ここだけ命の答えに辿り着いた少年に脳を焼かれたゲヘナ生がいる世界線   作:伝説の超三毛猫

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ネネが帰還したタイミングは、キタローを見送った、まさにその直後だったりする。


風紀委員の憂鬱

 学園都市キヴォトス。

 銃と火薬が日常のこの世界でも、ゲヘナ学園は特に治安が悪い。

 

 「自由と混沌」を校風としている他、破天荒、型破り、粗暴な生徒が多い。

 それに銃撃戦が日常茶飯事というキヴォトスの価値観も加わっている為、領内の治安は非常に悪い。

 

 もはやこの学園内だけ世紀末なのでは、と言われる有様で、学級崩壊は当たり前。

 おまけに、部活動に至っては「温泉開発」と称してそこら中を破壊して回る温泉開発部や、美食を極めると言いながら気に入らない店を爆破する美食研究会といった、テロ組織の巣窟だ。

 昨日まで普通に通れていた通学路が、翌朝には温泉開発部によってクレーターに変わっているなど日常茶飯事。ランチの味が少し薄かったという理由だけで、レストランが瓦礫の山になっていた、なども当たり前。

 

 しかも肝心の生徒会も、無責任な思いつきで校則を増やしたり、予算を勝手に使い込んで奇妙な銅像を建てたりする始末。

 教育機関としてほぼ機能していない。

 

 そんな中で…唯一、そのゲヘナの秩序を守る組織がある。

 

 風紀委員会。

 委員長の空崎ヒナを筆頭とした、真面目な生徒達は、日々ゲヘナ学区の治安を守るために働いている。

 

 その、風紀委員会のオフィスでは、今。

 

 

「はぁ……」

 

 一人の少女………天雨アコが、ため息をついていた。

 

 彼女のデスクの上に山積みにされているのは、いつもの「温泉開発部による被害届」や「美食研究会の始末書」――ではない。

 アコが眉間に深いシワを寄せながら凝視しているのは、たった一枚の、ひどく簡素な報告書だった。

 

【雨塚ネネ・職務復職願】

 

 そこには、ゲヘナの生徒が書いたとは思えないほど、乱れのない、事務的で綺麗な文字が並んでいる。

 

「……本当に、これだけなんですか」

 

 誰もいないオフィスで、アコはぽつりと呟いた。

 彼女が行方不明になっていた期間は、わずか一週間。

 

 ある日突然連絡が途絶え、風紀委員を動員して捜索したものの足取りは掴めず、そして一週間後………何事もなかったかのように路地裏でぼーっと佇んでいるところを発見された。

 記憶喪失でもなければ、ヘイローに傷がついているわけでもない。怪我すら一つもない。

 

 それなのに――。

 

 

「問題ありません、と彼女は言いましたけれど……」

 

 

 アコの脳裏に、復帰直後のネネのあの目がよぎる。

 以前の、あの少し気弱で、ゲヘナの銃撃戦に怯えながらも真面目に働いていた、普通の風紀委員の面影はそこにはなかった。

 己の怪我を顧みず、敵陣に突っ込んでいく姿。

 ごろつき相手だったとはいえ、またたく間に敵を制圧する力量。

 ヒナの圧倒的な力とはまた違う、効率的に敵を無力化することに特化したかのような戦術と、それをやってのける精神性。

 

 明らかに何かがあった。

 アコの副官としての経験則が、勘としてそれを伝える。

 

 決め手になったのは、もう一枚……復職願を置いた次に手に取った紙。

 それは……救護医学部から借りた、ネネのカルテだった。

 

 ネネが発見された直後、2日間だけ救護医学部で療養していたことがあった。

 そこに書かれていたことは、ネネが1週間の行方不明期間で、怪我を負ったことも違法な麻薬を打ち込まれたこともないことも無いことを証明していた。

 それと同時に、あることも書かれていた。

 

 

『周囲に人がいる時、入眠しない』

『やむを得ず距離をとって患者の睡眠の様子を見たところ、寝言を呟くことあり。人の名前か。以下に寝言に出た人名を載せる(一部聞き取れない単語あり)』

『ジュンペイ ユカリ サナダ先輩 ア?ダくん ?ツル先輩 コロマル ア?ガキさん マコト』

 

 

 アコは眉をひそめた。

 知らない名前ばかりだった。

 少なくともゲヘナの生徒ではない。

 風紀委員でもない。

 万魔殿でもない。

 他校の有名人でも聞いたことがない。

 所々不鮮明な部分はあるが、やはり誰とも一致しなかった。

 

