ダンジョンに元水神がいるのは間違っている   作:白黒ととか

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EP6

「……ううっ、あぁぁ〜〜〜〜っ! これだよ、これ! 僕が……私が求めていたのは!」

 

18階層『迷宮の楽園(アンダーリゾート)』の南の森林地帯。

鬱蒼と茂る樹木の間に、フワフワと綿雲のように浮かぶ純白の塊。

私はそれに顔を埋め、全身でその甘味を堪能していた。

 

雲菓子(ハニークラウド)

 

巨大な樹木の蜜が、階層特有の湿気と魔力に反応して空中で結晶化したという幻のスイーツ。

手で千切って口に運ぶと、見た目の通りフワフワの綿飴のような食感……かと思いきや、舌に触れた瞬間にスッと淡雪のように溶けて消える。

直後、脳髄を直接揺さぶるような、濃厚なのにどこまでも上品で洗練された甘みが口いっぱいに広がった。

 

(やばい! 何これ、美味すぎる! フォンテーヌの専属パティシエが束になっても出せないような、自然の奇跡が生み出した究極の口溶け! こんなの地上じゃ絶対食べられない! 500年頑張ってきて本当によかったああぁぁっ!)

 

「おいおい……あのバカみたいに強い水魔法ぶっ放してた奴と同一人物かよ。完全に顔が溶けてるじゃねぇか」

 

背後から、青白い稲妻の意匠が施された大剣を背負う大男、バルスが呆れたような声を出す。

 

「ふふっ、仕方ないわよ。子供にとっては、あれは毒と同じくらい強烈な甘味だもの。……それにしても、見事な食べっぷりね」

 

紫色のローブを纏った妖艶な女魔法使い、セリアが扇子で口元を隠しながらくすくすと笑った。

 

(……ゼウス・ファミリアとヘラ・ファミリアの二人には、この至福の時間は理解できないでしょうね! 最強派閥だか何だか知らないけど、心の潤いを忘れた凡人は黙っててよ!)

 

内心の叫びを隠し、私は雲菓子の残りを一口で胃に放り込むと、スッと背筋を伸ばして居住まいを正した。

口元についた甘い蜜を上品に拭き取り、華麗なターンを決めて二人を振り返る。

 

「ふん! 僕の味覚を満足させるにはまだまだだけど、まあ及第点は与えてあげよう! ダンジョンが生み出したというだけあって、なかなか面白いインスピレーションを与えてくれたよ!」

「強がってんじゃねぇよ、さっきまで『あぁぁ〜』とか溶けそうな声出してたくせに」

 

バルスがニヤニヤと笑いながら私の頭をガシガシと撫で回す。

 

「やめたまえ! 僕の完璧にセットされた髪が乱れるだろう!」

 

私は大げさに彼の腕を振り払い、ステッキ代わりに買った安物の杖で西の方角をビシッと指差した。

 

「さあ、案内したまえセリア! 次は西の湖畔だ! 『水晶飴(クリスタルドロップ)』が僕を待っている!」

「はいはい。エスコートしてあげるって言ったのは私だものね。せいぜい迷子にならないように付いてきなさいな」

 

セリアの案内に従い、私たちは18階層の美しい大自然の中を歩き続けた。

天井一面に張り巡らされた巨大なクリスタルが、まるで本物の太陽のように温かく、眩しい光を放っている。風が吹き抜けるたびに、木々の葉が擦れる心地よい音が耳をくすぐり、甘く瑞々しい花の香りが鼻腔を満たした。

 

(空気が美味しい! 中層の硫黄みたいな焦げた匂いとか、上層のカビ臭さとか全然ない! 本当にここが地下迷宮の中だなんて信じられないわね)

 

やがて、木々の隙間からキラキラと輝く水面が見えてきた。

西の湖畔だ。

透き通ったエメラルドブルーの水を湛える湖は、底の砂粒まで見通せるほどに澄み切っている。

そして、その湖畔の特定の岩場に、まるで宝石のように輝く結晶体がいくつも張り付いていた。

 

「あれが、『水晶飴(クリスタルドロップ)』よ」

 

セリアが扇子で指し示す。

 

「おおぉ……っ!」

 

私は歓声を上げながら岩場へと駆け寄り、その一つを慎重に手でもぎ取った。

親指ほどの大きさの、透き通った青白い結晶。陽の光を反射して、プリズムのように美しい光を放っている。

 

(これが……! パリパリのジュワッてやつね!)

