男女比1:10の世界で、俺は「私だけ」を作ることにした 作:晴口 丸
放課後の生徒会室前。 孤立を深める麗華を中からサポートしようと、扉の前で生真面目に待機していた剣道部の中堅・桐生梓の前に、俺はふらりと姿を現した。
「あ、梓さん。麗華さんに、来週提出する数学の課題について少し聞きたいところがあって。中にいるかな?」
俺がいつものように柔らかく微笑みかけると、梓は即座にハリネズミのようにトゲを逆立て、俺を激しく睨みつけてきた。
「気安く名前を呼ばないで。男の分際で麗華様にまとわりついて……恥を知りなさい。あなたみたいな、顔だけの軟弱な男が一番虫唾が走るのよ」
徹底的な拒絶の言葉。だが、前世で数多の「気性の荒い客」を転がしてきた俺からすれば、この手の過剰な威嚇はただの防衛本能の裏返しに過ぎない。
俺は怯えるどころか、少しだけ寂しそうに目を伏せ、彼女の刺すような視線からあえて目を逸らさずに一歩足を踏み込んだ。
「……そうだね。俺みたいなのが麗華さんの隣にいるのは、不釣り合いかもしれない。……でも、梓さんはすごいな。そんなに真っ直ぐに、誰かを守ろうと行動できるなんて」
「な……っ!? お、お世辞なんて通じないわよ!」
「お世辞じゃないよ。……梓さんの瞳、すごく綺麗だ。曇りがなくて、強い。なんだか、見ているだけで圧倒されそうになる」
至近距離で、梓の瞳をじっと覗き込む。 男の野蛮な汗臭さとは無縁の、洗練された柔軟剤と微かな体温の香りが彼女の鼻腔を突いたのだろう。梓は一瞬で言葉を失い、顔をカッと赤く染めた。
(男のくせに、なんなのよこの目……。いつも見てる腑抜けた男子と全然違う。声が、妙に耳に残って……どうして、体が動かないの……!?)
彼女の脳内で、「男への嫌悪」という境界線が、俺の「男としての圧倒的な存在感」によって激しく踏み荒らされていくのが手に取るように分かった。
「……ねぇ、梓さん。麗華さんは今、生徒会の仕事で手一杯みたいだからさ。もしよければ、麗華さんには内緒で、君に俺のわからないところ、教えてもらえないかな。」
俺は困ったように眉を下げ、ほんの少しだけ、彼女に頼るような視線を送る。
(麗華の盾であるこの女を、まず機能停止させる。麗華を完全に孤立させるための、これが最初の楔だ)
「……っ、今回だけよ! あなたがあまりに頼りなさそうにしてるから、少しだけ手を貸してあげるだけ! 勘違いしないでよね!」
梓は吐き捨てるように叫んだが、その瞳はもはや麗華の守護を忘れて、目の前の「未知の強者(おれ)」に完全にロックオンされていた。
「私が麗華様の代わりに、あなたのわからない所、全部教えてあげるわよ!」
「本当? 嬉しいな、ありがとう。梓さん」
「うっ……と、特別なんだからね、特別!」
ツカツカと足早に去っていく「麗華様の騎士」の背中を見送る。 彼女が麗華の番犬から、俺の狂信的な猟犬へと堕ちるまで、そう時間はかからないだろう。
その光景を、廊下の柱の影からサオリがじっと眺めていた。 彼女は俺が振り返ると、その上気した顔に歪な歓喜を浮かべ、声を出さずに唇を動かした。
『――さすがはお兄様。あの女、自分が檻に入ったことすら気づいていませんわ』
(麗華への忠誠は確かに本物。しかしそれは本物の『毒』を知らなかっただけの、無垢な子供だったというだけの話)
冷泉院麗華の唯一の理解者であった桐生梓の意識を、俺という存在で完全に上書きする。 これで麗華の周囲の障壁はすべて排除された。
放課後の図書室。冷泉院麗華の代わりに俺に勉強を教えるという名目で、桐生梓は俺と二人きりになっていた。
「……だから、この公式はここに代入するのよ。わかった?」
「なるほど、梓さんの説明はやっぱりすごく分かりやすいね。麗華さんの前だと、僕、緊張して上手く頭が回らなくなっちゃうから……助かるよ」
俺があえて艶めかしく笑ってみせると、梓は「ふん」と鼻を鳴らしつつも、その頬を僅かに朱に染めた。
「ふふ、さっきから俺の胸元見てるでしょ。ばればれ」
「なぁ⁉ べ、別に、そんなことないわ!」
「ええ~、正直に言ってくれたらもっと見てよかったのに」
「はぁ⁉ 貴方ねえ……」
わかりやすく慌てる彼女をからかうのはこの世界に来てから久々に味わった感覚で非常に楽しい。前世で、少し気の強い太客をあしらっていた頃の感覚が自然と蘇る。
俺は向かい合った机で頬杖を突き少し上目遣い気味に梓をみて、微笑みかける。
「ねぇ、どうして俺がこんなこと言うか、わかる?」
