男女比1:10の世界で、俺は「私だけ」を作ることにした 作:晴口 丸
「愛している」
その言葉を吐くとき、俺の心はいつも、凪いだ海のように冷めきっていた。
前世での俺は、人の心の隙間を見つけ、そこに「理想の劇薬」を流し込むことで生きてきた。ある時は献身的な恋人、ある時は孤独な救世主。そうして依存させた女たちが、俺の足元でひれ伏し、財産も、理性も、最後には自分の人生さえも差し出す。
その光景を見るのが、作るのが、俺の「仕事」であり、唯一の「退屈しのぎ」だった。
「いやあ、さすがはナンバーワン!ミナトのおかげで売れ行きも絶好調! キャスト同士のトラブルもないし、まさに理想の存在だよー」
「そうですか。ありがとうございます」
女性の前では絶対に見せることのない冷めた顔。給料の入った封筒を手渡しされた俺は、手早く枚数を数え、一礼して店を後にする。この後もアフターが入っているのだ。
「あ、ミナト君、待ったよ~」
先ほどまでひどく退屈そうにスマホを触っていた彼女は、俺の姿を認めると、パッと顔を明るくして走り寄ってくる。
その眼は初めて会ったときに比べてひどく淀んでいる。
(潮時……か)
俺の頭はすでにどのようにして彼女と別れようか、という考えにシフトしていた。
「――それでさーうちの彼氏ったらひどいんだよ~。もうミナト君に乗り換えちゃおっかな~?」
「当たり前だろ。それほど俺が魅力的なのは揺るがない事実なんだから」
「来たよ~、ミナト君のイケメン自慢」
「事実を述べるのは、自慢じゃないさ」
「あはは、クサいね~」
こういう女は彼氏の悪いところを必要以上に卑下し、他の男にそれを求める。俺はただ、自信のある俺様をふるまっていればいい。
隣り合って歩くと、必要以上に肩を触ってきたり、下半身に手を伸ばそうとしてくるのを、自然な動作でかわしていく。
(この手のタイプは、手に入りそうで入らない距離を維持するのが一番長持ちする。……が、そろそろこの安っぽいお喋りにも飽きてきたな)
彼女の財布の底が見え始めているのは、店での注文の仕方の変化で察していた。引き際を誤れば、刃物沙汰か、さもなくば泥沼のストーカー裁判。この世界において、男の価値を吊り上げるには「綺麗な幕引き」が不可欠だ。
適当に話を合わせ、彼女をタクシーに押し込んで見送った後、俺はふぅ、と深い溜息をついた。 深夜の歓楽街。ネオンの光が、路地裏の湿ったコンクリートを怪しく照らしている。
「……お疲れ様、ミナト」
背後から、ひどく掠れた声がした。 振り返ると、そこにいたのは件の彼女――ではなく、一ヶ月前に「綺麗に別れた(・・・・)」はずの、前代の太客(エース)だった。
ボサボサに荒れた髪。酷い隈の浮いた両目。かつて俺が貢がせた高級ブランドのコートは汚れ、右手はコートのポケットの中で不自然に膨らんでいる。
「なんだ、優子か。久しぶりだね。どうしたの、そんな格好して。寒いでしょ?」
俺は一瞬で、声を「包み込むような救世主」のトーンへと切り替えた。 だが、俺の計算は、今回ばかりは一歩遅かったらしい。彼女の心は、俺が流し込んだ劇薬によって、すでに修復不可能なほどに損壊していた。
「ミナト……。私ね、ぜんぶ無くしちゃった。お金も、仕事も、親も……。でもね、気づいたの。私には、あなたさえいれば、他には何もいらないんだって」
「優子、落ち着いて。話を――」
「私だけが、あなたのすべてを、最期を知っていればいいの。だって私たち、一生一緒なんだよね?」
狂信的な微笑み。 ポケットから引き抜かれた刃物が、街灯の光を反射してギラリと光った。 避ける時間は十分にあった。だが、彼女の瞳の奥にある、底なしの、ドロドロとした「純粋な執着」を見た瞬間、俺の身体は奇妙に硬直した。
ドス、と鈍い音がして、胸元に熱い衝撃が走る。
