ダンジョンに元水神がいるのは間違っている   作:白黒ととか

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EP17

「ん〜〜〜っ! サックサクの生地と、この濃厚なカスタードのハーモニー! 五臓六腑に染み渡るぅっ!」

 

迷宮都市(オラリオ)の西区に位置する、見晴らしの良いオープンカフェ。

秋の涼やかな風が吹き抜けるテラス席で、私は目の前に山積みになった宝石のようなフルーツタルトやチョコレートケーキを次々と口に運んでいた。

芳醇なバターの香りと、舌の上でとろける極上の甘味が、一ヶ月以上もの長きにわたる地獄のような入院生活の記憶を浄化していく。

 

「退院したみたいだなフリーナ」

 

不意に、背後から豪快で野太い声が降ってきた。

振り返ると、そこには身の丈ほどもある無骨な雷の大剣を背負った筋肉ダルマ――ゼウス・ファミリアのバルス(雷轟)が、ニカッと白い歯を見せて立っていた。

その後ろには、紫色の豪奢なローブを風に揺らし、パチンッと優雅に扇子を鳴らすヘラ・ファミリアのセリア(炎奏)の姿もある。

 

「やあバルス、おかげさまでね。これで晴れてスイーツ食べ放題になったわけだ」

 

私は優雅にナプキンで口元を拭い、フフンと胸を張って答えた。

激戦を共に生き抜いた戦友たちとの再会だというのに、私のテーブルの上の有様たるや、完全に甘味の暴力である。

 

「あんまり食べすぎると太るわよ」

 

セリアが呆れたようにため息をつきながら、私の向かいの席に腰を下ろした。

その冷ややかな視線は、私がたった今三つ目のタルトにフォークを突き立てた事実を的確に非難している。

 

「セリア、僕は太らないさ!」

 

私は即座に言い返した。

 

(500年間神様やってたんだから、自己管理くらい完璧よ! それに、あの忌々しいディアンケヒト・ファミリアの特別病棟で、味のしない食と劇薬みたいな霊薬ばかり飲まされていた私の反動を舐めないでよね!)

 

「今日は僕に付き合ってくれよ」

 

最後の一口を飲み込み、私は紅茶のカップをソーサーにコトリと置いた。

 

「どこに行くんだ」

「へファイストス・ファミリアに武器を見に行きたいんだ」

 

バルスの問いに、私は肩をすくめて答える。

あの地獄のような海上の決戦――『海の覇王(リヴァイアサン)』討伐戦。

暴走する魔力と激痛に耐えながら、私は海に叩き落とされた衝撃で、なけなしの貯金を叩いて買った75万ヴァリスの愛剣を、深く冷たい海の底へと沈めてしまったのだ。

 

(あぁ……思い出すだけで血の涙が出そう。でも、武器がないとダンジョンで自衛すらできないからね。ここは一つ、見栄えが良くてそこそこ安い代用品を見繕わなければ)

 

「お金は持ってきたの?」

 

セリアの鋭いツッコミが、私の胸にグサリと刺さる。

 

「見てから貯めればいいだろう?」

「リヴァイアサン戦の報酬は?」

 

(……その話題思い出したくないんだよなぁ)

 

私は顔の筋肉を引きつらせないよう必死に耐えながら、大げさに天を仰いだ。

 

「そんなもの、とうの昔に消えていたよ」

「は?」

 

バルスが目を丸くして、素っ頓狂な声を上げた。

 

「ディアンケヒト特製の霊薬とやらの素材は深層の素材を使ってたらしいんだけど、その素材の出どころがゼウス・ヘラってわけさ。それに1ヶ月も入院したんだ、あの拝金主義で有名な神ディアンケヒトにぼったくられたさ。まぁロキが交渉してくれて多少はマシになったらしいが、今回の報酬はそこで消えたみたいだ」

 

口をついて出るのは、偽りなき怨嗟の声だ。

 

(あの胡散臭いジジイ! 治療費の明細書を見た時、ゼロの数が多すぎて私がまた気絶しかけたのを知らないの!? ロキがいなかったら、私は一生あの病棟で掃除させられてたかもしれないわよ!)

