眩しい。
ひたすらに、眩しい。
「ふははははっ! 見たまえバルス、セリア! この圧倒的な太陽の光を! やはり衆水の主たるこの僕には、陰鬱な地下迷宮よりも燦々たる陽光こそがふさわしいね!」
数日ぶりの地上の空気だ。
肺の奥まで吸い込むと、ダンジョン特有の硫黄と血の混じったようなカビ臭さが嘘のように浄化されていく。
「あーあー、うるせぇぞチビっ子。街のど真ん中で大声出してんじゃねぇよ。目立ってしょうがねぇ」
背後から、無骨な大剣を背負った大男――
その隣では、紫色の豪奢なローブを纏った
「本当に、無駄に元気な子ね。こっちは泥のように疲れているっていうのに」
「ふふん! それは君たちの鍛錬が足りないからさ! 僕の無尽蔵の体力を見習うことだね!」
(当たり前でしょ! 帰りの上層までの道のり、魔物は全部あなたたち二人が露払いしてくれたんだから! 私は安全な後方を鼻歌まじりに歩いてただけ! 最高!)
内心の俗物極まりない本音を完璧な「神の外面」でコーティングし、私はフフンと胸を張った。
「へっ、次潜る時はお前が先頭歩けよな。じゃあなフリーナ、また近いうちに声かけるわ」
「ええ。せいぜい次の探索までに鈍らないようにしておくことね」
バルスがニカッと笑って大きな手を振り、セリアが妖艶に微笑んで踵を返す。
二人はそれぞれのファミリアの拠点がある方向へと歩き去っていった。
二人の背中を見送った後、私は足取りも軽く、オラリオの北側にある宿屋へと向かった。
現在、私の所属する【ロキ・ファミリア】は、結成されたばかりでこの宿を拠点として借り上げているのだ。
石畳の大通りには、様々な種族の冒険者たちや商人たちが活気ある声を響かせている。
屋台から漂ってくる串焼きの香ばしい匂い。ショーケースに並べられた宝石のようなタルト。
(あぁ、やっぱり地上は最高! ゴライアスの魔石の欠片を換金したら、明日はどこのスイーツ店を買い占めようかな!)
頬を緩ませながら、私は宿屋の重い木扉をカランコロンと押し開けた。
「おお! フリーナ、無事に帰ってきたんか! ほんまに一人で中層行ってきたんか?!」
一階の酒場スペースの奥から、朱色の髪を束ねた糸目の神――ロキが、ひらひらと手を振りながら駆け寄ってきた。
「当然だろう、ロキ! 僕を誰だと思っているんだい! 中層の魔物など、僕の通り道を濡らす水滴にも満たない存在さ!」
ビシッと指を突きつけて大見得を切る。
私は優雅な足取りのまま自室へと続く階段を上った。
* * *
「はぁぁぁ…………生き返る……」
宿屋に備え付けられた木製の浴槽。
たっぷりと張られた熱いお湯に首まで沈み、私は魂が抜けたような声を漏らした。
ダンジョンの湿気、魔物の返り血、そして17階層の
(今回は本当に、運が良かったとしか言いようがない……)
お湯の中で、自分の両手を見つめる。
華奢で、とても巨大な怪物の拳を受け止められるような作りではない真っ白な手。
この手で、あの7メートルを超える巨人の腕を受け止め、斬り落としたのだ。
『
戦闘時間の経過とともに全能力に高補正がかかる、私のスキル。
あれが仕上がった時の、血が沸騰するような全能感は確かに凄まじかった。
だが、逆に言えば、そのスキルが発動するまでの十数分間、私はただの「少し足の速いレベル1」でしかなかったのだ。
(もし、バルスとセリアがいなかったら? あの二人がヘイトを稼いで、命懸けで時間を稼いでくれなかったら?)
