底無   作:みそそ

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第2話

私は、クラス中の冷ややかな視線を背中に浴びながら、「奴の席」とやらに近づいていく。

 

机の天板を見て、思わず息を呑んだ。

 

油性マーカーで、大胆に、そして執念深く描き込まれた幾何学模様。

机の端から端までを埋め尽くすその模様は、どこか精巧でありながら、同時に小学生が衝動的に暴れ書きしたかのような幼稚さも孕んでいる。見つめていると頭が痛くなりそうな、カオスな落書きだった。

 

「この落書き、その席に座ってた神楽坂 命(カグラザカ ミコト)がしたものなの」

 

呆然と立ち尽くす私に、隣の席の女子生徒が、先生に聞こえないような小声でそっと教えてくれた。

 

「あ、そうなんだ……」

 

私は引きつった笑みを浮かべ、少し動揺した素振りを隠せないまま、呪われたような椅子に腰を下ろした。

 

「よしっ!……お前ら、昨日のテストよく頑張ったな! まあ、転校生歓迎会という意味も含めて、予定通り今日はこの時間を使って、校庭でドッジボールをしよう!」

 

パン、と担任が勢いよく両手を打ち鳴らす。努めて明るい声を張り上げ、教室に立ち込める重苦しい空気を無理やり振り払おうとしているのが、新参者の私にも分かった。

 

張り詰めた糸が切れたように、クラスに安堵のざわめきが広がりかけた――その瞬間。

 

鼓膜を突き刺すような怒号が教室に響き渡った。

 

「んなことはさせねぇよ!」

 

静まり返った廊下の奥から、奇妙な歌声が響いてきた。

 

音程の狂ったその声は、一歩、また一歩と、こちらの教室に近づくにつれて確実に大きくなっていく。

 

『愛に満ち溢れた...逝くな友よ...交わりし円環...汝浮世に戻れ……』

 

「こ、この難解な歌詞は……」

「嘘だろ、このタイミングで来るのか……?」

 

さっきなごみかけた空気は一瞬で吹き飛び、クラスメイトたちの顔からサッと血の気が引いていく。

教室を支配した張り詰めた静寂が、まるで何時間もあるかのように長く感じられた。

 

「境、神楽坂が来た……!」

 

隣の席の生徒が、怯えたようにガタガタと肩を震わせながら私に囁く。

 

(えっ、神楽坂って……この席の主!? いま、すぐこの席から撤退した方がいいの!?)

 

脳内で警報が鳴り響き、一瞬迷う。しかし、私は息を殺し、座ったまま様子を見守ることにした。

 

誰もが前のドアを凝視する中――次の瞬間、予想外の場所から音がした。

 

――ガタガタガタッ!!!

 

ドアではなく、廊下側の窓が乱暴に跳ね上がる。

なんと神楽坂は、窓枠に足をかけ、強引に教室に乗り込んだ。

 

窓を乗り越え、床に着地した彼は、機械のような真顔でクラスを見渡した。

 

「よう! お前ら、元気してたか?」

 

窓から侵入した神楽坂は、自らの席――すなわち、私が座る場所へと歩を進め始めた。

 

その歩行は、あまりにも奇怪だった。生徒の机の横に掛けられた通学鞄や荷物、そのわずか数センチの隙間を、肉眼では捉えきれない精密さで、寸分違わず躱(かわ)していく。

 

他者に一切触れぬよう配慮されたその軌道は、まるで何らかの不可解な儀式のステップを踏んでいるかのようであり、見る者に底知れぬ不気味さを抱かせた。

 

教室のそこここから、耐えかねたようなクラスメイトたちの悲痛な囁きが漏れ出す。

 

「……また、俺たちは変人扱いされてしまうよ」

「せっかく、普通のクラスに戻ってきていたのに……」

「また隣のクラスの友達に、可哀想って憐れまれることになるんだ」

 

それは、かつてこの教室を支配していた「悪夢」が再来したことを確信する、絶望の混じった呪詛のようだった。

 

(――あの人が、神楽坂君か)

 

私は胸の鼓動を抑えながら、心の中で低くつぶやいた。

 

――ピタリ。

 

奇怪なステップが止まる。神楽坂の鋭い眼光が、私を真っ向から射抜いた。

 

「誰だテメェこの野郎!!」

 

鼓膜を震わせる突風のような怒号とともに、神楽坂の骨張った人差し指が、私の鼻先へと突きつけられる。凄まじい威圧感が、前方の空間から押し寄せてきた。

 

突き出された彼の腕。鈍く、禍々しい金属の光沢が目に入る。それは、およそこの現代の学園には似つかわしくない、遥か異国の古代遺跡から掘り出されたかのような、異質なデザインの『腕輪』だった。

 

なぜだか分からない。ただの奇妙なアクセサリーのはずなのに、それを見た瞬間、私の本能が「あれに触れてはならない」と激しい警鐘を鳴らしたのだ。

 

「え、あ、う、あの……」

 

完全に気圧されていた。頭で考えるよりも早く、生存本能のようなものが私の身体を突き動かす。

 

私はただ必死に、引きつった声を漏らしながら、本能のままにあわてふためくことしかできなかった。

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