「……なるほど、あの怪人が手傷を負っていたのは事前に君たちと遭遇していたからだったのか」
「まあ取り逃したんですけどね」
「基礎能力だけならLv.6相当の相手だった、十分な成果だよ。おかげでこちらの被害も最低限で済んだ」
「そうすか……というか、それよりも」
「………………」
「なんかアイズが滅茶苦茶睨んでくるのはなんなんですかね……」
「ああ、まあ、珍しく手酷くやられてしまってね。そんな相手を君が退けたと聞いてしまったら、ほら」
「いや、それはヘイズさんが居てくれたからですし……オレだけだったら10秒も保ちませんからね?実際、一度は瞬殺されましたし」
「それでアイズが納得するかどうかはまた別の話かな、対人戦闘の技術が君より不足しているのは事実だし。なんなら君はまだ身体の慣らしが全く出来ていなかっただろう?」
「とんだジャジャ馬ですよ、これ」
「よくそれで戦闘が出来たね」
「ほぼ本能でしたよね、あれ」
モンスターの大群を退けた後、改めて合流した彼等はそうして互いに情報共有を行なった。
ハサ達が退けた"怪人"と呼称することにしたあの女は、どうやらその後アイズと戦闘になったらしい。そしてどうやらアイズはそのまま敗北したようだ。
退けたハサと、正面から負けたアイズ。
そこにヘイズという欠かせない要素はあったとしても、アイズにしてみればそれはどうしようもない事実だ。自分よりレベルの低いはずの彼の方が何故か強い。そんな事実とは異なる印象を彼女は信じ込んでいる。直接手合わせをしてみれば、まあ……必ずしも負けるという訳でもないのが、またこの問題をややこしくしているのだが。
そもそも互いに専門分野が違うのだから仕方がない。手合わせする時点で対人戦闘という彼に有利な戦場になってしまうのだから、それは決して比較になっていないのだ。
「この件、フレイヤ様に報告してもいいんですよね?勇者」
「もちろん。隠しても仕方のないことだし、どうせ直ぐに伝わることでもある。今回は助かったよ、"女神の黄金"」
「別にロキ・ファミリア(あなた達)を助けた訳ではありませんから、お礼を言われても困ります」
「いやでもヘイズさんが居なかったら最初の一撃で死んでましたから!ほんとありがとうございます!」
「……メインで戦ってた貴方に言われるのが一番違うんですよ!」
「痛い痛い痛いっ!?治したばかりの脇腹に杖を押し当てないでください……!?」
「今日はもう帰りますよ!勇者、この人もう一日借りますから。身体の内部の治りはまだ浅いのでー」
「あぁ、うん……好きにしてくれていいよ」
「あれ!?なんか微妙に見捨てられた感がないですか!?」
実はあの一蹴で、ハサの脇腹は普通に吹き飛んでいた。穴が空いたというか、身体の一部が欠けたというか、まあぶっちゃけ内臓ごと吹き飛んでいた。
いくらヘイズと言えど、それを咄嗟に治してしまったら多少なりともズレは発生する。まあファミリアの団員程度の相手なら苦しもうが痛がろうが生きているだけ感謝しろと他の治療師に投げるところではあるが……自分を守るために前線に立っていた相手の怪我なのだから、これは義務であり責務、多少丁寧過ぎるくらいに治療するのも当然のこと。
「そもそも機能を止めるほどステイタスが上がるとは言え、神経系等の反応まで止めるのはやり過ぎです!重大な後遺症でも残ったらどうするんですか!!」
「や、あの場面だと切らないと痛みで気絶して即座に戦線復帰出来なかったんで……」
「自分を大切にすべきなのは貴方の方ですからね!」
「す、すいません……」
「……」
こうして見ていると、姉と弟のようにも見える関係。
果たして2人の関係がどのような終着点に辿り着くことになるのか、それは楽しみでもあり同時に不安なところでもある。可能なら両ファミリアの架け橋となってくれると団長としては有難いところなのだが、まあそう上手くは行かないだろうなぁとフィンは思っていた。
――さて。
そんなこともあってそれ以上の探索をすることなく、後片付けの手伝いも免除されて地上に戻って来た2人は、そのまま治療の続きをするためにフレイヤ・ファミリアの館へと向かった。
まあいつも通りのことである。
