夕暮れの
茜色に染まる石畳の大通りを歩きながら、私は何度目かわからない深いため息を吐き出した。
屋台から漂ってくる香ばしい肉の焼ける匂いも、道端のカフェから漂う甘いクレープの香りも、今の私には何の慰めにもならない。
すれ違う冒険者たちの笑い声や、荷馬車の車輪が石畳を叩く音が、やけに遠く聞こえる。
つい先程まで、ギルド本部の特大会議室で味わわされた、あの肌が直接焼かれるような殺気と重圧。
そして神すら畏怖する『才能の権化』アルフィア。
彼らの放つ規格外のプレッシャーに当てられ、私の脳髄は未だにガンガンと警鐘を鳴らし続けている。
(
(ああ、神様! ともかく誰でもいいから助けて! 私は安全な後方から魔法をチクチク撃って、稼いだお金でふかふかのベッドと極上スイーツを堪能するだけの優雅な生活を満喫したかっただけなのに!)
心の中で血の涙を流しながら、私は足取り重く、現在のファミリア本拠地である宿屋へと辿り着いた。
重い木扉に手をかけ、ゆっくりと押し開ける。
カラン、とドアベルが乾いた音を鳴らした。
いつもなら、酒を飲む団員たちの喧噪が少しは響くはずの酒場スペース。
だが、今日の空気は異様に静かで、張り詰めた糸のような重苦しさが漂っていた。
「……帰ったか、フリーナ」
薄暗いランプの火に照らされた円卓。
そこに座っていたのは、金髪碧眼の
そして、翡翠色の長い髪を揺らすハイエルフのリヴェリアだった。
「おや、奇遇だね。こんな薄暗いところで揃いも揃って何をしているんだい? 陰気くさい顔をして」
私はスッと背筋を伸ばし、500年かけて染み付いた『高慢で可憐な神の外面』を顔に貼り付けて円卓へと歩み寄った。
だが、彼らからいつものような挨拶は返ってこない。
フィンの表情は険しく、その碧眼には冷たい炎のような悔しさが渦巻いていた。
ガレスに至っては、太い腕を組んだままギリリと歯を鳴らし、リヴェリアは私を氷のように冷ややかな視線で射抜いている。
「……ギルドでの会議、終わったんだね。ゼウスヘラが主導する、
フィンが、絞り出すような声で言った。
「ああ、決まったよ。狙うは『
私が淡々と事実を告げると、ガレスが目の前の木製ジョッキをドンッ! と乱暴に掴んだ。
彼の馬鹿力に耐えきれず、分厚いジョッキにひびが入る。麦酒の泡が木製のテーブルにこぼれ落ちた。
「ゼウスとヘラの連中め……! 他の派閥からは一部のしか連れて行かず、あとは自分たちだけであの化け物に挑む気か。儂等を、完全に足手まとい扱いしおって……!」
ギリリ、とさらにガレスの拳が鳴る。地の底から響くような低い唸り声だった。
(いやいや、足手まとい扱いっていうか、実際足手まといでしょ! あの人たちレベル7とか8とかのバケモノの集まりなのよ!? 君たちが行ったって、開始一秒で海の藻屑になるのがオチだから!)
内心で全力のツッコミを入れつつ、私はフッと鼻で笑い彼らを見下ろした。
「足手まとい扱いと言うが、実際に足手纏いじゃないか」
「……貴様」
リヴェリアがテーブルを叩いて立ち上がった。
翡翠の瞳が激しい怒りに燃え、彼女の周囲の空気が急速に冷たくなっていく。
微かな魔力の波動が、私の肌をチリチリと撫でた。
(ひぃぃぃっ! キレてる! 杖握らないで! ここで魔法撃たれたら宿屋ごと吹き飛ぶから!)
