(どうして、こうなったんだ……っ!?)
円卓を囲むように配置された、重厚な石造りの会議室。
空気はひんやりと冷たく、しかし充満する凄まじい熱気と殺気にも似た闘志で、息をするのも苦しいくらいだ。
オラリオの最奥、ギルド本部の一角に設けられた特大会議場。
そこに集まっている顔ぶれを見て、私は今すぐ回れ右をして全力で逃亡したい衝動を、テーブルの下で震える手を握りしめることで必死に堪えていた。
私の右隣には、巨大な雷の剣を背負った筋肉ダルマの
左隣には、紫色の豪奢なローブを纏い、パチンッと扇子を鳴らす
ここまではいつものパーティーであり、見慣れた光景だ。
だが、その先が問題すぎる。
正面の巨大な席にどっかりと腰を下ろしているのは、
隻眼の奥に宿る眼光は、ただ見据えられるだけで肌がチリチリと焼けるような圧を放っている。
そしてその横で、まるで玉座にでも座るかのように足を組み、冷酷な美貌を隠そうともしない女帝、
さらに周囲には、オラリオの頂点に君臨する第一級冒険者たちがズラリと顔を揃えている。
その中には、神々すらも畏怖する『才能の権化』、アルフィアの姿もあった。
(ちょっと待ってよ! なんで私、こんな世界を救う首脳会議のど真ん中に座らされてるの!? 私はただ、安全な後方から魔法を撃って、美味しいスイーツを食べてふかふかベッドで寝るだけの優雅な生活を満喫したかっただけなのに!)
これはそもそも私がレベル6に到達してしまったのがいけなかった。
いや、違う。
あの日、彼らに連れられて無理やり挑まされた
あの時、私は完全に調子に乗っていた。
ゼウスとヘラの連中が雑魚を散らし、ウダイオスとのタイマンで『
結果、限界突破した魔力による新魔法で、巨大な骸骨を跡形もなく吹き飛ばしてしまったのだ。
あの瞬間の、マキシムやレグナントたちの「こいつ、ヤバいぞ」という目。
そしてもう一つ。
以前、双頭の水竜
(あの時の私を殴りたい! なんで出し惜しみしなかったのよ! そのせいで「水上戦ならフリーナの右に出る者はいない」みたいな謎の信頼を獲得しちゃってるじゃない!)
「さて、集まってもらったな、オラリオの最高峰たる猛者どもよ」
マキシムが、太い腕をテーブルにドンッと叩きつけ、低く地鳴りのような声を響かせた。
その一言で、広大な会議室の空気がピーンと張り詰める。
「我々ゼウスとヘラが掲げる悲願。世界を脅かす『
バルスが隣でゴクリと唾を飲み込む音が聞こえた。
マキシムの隻眼が、ぐるりと円卓を見渡す。
「狙うは『
(リヴァイアサン……! 出たよ、ラスボス2号! っていうか海!? ダンジョンの外の話!? ますます行きたくないんですけど!)
「威勢がいいのは結構だけれど、状況は最悪よ」
レグナントが、血のように赤い唇を歪めて冷ややかに言い放った。
その声は静かだが、会議室の隅々にまで刃のように突き刺さる。
「戦場は海。あの馬鹿でかい水トカゲを相手にするにあたって、我々には決定的に欠けているものがあるわ。……足場よ」
レグナントの言葉に、周囲の冒険者たちが苦々しい顔で沈黙する。
どんなに強力な剣士でも、どんなに絶大な魔法を誇る魔導士でも、海の上では本来の力を発揮できない。沈んでしまえばただの餌だ。
「そこで、ゴブニュ、そしてヘファイストス。頼んでいた『器』と『氷』の準備はどうなっているのかしら」
レグナントの鋭い視線が、円卓の端に座る二柱の神に向けられた。
武具と造船の神ゴブニュが、腕組みをしたまま深く頷く。
「船の準備は整っておる。主力となる大型船を三隻。……そして、足場として海面に展開する小型船を、百二十隻だ」
「百二十……ッ!」
バルスが驚きの声を漏らし、セリアが扇子を口元に当てて息を呑む。
(えっ!? 百二十隻!? しかもそれって……)
「小型船は全て、沈められる前提の『使い捨ての足場』よ。リヴァイアサンが暴れれば、船なんて木の葉のように砕け散るわ。だからこそ、次から次へと足場を供給し続けなければならない」
レグナントが残酷な事実を淡々と語る。
(使い捨て!? 百二十隻の船をポンポン沈めるようなバケモノと戦うって本気!? 絶対死ぬ! そんな水の上に立たされるとか罰ゲームにも程があるでしょ!)