「え……なんで?」
まるで甘い告白を待つかのように彼女は顔を赤らめてじっと俺の言葉の続きを待った。
「目、閉じてみてよ」
「うそ……」
ドキドキと、俺以外でもわかるくらいに心臓をはねさせ、まるで何かを待つように顎を突き出す彼女に笑いがこみあがってきた。
「……やっぱり、おあずけ~」
「はぁ⁉」
もちろん上げるつもりなど毛頭ない。「次はもらえるかも」、「彼は望むものをくれる可能性がある」と思わせるだけで十分だ。
今回のところは梓が本格的に怒る前に荷物を片付け、逃走を図るのだった。
一度植え付けられた「おあずけ」の渇きは、彼女の脳内で勝手に増殖し、俺という存在の輪郭を大きくしていくだろう。
休日の昼下がり。私服姿で街の喧騒を歩いていた俺は、駅近くの交差点で、偶然を装って私服姿の梓と鉢合わせした。 いつもは制服で身を包み、麗華の影として自分を律している梓だが、今日は一人。動きやすいがどこか女の子らしさを残したデニムのスカート姿だ。
「あ、梓さん。奇遇だね。……今日の服、すごく似合ってる。麗華さんが隣にいないと、なんだか別の女の子みたいに可愛いな」
「っ!? ……な、ななな……何を唐突に! 別にあなたに見せるために着てるんじゃないわよ!」
梓はいつものようにツンと顔を背けるが、あの日の「おあずけ」のせいで、俺への意識はすでに限界突破している。周囲に自分たちを知る生徒は一人もいない。 学校という『檻』から外れた瞬間、男と女のパワーバランスは容易に逆転する。俺は彼女の動揺を見届けると、ふっといつもの「無害な王子様」の微笑みを消し、梓の腕を少し強引に引いて、人通りの途切れた路地裏の壁際へと追い込んだ。
「ちょっと、一ノ瀬!? 何を……」
「……ねぇ、梓さん。今日は麗華さんもいないし、学校でもない。……『ただの男の子』として、君を独り占めしてもいいかな?」
梓の顔の横に手を突き、至近距離でその瞳を射抜く。 往来の人波はすぐそこにあるのに、この空間だけが切り取られたような圧倒的な密室感。梓の心臓は、あの放課後の図書室の比ではないほど、警報のように激しく脈打ち始めていた。
主導権を完全に握ったまま、俺は彼女を連れて中央広場のベンチへと移動した。 人通りの多い場所だからこそ、逆に「いつ誰に見られるか分からない」というスリルが、彼女の脳を狂わせるスパイスになる。俺はわざと梓の肩を引き寄せ、彼女の耳たぶに指先を滑らせた。
「や、やめなさいよ……誰かに見られたら……っ」
「いいじゃない。誰も僕たちのことなんて知らないよ。それとも……麗華さんにバレるのが怖い? 友達を裏切って、僕にこうされるのが『心地いい』って思ってる自分を知られるのが」
「あ……っ、う……」
梓は羞恥に顔を焼き尽くされながらも、俺の指先が触れるたびに、体が甘く痺れていくのを止められない。 途中で買ったソフトクリームを口に運んでいる彼女の手首を、俺はそっと掴んだ。そして、彼女の指先に少しだけ付着したクリームを、わざと彼女の目の前で、ゆっくりと自分の舌で拭い去ってみせる。
「……梓さんの味がする。甘いね」
「あなた……っ、あなたって人は……!!」
体育会系らしく叫びたい衝動に駆られながらも、俺の冷徹で、けれどすべてを見透かすような瞳に見つめられると、彼女は蛇に睨まれた蛙のように、ただ熱い吐息を漏らすことしかできなかった。
(「男なんて」と見下していたプライドが、本能の快感に塗りつぶされていく。これでもう、この女はいつも通りの顔で麗華の側には戻れない)
夕暮れ時、駅のホームの端。 終始俺にリードされ、認知の境界線を破壊され続けた梓は、もはや真っ直ぐ立っているのがやっとの状態だった。
「……今日は楽しかったね、梓さん。麗華さんに隠れてこっそり会うのもいいけど……こうして堂々と君を『僕の女の子』として扱うのも、悪くないな」
俺は梓の顎を指先でクイと持ち上げ、その潤んだ瞳を真っ直ぐに見つめた。
「ねぇ、梓さん。明日の学校で、麗華さんの隣にいる僕を見ながら……今日のことを思い出して。君と僕だけの、誰にも言えない『本当の時間』を」
「……っ……う……。……わかったわよ。……あなたの、勝ちよ……」
梓はもはや、強がる気力さえ残っていなかった。 彼女の心は、俺によって徹底的に暴かれ、都合のいい「共犯関係」の甘い毒に汚されていた。自分でも気づかないうちに、「麗華の騎士」から「一ノ瀬湊の所有物」へと、その登録商標を書き換えられていたのだ。