要員は」
「約六十万人です」
「長いな」
「人類史上最大規模の集光施設です」
「三十年もあれば、敵が再来する可能性がある」
「部分稼働は十八年目から可能です」
「遅い」
主任の顔がわずかに引きつった。
「急速建造案では、十二年目に部分点灯、二十年目に実用完成が可能です」
「必要人員は」
「ピーク時六百万から八百万人」
「資源は」
「標準計画の一・四倍」
「事故率は」
「推定で二・二倍です」
アルカンフェルは少し考えた。
「標準案を基礎としろ」
会議室に、わずかな安堵が広がった。
「ただし、灯台核と防衛用集光群を先行させる」
「日照補完より、要塞砲機能を先に完成させるのですか」
村上が確認する。
「火星は今の光でも生存できる」
アルカンフェルは当然のように答えた。
「宇宙怪獣の襲来は待ってくれぬ」
「先行六花弁を、十二年以内に完成させろ」
「平時には農業試験区を照らす」
「敵が来れば焼く」
計画主任は、表示されている工程表を書き換えた。
> 第一段階
> 灯台核三基・集光花弁六枚
> 工期十二年
> 火星北半球農業地帯への部分補光
> 惑星間迎撃能力の限定取得
>
> 第二段階
> 灯台核十二基・集光花弁二十四枚
> 工期二十二年
> 火星主要居住圏への実用補光
> 外宇宙脅威への広域照射能力取得
>
> 第三段階
> 全三十六花弁
> 工期三十年
> 日照補完・気候調整・惑星防衛機能完成
ヴァルキュリアが尋ねる。
「建造承認と理解してよろしいでしょうか」
「許可する」
「建造理由は、火星の生活環境改善と惑星防衛能力の強化でよろしいですか」
「そうだ」
「比率は」
「比率?」
「民生と防衛、どちらを主要目的として公式発表するかです」
アルカンフェルは少し考えた。
「火星の昼を明るくするため、と発表すればよい」
村上が意外そうに彼を見る。
「要塞砲のことは隠すんですか」
「隠す必要はない」
「では」
「火星の昼を照らし、火星へ近づく敵を焼く」
アルカンフェルは簡潔に言った。
「同じ光だ」
ヴァルキュリアの指が一瞬止まった。
それから、公式発表用の文章を作り始める。
> 火星日照補完施設《アレス・ランタン》建造計画を承認。
> 本施設は、火星の農業、生態系、居住環境を支える追加日照を供給する。
> また、太陽系外部から接近する脅威に対する惑星防衛機能を備える。
アプトムが原文欄を覗く。
> 総帥発言原文:
> 「火星の昼を照らし、火星へ近づく敵を焼く。同じ光だ」
「今回は、そのままでもよくないか?」
アプトムが言った。
「象徴性はあります」
ヴァルキュリアも否定しなかった。
「ただし『焼く』は『排除する』へ変更します」
「また丸めるのか」
「公式文書ですので」
アルカンフェルは興味を失ったように席を立った。
「三十年後に完成させろ」
「はい」
「そして次は、同じものを二十年で造れるようにしろ」
計画主任は返事をするまで、ほんの一秒だけ遅れた。
「承知しました」
こうして、火星にとって絶対に必要ではない巨大建造物の建造が決まった。
なくても生きられる。
あれば、より多くを育てられる。
地球と同じ植物を持ち込める。
人を呼び込める。
文明の余力を増やせる。
そして宇宙怪獣が再び現れた時には、その光を敵へ向けられる。
クロノスにとって、生活を豊かにする設備と、世界を守る兵器は矛盾しない。
人を育てる光も。
怪物を焼く光も。
使う目的が違うだけで、同じ太陽の光だった。