「……おおおぉぉ……っ!」
思わず、間抜けな感嘆の声が口から漏れた。
森を抜け、平原を歩き続けた先に現れたのは、巨大な石造りの城壁だった。
そしてその城壁の奥、都市の中央を貫くように、天高くそびえ立つ白亜の巨塔。
雲を突くようなその圧倒的な存在感に、私はしばらく口を開けたまま立ち尽くしてしまった。
(うおぉ……マジでファンタジーじゃん! フォンテーヌの洗練された街並みとは全然違うけど、スケールがでかすぎる!)
「あははっ、嬢ちゃん、ええ反応すんなぁ。あれが世界の中心、迷宮都市オラリオやで」
ロキがニヤニヤと笑いながら私の肩を叩く。
「さあ、行こうか。まずは僕たちの本拠地に案内するよ」
フィンが前を歩き、私たちは城壁の門をくぐった。
都市の内部は、むせ返るような熱気と活気に満ちていた。
石畳の大通りには、武器や防具を身につけた冒険者たちが行き交い、屋台からは香ばしい肉の焼ける匂いが漂ってくる。
馬車が通り過ぎるたびに、金属が擦れるガチャガチャとした音が耳に届いた。
(すごい活気……! これが冒険者の街か。美味しそうなスイーツの匂いもするし、悪くないんじゃない!?)
周囲を見渡し、目をキラキラさせていると、やがて私たちは都市の北側にある一軒の大きな宿屋の前に到着した。
どうやら、結成してまだ間もないという彼らのファミリアは、現在この宿屋を拠点として借り上げているらしい。
「おお、戻ったかロキ。フィンも無事じゃったか」
豪快な笑い声と共に宿屋の扉を開けて出てきたのは、立派な髭を蓄え、丸太のような太い腕を持った屈強なドワーフの男だった。
「遅かったな。全く、主神自らフラフラと出歩いて……何かトラブルに巻き込まれたのではないだろうな」
その後ろから、翡翠色の長い髪を揺らし、息を呑むほど美しいエルフの女性がため息をつきながら現れる。
(ドワーフのおっさんと、超絶美人のエルフ! RPGの初期パーティのテンプレきたこれ! それにしてもこのエルフのお姉さん、顔が良い……)
「アハハ、すんまへんすんまへん。ガレスにリヴェリアも、留守番おおきにな」
ロキがヘラヘラと笑いながら手を挙げる。
「それで? 『とんでもない才能を持った凄い子供がいる』という噂を聞きつけて、わざわざ出向いたわけだが……結果はどうだったのだ?」
リヴェリアと呼ばれたエルフの女性が、ジト目でロキを睨んだ。
その問いに、ロキは肩をすくめて大げさにため息をついた。
「あー、あれな。完全なガセやったわ! ただの鼻垂れガキやったで、ホンマ無駄足や。せやからしゃーなしに帰ろうとしたら、森の中でこのオモロイ嬢ちゃんを拾うたんよ」
(……ちょっと待って。私、そのガセネタのついでで拾われた感じ!? ついでかよ!)
内心で猛烈なツッコミを入れながらも、私はスッと背筋を伸ばし、外面のスイッチを切り替えた。
「ふふん! 驚くのも無理はないね! 僕は正義と法の神にして、衆水の主! フリーナだ! 君たちのような者と出会えたこの奇跡に、大いに感謝するがいい!」
ビシッと指を突きつけ、星屑を撒き散らすような華麗なターンを決める。
ガレスとリヴェリアの目が、完全に点になった。
「……神、だと? この小娘が?」
「はっ! ロキの奴め、ついに頭がおかしくなったか。こんな虚弱そうなヒューマンの子供を連れてきて、神とは笑わせるわい! がははははっ!」
ガレスは太い腹を揺らして豪快に笑い飛ばし、リヴェリアは冷ややかな目で私を見下ろした。
(うっわ、全然信じてない! まあ無理もないけど! でもここで引いたら私のキャラが崩壊するからね!)