湯船の中で、ブルッと身震いした。
間違いなく、私はゴライアスの最初の一撃で真っ赤なトマトジュースに変わっていただろう。
(いや、そもそも戦うことなく撤退一択だろ)
(他人頼みの生存戦略じゃ、いつか絶対にボロが出る。私が望むのは『安全に、楽して、優雅にスイーツを食べて暮らす第二の人生』! そのためには、どんな不測の事態が起きても生き残れるだけの、絶対的な“地力”が必要なんだ)
ザバァッ、とお湯から立ち上がり、私はタオルで身体を拭きながら決意を固めた。
* * *
「ほな、やろか」
湯上がりの火照った身体に薄手のシャツをふわりと羽織り、私はベッドにうつ伏せになった。
ランプのオレンジ色の光が、石造りの壁に私たちの影を揺らしている。
「じっとしててや。ちょっと冷たいで」
背中の肌に、ツピッと冷たい神血が垂らされる。
ロキの指先が私の背骨に沿って滑り、
ダンジョンに潜っていた間の『
(今回は階層主っていう超特大の獲物を狩ったんだ! 道中の中層でも魔石を大量に集めたし、さぞかしステイタスが爆上がりしてるに違いない!)
私はベッドのシーツに顔を埋めながら、フフンと鼻を鳴らした。
「僕の圧倒的な成長に、腰を抜かさないように気をつけるんだね、ロキ」
背中で動いていたロキの指先が、スッと離れた。
「……終わったで。ほれ」
バサッ、と羊皮紙が目の前に突きつけられる。
私は意気揚々とその数値に目を落とした。
フリーナ・ドュ・フォンテーヌ Lv.1
【力 :E 422 → E 438】
【耐久:E 628 → D 655】
【器用:D 515 → D 535】
【敏捷:C 642 → C 691】
【魔力:S 999】
「…………ん?」
私は羊皮紙を二度見し、思わず目をパチパチと瞬かせた。
(え? なにこれ? あんなに死ぬ思いして、一番伸びた敏捷でプラス49!? 力なんて16しか上がってないじゃない! )
私は肩透かしを食らったような気分になった。
階層主を倒したのだ。
もっとこう、一気に数百くらい数値が跳ね上がるものだとばかり思っていた。
(そうか……いくら格上を倒したとはいえ、戦闘の大半は回避に徹してたし、俊敏っていうより魔法で強引に回避してたわけで上昇は難しいのか)
内心でブツブツと不満を垂れながら、私はため息を呑み込んだ。
(攻撃もほとんどステイタスの差が消えてからの攻撃しか入れてないから『
「ふ、ふん……まあ、こんなものだろう。僕の底知れぬ器を満たすには、少し刺激が足りなかったようだね」
外面を取り繕い、髪をかき上げながら振り返る。
しかし、ロキの反応は私の予想とは全く違っていた。
「レベルアップできる……」
ロキが、信じられないものを見るように羊皮紙を握りしめ、ワナワナと震えている。
「レベルアップできる!?!?」
突然、ロキが鼓膜を破らんばかりの大声を上げた。
普段の細い糸目が限界まで見開かれ、朱色の瞳が私を射抜いている。
「ちょ、フリーナ! あんた、オラリオに来てまだ三ヶ月も経ってへんのやで!? レベルアップの条件である『偉業』を達成してる……まさか、ホンマに一人で中層まで突っ切ったんか!?」
「!? 信じてなかったのかい!?」
「あんたは下界の子やのに、嘘かどうか分かりづらいねん。まぁでもそんなんどうでもええわ! レベルアップや! 最速記録や!!」
ロキが興奮のあまり丸椅子を蹴り倒し、部屋を飛び出そうとした、その時。
「保留で」
私はベッドから身を起こし、極めて冷淡に、ピシャリと言い放った。
「…………は?」
ロキの動きが、まるで時を止められたようにピタリと静止した。
彼女はポカンと口を開け、ゆっくりと首を傾げる。
「え? 保留? いやいや、ちょっと待ってやフリーナ。最速記録やで? オラリオ中がひっくり返る大ニュースやで!? ファミリアの名声も爆上がりやし、フリーナも一躍大スターや!」
「だから保留だと言っている」
