ダンジョンに元水神がいるのは間違っている   作:白黒ととか

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EP16

古びた布に油を染み込ませ、槍の柄をゆっくりと拭い清める。

キュッ、キュッと、静かな宿屋の酒場スペースに、硬質な木材と布が擦れる音だけが響いていた。

 

(……小さいな)

 

自分の両手を見つめ、僕は自嘲気味に息を吐き出した。

小人族(パルゥム)として生まれた僕の体は、ヒューマンの子供と変わらない。

この小さな手で、一族を再興するための「英雄(ブレイバー)」にならなければならない。

その覚悟を持って、ロキの恩恵(ファルナ)を受けた。

ガレスとリヴェリアという、種族を代表するような傑物たちと共に、僕たちは確実に力をつけてきたはずだった。

 

だが。

 

『足踏みしている時間が長すぎたんだよ、君たちは』

 

脳裏に蘇るのは、数ヶ月前、この酒場で僕たちを見下ろした彼女の冷ややかな瞳だ。

オラリオに降り立ったばかりの、レベル1のヒューマンの少女(と、僕たちは思っていた)。

彼女はたった数ヶ月で中層をソロで駆け抜け、偉業を成した。

そして遂には――『海の覇王(リヴァイアサン)』という絶望的なバケモノに挑み倒して見せた。

彼女が海面を駆け抜け、自らの体がヒビ割れ、青い魔力を噴き出しながらも巨大な水の剣を振るったという話は、オラリオ中に轟いている。

 

(嫉妬。憎悪。……いや、圧倒的なコンプレックスだ)

 

槍を握る手に、ギリッと力がこもる。

同じファミリアの団員である彼女の活躍を素直に喜べない自分がいた。

彼女の不遜な態度、他人を足手まといと切り捨てる冷酷さ。

それに反発しながらも、結果を出しているのは彼女の方だ。

安全な地上で、彼女の帰りをただ待っているだけだった僕たちの無力さ。

黒く濁った感情が、胸の奥で渦を巻いている。

だが、その暗い感情に身を任せていては、僕は永遠にこの小さな体のままだ。

 

「……ふぅ」

 

短く息を吐き、僕は手入れを終えた槍を背中に背負った。

立ち上がった僕の視線の先には、昼間から木製ジョッキで酒を煽っているガレスと、窓際で腕を組み険しい顔で外を睨んでいるリヴェリアの姿があった。

リヴァイアサン戦以降、二人の空気もずっと重い。

彼女の言葉に反発した意地と、自分たちの不甲斐なさへの怒りを持て余しているのだ。

 

「フリーナが目覚めたと知らせがあった。二人は行かないのかい?」

 

僕が声をかけると、ガレスはドンッとジョッキをテーブルに叩きつけた。

 

「行かん」

「行きたければ一人でいけ」

 

リヴェリアも、窓から視線を外さないまま冷たく言い放った。

 

「そうかい。僕にも言えることだが、いつまでも意地を張ってないで素直になったらどうだい?」

「今更だ」

 

リヴェリアの長い耳が、不機嫌そうにピクリと動く。

その頑なな態度に、僕は静かに首を振った。

 

「なら僕は一人で行くよ。彼女には色々思うところはある。僕自身彼女にはコンプレックスを覚えたし、嫉妬や憎悪と言ってもいい黒い感情を抱えてもいる。それでも、背中を蹴り飛ばされたあの日から今まで色々考えた」

「……」

「……」

 

僕の言葉に、ガレスの太い腕がピクリと動き、リヴェリアの肩が微かに揺れた。

 

「とりあえずの答えは出した。結果を伴わない感情に意味は無い、とね。まぁ僕たちは彼女から言わせれば、過程すら伴っていないのだろうけどね」

 

自嘲気味な笑みが漏れた。

彼女は命を懸けて結果を出した。僕たちは安全な場所で嫉妬しているだけ。

そんなものに、一体何の価値がある?

 

「このファミリアの団長は僕だ。自分の感情くらい乗りこなしてみせるさ。あれだけ言われて動かなければ他の誰にも示しがつかないしね」

 

僕は踵を返し、宿屋の扉へと向かって歩き出した。

木扉の取っ手に手をかけ、肩越しに二人を振り返る。

 

「二人は今しばらく足踏みを続けると良い。待ちはしないよ。僕は先に行く」

 

カラン、とドアベルの音を背中で聞きながら、僕は眩しいオラリオの陽光の下へと足を踏み出した。

握りしめた拳には、もう迷いはなかった。

 

 

 

* * *

 

 

 

「ん〜〜〜っ! サックサクの生地と、この濃厚なカスタードのハーモニー! 完璧だ!」

 

ディアンケヒト・ファミリアの白い病室。

鼻を突く消毒液の匂いも、今の私にとってはスパイスの一つに過ぎない。

ベッドの上に胡座をかき、私はロキに無理やり買ってこさせた第七区の限定フルーツタルトを堪能していた。

 

(あぁ、幸せ……! 1ヶ月も眠りこけてたせいで見逃したスイーツの分まで、きっちり回収してやるんだから! やっぱり安全なベッドの上で食べるお菓子が一番美味しい!)