 何より呼び方が一致しない。呼び捨てに先輩呼び、くん付け………共通点が見いだせない。

 しかし、カルテの最下部に記されたその文字列を見た瞬間、アコの手がピタリと止まった。

 書類を凝視する彼女の瞳が、驚愕と、そして深い嫌悪感に揺れる。

 

「……マコト、ですって……?」

 

 ゲヘナ学園において、その名が指す人物は一人しかいない。

 

 羽沼マコト。

 

 万魔殿(パンデモニウム・ソサエティー)の議長。

 風紀委員会にとって最大の頭痛の種であり、ヒナ委員長を失脚させようと日々姑息な陰謀を巡らせている、あの傲慢な女だ。

 

 アコの脳裏で、最悪のパズルが音を立てて組み上がっていく。

 一週間の謎の失踪。

 怪我も記憶喪失もない、不自然なほど綺麗な身代。

 そして復帰後の、あの冷徹で迷いのない戦闘スタイル。

 

 まさか、ネネは失踪中、万魔殿に拘束――いや、それどころか、マコトの洗脳でも受けていたのではないか。寝言でその名を呼ぶほどに、精神を深く書き換えられるような、何かを。

 

 もし、そうであるならば……!

 

「……看過できませんね、あのタヌキ……!もし万魔殿が我が風紀委員会にスパイを送り込んだのだとしたら、即刻叩き潰さなければ……!」

 

 アコがギリ、と奥歯を噛み締めた、その時だった。

 

「お疲れ、アコちゃん。……って、なんかすごい怖い顔してんだけど」

 

 ノックもそこそこにオフィスの扉を開けて入ってきたのは、銀鏡イオリだった。

 得物であるスナイパーライフルを肩に担ぎ、制服のあちこちに微かに硝煙の匂いを漂わせている。今日は風紀委員会での訓練があった。その帰りなのだろう。

 

 

「イオリ。ちょうどいいところに。……先ほどの訓練での、ネネの様子はどうでしたか?」

 

 

 アコが鋭い視線を向ける。

 そこでイオリは初めて面食らったように目を瞬かせ、それから少し気まずそうに視線を逸らした。

 

「どう、って言われても……」

「何でもいいんです。気付いたことがあれば」

「気づくもなにもさ……」

 

 首の後ろをガリガリと掻きながら、吐き出すように言う。

 

「正直、あいつじゃないみたいだったよ。前はさ、私が『突撃!』って言ったら『えぇー、危ないよイオリぃ』って、半泣きで私の後ろついてまわってたじゃん。それがさ……」

 

 イオリの脳裏に、弾雨の中を無表情で駆け抜けていったネネの背中がよぎる。

 

「私の指示なんか待つまでもなく、一番効率的なルートで相手のド真ん中に突っ込んで、あっという間に片付けちゃった。この前の不良ども相手の時もそうだよ」

 

 イオリは直情的だし、戦闘の時は真っ直ぐ突っ走る事がある。ゆえに、古典的な罠にさえ引っかかることもある。

 だが……それでも、イオリは何かを感じ取っていた。

 

「……弾が当たってもさ、眉一つ動かさないんだよ。

 キヴォトス人だから死なないのは当たり前だけど、普通は痛いし、怖いじゃん。

 なのにあいつ、まるで『痛みの感じ方』を忘れてるみたいで……ぶっちゃけ、背中預けてて、ちょっとゾッとした」

 

 ゾッとした。

 そう告げたイオリは、視線を落とした。

 

「一週間だよ? たった一週間いなくなっただけで、あんなに戦い方が変わるわけない。あいつ、どこで誰にあんな…」

 

 アコの手に持っていたカルテを見てから、何かを思い出したかのように口を開いた。

 

「そう言えば……ネネで思い出したんだけど……」

 

「何を?」

 

「1週間ぶりにネネを見つけた、あの日だよ」

 

 そうして、過去の出来事を語り始める。

 イオリは、行方不明になっていた間、ネネを必死に探していた。来る日も来る日も聞き込みを続けてきた。

 まだまだ諦めてたまるかと意気込んでいたある日。

 薄暗い路地裏の奥、ゴミ箱の陰でぽつんと佇んでいたネネを見つけた。

 駆け寄ったイオリや風紀委員の後輩たちに囲まれながら、ネネは、今にも泣き出しそうな、それでいて酷く怒りに震えた声で、信じられないことを口走ったのだという。

 

『何だよそれ……ふざけるなっ!まだ…まだ誰にも、何も言えてないのにっ!なんで…なんでっ!!!』

 

