正式に59階層を目指すための遠征が発表された。
……まあだからと言って何が変わるという訳でもないので、いつも通りに任された仕事をこなすだけ。
それこそ物資の調達やそのための交渉、生産系ファミリアにも予定というものがあるのだから急な依頼をしてしまえば嫌な顔もされる。そこを上手いこと取引をして可能な限りコストを減らすことが、家計がやばい我がファミリアのための働きというもの。
その点、今回任された仕事については易しい方だ。
なにせ相手が優しいのだから。
楽をさせてもらったと言っても過言ではない。
「なるほど、ついに59階層に……もちろん私達としても協力させていただきます。この規模の物資であれば納期にもギリギリ間に合うでしょう。代金は前回と同様に算出しますが、よろしいですか?」
「大丈夫ですよ、お願いします」
「……本当によろしいのですか?少しは値切ったりとか」
「聞いた話ですけど、前回の遠征の後にティオネさんがだいぶ吹っ掛けたらしいじゃないですか。持ちつ持たれつ、ってやつですよ」
「その件についてはこちらが先に足元を見て冒険者依頼(クエスト)を発注したところもありますし……痛み分けということにしたのですが」
「あんまり好きじゃないんすよね、そういうの。ですから何か依頼があるなら、その分を安くしてください。出来れば最初から気持ちのいい取引にしたいんで」
「なるほど……わかりました、そういうことであれば」
ディアンケヒト・ファミリア団長のアミッド・テアサナーレ、このオラリオにおける最も優秀な治療師である彼女。"戦場の聖女"の通り名に偽りのない人格の持ち主であり、彼女は文字通り"死の一歩手前"までなら治してしまう。
そしてそんな彼女はこうして団長でありながらも自ら店舗に立ち、売買や交渉もしている働き者だ。ポーションなどを大量に発注するのはいつものこと、慣れたように手続きをしてくれる。もちろんハサとの仲も良好だ、なにせ彼女は自分のために"とある違法な薬品"を調合してくれている間柄なのだから。
「……これでは結局、こちらが得をしてしまいますね」
「まあいいんじゃないすか?あれに懲りず、今後ともアイズ達と仲良くしてやってください」
「本当に気にしていませんのに……ですがまあ、今回はそのお言葉に甘えさせていただきます。これでディアンケヒト様が私を通さず厄介な依頼を企むこともないでしょうから」
「それは何よりですね、うまく交渉してやったと伝えておいてくださいよ」
「ふふ、そうさせていただきます」
——これは正直に意外な話ではあるのだが、どのファミリアであっても団長という存在は一癖も二癖もあるもので。対面するだけで面倒な雰囲気を持っているというもの。言葉を交わすだけで勢力図が動きかねないような相手であるので、ハサであっても意図的に一歩距離を置くものだ。
しかしその点、アミッドはとても話しやすい。団長として未熟と言ってしまえばそれまでではあるのだが、面倒な勢力図を頭から切り離して会話が出来るというだけで素晴らしい人物である。もちろんそれは互いに尊重し合っていることが前提ではあるのだが、それさえしていれば良好な関係を築けるというのは非常に心地の良いものである。
善意を向ければ善意を返してくれる、ただそれだけのことがとても安心感のあることなのだ。
「そういえば……これは仕事とは関係のない私的な話になってしまうのですが」
「私的な話ですか?珍しいですね」
「いえ、その……ヘイズとは、どうなんです?」
「!」
なんとなく気まずそうに、けれど気恥ずかしそうに、アミッドは小さな声で周囲に聞こえないようにそう尋ねてくる。
これは彼女にしては非常に珍しいことだ。好奇心によって他人の事情を探るようなことを聞いているのだから。だからこそ気まずそうな表情をしているのも分かる。――それでも気になってしまったからこそ、こうして言葉にしたのだろうが。
ヘイズが自身より優秀なアミッドを気にしているように、アミッドも自身より優れた部分を持つヘイズのことを気にしているのだ。いくら治療の腕が優れていても、アミッドは平均的なLv.2冒険者以下の戦闘能力しか持っていないのだから。深層まで潜って冒険者達を支えることのできるヘイズ・ベルベットに対して思うところは当然にある。
「んー……まあいつも通り振られてます。良好な友人関係程度は築けてると思いますけどね」
「そ、そうですか……あ、いえ、不躾に申し訳ありませんでした。お二人がダンジョンの中を歩いていると耳に挟んだので、なにか進展があったのかと」
「――最近の話ですか?」
「え?ええ、それこそ数日前のことです」
「あー……そうですね、あの時は偶然でしたけど。たまに一緒に潜ったりはしてますよ。オレはデート感覚ですけど、ヘイズさんも欲しい素材とかあるみたいなので」
「デ、デート……そ、そうでしたか。デートを、ヘイズが……」
まあダンジョンのデートではなく、普通のデートもすることが出来たのだが。そこまでは別に言う必要もないだろう。