 

体のヒビ割れも『メル・プリモルディアル』で綺麗さっぱり消え去り、痛みもない。

あの地獄のような海上の戦いから生還した私への、正当なご褒美だ。

あのナースに見つかる前に食べ切らなければ!とフォークでタルトの最後のひと切れを口に運ぼうとした、その時。

 

コンコン。

 

控えめなノックの音と共に、病室の扉が開いた。

 

「……おや。誰かと思えば、君か」

 

入ってきたのは、金髪碧眼の小人族(パルゥム)、フィンだった。

彼は背中に槍を背負い、どこか張り詰めたような、真剣な眼差しで私を見据えている。

 

(えぇ? なんでフィン? あれだけボロカス言ったのにわざわざお見舞い? しかもなんか目力が強くて怖いんだけど!)

 

内心で全力の警戒態勢を取りつつ、私はスッとフォークを下ろし、口元のクリームをナプキンで優雅に拭き取った。

 

「見舞いに来てくれたことは感謝するが、あいにく僕の体はもう完璧に仕上がっていてね。君たちの心配など不要だよ」

 

フッと鼻で笑い、いつもの『高慢な神』のスイッチを入れる。

彼が怒って帰るならそれでいい。

ギスギスした空気でケーキの味を落とされたくないからだ。

だが、フィンは怒るどころか、静かな足取りでベッドの脇まで歩み寄り立ち止まった。

 

「……すごいな、君は。本当に、傷一つない」

「当然だ。僕の魔法をなんだと思っている」

「オラリオに運ばれてきた時に時に見た君の身体は今にも崩れそうだったのに改めて凄まじいな君の魔法は」

 

彼がまじまじと見つめてくるために少し居心地が悪い。

 

「遠くから話を聞くことしかできなかった自分が……本当に、情けなかった」

 

フィンが、ギュッと両手を握りしめた。

その瞳の奥には、確かな悔しさと、それを押し殺そうとする強い意志の光が宿っていた。

 

「君に『足手まといだ』と言われた時、僕は怒りを感じたんだ。君の圧倒的な才能に嫉妬した。憎悪すら覚えたよ。なんで僕じゃないんだと、なんで僕にはその力がないんだと」

 

(うわぁぁぁ、重い重い重い! なんで病室でいきなりそんな激重感情を吐露されてるの私!? 私はただ「君たちが来たら私が庇わなきゃいけなくて死ぬ確率が上がるから来ないで」って遠回しに(いや直球で)言っただけなんだけど!)

 

私は顔の筋肉を引きつらせないよう必死に耐えながら、無言で彼を見下ろした。

 

「でも、君は結果を出した。僕たちが地上で立ち止まっている間に、君は文字通り命を懸けて、オラリオの悲願達成の要になった」

 

フィンの真っ直ぐな碧眼が、私の目を射抜く。

 

「だから、決めたんだ」

 

彼は一歩、私に近づいた。

 

「君が僕たちを置いて、一人で遥か先へ行くというなら。僕が君を追い抜いて、その前に立つ。僕がこのファミリアの団長として、君の前に立つ壁になってみせる」

 

 

(…………は?)

 

 

思考が、一瞬フリーズした。

目の前のイケメンパルゥムが、今、なんて言った?

 

『僕が君を追い抜いて、その前に立つ壁になってみせる』

 

(いやいや、言うのは簡単だけどね? 本当にそんなことができるわけ? そもそも私、退院してステイタス更新したら多分……というか絶対レベル7に上がるよね? 君が、レベル7になる私を追い抜くって、相当しんどいというか、ほぼ無理ゲーじゃない?)

 

私のステイタスは『前奏審判(プレリュード・フォカロルス)』込みでバグみたいな数値を叩き出す。

それに追いつこうとする彼の道程は、想像するだけで胃が痛くなりそうだ。

 

(レベル7になる私に追いつくなんて、それこそ文字通り死地に向かうようなもんなのに、なんでこの人こんなにモチベーション高いの? 戦闘狂なの!?)

 

とはいえ、他人が勝手に高すぎる目標を掲げて死ぬ気で努力し、私を超えてくれるというなら、これほど好都合な話はない。

 

(まぁいいさ。本当に追いついてくれるなら、私は後ろで安全にステップを踏みながら魔法をチクチク撃つだけで済むし。途中で挫折したとしても別に私の知ったことじゃないか)

 

私は内心でガッツポーズを決め、顔の筋肉を引きつらせないよう必死に耐えながら、大仰に肩を揺らした。

 

「ふ、ふふっ……あははははっ!」

 

病室に響き渡るような高笑いを上げる。

 

「面白い! 実に面白い冗談だね、フィン・ディムナ! この衆水の主たる僕を追い抜く? 君のような小人族が?」

「冗談じゃないさ。必ず、君を唸らせるだけの力を手に入れてみせる」

 

