ここだけ命の答えに辿り着いた少年に脳を焼かれたゲヘナ生がいる世界線 作:伝説の超三毛猫
―――これはネネが、先生に“本心”を告白するより、少し前の話。
茜色に染まり始めた夕暮れの街角。
ぽつりと灯った「柴関ラーメン」の赤提灯の下で、一人の生徒が気持ちよさそうに息を吐いていた。
「んふ〜……いやぁ、今日も五臓六腑に染みわたるねぇ、大将」
「へい毎度! 喜んでもらえて何よりだよ、ホシノちゃん」
彼女の名は小鳥遊ホシノ。
ただでさえ眠たげな目元をさらにくしゃりと緩めて、目の前のどんぶりに向き合っていた。
湯気とともに立ち上る醤油と出汁の香ばしい香り。琥珀色に透き通ったスープから、旨みをたっぷり纏ったちぢれ麺をすくい上げ、つるりと一気に吸い上げる。
広いアビドスの自治区を日々見回るホシノにとって、この屋台で過ごすのどかな時間は、数少ない至福のひとときだった。
「ごめんください……」
「おっ、いらっしゃい!」
屋台の暖簾をくぐり、新たな客が滑り込んでくる。
海色の髪を後頭部で小さなお団子にまとめ、黒を基調としたゲヘナ学園・風紀委員会の制服に身を包んだ少女―――雨塚ネネだ。
背負った銃の重みのせいか、それとも心の疲労ゆえか、その肩はどこか重たく落ちている。
そんなネネの様子を察しながらも、柴大将はあえていつも通りの威勢のいい声で迎えた。
「お疲れさん、ネネちゃん。注文は……いつものでいいかい?」
「……はい。醤油ラーメン、ひとつお願いします」
「はいよ、ちょいと待ってな!」
パイプ椅子を引き、どこかぎこちない動作で腰を下ろすネネ。
その隣で、ホシノはレンゲを止めるでもなく、まったりとした眼差しをチラリと隣の少女へと向けた。
(へぇ……ゲヘナの風紀委員さんかぁ。あんな顔をして……ずいぶんと重たいものを背負い込んでそうだねぇ)
そう思ったことに理由はない。直感だ。
だがそれを詳しく聞くのもどうかと思った時、ネネもホシノに気付いたのか、声をかけてきた。
「その校章、アビドスの…?」
「うへ、そうだよ~。君はゲヘナの風紀委員だよね? こんな遅くまで見回り?」
「…………はい、そうです。ここのラーメンはその、見回り後に必ず寄るので」
「そっか~。ここのラーメン、絶品でしょ~?」
「はい」
ネネは小さく頷くと、それ以上言葉を重ねようとはせず、視線をどんぶりの置かれるカウンターの木目に落とした。
…なんというか、頑なな沈黙だ。
どこか心を閉ざしているような…あるいは会話の糸を自分から手放してしまっているかのようだ。
「――へいお待ち! 特製醤油ラーメンね!」
そんな沈黙が続きしばらくすると、大将の威勢のいい声とともに、ネネの前に湯気を上げるどんぶりがドンと置かれた。
香ばしい匂いが鼻腔をくすぐる。
本来ならお腹を鳴らして喜ぶべき瞬間なのだろうが、ネネは箸を取ると、ただ無言で麺を口へと運んでいく。
その様子を、ホシノはスープをすすりながら、少しだけ細めた目で観察していた。
(……うーん、なんだろうねぇ、この子は)
そんなつもりはないが、分かってしまう。
ネネの食べ方……味わって食べているというよりは、エネルギーを補給するための作業のようだ。
ホシノ自身、数え切れないほどの修羅場をくぐり抜け、たくさんのものを背負っている自負がある。だからこそ、痛いほどわかるのだ。
この少女がまとう空気は、自分と同じ「痛みを隠して、無理にでも前を向こうとしている者のそれ」だと。
ぴくり、とネネの左手がわずかに震えた。
何かと思えば、包帯が巻かれているのが見えてしまった。
転んだ拍子に捻ったのか、あるいは任務で受けたのか……………包帯が巻かれている手首のあたりが痛んだのだろう。
ネネは眉をひそめかけたが、すぐにハッとしたように表情を引き締め、何事もなかったかのように箸を動かし直す。
「痛くない、か」
ホシノがぽつりと、小さく呟いた。
声は小さかったはずだが、静まり返った屋台の空間ではやけに響いた。
「……え?」
ネネが驚いたように顔を上げる。その瞳には、変に強がった警戒の色が浮かんでいた。
「あぁいや、ごめんね〜? なんでもないよ〜。独り言、独り言」
ホシノはふにゃりと目を三日月型に曲げ、いつも通りの気の抜けたの笑みを作ってみせる。
その上で、少し世話を焼くことにした。
「ただね、おじさん、見ててちょっとハラハラしちゃってさ。そんなに力んで食べたら、ちゃんとラーメンも味わえないでしょ?」
「……力んでなんか、いません」