しかしそれにしても、好敵手のこととなれば恋愛の類についても意識してしまうものなのだろうか。恋愛でさえも負けたくない、といったような。そんな意識がもしかしたらあるのかもしれない。よく分からないが。
「なんというか……あのヘイズがあなたとこれほど良好な仲を築いていることに驚いています。普段の彼女は変わらずフレイヤ様のことしか見えていないように思えるのですが、あなたにだけは人間らしさが見えると言いますか」
「まあ出会いが出会いなんで。ヘイズさん真面目ですからね、それがフレイヤ様の眷属としての意地だとしても。仮にも命を救われた相手を無下に出来なかったんだと思いますよ」
「それを自分で言うんですか……」
「別に意図してやったわけじゃないですけど、まあ考えてみると理屈としてはそうなのかなと。拒絶も仕切れなかったんじゃないかとも思います。数年前のオレにとっては本当にヘイズさん以外は何もなかったと言うか、どうでも良かったので。完全に拒絶されてたら、本当に何をしていたことか」
「……何を、していたんですか?」
「オラリオに居てもやることもないし、女神セクメトを殺しに帰って失敗して死んでたんじゃないすかね。順当に考えたら」
「……それ、彼女には言わないほうがいいと思います」
「確かに面白い話ではないですよね」
「そういうことではなく……」
苦笑いをする彼、だがそんな世界もあり得たということは間違いない。こうして生きているのはヘイズの選択によるものであり、単なる偶然でしかない。もちろんヘイズと出会うことさえもなければ、そこにあったのは破滅だけだったろう。
――その上で。
もしいま拒絶されたどうなるか……については、流石のアミッドも聞く勇気はなかった。というか、聞いてはいけないような気がした。少なくともそれを聞いていいのは自分ではないと、そう思った。
「ハサ、おミャーの自由時間もこれで終わりニャ」
「………」
一枚の封筒を手渡される。
それはとても簡素なもので、そして汚れ1つない。
通告、宣告、なんでもいい。
書かれていることは分かっている、予告なのだから。
「――まあ、普通に考えて良い方なんでしょうね。ようやく準備が出来たって感じですか」
「それくらいセクメト様はおミャーに執着してるってことニャ。得意の暗殺で敵わないのは前提、だから呼び出して殺す。ぶっちゃけこの時点であの方の自尊心を折ってるからニャ」
「一人で来ないとロキを暗殺する、なんてセクメト様らしくない面白味のない脅しだとは思いましたけど。なるほど、割と必死なわけですか」
「裏切りの奇襲だとしても、Lv.1の時点でLv.2を3人も暗殺した奴を相手に必死にならないわけがないニャ。それがLv.4になんてなってたら……」
「残念、今はLv.5なんです。"クロエ"姉さん」
「うげ!?遂に抜かされたニャ!?」
クロエ・ロロ、今は"豊穣の女主人"の定員として働いている猫人の女性。黒髪が特徴的な彼女ではあるが、ハサとクロエには決して切り離すことのできない"面識"がある。
「……本当に、一人で行く気ニャ?」
「まあこんなこと言われたら行くしかないでしょう、セクメト様はオレの弱味がロキだけじゃないことくらい知ってるでしょうし。こっちが何を企んだところで、全知の神を相手に知恵比べすることに変わりはありませんから。つまり意味がないってことです」
「絶対におミャーは死ぬ、それくらい分かってるはずニャ」
「かもですね、必死に対策はしますけど……未だに背中に"セクメト様の恩恵"を背負っている以上は、勝ち目は薄いです。あの方が天界に還った瞬間に、オレは恩恵を失う訳ですから」
「……分かっていても行くのニャ」
「今のオラリオでロキやフレイヤ様を失う訳にはいきませんから。オレが勝っても負けても、セクメト様はそれで満足するでしょう。……逆に行かなかったら爆発する。仮に神々の護衛を依頼したとしても、今度は民間人を暗殺して回るでしょうし、それでも駄目なら次は都市外で暴れ始めるかな。行かない選択肢なんて最初からないわけです」
「……」
クロエ・ロロはハサ・ファーティマと同じ、元々セクメト・ファミリアに所属していた眷属だ。彼女はその上で、与えられた滅茶苦茶な課題をクリアして、正式に脱退した身分の持ち主である。
……一方でハサは違う。
ハサは任務の最中に抜け出した脱走者であり、正式にファミリアを抜けた訳ではない。つまり改宗の許可がされておらず、未だにその背中には女神セクメトの恩恵が刻まれている。つまり実際のところ、彼は女神ロキの眷属ではなく、今でも女神セクメトの眷属のままだった。
「これまではステイタスの更新の度に希少な更新薬(ステイタス・スニッチ)を使ってました。ステイタスを覗き見るだけじゃなく、別の神が更新出来るほどの薬なんてよっぽど出回っていませんからね。ロキにも迷惑をかけたもんです」
「それでも改宗させることは出来なかったのニャ?」
「流石に無理でしたね、本来はランクアップも無理なんですよ。そこを神秘持ちのアミッドさんにお願いして無理矢理に形にしてもらってたんですから。それ以上は人の力では無理なんでしょう。それが自分の意思ではなかったとしても、一度神と行なった契約には必ず向き合わなければならない」