フィンの碧眼には、揺るぎない確信があった。コンプレックスも嫉妬も、すべてを飲み込んで前に進むと決めた男の顔だ。

 

(向上心の塊か? )

 

私はバサァッとシーツを跳ね除け、ベッドの上で立ち上がった。

そして、彼を見下ろすようにビシッと指を突きつける。

 

「威勢がいいのは結構だ! だが、僕の前に立つということがどういうことか、本当に理解しているのかい? それは文字通り、絶望的な死地へと自ら向かうのと同じことだよ? 君のその小さな体で、耐えられるとでも思っているのかな?」

 

(わかってるならさっさと泥水すすって迷宮に潜って、私の壁役を代わってちょうだい! こっちはもう死にそうな思いは御免なのよ!)

 

そんな私の俗物極まりない本音を込めた言葉。

だが、それを聞いたフィンの肩が、ビクッと大きく震えた。

 

「……っ」

 

彼はうつむき、ギュッと両手を握りしめた。

そして、ゆっくりと顔を上げた彼の瞳は、なぜか感動に打ち震え、微かに潤んですらいた。

 

(……え? なに? なんで泣きそうになってんのこの人)

 

「……そうか。君は、わかっていたんだね」

「は?」

「君の圧倒的な力に追いつくということが、どれだけ過酷で、どれほど絶望的な死地を乗り越えなければならない道程か。……そして、君自身が、今までどれほどの死線をたった一人でくぐり抜けてきたかということを」

 

(いや、私が死線をくぐったて言っても今回のはスキルの暴走だし、ソロだったのも最初だけでほとんどバルスとかセリアと一緒だし、ゼウスヘラに突き落とされたんであって別に好き好んで死地に向かったわけじゃ……)

 

「僕に、覚悟を問うてくれているんだね。中途半端な覚悟なら、ここで折れてしまえと。……君は優しいんだな」

「…………えっと」

「ありがとう、フリーナ。君がファミリアの壁としての『役割』を担ってほしいと、僕を試してくれていること……痛いほどに伝わったよ」

 

(伝わってない!! 全然違う! 1ミリも伝わってない!! 私はただ「早くレベル上げて私の盾になって私を楽させて」って言っただけなんだけど!? なんでそんな「孤高の強者からの不器用な激励」みたいな激重な解釈になってるの!?)

 

私の内心の激しいツッコミを置き去りにして、フィンは完全に自分の中の『熱い物語』を完成させていた。

 

「ああ、約束する! ならば足掻いてみせよう! 君の遥か後方から、泥水をすすってでも這い上がっていく! そして、必ず君を追い抜いて、その『役割』を代わってみせる!」

「……HAHA」

「君が安心して背中を預けられるだけの力を、絶対に見せつけてやるから……待っていてくれ、フリーナ!」

 

フィンは、憑き物が落ちたような、清々しくも力強い笑顔を私に向けた。

 

(いや、背中を預けるっていうか、それだと私も死地にいるじゃん!? 私の代わりに戦って欲しいだけなんだけど……。まぁ、めちゃくちゃやる気になってるし、別に訂正する必要もないか)

 

私はピクピクと引きつりそうになる頬の筋肉を必死に抑え込み、スッと目を伏せて余裕ぶった笑みを浮かべた。

 

「ふん……好きにするといいさ」

「ああ。見ていてくれ」

 

フィンは軽く手を上げ、病室の扉へと向かった。

扉を開ける直前、彼は振り返り、少しだけ困ったような笑みを浮かべた。

 

「そうだ、退院したら少しは顔を見せてくれよ。ロキも心配しているからさ」

「僕の気分次第だね。用が済んだならさっさと行きたまえ」

 

私がシッシッと手を払うと、フィンは小さく笑って病室を出て行った。

バタン、と扉が閉まる。

 

静寂が戻った病室。

私は、突き出していた指をゆっくりと下ろし……。

ふぅ、と小さく息を吐いた。

 

(なんか、一人で勝手にめっちゃ盛り上がってたわね……。私の言葉が全部「強者からの試練」みたいに脳内変換されてたけど、まあいいか。やる気満々でレベル7になる私に本気で追いつこうとしてくれるなら、私は安全圏で優雅に応援させてもらうだけだし)

 

彼らが本当に私に追いつけるかどうかなんて、正直期待もしていないしそこまでの興味もなかった。

私にとって一番重要なのは彼の熱血な決意表明よりも、今目の前にあるスイーツなのだから。

 

「さてと、タルトの続きを食べないとね」

 

ホクホク顔でベッドに座り直し、私は残っていたフルーツタルトをパクッと一口で口に放り込んだ。

団長が、私という(見当違いの)目標に向かって血の滲むような努力を開始したことなど、私にとっては本当に「どうでもいい」ことだった。

私は甘いカスタードの味に頬を緩ませ、退院後のスイーツ巡りの計画を意気揚々と立て始めるのだった。

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