 

「ギルドに預けてある金はどうなんだよ?」

 

バルスが不思議そうに首を傾げた。

 

「ん? 流石の僕でもパーティーの資金に手を出す気はないぞ」

「あなた個人のお金がかなりあるでしょ?」

 

セリアが扇子で私の額をペシッと叩いた。

 

「ん? 僕はそんなもの知らない」

 

(個人のお金? なにそれ。私がソロで下層を駆け回って稼いだ魔石の分なら、とっくに第七区の限定タルトや宿泊費で溶けてるはずだけど?)

 

私が本気で首を傾げていると、セリアはこめかみを押さえて深いため息をついた。

 

「最初に説明したじゃない。そしたらあなた、『小銭を数えるのは神の仕事じゃない』とかなんとか言って、私に押し付けたじゃない。もう忘れたの?」

「……お、覚えているさ、あのお金のことを言っていたんだね!」

「覚えてなかっただろ」

 

バルスの容赦ないツッコミを無視し、私はセリアから差し出された一枚の羊皮紙――ギルドの発行した口座残高の証明書をひったくった。

そこに記されたインクの羅列に目を落とした瞬間。

 

(……いち、じゅう、ひゃく、せん、まん……じゅうまん……ひゃくまん……いっせんまん……いちおく……!?)

私の脳内で、盛大なファンファーレと共に大量の金貨が降り注ぐ幻影が弾けた。

 

(えええええええっ!? なにこれ!? 桁がバグってるんですけど! 私、こんなにお金持ってたの!? いや待てよ、あのリヴァイアサン戦の前にウダイオスとアンフィスバエナとかいう階層主を解体した時のか? あとは深層での荒稼ぎ分かな ? )

 

「ふ、ふふっ……当然だ! この僕の圧倒的なパフォーマンスの対価として、これくらいは当然の数字だろう!」

 

震える手を背中に隠し、私は華麗にターンを決めてみせた。

 

「よし! 資金に余裕があるなら話は別だ。すぐに行こうじゃないか!」

 

(これなら、ちょっと見栄を張って数百万円クラスの武器を買っても、まだ一生分のスイーツ代がお釣りに来る! 勝った! 私の人生、完全に大勝利!)

 

意気揚々と歩き出す私を、バルスとセリアが呆れ顔で追いかけてきた。

 

* * *

 

迷宮都市(オラリオ)の中央にそびえ立つ、五十階建ての白亜の摩天楼――『巨塔(バベル)』。 その下層部、一階から二十階までは、ギルドの運営する公共施設や換金所、そして有力ファミリアが軒を連ねる巨大な商業施設群となっている。 中でも、四階から八階までの広大なフロアを丸ごと占有しているのが、オラリオ最大の鍛冶派閥である『ヘファイストス・ファミリア』の店舗だった。

 

「うわぁ……」

 

中に入った瞬間、思わず間抜けな声が漏れた。

壁沿いにズラリと並べられたガラス張りのショーケースの中で、青や赤、銀色に煌めく数多の武具たち。

私がかつて75万ヴァリスで買ったレイピアなど、そこらの木の枝に思えるほどの圧倒的な『美』と『力』の結晶が、そこに展示されていた。

 

「すげぇな……いつ来てもここの品揃えは桁違いだぜ」

 

バルスが目を輝かせながら、ショーケースに張り付いて大剣を見つめている。

私も負けじと、細身の直剣――レイピアが並ぶコーナーへと足を運んだ。

 

(おっ、これなんかデザインがエレガントでいいじゃない! 刀身に水の波紋みたいな模様が入ってて私にピッタリ……って、値段ッ!)

