男女比1:10の世界で、俺は「私だけ」を作ることにした 作:晴口 丸
まさかこんな方法で、俺が学園から「連れ出される」ことになるとは思わなかった。
「一ノ瀬さん。本日は我がマチカの聖女として、貴方の放課後の生活実態を検分させていただきますわ。異論は認めません」
放課後の昇降口。クラリスはサオリや麗華が先生に呼び出された「偶然の」タイミングを狙い、そう厳かに宣言した。
周囲の女子生徒たちは「おお、聖女様直々の素行調査か……」「一ノ瀬くん、何を怒らせるようなことをしたんだろう」と、神聖な義務か何かの執行だと思い込んで遠巻きに眺めている。
麗華の盾である梓がギロリとこちらを睨んできたが、クラリスは「これはマチカの最高権限に基づくものです」と涼しい顔で突っぱね、俺の腕を強引に引いて、あらかじめ用意させていたお召し列車のような黒塗りの高級車へと俺を押し込んだ。梓は何か言いたげだったが、「マチカの最高権限」と言われた以上、黙るしかない。
サオリたちの警戒網を完璧に出し抜いた、聖女の権力をフル活用した強行誘拐だ。
だが、車が学園の敷地を出て、窓の外に一般的な街並みが広がり始めた頃――。 隣に座るクラリスの様子が、明らかに奇妙なことになっていた。
「……あの、一ノ瀬さん」
「ん?」
「こ、これより検分を開始します。まずは、貴方が普段どのような場所で……その、不純な異性交遊の資金を浪費しているのかを確認するため、市井の……一般的な、その、喫茶店という場所に赴きますわ」
クラリスの声が、普段の凛とした聖女のそれではなく、妙に上擦っている。
膝の上に置かれた白い手袋をはめた両手は、ドレスの裾をぎゅっと握りしめていた。
高級車のシートに並んで座る、ただの男の子と女の子。
マチカでは常に神輿の上か祭壇の上にいた彼女にとって、護衛官も信者もいない空間で、同年代の男と「対等な距離」で並ぶこと自体、人生で初めての経験なのだろう。
俺は心の中で可笑しくなっていながらも、顔にはいつもの無害な王子様の微笑みを浮かべた。
(なるほどね。大義名分を使って俺を独占したまでは良かったけど、いざ二人きりになったら、どう振る舞えばいいか分からなくてテンパってるわけだ。可愛いじゃん)
車が市街地の一角にある、ごく普通の、しかし少しお洒落なオープンカフェの前で止まった。
クラリスは車を降りると、この世界の一般的な女性……つまり「男をエスコートする頼れる騎士」を演じようと、精一杯胸を張って俺の前に立った。
「さあ、案内しなさい……いえ、私が案内しますわ。貴方は私の後ろをついてきて――」
「クラリスさん」
俺は彼女の言葉を遮り、自然な動作で彼女の前に回り込むと、カフェの重いガラス扉を引いて開けた。そして、紳士として、柔らかく微笑みながら彼女を中に促す。
「どうぞ。あそこの窓際の席が、日差しが優しくてクラリスさんに似合いそうだ」
「え……? あ、ありがとう、ございます……?」
クラリスの蒼い瞳が丸くなった。 この世界の女たちの理想のデートは、自分が扉を開け、自分が席を引き、男を「王子様」のように扱うことだ。だが、前世のホスト――いや、普通の男の恋愛観からすれば、女の子をスマートにリードするのは当然の作法。
神聖国家で拝まれるだけだった過去。そして、この狂った世界で「男を守るファンタジー」を押し付けられる日常。
そのどちらとも違う、「一人の男の子から、一人の女の子として自然にエスコートされる」という未知の体験に、クラリスの脳内の理性が音を立ててきしみ始めた。
席に着き、注文を終えた後も、彼女のバグは加速していく。
「あ、あの、一ノ瀬さん。貴方はいつも、こうして女性に媚びを売って……」
「媚びなんか売ってないよ。ただ、クラリスさんが綺麗だから、一番居心地のいい席に座ってほしかっただけ。マチカの聖女様じゃなくて、今の君は、ただの可愛いクラリスさんだからね」
テーブル越しに、彼女の目をじっと覗き込む。 運ばれてきた、庶民的な、だけど甘いイチゴのパフェのクリームが、彼女の可憐な唇の端に微かについた。
「あ、付いてるよ」
俺は自分の指先で、彼女の唇の端をそっと拭った。
「ひゃうっ⁉ ――な、何を、何をいたしますの、貴方は!?」
クラリスは顔を一瞬でリンゴのように真っ赤に染め、椅子から飛び上がりそうになりながら口元を押さえた。
マチカの聖女なら「不敬」と怒るべきところだ。この世界の女性なら「男の子にそんな汚い真似をさせてしまった!」と慌てて謝るか、妄想を爆発させるところだ。
だが、今のクラリスの胸を突き動かしているのは、そのどちらでもない。
ただ、男の子に触れられたという、生まれて初めての強烈な「恥じらい」と、心臓の爆音。
(な、なんなのですか、この感情は……⁉ 私はこの男の悪性を調査し、管理するために連れ出したはずですのに……どうして、胸がこんなに苦しくて、熱くて……これでは、これではまるで、私が彼に……デートを、申し込んだ、普通の女の子みたいでは、ありませんか……⁉)
聖女としてのメッキが、パフェの甘い香りと、湊の放つ極上のエスコートによって、ボロボロと剥がれ落ちていく。
「学校中の男子を支配する」という元々の傲慢な欲望は、すでに霧散していた。今の彼女の蒼い瞳は、ただ目の前にいる一ノ瀬湊という存在を、熱烈に、等身大の女の子として見つめることしかできなくなっていた。
俺は、真っ赤になって俯き、必死にスプーンでパフェを口に運ぶ聖女様を見つめながら、ひどく冷静に、そして確信を持って心の中で微笑んだ。
(いいよ、クラリス。そうやって、どんどん『普通の恋』の泥沼に溺れていきなよ。聖女の仮面の下にある、君の本当の素顔、全部俺に頂戴ね)
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