館の見張りも『ヘイズさんが連れて来たならヨシ!』という雰囲気、慣れたものだ。すれ違う団員達も『用件終わったら広場来いよ、今日こそ叩き潰してやる』と何処か親しげ。親しげ?このファミリア基準では十分に親しげだ。
……ただ1つだけ、いつもと違うのは。
「え……」
機能こうして通されたのは見慣れた治療院のベッドではなく、"女神の黄金"ヘイズ・ベルベットの『私室』であったことである。
「えぇ!?い、いや、いいんですか!?というか何故!?」
「……別に、私の個人的な治療にファミリアの器具を使うべきではないと考えただけです。それ以上の考えはありません、単純な理屈です」
「な、なるほど……言われてみれば確かに」
「ということなので。取り敢えず汗を流して来てください、その間に準備をしておきます」
「………あ、はい」
「………なんですか」
「な、なんでもないです」
「よろしい」
女性の部屋に入って、女性の浴室を使って、その女性から治療を受ける?これは普通のことなのだろうかと一瞬思案したが、まあ考えたところでどうにかなる事でもないので一先ず言われるがままに身体を動かす。
……いや、しかし。
とは言え、とは言えだ。
形の良い石鹸を手に取りながら頭が回る。
なんというか、女性の部屋というのはどうしてこうも違うのか。何処か緊張させられるこの感覚、それは決して嗅覚によるものだけではないだろう。
それこそファミリアでは雑用をさせられたりするし、別に女性の部屋に入ることもなかった訳でもないのだが。一概に女性の部屋と言っても色々な種類がある。
趣味もへったくれもない眠るだけの機能しか持たないアイズの部屋や、なんかもう明らかに掃除が出来ないんだろうなと思わされる部屋、年頃の少女らしい可愛らしさの詰まった部屋や、しっかりと整頓され機能的な美しさの揃った大人な部屋も。
そういう基準で言えば、彼女の部屋は可愛らしさと機能性の中央辺りと言ったところだろう。
忙しさにかまけることなく整理整頓され、基調として見られる女神フレイヤを思わせる豪奢な色合い。しかし彼女のイメージカラーであるピンク色も所々に見受けられて、それにまた目を惹かれる。可愛い、とても可愛い。あとすごく良い匂いがする、普通にドキドキする。やっぱりこういう大人な女性の部屋が一番意識させられるというか、女性らしさを感じられるというか。
「駄目だ、石鹸から何もかも良い匂いがする……どうして男女でこれほど私生活に差があるんだ。というかこんな良い匂いをさせてファミリアに帰ったら何を言われるか分からないだろ……」
とは言え、それでも彼女に触れさせる身体なのだから綺麗にする以外に選択肢はない。ええいもうどうにでもなれ!とばかりにシャワーを浴びる。獣人の団員には確実に臭いで色々とバレるのはもう分かりきっているのだから、諦めるが吉。それに別に変なことをする訳でもないのだし、ただの治療である。
「意識し過ぎだぞ、オレ。これはあくまで治療の一環なんだから、冷静になれ。ヘイズさんの前でみっともない姿は見せられないんだ、冷水を被れ」
そうして何故か身体を冷やして浴室から出てきた謎の男が爆誕した。
自分の馴染んだ匂いが知り合いの男からするというのは、まあなんというか凄く言い難い気持ちになる。
よくよく考えてみればこれは所謂マーキングのような扱いになったりするのではないかと思ったり、なんだか自分の所有物にしてしまったような気分になったり。
――うん、これはよろしくない。
大変によろしくない。
「……さっきから妙に静かですけど、どうですか?」
「頭がおかしくなりそうです」
「普通に治療してるだけですけど……」
「難しいことは何も言わず、聞かず、取り敢えず枕だけ退かしてもいいですか。このままだとマジでオレの脳が爆破します」
「……許可しません、態勢が悪くなるのでそのままでー」
「飛ぶ……跳ぶ……意識が、ほんとに……」
まあ他にベッドがある訳でもなく、普段から自分が使っている大きめのベッドの上に寝かせている訳であるが。その上で枕の上でうつ伏せにさせている訳であるが。
よくよく考えたら普段から使っている枕、当然ながら朝に起きてから今まで別に洗濯とかしていない。意識すると急に恥ずかしくなってくるのだが、どうやら不快な思いをさせている訳ではないらしい。