 その、後輩を怯えさせるほどの悲痛な叫びの記憶。風紀委員の後輩に囲まれながら言ったそれで、アコは確信めいた表情をした。

 

「やはり……!! マコトの洗脳…あるいはそれと同等以上の精神的負荷を与える何かがあったのですね…!」

 

 アコはカルテを持つ指に、ぎりぎりと力を込めた。

「誰にも、何も言えてない」――それは、万魔殿による何らかの陰謀の全貌か、あるいはマコトへの忠誠を誓わされる過程での、精神的な「未練」の吐露なのか。

 そう思い込んだアコには、それが真相に見えてくる。

 

「いや、アコちゃん…それは流石に考えすぎなんじゃないの?」

 

「いいえ! むしろそれ以外にどうも説明がつかないでしょう!」

 

「じゃあ『ジュンペイ』とか『ユカリ』とかいう名前はどう説明するのさ?」

 

「どうせ万魔殿が抱えている、表に出せない闇の戦闘インストラクターか何かのコードネームに決まっています!! あいつら、いつもいつもヒナ委員長の仕事を増やして……!今度という今度こそは絶対に――」

 

「――そこまでにしなさい、アコ。イオリ」

 

「「!!」」

 

 聞き慣れた静かな声。

 二人が振り返る。

 現れたのは、風紀委員長――空崎ヒナだった。

 小柄な体躯に、身の丈ほどもある巨大な機関銃を背負い、睡眠不足の宿命である深い隈の浮いた目で、副官たちを見つめている。

 

 制服にはまだ戦闘の痕跡が残っている。

 肩口には煤。

 袖には土埃。

 おそらくいつも通りに暴れていた不良たちを鎮圧した帰りなのだろう。

 それでもその表情はいつも通りだった。

 

「ヒナ委員長!」

 

アコが慌てて居住まいを正し、デスクの上のカルテを隠そうとする。

 しかしヒナは、それより先にただ小さく首を振って、アコのデスクへと歩み寄った。

 その気だるげな、しかし全てを見透かすような視線が、隠すより早く『雨塚ネネ』の文字へと落とされる。

 

「話は途中から聞いてたわ」

 

 そして視線がカルテへ落ちる。

 

「ネネの件……よね」

「はい!」

 

 アコは即座に答えた。

 

「委員長もご覧ください!この名前です!」

「そしてあの異常な戦闘能力!」

「さらに失踪前後の精神状態の変化!」

「どう考えても万魔殿の――」

 

「アコ」

 

 静かな声だった。

 しかし、たったひと言で、まくしたてるように訴えかけていたアコは口を閉じた。

 ヒナは怒鳴らない。ただ、淡々と。

 

「証拠はある?」

「え? それは……」

「推測じゃなくて、確実な証拠」

 

 アコは言葉に詰まった。

 ヒナはため息をつく。

 

「ないのね」

「……はい」

「まぁ、そうでしょうね。そもそもあのマコトが、あれほど緻密で、無駄のない戦闘技術を植え付けて……そんな回りくどい作戦が立てられるわけがないじゃない」

 

 まるで飼い主に叱られた犬のように、しゅんと肩を落とすアコ。

 ヒナは椅子へ腰掛けた。そしてカルテを受け取った。

 

 そして、全ての記載事項に目を通す。

 ネネが寝言で呟いていたという名前にも。

 静かな沈黙。そんななかで、イオリは思わず尋ねた。

 

「委員長はどう思う?」

 

 ヒナは少しだけ考える。

 そして答えた。

 

「分からない」

 

 即答だった。

 アコが意外そうに目を丸くする。

 

「分からない……ですか?」

「うん。……だけど」

 

 ヒナは続ける。

 風紀委員の戦力を一手に担う、偉大な委員長でも……ネネの身に何があったのかまでは、知る術がない。

 ただし……分かることがあるとするならば。

 

「この人達はネネにとって大切な人達だ、ということは確かよ」

 

 部屋が静まる。

 

「どうしてそう言い切れるんですか?」

 

 イオリの疑問に、ヒナは少しだけ窓の外を見た。

 夕暮れの、燃えるようなオレンジ色の光が、ヒナの横顔を寂しげに照らす。

 

「寝言で呟くくらいだもの………無意識の時にまで、その名前を呼んでしまうくらい、心の深い場所にいるのよ。きっとね」

 

 もしも…その名前に、何の思い入れもないのなら。

 眠っている時にまで……心がその名前を求めるはずがない。無意識の時にまで、その名前を呼ぶものか。

 

 

「じゃあ……」

 

 イオリが拳を握り、小さく呟く。

 

