男女比1:10の世界で、俺は「私だけ」を作ることにした 作:晴口 丸
一ノ瀬家の玄関に、再び力強い、しかし美月よりも圧倒的に洗練された重厚なヒールの音が響いた。
「ただいま。……あら、賑やかね。会議が長引いて遅くなったわ」
帰宅したのは、一ノ瀬家の絶対的頂点母・華子だった。
ビジネスモード全開の高級スーツに身を包み、不気味なほど完璧で隙のない冷徹なオーラを纏った彼女が現れると、麗華、梓、クラリスの三人は、弾かれたように立ち上がり、深々と頭を下げた。
「は、初めまして一ノ瀬華子さん!」
名門の令嬢である麗華も、国を背負う聖女であるクラリスも、突然立ち上がり、礼をする。この世界でも親御さんの挨拶というのは緊張するものか。それにしても反応が過剰な気がするな。
「三人とも、そんなにかしこまらなくたって。ただの挨拶でしょ?」
「いや、ですが、相手はあの一ノ瀬華子さんですわ。冷泉院グループとして常日頃からお世話になっている以上、相応の礼節というものが……」
「いやいや、母さんはあくまで中堅でちょっとした役職って聞いたけど……」
「そんなことないわよ! 一ノ瀬華子さんといえばあの大企業『楽年グループ』のCEOの筆頭秘書をなさってる方よ!」
「え、そうなの?」
「ばれてしまってはしょうがないわね」
華子は妖艶に微笑んだ。
自分たちがどれだけ勝手に湊の素性を調べようとしても、何一つ情報が出てこなかった「不気味な空白」――その発信源が、政治や経済を裏から操るといわれる楽年グループの心臓、目の前の美しい怪物であることを三人は本能で察し、背筋に冷や汗を流していた。
華子は優雅に上着をサオリに預け、湊の隣に腰を下ろした。
「さあ、護衛官の皆さん。報告を聞かせてもらえるかしら? 息子が学校で、一ノ瀬の名に恥じない振る舞いをしているかどうか……母親として、非常に興味があるわ」
麗華が緊張で声を震わせながら、手帳を開く。
「は、はい! 湊さんは学園において、常に清廉潔白。全ての生徒たちの模範であり、その深い慈愛と知性で、クラスの平穏を保っておられます。……まさに、現代の奇跡と呼ぶに相応しいお姿です!」
続けて梓やクラリスも、湊がいかに「神聖で、非の打ち所がない完璧な王子様」であるかを、熱を込めて証言した。
三人が湊の「完璧さ」を熱弁すればするほど、華子の口角は微かに、そして愉悦を孕んで上がっていった。
(……ふふ、くすっ。清廉潔白? 慈愛の権化? ……あんなに必死に報告して、滑稽ね。この子たちは、湊が外でどれほど懸命に「猫をかぶっているか」を、一ミリも気づいていないのね)
華子の脳裏には、先ほど見た「家での湊」が浮かんでいた。 姉に肩を揉まされ、サオリに甘え、自分の帰宅を待って少し眠たそうに目をこすっている、無防備で、ずる賢くて、少しだけ毒のある「本当の湊」。
(外ではそんなに頑張って「良い子」を演じているなんて……なんて可愛らしいのかしら。世界中を騙して、一ノ瀬家の本来の影響力を強めるために立ち回る。……流石は私の息子。その計算高さも、一瞬ですべてを我が物にするその血の才も、すべてが愛おしいわ)
華子にとって、三人の称賛は、湊がいかに「優秀な役者」であるかを証明するデータに過ぎなかった。
「そう……。皆様にそこまで評価していただけるなんて、親として鼻が高いわ。……湊、良かったわね。皆さんに愛されて」
華子はそう言いながら、俺の頬を指先で愛おしそうに撫度った。
「お、母さん……みんなが見てるよ」
少しだけ顔を赤らめ、困ったように視線を逸らす。その「演技か本気か分からない照れ」すらも、華子にとっては極上のエンターテインメントだった。
「いいじゃない、身内だけだもの。……さて、皆さん。報告は十分よ。息子をこれほどまでに理解し、守ってくれている貴女たちには感謝するわ。……でも、夜は『家族の時間』なの。そろそろお暇してくださるかしら?」
華子の冷徹な微笑みは、暗に「外での湊は貴女たちのものかもしれないけれど、彼の中身はすべて私の管理下にある」と告げていた。
三人が敗北感と共に去った後、華子は俺を抱き寄せ、その耳元でクスクスと笑った。
「湊……お疲れ様。学校での『王子様ごっこ』、楽しそうじゃない。……さあ、鎧を脱いで。今夜は私の自慢の息子として、たっぷり甘えさせてあげるわ」