冷や汗が背中を伝い落ちるのを感じながらも、私は外面のスイッチをさらに一段階引き上げた。
華麗にターンを決め、彼らに背を向けるようにして冷酷な言葉を紡ぐ。
「前回から何年経った?」
私の声に、三人の動きがピタリと止まる。
「『
数年前、ゼウスとヘラが
あの時の彼らは、偉業を成し遂げた最強派閥の先輩たちを純粋に称賛し、自分たちもいつかはあの頂へ、と希望に満ちた目をしていたはずだ。
だがあの時、私の隣にいた二人だけは次は参加すると闘志を燃やしていた。
「今回は僕が参加するからそんな顔してるのかい? あわよくば、自分達もとでも思ったのかい?」
私は肩越しに彼らを振り返り、挑発的に唇を歪めた。
「どっちでもいいが、足踏みしている時間が長すぎたんだよ、君たちは」
「……っ!」
フィンの顔が、苦痛と屈辱に歪んだ。
彼はテーブルの上に置いた自身の両手を、白くなるほど強く握りしめている。
指先から血が滲みそうなほどの力だった。
『いつか』と願った目の前の彼らと『次は』と願ったあの二人。
決定的な差となってここで現れただけなのだから。
「今の君たちはそんな顔する資格もないだろ。もっと焦れよ、3人とも」
静寂。
宿屋の酒場スペースに、重苦しい沈黙が落ちた。
ガレスは太い腕を震わせ、リヴェリアは下唇を強く噛み締めている。
フィンの金色の前髪が、その悔しげな瞳を深く隠していた。
(うっわぁぁぁ、言い過ぎた! 完全に言い過ぎた! これ絶対嫌われるやつ! でも、君たちが変な焦りを見せてリヴァイアサン戦に首を突っ込もうとしたら、私が君たちを庇う羽目になって死ぬ確率が跳ね上がるんだから! 君たちは大人しく地上で強くなってて!)
私は心の中の俗物的な叫びと彼らへの理不尽な恐怖を完璧に隠蔽し、外套を翻した。
「僕を呼びつけたゼウスやヘラの連中にも見せてやるさ。衆水の主たるこの僕の、圧倒的な武勇をね。君たちはせいぜい、この薄暗い酒場で僕の伝説が届くのを指をくわえて待っていることだね」
「……フリーナ、お前という奴はッ!」
ガレスが怒号を上げようとしたが、私はそれを無視してヒラヒラと手を振りながら階段へと向かった。
背中に突き刺さるような三人の冷たい視線と、明確な敵意。
このファミリアの中で、私は完全に浮いている。
孤立している。
だが、そんなことはどうでもよかった。
馴れ合って死ぬくらいなら、嫌われてでも生き残って美味しいケーキを食べる方が一万倍マシだ。
宿屋の最上階。
ロキの自室のベッドにうつ伏せになりながら、私は背中に冷たい神血を垂らされていた。
ツピッ……。
指先が背骨に沿って滑るたびに、
「……お前なぁ、もうちょっとなんとかならんのか」
ロキの声には、普段のエセ関西弁の軽薄さはなく、明確な苛立ちと深い疲労感が混じっていた。
下の酒場でのやり取りは、当然のように神である彼女の耳にも届いていたのだろう。
私は顔をクッションに埋めたまま、フンと鼻を鳴らした。
ロキの前では、完璧な神の外面を取り繕う必要はない。
気を許せる相手には、私の治安の悪い素の部分がどうしても顔を出してしまう。
「私が嫌われるくらいで彼らの命が消えないなら安いもんだろう?」
「……お前」
ロキの指先が、ピタリと止まった。
「でも、言葉通りなんだ。彼らは事実、足手まといだ」
私はクッションから顔を上げ、ベッドのシーツをギュッと握りしめた。
「これが
脳裏に浮かぶのは、足場が砕け散り、巨大な水流がすべてを飲み込む地獄のような海戦の光景。
「慣れない場所に、レベル不足、おまけにゼウスとヘラの指揮下という完全なアウェーだ。そんな状況で、彼らの実力が十全に発揮されるとは思えない」
「そりゃそうやろうけど、言い方ってもんが……」
ロキが呆れたような、それでいてどこかホッとしたような声を出した。
こいつらも一応仲間だと思っているのか、とでも言いたげな顔だ。
(仲間? 違うわよ! 私が彼らを庇って死にたくないだけ! 自分が生き残る確率を1ミリでも下げる要素は、全部オラリオに置いていきたいの!)
内心の盛大なエゴイズムを隠しつつ、私は冷たく言い放った。
「優しく言ってやるのが正しいとは限らないだろ。現実を叩きつけた方が良い場合もある」
「……ホンマに、お前は。どこまで本気で言うとんのか、ウチでも分からんようになるわ」
バサッ、とロキが羊皮紙を私の目の前に落とした。
私は身を起こし、はだけたシャツを直しながらそれに目を落とす。
フリーナ・ドゥ・フォンテーヌ Lv.6
【力 :C 612】
【耐久:D 580】
【器用:C 605】
【敏捷:S 980】
【魔力:SSS 1107】
発展アビリティ:『魔導:E』『精癒:F』『耐異常:E』『魔防:C』『治療:I』
魔法
『アビサル・ヴァラージ』
『マカブル・ファサード』
『メル・プリモルディアル』
スキル
『
『
『
『
『
(……うおおぉぉっ! 魔力が限界突破して1107!? しかも敏捷もSに乗ってる! これなら、海の上でもなんとか逃げ回れるんじゃないの!?)