「失礼な! この僕の圧倒的なオーラを感じ取れないとは、君たちの目は節穴かな!?」
「嬢ちゃん、そういうのええから。……こいつら、ホンマに信じへんからな」
ロキが苦笑いしながら、一枚の羊皮紙を二人の前に突きつけた。
「まぁ見とき。この嬢ちゃんのステイタスや。ファルナを与えた瞬間に発現した、とんでもないモンが記載されとるで」
「どれ……む? なんだこのスキルは……『精神力消費の効率化に超高補正』だと!?」
「魔法……『アビサル・ヴァラージ』……恩恵を授かったばかりのレベル1で魔法とスキルを同時に発現させているというのか……?」
二人の顔色が一変する。
(ふふん! 見たか私のチート能力! 500年分のボーナスなんだから当然でしょ!)
「……とはいえ、所詮はヒューマンの小娘だ。私の魔法に比べれば、児戯に等しいだろうがな」
リヴェリアがツンと顎をそらし、金糸のようなまつ毛を伏せた。
「ふん、魔法などドワーフのこの儂の腕力一つで、お前らのひょろ長い枝みたいな腕ごとへし折ってやるわい!」
ガレスがギリッと歯を鳴らし、背負った巨大な戦斧の柄に手を伸ばす。
「野蛮なドワーフめ。力任せに振り回すだけの戦い方など、知性の欠片もないわ」
リヴェリアの周囲の空気が急速に冷え、翡翠色の瞳に鋭い光が宿る。
「やめないか、二人とも。これからファミリアとして共に戦っていく仲間じゃないか」
フィンが慌てて二人の間に割って入る。しかし、リヴェリアの冷たい視線は小人族のフィンにも容赦なく向けられた。
「小人族(パルゥム)の貴様が口を出すな。人工の英雄を目指す貴様の野心には付き合うつもりも馴れ合うつもりはない」
「……儂の腕力を見下すなら、今ここでその細首を叩き折ってやろうか、エルフの小娘が!」
「やれるものならやってみろ。その前に灰にしてやる」
(……は?)
バチバチと火花が散るような、文字通りの一触即発の空気。
(なんだこのギスギスパーティ!? 初期メンの仲が悪すぎる! RPGってもっと「俺たち仲間だぜ!」みたいな和気藹々とした雰囲気じゃないの!? 絶対一緒に潜りたくない! 胃に穴が開くわ!)
私はそっとロキの後ろに身を隠し、引きつる頬を押さえた。
翌日。
私はロキに連れられ、オラリオの北西、第七区と呼ばれる冒険者通りを歩いていた。
「うわぁ……大きい……っ」
目の前に現れたのは、白い石柱が幾重にも立ち並ぶ、まるでパンテオンのような荘厳な建造物だった。
ここが都市の管理機関であり、冒険者を統括する『ギルド』本部らしい。
(すごい、大理石の床がピカピカに磨かれてる! ここが冒険者たちのホームベースってわけね!)
中に入ると、天井の高い広大なホールに、さまざまな種族の冒険者たちがひしめき合っていた。
「おっちゃん、新規の冒険者登録頼むわ!」
ロキが受付のカウンターに寄りかかり、ヒューマンの初老の男性職員に声をかける。
「ロキ神のところの新しい眷族ですか。……では、こちらへ。本日からあなたが担当になります」
案内された個室で待っていたのは、真面目そうなヒューマンの女性職員だった。
(ん? 冒険者登録って紙に名前書くだけじゃないの?)
「はじめまして、フリーナ様。私はギルド職員のミリアです。本日からあなたのアドバイザーを務めさせていただきます。まずは、ダンジョンの基礎知識について、みっちりと学んでいただきます」
ミリアは分厚い本をドンッと机に置き、鋭い視線を私に向けた。
「え? 学ぶ? 僕が? 衆水の主たるこの僕が、今さら学ぶことなど……」
「命に関わることです。しっかり聞いてください」
冷徹な声でピシャリと遮られ、私は思わず「はい」と背筋を伸ばしてしまった。
(うっ……なんか昔、ヌヴィレットに説教されてた時を思い出すプレッシャー……)
そこから始まったのは、終わりの見えない地獄の講習だった。
「ダンジョンは生きています。壁や天井が破損しても自己修復し、そこから無限にモンスターを産み落とします。決して気を抜かないでください」
「はい……」
「レベル1の冒険者が探索できるのは、1階層から12階層まで。特に1階層から5階層は上層と呼ばれ、ゴブリンやコボルトが出現します。ゴブリンを侮ってはいけません。集団で襲われれば、新米冒険者などあっという間に肉塊に変わります」
「に、肉塊……」
(ヒィッ! なんでそんな恐ろしい単語を平然と口にするの!? 私、本当にそんな危ないところに行くの!?)