「……」
女神セクメト、それはオラリオ外における犯罪系ファミリアを営む存在。暗黒期にも闇派閥と共に暗躍し、その構成員は生後間もない頃から暗殺の技術を仕込まれる。
幼子に殺しをさせることは当然。毒を飲ませて耐性を付けさせたり、まともな倫理観を植え付けない育て方を徹底したり。典型的な下界を乱すタイプの女神。
『汚い仕事を欲しがってる連中のために、仕方なく私が泥を被ってやってる。役割演技(ロールプレイング)さ♪』などと白々しく口にする殺戮を司る女神。血の契約を守る律儀さはあれど、だからこそ半端な形で脱退したハサのことを見逃すことはない。
「まあオレも別に死ぬつもりはないんで、当日までに準備はします。出来る限りの」
「恩恵なしでセクメト・ファミリアを相手にする気?それは作戦でもなんでもない無謀だと思うけど」
「口調変わってますよ、クロエ姉さん。……けどまあ、それ以外にないでしょ。それが出来ないなら死ぬだけ、出来れば晴れて自由の身。むしろそうでもしなければ、セクメト様が納得しないでしょうからね」
「……人並みの倫理観なんて持つからそうなるニャ。自分とは関係のない命なんか捨て置けば、こんな弱味を作らなくて済んだ」
「良いことだと思いますけどね、未だに人を殺すことに何の罪悪感も湧かない人間に倫理観なんてあるのかは疑わしいところですけど。演技が出来るようになっただけマシでしょ」
「その末に死ぬことになったとしても?」
「その末に死ぬことになったとしても」
今の自分が好きだ。
彼女を好きな自分が好きだ。
彼女に手を伸ばすために努力する自分が好きだ。
だからもしこの道を選んだことが間違っていたとしても、それを後悔することは絶対にない。その末に恋が破れることになったとしても、夢が砕け散ることになったとしても、今日までの日々を間違っていたとは思わない。
「……あの子にも言わないのニャ?」
「言うわけないじゃないですか、これはオレの問題なんですから。オレだけの問題なんですから。巻き込みませんし、巻き込みたくもありません」
「私も手伝わない」
「それも当然でしょ、それこそクロエ姉さんにとっては終わった話なんですし。自分の試練くらい自分で乗り越えます」
「……」
「大丈夫です、何が起きても取り敢えずセクメト様だけは道連れにしますから。それとセクメト・ファミリアもこの機会に壊滅させます。――その末にオレの魂が永劫にセクメト様に囚われることになったとしても。幼い頃に"アレ"を殺しておかなかった責任は、必ず取ります」
「っ……」
物心が付いて、知識が付いて、思考をして、気が付いていた。この女神は排除しなければならない類の存在であると。だがそれをしなかった、理由は怠慢だ。自分にはそれが出来たのに、自分ではそれをやろうとしなかった。今日までの犠牲はその怠慢によって生み出されたもの。
――別にそれほど責任を感じているわけではない。
ただ危機感を感じている。これまでは決して自分に対して牙を剥いてこなかった怠慢による結果が、自分の周りの人々に、未来の何処かで牙を剥くのではないかと。
……あの時のように、彼女に向くのではないかと。
恐れていることは、絶対に避けなければならないと決意していることは、ただその1点のみ。
「……はぁ、もしミャーがおミャーの恋人なら、ここで1発ぶん殴ってるところニャ」
「その女心はちょっとよく分からないです」
「だろうニャァ、だからこんなことになってるわけで。まあ好きにするといいニャ。ようやく人間らしくなった弟分に、少し惜しいと思っただけ」
「だから死ぬ気はないですって」
「恩恵なしで勝てるもんならやってみろニャ、バカ。素直に周りに助けを求めた方がいいに決まってるのに」
「そんなことで対処出来るならここまで苦労することはないってクロエ姉さんだって知ってるでしょうに。神々の試練に対してオレ達が出来ることなんて、せいぜい掌で踊りながら隙を見て顔面を蹴り飛ばすことくらいですよ」
律儀な神は、拘りが強いとも言い換えられる。人の生を道具として扱うセクメトは、人間を見下しているとも言い換えられる。所詮は音の鳴る玩具でしかない存在に一度裏切られただけでなく、それなりに譲歩した誘いさえも台無しにされたら……
「オレを殺すにはセクメト様が消えるしかない、セクメト様を消すにはオレが行くしかない。決して捕えることの出来ない下界の闇を確実に潰す機会の対価として、セクメト様はオレの命を求めている。……こんなの譲歩どころの話じゃない、あの女神セクメトがただの人間と自分の命を天秤にかけたんですから。本気のセクメト様に対して、半端な対応なんか出来るわけがない」
あの女神をよく知る彼だからこそ、これ以外の選択肢など選べるはずもなかった。
「少なくとも"オレ"だけは、素直に踊らないといけないんですよ。——そこから先はまあ、これまでの積み重ね次第ってことで」
諦めたような口ぶりで、抗うことを断言する。
こんなところで死ぬわけにはいかないと、誰よりも思っているはずなのに。そんな彼の矛盾に満ちた言動に、クロエは困った顔をするしかない。