「やっぱり何かあったんだ」

「ええ」

 

 ヒナは頷いた。

 

「何かは分からない……けれど。」

 

 そこで少しだけ言葉を選ぶ。

 

「ネネは何かを失っている気がする」

 

 アコの心臓が跳ねた。

 

「失った……?」

 

 ヒナは思い出していた。復帰後の、ネネの姿を。

 帰還後のネネは、戦闘訓練を完璧にこなしていた。

 巡回も、溜まっていた事務作業も、彼女は全て完璧にこなした。

 だが――笑わないのだ。

 

 以前のネネなら、イオリに無理やり引っ張り回されて困った顔をした。アコに小言を言われて苦笑した。ヒナに「よく頑張った」と褒められて、少し照れたように笑った。

 ゲヘナの生徒らしい、等身大な感情の揺らぎが、確かにそこにはあった。

 

 

 けれど、今は違う。

 

 今のネネは、まるで――自分の心を、どこか遠い所へ置き忘れてしまったかのように見える。

 ヒナは小さく目を伏せた。

 

「だから――無理に聞き出そうとはしないで」

 

 アコがハッと顔を上げる。

 

「委員長……?」

 

「話したくなれば、いつか本人が話すわ。話さないのは……今はまだ、話せない理由があるから」

 

 それは、傷ついた後輩をどこまでも思いやる、委員長の静かな命令だった。その言葉の重みに、アコはもう反論できなかった。

 重苦しい空気を切り替えるように、ヒナは最後に、アコへと視線を向けた。

 

「それより、アコ」

「はい」

「万魔殿への突撃計画書」

 

 アコの身体が、目に見えて硬直した。

 机の端から、ヒナが一枚の書類を容赦なく持ち上げる。そこには大きく、こう書かれていた。

 

【対パンデモニウム・ソサエティー先制制圧作戦(案)】

 

 それを見たイオリが、緊張感を台無しにするように吹き出した。

 

「ぶっ、アコちゃん、もう書いてたの!?」

「ち、違います!違うんです!!これはただの仮説に基づく万が一の備えであって――」

「却下」

 

 即答だった。

 

「うぅ……っ」

 

 アコががっくりとデスクに崩れ落ちる。ヒナはそんな副委員長のいつもの様子を見ながら、ほんの少しだけ、おかしそうに口元を緩めた。

 そんな中でも、ヒナは思い出していた。

 ネネが行方不明から見つかり、最初に出会った時を。

 彼女は、復帰したネネと最初に言葉を交わした時のことを、今でも鮮明に覚えている。

 

 ヒナが「無理をしなくていい、まだ休んでいなさい」と告げた時、ネネは―――

 

「ありがとうございます、委員長。ですが、大丈夫です」

 

 ―――と、以前と変わらない丁寧な口調で、少し気弱そうに微笑んでみせたのだ。

 けれど、その瞳の奥は――完全に凍りついていた。

 それはゲヘナの不良が持つような狂気でも、万魔殿の底浅い権力欲でもない。

 もっと、取り返しのつかないもの。

 すべてが終わり、何もかもを失った戦場を、たった一人で生き残ってしまった者だけが浮かべる――底無しの『喪失』の色彩。

 

 キヴォトスにおいて数多の修羅場をくぐり抜けてきたヒナですら、その異様な眼光には一瞬、背筋が凍るような戦慄を覚えた。しかし、それ以上にヒナの胸を満たしたのは、深い疑問だった。

 

(ネネ……あなたの身に、何があったの?)

 

 余程のことがない限り、あんな凍りついた目など出来はしない。

 アコにあぁ言った手前、ネネに詳しく追及はできないし、そうするつもりもない。だが、気にならないといえば、嘘である。

 けれど……待つべきだ。下手に踏み込むより、ネネが自ら話せる日まで待つと、ヒナは決めたのだ。

 

 視線は再び、手元のカルテへと落ちていく。

 

『マコト』

 

 カルテに並ぶ名前の中で、その文字だけが、なぜか他の誰よりも濃く、深く書かれているように見えた。

 そして――ヒナは知らない。

 その“マコト”が、自分たちの知るあの羽沼マコトではなく。

 遠い異世界で、ネネが命を懸けて戦い、そして最後まで追いかけ続けた、一人の少年の名前であることを。




風紀委員は勘解由小路を知りません。
また、ネネはエピソードアイギスを知りません。
SEESと共に命の答えを探す旅に参加する機会は失われました。

続きについて

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  • >任せろ
  • >どうでもいい
  • >そっとしておこう
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