「二層から四層にはダンジョン・リザードやフロッグ・シューターなどの厄介な魔物も現れます。武器のお手入れは怠らないこと。モンスターの核である『魔石』を砕けば灰になりますが、体液や血で刃が錆びれば、いざという時に致命傷になります」
ミリアの講習は、昼を過ぎても終わらなかった。
ダンジョンの地形、モンスターの弱点、ドロップアイテムの換金方法、魔石の取り扱い、他の冒険者からの『怪物進呈(パス・パレード)』と呼ばれる嫌がらせへの対処法……。
(長い! 長すぎる! 早くふかふかベッドとスイーツのための資金稼ぎに行きたいのに! これじゃ日が暮れちゃうよ!)
「……最後に。冒険者は、冒険してはいけません。常に安全を第一に考えてください。以上です」
窓の外がオレンジ色に染まり始めた頃、ようやく解放の言葉が告げられた。
「終わった……」
私は机に突っ伏し、魂が抜けたような声を漏らした。
(500年の水神演技の次に疲れたかもしれない……。でも、これで晴れて私も冒険者だ!)
宿屋に戻ると、一階の酒場スペースでまたしてもガレスとリヴェリアが睨み合っていた。
「いい加減にしろ、エルフ! お前のその気取った飯の食い方が鼻につくと言っておるのだ!」
「野蛮なドワーフと一緒にするな。咀嚼音を周囲に撒き散らすなど、品性の欠片もない」
「……まぁまぁ、二人とも。同じ釜の飯を食う仲間なんだから」
フィンが必死に取り成しているが、二人は全く耳を貸さない。
(出たよ、またやってる! なんでこの人たち、こんなに仲悪いの!?)
私はそっと足音を忍ばせ、自室に逃げ込もうとしたが……。
「お、フリーナ。ちょうど良かった。明日から、四人でパーティを組んでダンジョンに潜ろうと思うんだが、どうかな?」
フィンが爽やかな笑顔で声をかけてきた。
その瞬間、ガレスとリヴェリアの鋭い視線が私に向けられる。
「ヒューマンの小娘の面倒まで見切れんぞ。儂は一人で先に行かせてもらう」
「ああ。足手まといを連れて歩く趣味はない。私も単独で動かせてもらう」
(……よし、言ったな! 言質は取ったぞ!)
私は内心でガッツポーズを決め、くるりと華麗にターンして三人の前に立った。
「ふっ……奇遇だね。僕もちょうど同じことを言おうとしていたところさ!」
「フリーナ?」
フィンが目を丸くする。
「僕は正義と法の神、フリーナ! 孤高にして至高の存在である僕に、誰かと足並みを揃えるなどという凡人の発想は似合わない! ダンジョンには一人で潜らせてもらうよ!」
(あんなヒリつく空気の中で胃を痛めながら探索なんて真っ平御免だ! 私は楽して安全に稼ぎたいの! ソロで低階層の雑魚を狩って、チマチマ稼ぐのが一番安全でしょ!)
「しかし、レベル1の駆け出しが一人でダンジョンに入るのは危険だ。せめて僕だけでも……」
「不要だ! 僕の才能に嫉妬して足を引っ張る気かい? フィン・ディムナ! 心配無用、僕の華麗なる初陣を、指をくわえて見ているがいいさ!」
(お願いだから付いてこないでね!? 気を使わなきゃいけないイケメンショタなんて一番苦手なタイプなんだから!)
