男女比1:10の世界で、俺は「私だけ」を作ることにした 作:晴口 丸
サオリの瞳からはハイライトが完全に消え失せており、口元だけが歪な笑みの形に吊り上がっている。
「お兄様、先生に呼ばれたというのは嘘だったのですね。こんな他国の狐に呼び出されて、二人きりで……。ああ、可哀想なお兄様。きっとこの泥棒猫に脅されて、無理やりこんな暗がりに連れ込まれたのでしょう?」
サオリが一歩一歩、床を鳴らして近づいてくる。
だが、俺のシャツの胸元を掴んだままのクラリスは、フッと鼻で笑うと、聖女としての完璧な優雅さを取り戻して言い放った。
「泥棒猫とは心外ですわ。私は一ノ瀬湊さんの正当な『所有物』。我が故郷マチカの古い法俗――【魂の対価(アニマ・プレティウム)】に基づき、私は私のすべてを彼に捧げ、彼は私を生涯管理する契約を交わしたのです。ですから、私が彼の傍にいるのは、むしろ義務なのですわ」
「はぁ!?」
その言葉に、最初に凄まじい食いつきを見せたのは、麗華だった。
彼女は一瞬でエリート令嬢、そして知識層としてのスイッチが入り、信じられないほどの早口でクラリスに向かってまくし立てた。
「契約⁉ ちょっと、いま貴女『アニマ・プレティウム』って言ったかしら⁉ 冗談じゃないわ! それは西方の暗黒期、マチカの前身となった旧神聖領で、信仰を裏切った異端者の魂と財産を教会が合法的に没収するために使われていた、とっくの昔に失われたはずの『魂の隷属契約』でしょう⁉」
麗華のインテリ特有の高速ツッコミが、静かな礼拝堂に響き渡る。
「現代の国際法、および我が国の民法において、そんな人権を著しく無視した中世の悪習が無効なのは常識よ! 歴史の教科書の裏表紙にしか載っていないような古臭い契約を持ち出して、湊さんを縛ろうなんてそんなの許せないわ! 彼を公的に庇護し、管理する権利があるのは、湊と心が通じ合っている、私だけよ!」
麗華が、日頃の教養を総動員して必死にまくしたてる。
その隣で、麗華の従者である梓が、静かに一歩前に出た。
「……関係ないわ」
いつにない梓の低く、冷え切った声が礼拝堂の空気を一瞬で凍らせる。彼女の右手は、すでに制服の懐――護衛官としての武器へとしなやかに伸びていた。
「法がどうあれ、慣習がどうあれ。一ノ瀬湊の身辺を警護し、その身を所有するのは、護衛官である私の役目よ。……そこの女。その汚い手で、一ノ瀬に触れないで。次動いたら、安全の保障はできないわ」
梓の放つ殺意はサオリのそれとは違い、実戦を潜り抜けてきた本物の「凶器」のそれだった。流石は金持ちの従者といったところか。ちゃっかり自分の主の前で独占欲を滲ませているのは笑えて来るが。
三者三様のドロドロとした独占欲と殺意が入り乱れる中、クラリスは恐怖で一瞬だけ身を強張らせたものの、すぐに傲慢な聖女の笑みを浮かべ直した。
(あら……。噂には聞いていたけれど、この男の周りの女たち、どいつもこいつも重すぎて狂っていますわね。……でも、だからこそ面白い。この狂った檻の真ん中で、彼を私のものにする価値があるというものですわ)
俺は、彼女たちの間で繰り広げられる地獄のような牽制合戦を見つめながら、シャツのボタンを整え、心の中で最高に愉悦に浸っていた。
(……さあ、聖女様。君が始めた『魂の対価』のゲームだ。この嫉妬の泥沼の中で、君がどこまで等身大の女の子としてバグっていくか、特等席で見せてもらうよ)
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