ムッとしたように、ネネはぷいと顔をそむけた。
「風紀委員として、私はいつだって正常に、やるべきことをやっています。任務も、見回りも、後始末も……全部、私がやらなきゃいけないことですから」
「やらなきゃいけない、かぁ」
その言葉の端々に、妙な義務感と焦燥が滲んでいる。
――私がお手本にならなきゃ。私がしっかりしないと。私がゲヘナを守らなきゃ……。
その先にあるものが、言葉にしなくとも、その背中がそう叫んでいるのがホシノにはありありと見えた気がした。
「………」
その姿が、誰に重なっただろうか。
夢見がちな先輩を叱りつけて、廃校になりかけている学校の復興に夢中で。
そして、何も知らない……知る余裕も持ってない、かつての
ホシノはレンゲを置き、すっと姿勢を正す。先ほどまでの気の抜けた空気は、ほんの一瞬で消え去っていた。
「ねぇ、きみ」
「……なんですか?」
「無理してない?」
なんでもないようにホシノから振られた、たった一言。
それに、ネネの体がピクリと硬直した。
図星を突かれた。そう、言わんばかりに。
「……っ、なにを、急に……」
「おじさんには分かるんだよ。そういう目をしている子を、よく知っているからね」
ホシノは自分の手を見つめる。
かつて、あの人を守れなかった絶望の中で、すべてを一人で背負い込もうとしたあの日の自分の姿が、目の前の少女と重なって見える。
「背負わなくていいものまで抱え込んで、痛いのに痛くないフリをして……。そんなふうに無理して大人になった子はね、いつかポキッと、一番大事な時に折れちゃうんだよ」
「……折れません!」
ネネが思わず声を荒らげた。
その瞳には、ムキになった反発心と悔しさが浮かんでいた。
「折れたりなんか……しない。私は、折れちゃいけないんです。守れなかったものがあるなら、二度とあんな思いをしないために、強く、正しくなくちゃいけないんです……っ!」
声を張り上げたネネの肩が、小刻みに震えていた。
自分で言ったその言葉が、自分の胸をも抉るように、痛みを伴って響く。
―――私は、強くならなきゃいけない。あの日、屋上で冷たくなっていく理の手を握り締めることしかできなかった、無力な子供のままではいけない。
強くならねば。強くあり続けなければ。
風紀委員として、キヴォトスで生きる者として、背筋を伸ばし続けなければ。
―――そうしなければ、冷たい死に沈んでしまうから。………心の奥底にある恐怖や絶望に押しつぶされてしまうから。
そんなネネの姿を、ホシノは静かに、ただ見つめていた。
もちろん、ネネの内心など、ホシノには全然わからない。だが、何かを感じ取ったのだろう。
眠たげだったはずのオッドアイの瞳が、今は深く、底知れない優しさを湛えてネネをとらえている。
「……そっか」
ホシノはふっと、どこか遠くを見るような、優しい笑みを零した。
「強い子だねぇ、きみは。……おじさんよりもずっと、ずっと偉いよ」
「……馬鹿に、しないでください。私なんて、全然……」
「馬鹿になんてしてない。本気でそう思ってるよ」
ホシノは静かにため息をつくと、ネネの隣の席へと少し体を寄せ、その頭にぽんと優しく手を置いた。
「……冷たい風に当たりすぎると、心まで凍えちゃうよ」
「っ……!」
「おじさんはね、もっと頼りないし、大人げないよ。たまにはさ、周りの皆に甘えちゃっても、バチは当たらないんじゃないかな」
頭に置かれた手のひらは、驚くほど温かかった。
あたたかな太陽のように、どこか懐かしくて。
氷を溶かすように、頑なに閉ざしていた心の壁を溶かしていくような温もり。
「……甘えちゃ、いけないんです」
ネネは震える声でそう呟くのが精一杯だった。
それでも、最初に屋台に入ってきた時のように、強がりを押し通すことはもうできなかった。
柴関ラーメンの屋台を包む、あたたかな湯気と夜風。
言葉はそれ以上続かなかったが、二人の間に流れる空気が、ほんの少しだけ柔らかくほどけていくのだった。
「ホシノちゃん」
ネネが食事と勘定を終えて、逃げるように屋台を去った後。
それまで空気を読んで静かに丼を洗っていた柴大将が、ふうと白い息を吐いて話しかけてきた。
「ありがとな」
「ん~? 何が~?」
ホシノはすっかりぬるくなったスープをレンゲですくいながら、とぼけた顔で首をかしげる。
「あの子……ネネちゃんに話しかけてくれたことさ」
大将は手元の布巾でカウンターを丁寧に拭き上げながら、遠く夜道へ消えていった少女の背中があった方を切なそうに見つめた。