私は足早に自室へと逃げ込んだ。
翌朝。
私はオラリオの中央にそびえ立つ白亜の巨塔、『バベル』の地下へと足を踏み入れた。
「……うわぁ……」
地下に降りた瞬間、目の前に広がったのは、何千人も収容できそうな広大な神殿造りの空間だった。
無数の冒険者たちが、装備を整え、階段を下ってさらに地下深くへと消えていく。
その巨大な穴の奥から、むわっとした湿気と、獣の体臭のような生臭い風が吹き上げてきた。
(ここが、ダンジョンの入り口……。空気が重い。フォンテーヌの地下水道なんて目じゃない不気味さだ)
ゴクリと唾を飲み込み、私は第一階層への階段を下りた。
薄暗い洞窟。
壁面を這うように光る青白い苔の明かりだけが頼りだ。
ピチャ……ピチャ……と、どこからか水滴の落ちる音が響く。
(怖い怖い怖い! なんで私、こんな薄暗くてカビ臭い場所を一人で歩いてるの!? あ、そうだ、お金のためだ! ふかふかベッドと最高級スイーツのため!)
自分を奮い立たせながら、ギルドで支給された安物の短剣をぎゅっと握りしめる。
『ギャウッ!』
不意に、通路の奥から醜悪な奇声が響いた。
「ヒッ!?」
飛び出してきたのは、緑色の肌をした子供ほどの背丈の魔物――ゴブリンだった。
(出たぁあああ! ミリアさんが言ってたやつ! ゴブリン! ってか、なんでそんなに血走った目でこっち見てるの!?)
ゴブリンは錆びた短剣を振り上げ、ドタバタと私に向かって突進してくる。
「くっ……来るな! この僕に近寄るんじゃない!」
私はパニックになりながら、内なる『力』を意識した。
「……ッ! 【
私の足元からギルド支給の片手剣に向かって、青白く輝く水が展開される。
周囲の空気が急速に冷え、水滴が集まり、私の周囲に渦を巻き始めた。
「い、いけぇええ! 【
ドドドドドッ!!
私の周囲に展開されていた水流が、無数の高圧の水刃となって全方位に爆発した。
「ギャッ!?」
飛びかかってきていたゴブリンは、水刃の直撃を受け、コマ切れになって吹き飛んだ。
そして、そのまま空中で紫黒い石――魔石を残して、パラパラと灰になって消滅した。
「……え?」
静まり返った洞窟の中で、私は自分の両手を見つめた。
(なに今の……。付与魔法って書いてあったから、武器を水でコーティングするだけかと思ったら、水を圧縮して爆発させるみたいな使い方もできるの!? しかも……)
自身の内面を探る。
魔法を使ったというのに、疲労感や精神力(マインド)を消費した感覚が全くない。
『精神力消費の効率化に超高補正』――『衆水頌歌(オード・フォカロルス)』のスキル効果だ。
(これ、実質撃ち放題じゃない!?)
カサカサッ……ギャウギャウ!
騒ぎを聞きつけたのか、通路の奥からさらに三匹のゴブリンと、犬のような頭を持つコボルトが二匹現れた。
しかし、今の私には微塵も恐怖はなかった。
「あははははっ! なるほど、そういうことかい! 世界が僕の輝きを求めているというのなら、応えないわけにはいかないね!」
私は華麗にステップを踏み、短剣の切っ先を魔物たちに向けた。
「さあ、喝采の準備はできているかい? 【
洞窟内に、再び轟音と水しぶきが弾け飛ぶ。
水の刃が壁を抉り、コボルトたちを容易く両断し、灰へと変えていく。
連続して魔法を放っても、息切れ一つしない。
(やばい! 私、強すぎる! これなら低階層の魔石なんて無限に狩り放題じゃない!)
地面に落ちた数個の魔石を拾い上げ、私は恍惚とした笑みを浮かべた。
「ふふっ……あはははは! 圧倒的じゃないか! これが神の力、衆水の主たる僕の力だよ!」
薄暗いダンジョンの1階層に、私の高笑いが響き渡る。
(待ってろ、オラリオの高級スイーツ! 今日はいっぱい稼いで、最高のホテルに泊まってやるんだから!)
こうして、迷宮都市オラリオの歴史において、後に「歩く大瀑布」として恐れられることになる水神の、記念すべき初の迷宮探索は幕を開けたのだった。
(まぁ、この後調子に乗って5階層まで降りて、フロッグ・シューターの群れに追いかけ回されて泣きながら地上に逃げ帰ることになるんだけど……それはまた別の話だ!)