私が内心で狂喜乱舞していると、ロキが腕を組んでジッと私を見下ろしてきた。
「……ステイタスは申し分ない。スキルも海での戦いに完全に特化しとる。やけどな、フリーナ」
ロキの朱色の瞳が、細い糸目の奥から鋭く私を射抜いた。
「相手は、神の降臨前から世界を荒らしまわっとる古代のバケモノや。ステイタスがなんぼ高くても、一瞬の油断で命が飛ぶ。……死ぬなよ」
その言葉には、主神としての純粋な祈りが込められていた。
ファミリア内でどれだけ嫌われようと、孤立しようと、ロキだけは私の身を本気で案じてくれている。
私はフッと息を吐き、羊皮紙を丸めて立ち上がった。
「馬鹿を言わないでくれたまえ。僕は死なない。この世界にあるすべての極上スイーツを味わい尽くすまでは、絶対にね」
「アハハッ! お前らしいわ、ホンマに。……でもな、たまには下の大馬鹿どもにも、ちょっとは優しゅうしたれや。あいつらも、お前のこと嫌いになりきれんで悩んどるんやからな」
「善処するよ」
私は肩をすくめ、ロキの部屋を後にした。
バタン、と自室の扉を閉め、鍵をかける。
その瞬間。
「あああああぁぁぁぁぁっ! 嫌だああぁぁぁっ! 行きたくないぃぃぃぃぃっ!」
私はベッドにダイブし、枕に顔を押し付けてジタバタと手足を暴れさせた。
ベッドのバネがギシギシと悲鳴を上げる。
(リヴァイアサンって何よ! 海の覇王って何よ! 船120隻使い捨てって、どう考えてもおかしいでしょ! そんな絶望的な戦場に、なんで私が放り込まれなきゃならないのよ!)
500年我慢したご褒美の第二の人生が、なんでこんなハードモードの連続なんだ。
ゴブリンやコボルトを狩って、ちまちまお金を稼いで、安全に暮らしたいだけなのに。
(バルスやセリアは「俺たち3人でぶっ飛ばすぞ!」とか熱血してたけど、あいつらも大概おかしいわよ! なんであんな嬉々として死地に向かえるの!? 戦闘狂なの!?)
(それにフィンたちも! なんで私が命を懸けた戦いに行くのに、悔しがってるの!? あんたたちは安全な宿屋で留守番できるんだから喜べばいいじゃない! 私と代わってよ!)
ひとしきりベッドで暴れ回り、息が切れたところで、私はのっそりと上体を起こした。
部屋の隅に立てかけてある、銀色に輝くレイピア。
『氷の魔剣』の冷気に耐えられるよう、特殊なコーティングを施してもらった私の相棒。
私はそれを手に取り、チャキッ、と鞘から少しだけ刃を抜いた。
青白い金属光沢が、ランプの光を反射して私の目を射る。
(……でも、行くしかない)
断れば、オラリオの最強派閥を敵に回すことになる。
そんなことになれば、それこそ平穏な生活など夢のまた夢だ。
「……やるしかないか」
私はレイピアを鞘に収め、ギュッと柄を握りしめた。
海の上。
足場は砕け散り、巨大な水流がすべてを飲み込む地獄。
そこで生き残れるのは、私の『
(バルスがヘイトを稼ぎ、セリアが固定砲台になる。私は遊撃として海面を走り回り、彼らの足場が崩れた時は私が時間を稼ぐ。……いや、稼がない! 私は自分の命を守るために全力で逃げ回りながら、ついでに魔法を撃つだけだ!)
頭の中で、最悪のシチュエーションを何度も何度もシミュレーションする。
「僕は……死なない」
ぽつりと、誰もいない部屋で呟いた。
「絶対に生き残って……オラリオで一番高いケーキを百個買って、このベッドで優雅に食べてやるんだから……!」
その俗物極まりない、けれど誰よりも切実な生存欲求だけを胸に秘め、私は決戦の海へ向かう準備を整え始めた。
そして数日後。
私たちは、潮風が吹き荒れる洋上の船団の上で、絶望の覇王と対峙することになるのだった。
ランキング見てたら日間総合2位、日間二次創作1位に居てビビりました。(2026.7.13)
ありがとうございます。
怖いです。
どっかでステイタスの回を挟むか後書きにでも追加しておきます