「あは、あはは……! つかまえた。これで、ミナトは私のもの……私だけのもの……」
視界が急速に狭まっていく。 血の海に倒れ込む俺を抱きしめ、狂ったように笑う彼女を見上げながら、俺は不思議と納得していた。 愛という名の毒を撒き散らし、他人の人生を壊して楽しんできた末路が、自ら作った最高傑作の毒に殺されることなら、それもまた一興だ。力が抜けて、瞳がゆっくりと閉じていく。
だが、彼女の瞳を見たその瞬間、全身の毛穴が開き、脳内に見たこともない濃度の脳内麻薬が駆け巡る。
俺が作った「理想の劇薬」に侵され、すべてを失い、完全に壊れてしまった女。その世界のすべてを排除して、ただ俺一人だけをその瞳に映し、独占しようとする狂気。
金でも、身体でも、記号化された愛でもない。 「あなたを理解し、その最期を手にするのは私だけ」という、究極の特権意識。
ゾクゾクとするような快感が、背筋を駆け上がる。 他人の心をコントロールして優越感に浸っていたつもりが、最後の最後で、俺は彼女が魅せた「剥き出しの執着」という名の毒に、完全に魅了されてしまっていた。
(……まぁ、退屈しのぎの終わりとしては、悪くない)
そうして、俺の意識は完全に途絶えた。 ――だが、運命というのは、俺が思うよりずっと悪趣味だったらしい。
「――、――っ」
大きく息を吸い込みながら、俺は跳ね起きるように目を覚ました。 咄嗟に自分の胸元に手をやる。だが、そこにあるはずの、あのドス黒く溢れ出ていた熱い血液も、内臓を灼くような激痛も、一切存在していなかった。あるのは、安っぽい入院着の布地だけだ。
……夢、だったわけがない。 手のひらに残る、血のぬめり。そして何より、あの優子の瞳の奥に見た、世界をすべて焼き尽くすような「純粋な執着」。思い出すだけで、いまも背筋が粟立つような、脳がじりじりと灼けるようなあの極上の興奮が、まだ身体の奥底にべっとりと張り付いている。
(あぁ、本当に最高だったな……)
死の直前に味わったあの快感を、まるで上質なワインの後味を惜しむように、俺はしばらく恍惚と反芻していた。 だが、前世の職業病か、数秒後には俺の頭は恐ろしいほどの冷徹さを取り戻していた。
(……で。だとしたら、ここはどこだ?)
ゆっくりと視線を巡らせる。 白を基調とした、清潔だがどこか殺風景な部屋。鼻を突く消毒液の匂い。規則的な電子音を刻む医療機器。どう見ても病院の個室だ。
助かった、ということだろうか。 いや、あり得ない。心臓を正確に一突きにされ、あれだけ失血していたのだ。現代の医療がどれだけ進歩していようが、あの状況から蘇生して、後遺症もなくこんなにスッキリ目覚められるはずがない。
「……ん?」
ふと、自分の胸に置いていた「右手」が視界に入り、俺は眉をひそめた。
細い。あまりにも細すぎる。 前世で女をエスコートし、時には力づくの修羅場を制してきた俺の手は、もっと骨張っていて、鍛えられた厚みがあったはずだ。だが、いま目の前にあるのは、まるで見本品のように白く、産毛すら薄い、ひどく華奢な少年の手だった。
「一ノ瀬さん!? 目が覚めたのね……!」
突然、病室のドアが勢いよく開き、看護師らしき女性が飛び込んできた。 彼女は俺の姿を見るなり、大粒の涙をボロボロとこぼし、まるで奇跡の生還を目撃したかのように両手を合わせて震えている。
「あぁ、よかった……本当によかった……! すぐに先生と、ご家族をお呼びしますからね!」
慌てふためいて部屋を飛び出していく彼女の背中を、俺は冷めた目で見送った。
(一ノ瀬……? 誰だそれは。それにあの看護師、妙に俺を見る目が必死だったな……。まるで、世界に数少ない絶滅危惧種でも見守るような――)
自分の身体の異変、そして他人の奇妙な視線。何となく、自分が奇妙な状態であるということだけは理解した。