男女比1:10の世界で、俺は「私だけ」を作ることにした   作:晴口 丸

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聖マリアント学園の新学期が始まって、一ヶ月が経とうとしていた。

当初、新入生代表にして生徒会役員となった冷泉院麗華の評価は、全校生徒の間で天を突くほどに高かった。

「さすがは冷泉院の令嬢だ」「何を任せても超一流」「新入生にして生徒会の即戦力だ」と、誰もが彼女の優秀さを絶賛していたのだ。

 

だが、物事には限度というものがある。

麗華の頭脳と責任感は、常人の枠を遥かに超えていた。彼女が周囲の生徒会メンバーや一般生徒の委員たちに求める「クオリティ」はあまりにも高く、そしてストイックすぎた。

 

「この予算申請書、計算の根拠があいまいです。このままでは審査を通すことができません。やり直して」

「これでは提出期限に間に合いません。今日中に全員で残業して終わらせましょう」

「マリアント学園生徒会として、自覚を持ってください」

 

最初は「優秀なリーダー」と慕っていた周囲の生徒たちも、次第に息が詰まり始めていった。麗華と一緒に作業をしていても、一瞬の妥協も許されず、全く心が休まらない。 一人、また一人と、「冷泉院さんにはついていけない……」と理由をつけて役職を辞退したり、書類だけを押し付けて早々に下校したりするようになり、麗華は生徒会室で徐々に、けれど確実に『孤立』していった。

そんな麗華の行き過ぎた自滅への道に、誰よりも危機感を抱き、深く悩んでいたのが――彼女の騎士である桐生梓だった。

 

「はぁ……」

 

ある日の放課後。 日が沈みかけた渡り廊下の踊り場で、梓は一人、手すりに寄りかかって深い溜息を漏らしていた。 今日も麗華は、周囲が引き止めるのも聞かず、一人で膨大な書類の山と戦っている。 

このままでは麗華様の精神が壊れてしまう。けれど、プライドの高い彼女は、臣下である自分の「休んでください」という正論すら、今は撥ね退けてしまうのだ。

 

「そんなに暗い顔をして、どうしたの? 梓さん」

「――っ!?」

 

背後からかけられた、絹のように滑らかで心地よい声。 驚いて振り返ると、そこにはクラス委員長である俺――一ノ瀬湊が、優美な佇まいでそこにいた。

 

「一ノ瀬、さん……ど、どうしてここに……」

「元気がないね。最近、麗華さんが少し無理をしているみたいだから……君も、彼女を一番近くで支えていて、疲れちゃったんじゃない?」

 

俺はそっと近づき、彼女の華奢な肩を軽く抱く。あくまでもちょっと心配性なただのクラスメイトという体で。だが、俺の指先が制服越しに彼女の肌に触れた瞬間、梓の呼吸がトロンと浅く乱れるのを、俺は見逃さない。ちょっとかがんで視線を合わせてやるだけで、彼女は悩ましげな視線を送ってくる。

一ヶ月間、俺はあえて麗華に深く干渉せず、ただの「優秀で人当たりの良いクラスメイト」として振る舞い、彼女の状況を冷徹に観察していた。麗華がストイックすぎて孤立することも、梓がその裏で背徳感に溺れることも、すべては俺の計算通り。

 

「私は、その……別に、疲れてなんて……。でも、麗華様が……。私が何を言っても『冷泉院の人間として当然よ』って……。私、どうしたら彼女を救えるのか、分からなくて……っ」

 

必死にいつもの「騎士」としての理性を保とうとしながらも、その瞳は潤み、俺の胸元を無意識に追っている。 麗華を心配する一方で、彼女の脳内は「麗華様を裏切って、この男に触れられている」という泥沼のような背徳感で満たされているのだ。

 

「そっか……。麗華さんは責任感が強いからね。でも、梓さん一人がそんなに抱え込む必要はないよ」

 

俺は一歩、梓に近づき、耳元に顔を寄せ、周囲には聞こえない微かな声で、妖しく囁いた。

 

「……ねぇ、梓さん。麗華さんには内緒で、俺が少し彼女とお話ししてこようか? 君は、別室で明日の会議の資料でもまとめておいで。その方が……誰にも邪魔されずに、俺たちの『次の時間』を、じっくり作れると思わない?」

「――っ、あ」

 

梓の喉から、甘い悲鳴のような音が漏れた。

「麗華様のため」という大義名分を盾にしながら、その実、自分に用意された「次のご褒美」への飢餓感を完璧に煽る甘言。

彼女はもはや、俺の命令を拒絶する術を持ち合わせていなかった。

 

 

「……じゃあ、一ノ瀬さん。不甲斐ないけれど……麗華様を、お願いします。私は、彼女の代わりに明日の会議の資料を、別室でまとめてきますから……」

「うん、任せて。いい子で待っていてね」

 

胸を高鳴らせ、まるで餌のために芸をこなす忠実な犬のように別室へと去っていく梓の背中を見届ける。俺の口元から、先ほどまでの優しい微笑みが完全に消え失せた。

 

(よし。これで『騎士』は盤面から排除した。……あとは、孤独な檻の中で、一人でプライドに潰されかけているお姫様を、美味しくいただくだけだ)

 