 

値札を見た瞬間、私の顔からサァッと血の気が引いた。

『八千五百万ヴァリス』

(は、はっせんごひゃく……!? ゼロの数おかしくない!? 桁一つ、いや二つ間違えてない!? ボッタクリにも程があるでしょ!)

 

「どうしたのフリーナ。顔色が悪いわよ。また自壊現象の魔力暴走?」

「ち、違う! な、なんでもないさ!」

 

セリアの的確な心配を跳ね除け、私は別のケースに視線を移す。

 

(うぎゃああああああああっ!! どいつもこいつも何千万もする!? なんなのこの店!? 武器一本で国が買えるんじゃないの!? 冒険者の金銭感覚って絶対おかしい!)

 

私がショーケースの前で涙を流し、ガラスに張り付いてわなないていると。

 

「……何してるのよ? あんたたち」

 

不意に、背後から呆れたような、けれど妙に威圧感のある声が降ってきた。

振り返ると、そこには赤い髪を後ろで無造作に束ね、右目に眼帯をした女性が立っていた。

簡素な作業着に黒いエプロン姿。

肌には微かに煤と汗が滲み、鉄と炎の匂いを纏わせている。

ただそこに立っているだけで、周囲の空気がピリッと引き締まるような圧倒的な存在感。

 

「ヘファイストス様……!」

 

セリアがハッと息を呑み、即座に姿勢を正して頭を下げた。

バルスも慌てて直立不動の姿勢をとる。

 

(うっわ、本物の鍛冶の女神様だ! こんな接客スペースに主神自ら出てくるの!?)

 

「あら、ロキんとこの水神気取りの子じゃない。それにゼウスとヘラの子たちも。随分とウチのショーケースを熱心に睨みつけてたみたいだけど、お目当てのものはあった?」

 

ヘファイストスが、たった一つ残った赤い瞳で私を面白そうに見下ろしてきた。

 

「ふ、ふふっ……。君たちの技術を少し拝見させてもらっていたのさ。だが、僕の圧倒的な力に耐え得る器となると、既製品では少し物足りなくてね」

 

(嘘です! 値段が高すぎて手が出ないだけです! お願いだから安いアウトレット品とか奥から出してきて!)

 

「へぇ……言うじゃない。あのリヴァイアサンのブレスを正面から斬り裂いただけはあるのね」

 

ヘファイストスは私の手首から肩にかけての筋肉の付き方や、魔力の流れを、まるで名剣の品定めをするかのように鋭く観察したように感じた。

 

「既製品じゃ不満……なら、私が打ってもいいわよ」

「えっ」

 

私の口から、素っ頓狂な声が漏れた。

 

「神へファイストスが自ら!?」

 

隣でセリアが、扇子を取り落としそうになるほど驚愕の声を上げた。

バルスに至っては、口をポカーンと開けて石像のように固まっている。

 

(えっ、えっ、ええええええっ!? 神様直打ちのオーダーメイド!? そんなの絶対ヤバい! 値段が聞いたこともない数字になるに決まってる!)

 

「他の子達はリヴァイアサン戦で消耗した武器の整備に追われてるからね。今、一から大物を打てるほど動けるのは、私くらいなのよ」

 

ヘファイストスは肩をすくめ、何でもないことのように言い放った。

 

(いやいやいや! 『今暇だから私が打つわ』みたいなノリで言わないでよ! あんたオラリオ最高の鍛冶神でしょ!?)

 

「お、おいフリーナ! 打ってもらったらいいんじゃねぇか!?」

 

バルスが興奮のあまり、私の背中をバンバンと叩いた。

 

「神へファイストスが打った剣なんて、買えるお金持ってるわけないだろう!?」

 

私は思わず素の口調で叫び返してしまった。

 

(冗談じゃない! 数千万でも気絶しそうなのに、女神のワンオフモデルなんて、私の一生分のケーキ代を前借りしても足りないわよ!)

