男女比1:10の世界で、俺は「私だけ」を作ることにした 作:晴口 丸
ある日のホームルーム前。名も知らぬ女子からの挨拶をさわやかに返していると、窓際から大声で話しかけられる。
「おい、一ノ瀬。お前、女なんかにいちいち頭下げてんじゃねーよ。男の風上にも置けねぇな」
道明寺龍也が、周囲の女子生徒たちにこれみよがしに見せつけるように、ニヤニヤしながら俺に近づいてくる。女子を奴隷のように扱い、君臨することこそが男の価値だと信じ込んでいる、この世界ならではの哀れなマウンティングだ。
サオリがあからさまに不機嫌そうに俺の前に立とうとするのを制して、席に着く。
「いいじゃないか。俺は、彼女たちが楽しそうにしてくれるのが一番嬉しいんだ」
俺は反論する代わりに、聖母のような慈愛に満ちた微笑みを浮かべて答えてやった。
「……っ!!」と、教室中の女子から尊さに身悶えするような、悲鳴に近い吐息が漏れる。龍也の背後に侍っていた取り巻きの女子たちでさえ、彼の粗野で傲慢な態度と、俺の圧倒的な『包容力』を無意識に比較したのか、俺に熱い視線を送り始めていた。
(そうだ……それでいい。道明寺龍也、お前が下らない傲慢さを振りまけば振りまくほど、俺の『毒』は彼女たちの深層心理に深く刺さる)
「私だけがこの人の本当の価値を理解している」という甘い呪縛が、確実に教室内を侵食していくのを感じていた。
騒がしい女子たちの追跡を撒いて、俺は屋上へと続く薄暗い階段を登った。
重い扉を開けると、案の定、独りで手すりに寄りかかり、苛立ったように空を睨む龍也の姿があった。
教室で取り巻きの女子を侍らせていた時の傲慢な仮面は剥がれ落ち、その横顔には、拭いきれない空虚さと深い孤独が張り付いている。
「……なんだ、湊か。お前も女どもから逃げてきたのか?」
龍也は俺の気配を察すると、フンと不機嫌そうに鼻を鳴らした。
「まぁね。たまには静かに一息つきたくて。……龍也、これ、飲むか?」
俺は自販機で買った、なんの変哲もない微糖の缶コーヒーを龍也に放った。 龍也は驚いたようにそれを受け取ると、高級ブランドの手袋をはめた手で、まじまじと安物の缶を見つめる。
「……なんだよこれ。俺はいつも最高級の豆を女に淹れさせてるんだ。こんな安物……」
「たまにはいいだろ。そういう『男としての型』から外れた方が楽だよ」
俺は龍也の隣に並び、手すりに背を預けた。
「……なぁ、龍也。お前も本当は疲れてるんじゃないか? いつも『完璧な男』を演じて、女たちの上に君臨し続けるのは」
龍也の肩が、一瞬だけびくりと跳ねた。 この世界で男に求められるのは、絶対的な強者、あるいは愛玩されるための記号だ。弱音を吐けば「男の価値が下がる」と切り捨てられ、悩みを共有できる同性の友人もいない。女たちは彼を「崇拝」し、貢いではくれるが、対等な「人間」としては決して見てくれないのだ。
「……お前に何がわかる。俺は、道明寺家の長男だ。常に傲慢で、女を跪かせてなきゃ……俺には価値がねぇんだよ」
絞り出すような、ひび割れた声。特権という名の檻に閉じ込められた少年の、悲鳴だった。
「価値なんて、他人に決めさせるもんじゃないよ。……俺の前では、ただの『龍也』でいい。俺たちは、この世界でたった二人のクラスメイト……男友達なんだからさ」
「……っ、お前……」
女たちが向けてくる、品定めするような「資源への欲望」とは根底から違う、同じ苦境を共有できる同性からの、初めての無条件の肯定。
龍也の胸の奥で、カチリと、彼を縛っていた理性の鍵が外れる音がした。
「……なぁ」
「ん? なんだい」
「これ、どう飲むんだ?」
見せてくるのはさっき渡したコーヒー缶。
俺はあまりの可笑しさに噴出してしまった。
「缶の開け方もわからないのかい? はは、面白いね」
「な、うるさい! こういうのは女の仕事なんだよ!」
「しょうがないなぁ、教えてあげる」
午後の体育。種目はバスケットボールだったが、男子二人は「男性保護法」の推奨により、当然のように見学席が用意されていた。しかし、俺はあえてコートに立つことを選ぶ。
「龍也、俺たちだけでパス回ししないか?」
「は? ……ふん、いいだろう。お前の下手くそなプレイを拝んでやるよ」
いざコートに立てば、龍也は驚くほど躍動した。誰の目も、男としての体裁も気にせず、ただ純粋にボールを追う。 そして、俺がルーズボールを追ってバランスを崩し、床に転びそうになった、その瞬間だった。 龍也が恐ろしい反応速度で踏み込み、俺の腰を背後からガシリと抱きとめた。
「おっと……サンキュ。助かったよ、龍也」
支えられてすぐに立ち上がり、服を軽く払いながら笑いかける。
周囲の女子たちが俺たちの様子に色めき立つ中道明寺は怒りのこもった笑みでそれらににらみつけていた。
(また浅はかな『ホントウの湊』でも見つけたのかな? 怖いねー。同性だからって自分と同じだって思いこむ人は)
「男友達」というあまりにも都合の良い大義名分。 それが彼の中で、周囲の女どもから湊を隠し、独占したいという歪んだ「執着」へすり替わっていくのを、俺は彼の目の前で冷徹に確信していた。
麗華、サオリ、そして道明寺龍也。 男女問わず、俺の周囲に集う者たちの情緒が、一人、また一人と心地よく狂い始めていた。