コンコン、と静かに生徒会室の扉を叩く。

 

「失礼するよ、冷泉院さん。……やっぱり、まだ残っていたんだね」

 

夕闇が迫る静まり返った室内。山積みの書類の向こうで、疲れ切った顔でペンを握りしめていた麗華が、弾かれたように顔を上げた。

 

「一ノ瀬、さん……? どうして、あなたがここに。梓さんはどうしたの?」

「梓さんなら、明日の資料をまとめに別室へ行ったよ。……それより、顔色が悪いよ、冷泉院さん」

 

俺はサオリを廊下に待たせ、一人で室内へと歩み進める。手には、購買で買ってきた温かい紅茶のボトル。

 

「生徒会室の電気がついているのが見えてね。もしかして君がまだ頑張っているんじゃないかと思って……気になっちゃってさ」

 

ゆっくりと彼女の机の前に立ち、その張り詰めた防壁の内側へ、俺は極上の慈愛を孕んだ声で、そっと滑り込んだ。

彼女の傍らに積みあがる書類にこれ見よがしに手を置き、ため息を一つついた。

 

「みんな、君が『完璧な冷泉院さん』だから、何でも一人でできるって勘違いして、書類を押し付けていっちゃうんだね。……でも、俺は知っているよ。君が、誰よりもこの学園のために、身を削って努力していること」

「――っ、あ」

 

麗華の喉から、彼女の歓喜を表す音が漏れた。

一ヶ月間、誰にも認められず、ただ「ストイックすぎて怖い」と敬遠され、孤独な戦いを続けてきた彼女の心に、湊の言葉がこれ以上ないほどの精度で突き刺さる。

この人は、私の『完璧なガワ』ではなく、その裏にある『努力』を見てくれている――。

 

「一ノ瀬、さん……。いいのよ。私は、私は冷泉院の娘だから、これくらい……っ」

「無理しなくていいんだよ、麗華さん」

 

俺は机に両手をつき、彼女の綺麗な瞳を、至近距離から真っ直ぐに見つめた。 一瞬で「委員長と役員」から、「男と女」の距離へと世界をすり替える。

 

「……前にも言ったよね。自分を律することができる女性は、とても素敵だって。俺、麗華さんがみんなに誤解されたままみんなと離れてるのを見て、耐えられなくって……!」

「一ノ瀬さん……」

 

 切羽詰まったような、伝えたいことを言葉にしきれない感じ。これを意識する。さしずめクライマックスの告白シーンか。

 俺はあえて机から少し体を離し、寂しげな微笑みを浮かべてみせた。

 

「……本当はね、俺みたいな凡人が、冷泉院の令嬢である君にこんな風に話しかけるべきじゃないって分かっているんだ。君を支えるのは、俺じゃなくて生徒会の優秀なメンバーや、あの桐生さんであるべきだから」

「それは……っ、違います! 他の人は皆、私を……」

 

麗華が弾かれたように立ち上がった。その拍子に、椅子が鋭い音を立てて後ろに下がる。

 

「皆、私を『冷泉院』の看板でしか見ないわ! 完璧にできて当然、失敗すれば冷泉院の恥……。誰も、私のことなんて……。なのに、あなただけは……っ」

 

孤独を拗らせた人間は、「自分の努力を理解してくれた唯一の存在」を失うことを何よりも恐れる。

俺が「自分は身を引くべきだ」という姿勢を見せたことで、彼女は俺を繋ぎ止めたくて必死になり、自ら本音を曝け出した。

 

「俺だけは……何? 麗華さん」

 

俺はさらに声を落とし、彼女の鼓膜へ這い寄るように、優しくその名前を呼んだ。

 

「……っ」

 

麗華は息を呑み、涙を浮かべた瞳で俺を見つめた。 名門の令嬢としての『ガワ』は完全に剥がれ落ち、そこにあるのは、ただの「誰かに縋りたい、限界を迎えた一人の少女」の顔だった。

 

「……一ノ瀬、さん。私を……助けて。このまま一人で、暗闇を歩き続けるのは……もう、疲れてしまったの……」

 

ごちそうさまでした。

彼女の口から、ついに極上の敗北宣言が飛び出した。

 

「分かったよ、麗華さん。いや、麗華。君がそう望んでくれるなら……俺はどこにも行かない。君の隣で、君だけの特別でいるよ」

 

その瞬間、冷徹な名門令嬢の理性は完全に崩壊し、彼女の瞳は、ドロドロとした熱い色に染まり始めた。

俺は机を回り込み、立ち尽くす彼女の華奢な体を、そっと両腕で抱きすくめた。

麗華の体が、ビクリと小さく跳ねる。だが拒絶の動きはない。それどころか、彼女は俺のシャツの背中を、爪が食い込むほどの強さでギュッと掴み返してきた。

 

「湊……」

 

(これで冷泉院麗華の『依存』も回収完了。桐生梓も、道明寺龍也も、全員が俺という甘い毒に首まで浸かっている)

 

夕闇に完全に沈んだ生徒会室。 俺の胸の中で、救われたと思い込んで安らかな吐息を漏らすお姫様の髪を愛おしげに撫でながら、俺の脳内はすでに、学園の権力を掌握するための「次の盤面」へと、冷徹に思考を巡らせていた。

 




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