「氷の魔剣も、ウチの鍛冶師達を総動員して打たせているわ」
赤い髪に眼帯をつけた女神、ヘファイストスが口を開いた。
「海水を直接凍らせて、臨時で巨大な氷の足場を作る作戦ね。クロッゾの魔剣のような規格外の威力はないけれど、数を揃えれば十分な面積を凍結できる。ただし、リヴァイアサンが暴れれば氷の足場もすぐに砕かれる。魔剣の数にも限度があるわ」
「構わん」
マキシムが豪快に笑い飛ばした。
「船と氷を交互に使い、海の上に無理やりにでも俺たちの戦場をこじ開ける! それだけあれば、俺とレグナント、ここにいるメンツの前衛陣で確実にあの覇王の首に届く!」
(脳筋! まごうことなき脳筋の極み! 足場が壊れるなら新しいのを置けばいいじゃない的な発想、正気の沙汰じゃないわ!)
私は心の中で全力のツッコミを入れながら、視線を泳がせた。
だが、その時だった。
「……そして、だ」
マキシムの隻眼が、ゆっくりと私の方へ向けられた。
「今回の作戦において、戦況を左右する重要な『要』がもう一つある」
(……嫌な予感しかしない)
私の背筋を、氷のような冷たい汗がツーッと流れ落ちる。
レグナントも、そしてアルフィアも、円卓に座る全員の視線が、一斉に私へと集中した。
「フリーナ」
名前を呼ばれ、私の肩がビクッと跳ねた。
だが、500年間鍛え上げた「神の外面」が、条件反射で私の姿勢を正させる。
私はゆっくりと足を組み替え、ふっと不敵な笑みを浮かべた。
「なんだい? マキシム」
「お前の力が必要だ」
マキシムは真っ直ぐに私を見据え、その重い声で宣言した。
「お前のその、水面を平地のように駆け抜けるスキル。船が砕け、氷が割れ、足場が完全に失われた極限状態の海上で、十全に戦えるのはお前だけだ」
「……」
「それに加えて、ウダイオスの時のあれだ。階層主を消し飛ばす火力、挙げ句の果てに水魔法を無尽蔵にぶっ放すお前の砲台としての制圧力。リヴァイアサンを削り切るには、お前の力が必要になる」
(足場がなくても戦えるって、つまり『みんなが溺れてる間も一人で戦え』ってことでしょ!? 嫌だ! 私はホテルのスイートルームで優雅に紅茶を飲んでいたいのに!)