 

私はゴクリと唾を飲み込み、その美しい宝石を口の中に放り込んだ。

 

カリッ。

 

奥歯で噛み砕いた瞬間、外側の薄い飴細工のような膜が弾けた。

 

「……っ!!」

 

中から溢れ出してきたのは、果汁のように甘くて、そして氷のように冷たい雫だった。

渇ききった喉を、極上の甘みを持った冷水が潤していく。

パリッ、ジュワァァ。パリッ、ジュワァァ。

噛むたびに口の中で弾ける食感と、絶え間なく溢れ出す冷たい甘露。

 

(あぁ……最高。最高すぎる。ダンジョンの緊張感とか疲労感とか、全部洗い流されていく……。生きててよかった。これなら毎日中層を越えてでも通い詰めたいレベルだわ……)

 

私は両手で頬を押さえ、湖畔の岩場にへたり込んだ。

もはや外面を取り繕う余裕すらない。ただただ、幸福感に脳がとろけそうだった。

 

「……おいセリア。こいつ、マジで大丈夫か? なんか魂抜けてねぇか?」

「放っておきなさい。あれで本人は至福の時間らしいわよ」

 

バルスとセリアの呆れたような会話が遠くで聞こえるが、今の私にはどうでもよかった。

 

(この水晶飴、持って帰りたいけど……セリアの話だと、1時間くらいですぐにただの水になっちゃうらしいのよね。ここでしか食べられない正真正銘の幻のスイーツ。……よし! 今日はお腹がはち切れるまで食べてやる!)

 

 

極上のスイーツ巡りを終え、すっかり日の傾いた(天井のクリスタルの光が薄暗くなった)頃。

私たちは18階層の湖畔に浮かぶ島に築かれた街、『リヴィラ』へと足を運んだ。

 

「うわぁ……なんか、すごく……柄の悪い街だね」

 

私は思わず顔をしかめた。

オラリオの洗練された街並みとは打って変わって、リヴィラは木材や岩を無造作に組み合わせただけのバラック小屋がひしめき合っている。

行き交う冒険者たちも、どこか殺気立っており、目つきの悪いならず者ばかりだ。

 

「ここは無法者の巣窟だからな。賞金首や訳ありの奴らもウジャウジャいる。気を引き締めろよ、フリーナ」

 

バルスが周囲を鋭い目で威嚇しながら、私の前に立って道を空けさせる。

 

「ふん、僕に手を出そうなんて命知らずがいるとは思えないけどね」

 

(とはいえ、絡まれたら面倒くさい! 早く宿屋に入って休みたい!)

 

やがて、街の中心にある一際大きな建物の前に到着した。

どうやらここが、リヴィラで一番大きな宿屋兼酒場らしい。

中に入ると、むせ返るような酒の匂いと、荒くれ者たちの怒声や笑い声が飛び交っていた。

 

「この宿で一番フカフカのベッドがある最高級の部屋を頼むよ! 金に糸目はつけない!」

 

私はカウンターに歩み寄り、ずっしりと重い金貨の袋を叩きつけた。

カウンターの奥から現れたのは、左目に眼帯をした、いかにも胡散臭そうなヒューマンの男だった。

 

「へへっ、景気のいい嬢ちゃんだ。だがな、ここはリヴィラだ。地上の相場と同じだと思っちゃ火傷するぜ? 一番いい部屋なら、一晩で十万ヴァリスはいただくぞ」

 

眼帯の男がニヤリと厭らしい笑みを浮かべる。

 

「じゅ、十万!?」

 

背後でバルスが素っ頓狂な声を上げた。

 

「足元見やがって……! 地上なら高級宿に一週間は泊まれる額だぞ!」

 

セリアも忌々しげに眉をひそめる。

 

18階層の物価が地上の十倍以上という凄まじいぼったくり価格であることは、知識としては知っていた。

 

しかし。

 

(スイーツのためだけに、毎日マインド無限のチート魔法で中層手前まで魔石を乱獲してきた私の資金力を舐めないでよね!)