むしろその、まあ、うん、恐らく喜んでいるのだろう。それなら別に良いんじゃないだろうか、どうでも。よし、そう思うことにする。
そもそも体臭というのは遺伝子的な相性で感じ方が変わるというのだし、そういう意味では彼と自分は相性が良いということ。故にそれは良いことであるのだし、別に気にすることでもなんでもない。
……いや、そういうことではなく。
相性とかは本当にどうでもよくて、不快に思われていないのならそれで良いというだけだ。これで臭いとか言われていたら普通に死ぬし関係は破綻することは確実、そうならずに済んだ。これはそれだけの話だ。それ以上に広げる必要なんかどこにもない。
「――本当、無茶しないでください」
「んぇ?」
「今日のことです。貴方なら相手の力量が自分より上の可能性が高いことくらい分かっていたでしょう。それなのになりふり構わず前に出て……一歩間違えれば即死していたんですよ?」
「あー、それはその……」
「分かっています、私を守るためなんでしょう。他に選択肢なんか無かったことも理解しています。ただそれでも……血の気が引きました」
「……すいません」
「私の魔法も死者には効きませんから、本当に即死だけは避けてください。それ以外なら絶対に治してみせますから。――治せるように、なりますから」
「……はい」
分かっている、そんなことは彼も理解しているということくらい。あれほどの戦闘の中でも致命傷だけは避ける立ち回りを意識していただろうし、彼は間違いなく、そして言うまでもなく、自分のことを信頼してくれている。生きてさえいれば必ず助けてくれると、思ってくれている。
……それでも、自分は1番ではない。
自分は死の3歩手前の人間までしか救えない。
生きていれば絶対に助けられると断言が出来ない。
自分には才能があったが、それは求めていた才能ではなかったし、一番になれる才能でもなかった。もちろん他者よりはずっと優れているモノであるし、今の自分があるのもこの才能のおかげだと理解はしている。だとしても、自分より優れた人間を目にしてしまえば、どうしてそれが自分には出来ないのかと思い悩んでしまうことも仕方がない。
1番にはなれない、そんなありふれた悩みが常にこの人生には付き纏う。
女神の1番にも、勇士の1番にも、治療師の1番にもなれず。その全てを諦めている。身の程を弁えた。そこが自分のあるべき場所で、自分は自分のすべきことをするだけで良いと。自分より優れた者達から目を背けることを選んだ。
「あぁぁぁ……あぁぁ……それ本当にやばいです、骨盤が取れちゃう……」
「取れるわけないじゃないですか……」
「いやマジで気持ち良過ぎて意識保つのも必死なんすよ……気を抜くと枕を汚してしまいそうで……」
「別に気にしなくてもいいですよ、洗うだけですし」
「今日のヘイズさんの枕が無くなっちゃう……」
「裏表変えれば良いだけですからね」
「優しい……」
「別に優しくしたつもりないんですけど……」
なんて悩みに鬱々としている自分のことなどお構いなしに、ふざけた事を言い始める彼。小さなことを気にするし、小さなことに勝手に優しさを見出す。まあなんとも人生が楽しそうな男だ。
「ヘイズさん世界一優しい……」
「っ」
けれど、だからこそ、今はそういう物言いが少しだけ引っ掛かる。八つ当たりと言われてしまえばそれまでだけど、それでも。
「適当なことを言わないでください。私より優しい人間なんていくらでもいるでしょう。……それこそ【戦場の聖女】の方が、私より治療師として優秀で、博愛です。優しさだけが理由なら、別に私を選ぶ必要もないでしょう」
優しいだけなら、他にいる。
可愛いだけなら、他にいる。
優秀なだけなら、他にいる。
1番になれない自分を選ぶ理由など何処にもない、だから自分は選ばれない。だから何もかもを諦めた。意味がない、理由がない、理屈がない。自分自身でそう思っている。だから分からない。アミッドを知っているはずの彼が、どうしてここまで自分にだけ執着しているのか。
「んー、そんな難しい話じゃないですよ?だってオレにとってはヘイズさんが間違いなく世界一なんですし」
「……主観の話ですか?」
「そりゃ主観ですよ、客観的評価とかどうでもいいんで。もし本当にヘイズさんの世間的な評価が低いのなら、オレとしては納得いかないのと同時にラッキーですね。敵が勝手に減ってくれるんですから」