心の中で号泣しながらも、私は口角をさらに吊り上げた。
「……なるほど。君たちの悲願にはどうしても僕が必要というわけだ」
震えそうになる声を必死に抑え込み、優雅に髪をかき上げる。
「フリーナ」
不意に、静かで透き通った声が会議室に響いた。
声の主は、アルフィア。
彼女は銀色の髪を揺らし、その色素の薄い瞳で私を静かに見つめていた。
彼女とは、以前から何度か顔を合わせている。不仲ではない。むしろ、彼女は私の理不尽なまでの魔法の才能を、ある種の同族嫌悪と共感を持った目で見ている節があった。
「お前の魔法は異常だ。精神力の消費の概念が欠落しているとしか思えない連射速度。そして、水上という環境における絶対的な適性……あの海という戦場は、お前のために用意された戦場と言っても過言ではない」
「……アルフィア」
「お前が加わることで、前衛の負担は劇的に減る。船や氷の足場を再配置する間の時間を、水上で唯一動けるお前が稼いでくれれば、この作戦の成功率は飛躍的に跳ね上がる」
(アルフィアさん!? 何その完璧な援護射撃! 私の逃げ道を塞いでくるのやめて! あなた『静寂』なんでしょ!? もう少し静かにしててよ!)
アルフィアの言葉に、円卓の全員が深く頷く。
隣のバルスが、興奮したように私の背中をバンッと叩いた。
「聞いたかフリーナ! お前、大抜擢じゃねぇか! 俺たち3人で、あのリヴァイアサンをぶっ飛ばしてやろうぜ!」
「ええ。貴方の無駄に高い機動力が、ついに本当に役に立つ時が来たわね。……まあ、後ろは私とアルフィア様が援護してあげるから、存分に水の上で踊ってきなさい」
セリアも扇子をパチンと閉じ、妖艶な笑みを浮かべて私の肩に手を置いた。
(この筋肉ダルマと戦闘狂魔法使い! 人の気も知らないで! 私がどれだけ行きたくないか、一ミリも理解してないでしょ!)
だが、もはや断れる空気ではない。
オラリオの最強派閥のトップたちが、私を主力として組み込んだ作戦を既に前提として進めているのだ。
ここで「怖いから嫌だ」などと言えばどうなることやら。
それこそリヴァイアサンの目の前にポツンと一人にされてしまいそうだ。
「わかった。引き受けよう」
私は円卓から立ち上がり、バサァッと豪奢な外套を翻した。
「ただし、報酬はしっかり貰うぞ!」
ビシッとマキシムに向けて指を突きつけ、大見得を切る。
「がはははっ! 任せろ! 勝ったらいくらでも持ってけ」
マキシムが満足そうに顎を撫で、レグナントも微かに口角を上げた。
「……なら、その言葉通り、死ぬ気で足場を繋いでもらうわよ」
アルフィアが静かに目を伏せ、会議の決定が完全に下された。
(言っちゃったあああぁぁぁっ! 私のバカバカバカ! 死ぬ気って何!? 私は死にたくないから限界までステータス盛ってたのに!)
「よし、これで方針は固まった!」
マキシムが再びテーブルを叩き、立ち上がる。
「これより、ゼウス・ヘラ両ファミリアは『リヴァイアサン討伐』に向けた最終準備期間に入る! ゴブニュ、ヘファイストス、物資の調達を急がせろ! お前ら前衛陣は、極限の海上戦闘を想定した特訓だ!」
「「「応ッ!!」」」
会議室を揺るがすような、第一級冒険者たちの一斉の咆哮。
バルスも立ち上がり、大剣の柄を握りしめて雄叫びを上げている。
「さあ、決戦の準備だ! オラリオの悲願を、俺たちの手で成し遂げるぞ!」
熱気に包まれる会議室の中で、私だけが一人、魂が抜けかけたような顔で立ち尽くしていた。
船120隻を沈める海上の死闘。
足場のない海面での、巨大怪獣との終わりの見えない時間稼ぎ。
(……ああ。私の、楽して遊んで優雅にスイーツを食べる第二の人生が……またしても遠ざかっていく……)
絶望的な現実逃避を頭の片隅で繰り広げながらも、私の口元は、引きつるような高慢な笑みを貼り付けたまま固まっていた。
かくして、オラリオの歴史に刻まれる『リヴァイアサン討伐戦』に向けた、狂気の準備期間が幕を開けたのだった。
(誰か、嘘だと言ってええぇぇぇっ!)