 

私はフッと鼻で笑い、袋の口を開けて中身をジャラリとカウンターにぶちまけた。

 

「ふふっ、たったの十万かい? いいだろう、払ってあげるよ。その代わり、少しでもベッドのシーツが湿っていたり、カビ臭かったりしたら、君の店ごと水浸しにしてやるから覚悟しておくんだね!」

「ひっ……!」

 

私の瞳の奥に宿る『本気』の圧を感じ取ったのか、眼帯の男は引きつった笑いを浮かべて金貨を掻き集めた。

 

「ま、毎度あり! 最高の部屋をご用意させてもらいやす!」

 

「おいフリーナ、お前一人でそんな部屋泊まる気かよ! 俺たちはその辺で野営するってのに」

 

バルスが呆れたように私を指差す。

 

「君たちもオラリオ最強のファミリアを名乗るなら、少しは優雅な生活を心がけたらどうだい? 泥臭く野宿なんて、僕の美学に反するね!」

「私たちはこれでも遠征中の身よ。いつ敵に襲われるか分からない状況で、暢気にベッドで寝るような真似はしないわ」

 

セリアが肩をすくめる。

 

(はいはい、戦闘狂の皆さんはせいぜい硬い地面で寝てなさいな! 私はフカフカのベッドで泥のように眠らせてもらうから!)

 

「ふふん、好きにするがいいさ。では、僕はこれにて失礼するよ。素晴らしい夜を!」

 

野営の準備をする二人を尻目に、私は宿屋の階段を軽やかな足取りで駆け上がった。

案内された部屋は、十万ヴァリスの価値があるかと言われれば微妙なところだったが、少なくともカビ臭さはなく、ベッドもそれなりのクッション性を持っていた。

 

(ふぅ……疲れた。死ぬ思い?をして中層を抜けてきた甲斐があったわ)

 

私は着の身着のままベッドにダイブし、極上のスイーツの余韻に浸りながら、泥のような深い眠りについた。

 

 

翌朝。

心身ともに完全にリフレッシュした私は、18階層の入り口――すなわち、17階層へと続く巨大な階段の前で、バルスとセリアと合流していた。

 

「いやー、いい休日だった! 未知の刺激もたっぷり堪能したし、これでまた明日から優雅な引きこもりライフを満喫できるね!」

 

私が両手を大きく広げて背伸びをすると、野宿で少し目の下にクマを作ったバルスが恨めしそうに睨んできた。

 

「……お前、本当にそれしか頭にねぇのな。こっちは深夜にリヴィラのならず者が物資を盗みにきやがって、ろくに寝てねぇってのに」

「はははっ! 油断しているからそうなるのさ! 強者というのは常に余裕を持っていなければならないよ!」

「アンタねぇ……」

 

セリアが扇子でペシッと自分の額を叩く。

 

「まあいいわ。さっさと中層を抜けて地上に戻るわよ。帰路は私たちが前を歩いてあげるから、余計な魔法を撃って魔物を刺激しないようにしなさい」

「ふん、助けなど不要だが……君たちがどうしても僕の盾になりたいというのなら、その忠誠心に免じて許可してあげよう!」

 

(よっしゃ! 帰りはゼウスとヘラの二人が露払いしてくれるって! これなら全力ダッシュで逃げ回らなくても、優雅に歩いて帰れるじゃない! ラッキー!)

 

内心でガッツポーズを決めながら、私たちは長く暗い階段を上り始めた。

 

18階層の澄んだ空気が徐々に失われ、肌にまとわりつくような湿気と、鼻を突く硫黄の匂いが濃くなっていく。

中層の最深部、17階層だ。

階段を上りきった先には、昨日私が駆け抜けた、広大な岩壁に囲まれた大広間が広がっていた。

広間の奥には、『嘆きの大壁』と呼ばれる、階層主が産み落とされる真っ白な岩肌の壁が存在している。

昨日私が通った時は、誰かが討伐した直後らしく、壁の周辺には激しい戦闘の跡と紫黒い灰が散乱していた。

階層主であるゴライアスは、一度討伐されれば、次に復活するまで数週間のインターバル(次産間隔)が必要になる。

だから、昨日と同じように、今日もこの大広間は安全なはずだった。

 

(ふふん、今日も華麗にスルーして、さっさと上の階層へ……)

 

私が足取りも軽く広間の中央へ足を踏み出そうとした、その時だった。

 

ズズズズズズッ……!!

 

不意に、足元の岩盤が大きく揺れた。

 

「……え?」

 

ピタリと足を止める。

地震? いや、違う。揺れの震源は、私たちが向かおうとしている前方――広間の奥だ。

 

「おい……嘘だろ」

 

バルスが立ち止まり、その青い瞳を驚愕に見開いて前方を見据えた。

 

「……っ!」

 

セリアも息を呑み、即座に手にした杖を構える。

二人の視線の先。

目の前の『嘆きの大壁』。その真っ白な表面に、ピキッ、ピキッ、と亀裂のような黒いヒビが走り始めた。

ヒビは瞬く間に蜘蛛の巣のように広がり、壁全体が脈打つように、ドクン、ドクンと不気味に蠢き出す。

 

(ちょっと待って。何これ。どういうこと?)