「……随分と勝手な話です、事実に基づいていない曖昧な印象で勝手なことを言われています」
「まあ思い込みですし。オレはヘイズさんが世界で一番可愛いと思い込んでるし、ヘイズさんが世界で一番優しいと思い込んでるし、ヘイズさんのことを世界で一番欲しいと思ってると思い込んでます。他人のことは知らないですけど、オレの中では間違いなくヘイズさんが1番です」
「……」
だから別にそれが事実に即していなくてもいい、即していなくとも心は成り立つ。しかしそれ故に、その心は移ろいやすい。そんな曖昧でふざけたものが恋心だ。
そしてそれ故に人は考える、心が移ろう前にその身を縛ってやろうと。恋心はきっかけに過ぎないし、その機を逃せば容易く逃げる。決して尊いものなんかではなく、けれど酷く大きく人の心を動かす厄介な存在。
好きになった理由など考えても意味がない、合理的でまともな答えなど返ってくるはずがない。当人でさえそれを言語化してしまえば陳腐なものになるのだから。
必要なのは、そこからどうするかだ。それに何を思い、どう応えるかだ。他人である2人の間に生まれたキッカケをどうしていくか、これはただそれだけの話。
「……なんだか自分がすごく面倒な女みたいなこと言ってるのを自覚してキツくなってきました。ヘルンじゃあるまいし」
「急に殴られるヘルンさん……」
「というか今まで言わないであげましたけど、貴方の私への執着は普通に異様ですから。うちの団長と変わらないくらいですよ」
「それは普通に泣きます」
「……別に嫌というわけではありませんけど」
「嫌だと言われたら流石に諦めざるを得なかったのでよかったです」
「……ほんと、言っても意味のないことだとは思いますが、他の人の方が良かったと思いますよ。色々と」
「まあそれはほんとに言っても意味のないことですね」
「……」
「痛い痛い痛い痛いっ……!」
グリグリと思いっきりツボを押してやる。どうせもう深部の治療など終わっているのだから問題あるまい。
ここ数年でまあ本当に男らしくなって来た身体、半裸になったせいでそれがまたよく分かる。けれど自分にこうして好意を伝えてくる気質は昔から全く変わっていないし、時々こうして少しイラッとさせられる所も変わらない。
そして一度こうしてイラっとさせられると、これまで色々と考えて加減したり躊躇していたりするのが馬鹿らしくもなる。
「えい」
「ふわぁっ!?」
「なんですか、急に変な声を出して」
「へ、ヘイズさんがいきなり跨ってくるから……!」
「あの姿勢キツイんですよ、こっちの方がやりやすいので我慢してください」
「……いやまあ、我慢どころかご褒美なんですけど。他の要素で我慢しないといけないんですけど」
「……へぇ」
「え、なんですか今の意地悪な声」
「いえ?なんでも?」
「え、怖」
ヘイズ・ベルベットは理解のある良い女、皆まで言わずとも分かる。それで忌避したりカエルになったりすることもない。
けれどヘイズ・ベルベットは意地悪な女、相手の弱味を握ったらここぞとばかりに遊んでしまう。今この場が遊んでも良いところなのかどうかは、特に考えていない。
ヘイズ・ベルベットは油断とは無縁の女、とは言い難い。なんなら割と油断する方である、自動回復能力故の甘えではないかと言われれば目を逸らすくらいに。
「えい、えい」
「……あの、なんか急に治療の方針変わりました?」
「変わりましたね、えい」
「こんな身体を押し付ける治療があるんですか?」
「押し付けてないです、貴方の腕と手の疲労を取るために仕方なくこうなっているだけです」
「だとしたらそこに跨らなければもっと簡単に出来るのでは……」
「嫌なんですか?」
「全然嫌じゃないです」
「なら文句は?」
「言わない」
「よろしい」
「……血管切れそう」
なお、その後なにもなかった。
本当に何もなかった。
普通にそのままベッドで眠らされて、彼女はヘルンの部屋に行って寝るという暴挙に出た。あまりにも酷過ぎる。しかしこうなることが最初から分かっていたからこそ、ハサは抵抗していたのだ。
もちろん当の本人は虐めに虐めつくして満足したとばかりに機嫌良さげに部屋を出ていったので、それを聞かされたヘルンは流石に同情した。