 

「ふふ、そうね。特別なお客さんだし、多少は負けてあげるわ」

 

ヘファイストスが、ニヤリと口角を吊り上げた。

その笑みは、美しいが、どこか悪魔的だった。

 

「そうね……貴方の魔力と水圧に完全に耐え得る特殊な合金と、海竜の魔石を芯材に組み込んで……全部で2億ヴァリスくらいかしら?」

「2、2億!?」

 

私の両膝から、完全に力が抜け落ちた。

 

(におく!? におくゔぁりす!? それって、オラリオの高級ケーキが……計算できない! とにかく一生毎日食べてもお釣りが来る額じゃない! 破産する! 完全に破産する!)

 

「いやいやいや! 無理だ! さすがの僕でも、そんな額をぽんと出せるわけが――」

「あら、あなたの口座には、それを払ってもそこそこ余裕があるから打ってもらいなさいよ」

 

背後から、セリアの容赦のない、そして氷のように冷徹な死刑宣告が下された。

 

「……」

「……」

 

ヘファイストスとセリアが、完璧な連携で私を退路のない絶壁へと追い詰める。

バルスに至っては、「すげぇ! 2億の剣!」と無邪気に目を輝かせている。

 

(裏切ったわねセリア! あんた、私が金銭感覚ガバガバなのをいいことに、私の口座を完全に把握してるくせに! 払えるからって言って、2億の出費を笑顔で後押しするんじゃないわよ!)

 

血の涙が、心の奥底で滝のように流れ落ちる。

私は、小刻みに震える足に無理やり力を込め、両腕を広げて華麗にターンを決めた。

そして、顔の筋肉が痙攣しそうになるのを必死に堪えながら、ヘファイストスを真っ直ぐに見据えた。

 

「いいだろう……! この僕の圧倒的な力に相応しい器、君の全霊をもって打ち上げるがいい! 2億ヴァリス、安い買い物さ!」

 

心の中で絶叫しながらも、私はビシッと指を突きつけ、完璧なドヤ顔を貼り付けてみせた。

 

「ふふっ、商談成立ね。せいぜい期待して待っていなさい。貴方の魔力で絶対に砕けない、極上の一振りを打ってあげるから」

 

ヘファイストスは満足そうに笑い、エプロンの埃を払って奥の工房へと消えていった。

 

* * *

 

夕暮れのオラリオ。

茜色に染まる石畳の大通りを、私たちは宿屋に向かって歩いていた。

行き交う人々の活気ある声も、屋台から漂う串焼きの匂いも、今の私には全く届かない。

 

「いやー、すげぇなフリーナ! ヘファイストス様直打ちの武器なんて、第一級冒険者でもそうそう持てねぇぜ! 完成が楽しみだな!」

 

バルスが私の肩をバンバンと叩きながら、無邪気に笑いかけてくる。

 

「……ええ。本当にね」

 

私は、まるで魂の抜け殻のような虚ろな声で答えた。

 

「何をそんなに落ち込んでいるのよ。口座にはまだ十分な余裕があるって言ったじゃない。命を預ける武器に投資するのは、冒険者として当然の義務よ」

 

セリアが扇子で口元を隠し、冷ややかに、しかしどこか呆れたように言う。

 

「……わかっているさ。僕の新たなる伝説の幕開けに相応しい代償だ。ただ……」

 

(ただ、あの2億ヴァリスがあれば、オラリオの高級スイーツ店のショーケースを、毎日端から端まで「全部ちょうだい」って言えたのに……っ!)

 

口に出せない俗物的な未練が、私の足取りを鉛のように重くする。

 

「さあ、早く帰ろう。今日は僕の退院祝いと、新たな武器の契約祝いだ。君たちの財布の底が抜けるまで、奢ってもらうからね!」

 

私は無理やり口角を吊り上げ、二人の背中を押し出すようにして歩き出した。

 

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