 

嫌な汗が背筋を伝い落ちる。

ミリアさんの講習で聞いた知識が、脳裏にフラッシュバックする。

 

『ダンジョンは生きています。壁や天井が破損しても自己修復し、そこから無限にモンスターを産み落とします』

 

メリィィィィッ!!

 

巨大な岩壁が、内側から押し破られるようにひしゃげた。

大量の土砂と白い岩の破片が雪崩のように崩れ落ち、もうもうと土煙が舞い上がる。

そして。

 

『ゴオォォォォォォォォォォォォォォォッッ!!!』

 

内臓を直接かき回され、魂の根源から恐怖を呼び起こされるような、凄まじい咆哮が広間に響き渡った。

 

「ヒッ……!?」

 

鼓膜が破れそうなほどの音圧に、私は思わず両手で耳を塞いでしゃがみ込んだ。

土煙を裂いて現れたのは、巨大な『手』だった。

太い丸太を何本も束ねたような、筋骨隆々の灰褐色の腕。

それが崩れた壁の縁を掴み、自らの体をダンジョンの奥底から引きずり出す。

ズンッ!! と重い足音が響き、広間の地面が跳ねた。

 

姿を現したのは、天井にも届こうかという全高7メートルを超える巨人。

筋骨隆々の肉体に、凶悪に歪んだ顔。その双眸は、侵入者である私たちを明確な殺意を持って見下ろしている。

17階層の迷宮の孤王(モンスター・レックス)――階層主『ゴライアス』だった。

 

(うっそでしょ!? なんで!? 数週間は湧かないってミリアが言ってたじゃない! まだそこそこ日数があるって言ってたのに!)

 

顔を引きつらせて後ずさる私をよそに、バルスとセリアはスッと前に出て武器を構えた。

 

「インターバルが経過したのか」

 

大剣を肩に担ぎ直しながら、バルスがチッと舌打ちをして吐き捨てる。

 

「……誰かが討伐した直後じゃなかったのかしら。だとしたら、つくづく運が悪いわね」

 

紫のローブを翻し、セリアが扇子をパチンと閉じて魔力(マインド)を練り上げ始めた。

 

「……ぼ、僕のせいではないからな!」

 

私は咄嗟に自己弁護の声を上げた。私の幸運ステータスがマイナスに働いたとか、そういうのじゃないはずだ。私がスイーツを食べに来たタイミングで都合よく湧くなんて、神の悪戯にも程がある!

 

「誰もそんなこと言ってないから安心しろ」

 

大剣の柄を握りしめ、バルスがニヤリと獰猛な笑みを浮かべる。その目には、恐怖ではなく、強敵と戦える歓喜の色が浮かんでいた。

 

「で? 逃げる? バルス」

 

セリアが冷ややかな視線を前方の巨人へ向けたまま、静かに問う。

 

「バカ言え! 食ってやるさ。ちょうど良い経験値()だ」

 

(……は?)

 

私は自分の耳を疑った。

 

「ほ、本当に言ってるのかい!? 相手は階層主だよ!? 君たちだってレベル2か3くらいだろう!? 推奨レベルだって全く足りてない! 2人で勝てるわけないじゃないか!」

 

いくらオラリオ最強のファミリアの人間とはいえ、階層主をたった2人で狩ろうなど、正気の沙汰ではない。

英雄願望(アルゴノゥト)をこじらせた戦闘狂の考えることは全く理解できない!

 

(冗談じゃない! 私は優雅にスイーツを食べて帰るだけなの! こんな筋肉ダルマと命懸けの死闘なんて絶対にお断り!)

 

私が全力で回れ右をして、18階層へ続く階段へ逃走しようとした瞬間。

 

ガシッ。

 

紫のローブの女が、私のマントの襟首を後ろから強く掴んだ。

 

「ちょっ……!」

「貴方も戦うのよ、フリーナ」

 

セリアが、有無を言わさぬ冷徹な瞳で私を見下ろした。

 

「……えぇ!?」

 

『グオォォォォッ!!』

私の悲鳴を掻き消すように、ゴライアスが巨大な両腕を振り上げ、私たちに向かって突進を開始した。

地鳴りが大広間を揺るがし、圧倒的な死の気配が迫り来る。

 

(嘘でしょおおおおおっ!? なんで私がこんな目にぃぃぃぃっ!?)

 

幻のスイーツの甘い余韻は完全に吹き飛び、私は絶望的な階層主との死闘へと、強制的に引きずり込まれるのだった。

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