「ネネちゃんな、いつも見回りの終わりにここに来てくれるんだよな。ありがたい常連さんなんだが………ここ最近、ずっと表情が晴れなかったんだよな」
「そうなの?」
「あぁ。いつ来ても、同じ顔をしてるんだよ。『お疲れさん、今日も大変だったかい?』って聞いてもさ、『気にしないでください、風紀委員の仕事ですから』って……ロボットみたいに硬い笑みを浮かべるだけでね」
大将は湯気の向こうで、深く、重い吐息を漏らした。
「最初は仕事の疲れかと思ってたんだが、どうも違う。どうしてだか、ずっと引っかかっててな……で、ある時ふと思い出したんだよ。あの顔、どこかで見たことあるなってさ」
「へぇ……大将の人生経験ってやつ?」
「あぁ。ちょっと前……店が吹っ飛ばされる前だったかな。そん時に行った―――ダチのじいちゃんの葬式で見たそいつの顔によく似てた」
「……!」
ホシノの手にあったレンゲが、ピタリと止まる。
「悲しくて、悔しくて、今にも倒れそうなのに……『遺族だからしっかりしねえと』って、無理に背筋を伸ばして葬式を取り仕切ってたダチの顔だ。涙を一滴も流さない代わりに、心が内側からメリメリ折れていくような……あの子は、そんな顔をしてラーメンを食ってたんだ」
まるで、一番大切な存在を亡くしたばかりの「遺族」のような顔。
柴大将の感覚は、ネネのそれとよく似ていると語っていた。
「それって、つまりネネちゃんは、誰か……」
「そこまでは分からねぇ。店主と常連の関係だ、事情も知らねぇのに、そこまで踏み入ることは出来ねぇよ」
ただ。
それでも、柴大将は、自分に出来ることを続けながら、ネネを心配していたつもりなのだ。
柴大将は腕を組み、照れ隠しのようにへへっと笑ってみせたが、その瞳には一人の大人としての優しさと誇りが宿っていた。
「俺に出来ることは、暖簾をくぐってくれた客に、その日一番の温かい一杯を出すことだけだ。
せめてこの屋台にいる間だけでも、お腹を満たして、嫌なことを忘れてくれりゃあそれでいい」
ネネが残していった、きれいに空になったどんぶり。
そこには、大将の「美味しいものを食べて元気になってほしい」という願いと、それに応えようとしたネネの健気さが、確かに残されていた。
「流石だね~、大将。道理で、今日のラーメンは気合が入ってたわけだ」
「嬉しいこと言ってくれるねぇ、ホシノちゃん。
そんな気の利く言葉をくれたホシノちゃんには、お礼にサービスだ」
寸胴から掬い取られたスープが小鉢に注がれ、ホシノの前に置かれる。
紫関ラーメンの、特製中華スープである。
「おぉ~!大将太っ腹~!いただきま~す!!」
ホシノは目を細めると、湯気立つスープに口を付けた。
体に染み渡る温もりを感じながら、ホシノは去っていったネネの夜道を思い、そっと呟く。
(……大丈夫だよ、大将。あの子はきっと……ちゃんと美味しくラーメンを食べられるようになるさ)
静かな夜の街角。赤提灯の灯りが、昔懐かしくあたたかな人情を包み込んでいた。
―――それから、しばらくして。
シャーレのオフィスへと続く、日当たりのいいロビー。
書類の受け渡しでやってきたネネは、窓際のベンチに足を投げ出し、気持ちよさそうにあくびを噛み殺している人物を見つけた。
「……ホシノさん?」
「んへ? ……あ、ネネちゃん。やあやあ」
声をかけると、ホシノは眠たげな目をしばたたかせ、ふにゃりと和やかな笑みを浮かべた。
あの日、柴関ラーメンの屋台で交わした重苦しいやり取りが嘘のように、彼女はいつもの気の抜けた「おじさん」の姿に戻っていた。
「風紀委員のお仕事? お疲れ様~」
「はい。先生に書類を届けに来たところです。……ホシノさんは、またここでお昼寝ですか?」
「うへへ、バレた? 先生が『少し休んでいきな』って言ってくれたからさぁ。お言葉に甘えて日向ぼっこ中ってわけ」
ホシノはぽんぽんと自分の隣のスペースを叩いた。
「立ち話もなんだし、座りなよ。ジュースでも奢ってあげるからさ」
「……すみません、いただきます」
ネネは少し躊躇いながらも、ホシノの隣に腰を下ろした。
ホシノがベンチの脇に置いてあったスポーツドリンクを差し出してくる。
以前のネネなら、どこか身構え、氷のような緊張感をまとっていただろう。
だが、今日のネネの佇まいは、あの日とは明らかに違っていた。
肩から余計な力が抜け、海色の瞳には、どこか柔らかい光が宿っている。
ホシノは缶のプルタブをチリッと引きながら、そんなネネの横顔をチラリと盗み見た。
(……ふ~ん?)