はだけたシャツの襟を直しながら、私はロキを真っ直ぐに見据えた。
(あのさぁ……三ヶ月でレベルアップなんて異常な真似してみなさいよ。ギルドからは絶対マークされるし、めんどくさい事になるに決まってる。それにステイタスにはまだ伸び代があるんだこれをスキップすると絶対後悔するに決まってる)
そんな俗物極まりない本音を、分厚い「神の外面」の奥底に厳重に封じ込める。
「最速の雑魚になる気はないし、ステイタスの伸び代を放置するのも気に食わない」
「……いや、そりゃそうやろうけども」
ロキが納得いかないように頭を掻きむしった。
冒険者の常識として、ランクアップすれば現在のステイタスの数値は『隠しパラメータ』として器の底に蓄積される。
つまり、レベル毎に限界まで数値を上げておいた方が、最終的な強さは圧倒的に高くなるのだ。
「今回、ゴライアスと戦って確信した」
「……ん? ゴライアス? 17階層の階層主か!? お前、ホンマにあんなバケモンとやり合ったんか!?」
「『
「レベルアップに浮かれて見逃しとったわ」
「はぁ、まあいいか。それで、スキルの効果だが、間違いなく強い。ただ、それが使い物になるまでの時間がかかりすぎる」
私はロキの驚愕を無視して、淡々と事実を告げる。
あの大広間での死闘。
『
もし私の基礎スペック――地力がもっと高ければ、あそこまで回避に専念してジリ貧になる必要はなかった。最初からもっと安全に立ち回れたはずだ。
「ん?ん?ん? まぁええか? ほんで?」
「その時間を埋めるためにパーティーを組んだが、それでも最後にものを言うのは地力だ」
私は自らの華奢な両手を握りしめ、ロキに向けた。
「他人に命を預けるのは合理的だ。だが、自分が弱ければ、いざという時に破綻する。僕は、誰にも頼らずとも生き残れるだけの絶対的な基礎値が欲しい。レベルアップで器を広げるのは、器の限界であるオールSを果たしてからでも遅くはない」
(そう! 楽をするためには、最初の下積みが肝心! 今ここでステイタスをカンストさせておけば、レベル2になった時に圧倒的な余裕が生まれる! レベル1での苦労は、将来のふかふかベッドと極上スイーツへの投資!)
私の堂々たる宣言に、ロキは呆れたように息を吐き出した。
「さ、さよか。……お前、ホンマに見た目に合わずエグい思考しとるな。徹底した完全主義というか、なんというか。……え? ちょっと待て。今、パーティー組んだ言うた?」
ロキがふと何かに気づいたように、目を細めた。
「ああ、ゼウス・ヘラの2人組とな」
「マジか」
ロキが両手で顔を覆い、天井を仰いだ。
今のオラリオにおいて、
新参の、まだ名を上げていない【ロキ・ファミリア】の末端が、よりにもよってその二大巨頭の構成員とパーティーを組み、あろうことか階層主を討伐してきたなど、ロキからすれば頭痛の種でしかないのだろう。
「お前……どんだけヤバい橋渡ってんねん。あの二大派閥の連中と絡むとか、普通やったら胃に穴開くで……?」
「ふふっ、何を言っている! 彼らの方から僕の圧倒的な輝きに魅せられて、盾になりたいと懇願してきたのさ! 僕は慈悲深い神として、その忠誠心に応えてあげただけだよ!」
「……はぁ。もうええわ。お前のその図太さ、ある意味才能やな」
ロキがベッドの脇に座り込み、お手上げだというように両手を挙げた。
「分かった。レベルアップは保留や。フリーナが納得いくまで、とことんステイタス突き詰めたらええ。……せやけど、これ以上無茶して死ぬんやないで?」
「当然さ! 僕を待つ大舞台と、極上のスイーツが地上の至る所に溢れているのだからね! 僕の物語は、まだ始まったばかりだよ! ふはは!」
私はベッドの上で華麗に立ち上がり、誇り高く胸を張った。
窓の外では、オラリオの夜空に満天の星が輝いている。
私の野望に満ちた(そして限りなく俗物的な)笑い声が、小さな宿屋の一室に響き渡っていた。