背負っているものの重さが消えたわけではない。
傷が完全に癒えたわけでもないだろう。
けれど、あの日見た、今にも折れそうだった強がりは、今のネネからは綺麗に消え失せていた。
「ねぇ、ネネちゃん」
「はい?」
「何か、いいことでもあった?」
ホシノの問いかけに、ネネは一瞬だけ目を見開いた。
そして、少しだけ気恥ずかしそうに視線を落とすと、胸のポケットにそっと手を当てた。
「……先生と、少し話をしまして」
「へぇ、先生と」
「はい。『前を向けない自分を責めないでいい』って……『立ち止まったっていいんだ』って、そう言われました」
ネネはゆっくりと缶ジュースに口をつけ、微かに微笑んだ。
「……私はずっと、大人にならなきゃいけないと思っていました。誰かを守るために、強くなきゃいけないって。でも……先生は、私の弱さも、情けなさも、全部受け止めてくれたんです」
言葉の端々に滲むのは、あの日聞こえた焦燥や諦めではない。
確かな温もりと、生きて前を進もうとする健気な決意だった。
「……そっか」
ホシノは空を見上げ、ふっと目を細めた。
眩しい太陽の光が、ガラス越しにロビーをあたたかく照らしている。
(……まったく、あの大人は本当、嫉妬しちゃうくらい立派な大人なんだから)
自分が届かせられなかった場所へ、先生はちゃんと手を差し伸べ、この子を救い上げたのだ。
大切なものを失った痛みを抱えたまま、それでも生きていっていいのだと、教えてあげたのだ。
「よかったねぇ、ネネちゃん」
ホシノはいつもの緩い口調で、ネネの頭をぽんと撫でた。
今度の手は、あの日屋台で置かれた手よりも、ずっと軽やかで、優しい。
「無理して大人にならなくても、君の周りにはちゃんと、頼れる大人がいるんだからさ」
「……はい。……ホシノさんにも、感謝しています」
「えっ、おじさんに?」
「あの時、屋台で私に声をかけてくれたこと……『無理してる』って気づいてくれたこと。嬉しかったです。あの言葉があったから、私、自分の限界に気づけたのかもしれません」
ネネは真っ直ぐにホシノを見つめ、深く頭を下げた。
「ありがとうございました」
「うへ〜、おじさんにお礼なんて、いいのに~」
ホシノは照れくさそうに頭をかくと、ガシガシとネネの髪を少し乱暴に撫で回した。
「ま! これでまた一つ、柴関ラーメンの味が美味しく感じるようになったなら、おじさんとしては大満足だけどね!」
「あ……! ちょっと、髪が崩れます……っ」
「ははは! 風紀委員にも、たまには隙があった方が可愛いって!」
ベンチに響く、小さな笑い声。
かつて傷を隠して強がっていた少女は、もう一人で抱え込むのをやめた。
無理して大人になった子は、大人の温もりを知って、少しずつ「自分の時間」を取り戻していく。
窓から差し込む春のような日差しが、二人の少女をどこまでも優しく包み込んでいた。
まぁホシノのことをよく知っている先生方は「ブーメラン」と思うかもしれませんが、この時点で地下生活者の事件が起こるなんてわかりませんからね。
ネネのCV(願望)
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羊宮妃那
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ブリドカットセーラ恵美
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水野朔
-
悠木碧
-
竹達彩奈
-
下地紫野
-
洲崎綾
-
泊明日菜
-
小岩井ことり
-
小山内怜央
-
その他(感想にて…)