男女比1:10の世界で、俺は「私だけ」を作ることにした 作:晴口 丸
玄関から門扉まで、サオリはまるで「一ノ瀬家の正妻」としての務めを果たすかのように、麗華、梓、クラリスの三人を丁重にお見送りした。 夜の静寂が包む一ノ瀬家の外構。サオリは立ち止まり、振り返って三人に深く頭を下げた。
「皆様、本日はありがとうございました。お兄様も、家ではいつも私のことばかり見てくださって……あんなに楽しそうに学校のお話をされるのは珍しいんですよ? よほど皆様との班活動が充実しているのですね」
その言葉に含まれた強烈なマウント。しかし、それを受けながらも、三人の瞳に絶望の色はなかった。それどころか、彼女たちの唇には、どこか不気味で艶やかな笑みが浮かんでいる。
(フフ……。サオリさん、可哀想に。貴女が知っているのは、家の中で去勢された「弟」としての彼だけ。……あの放課後、私にだけ見せた「依存と弱さの混じった、一人の男としての顔」を、貴女は一生知らないままなのよ)
(……甘いわね、サオリさん。家という檻の中にいる湊しか見ていない貴女には、私をわが物のように扱い、私だけを見てくれる本当の彼のことなんて一生分からないでしょうね。かわいそう)
(……哀れな子羊さん。家での平穏なんて、ただの休息に過ぎませんわ。……私と二人きりの礼拝堂で、彼が私を「堕天使」のように誘惑した、あの背徳の熱量。……家で家族ごっこをしている貴女には、想像もつかない悦びでしょうね)
三人は、サオリに見せつけられた「日常の湊」を、自分たちが隠し持っている「自分だけが見た、外での特別な湊」という猛毒のスパイスで上書きし、逆に優越感に浸っていた。
三人が闇夜へと消えていく。その背中を見送りながら、サオリはふっと表情を消した。
「……フフ、あははは……っ」
サオリの喉から、低く、湿った笑い声が漏れる。 彼女は、三人が抱いている「自分だけが特別な湊を見た」という確信すらも、湊が彼女たちを御しやすくするために、あえて植え付けた「偽りの特権」であることを確信していた。
(あの方たち、本当に幸せな脳みそをしていますわ。……お兄様がわざわざ用意してあげた「自分だけの秘密」という餌を、大事に抱えて。……その秘密も、その高揚も、全てはお兄様が目的を達成するための手段に過ぎないのに)
「お兄様が誰をどう騙そうと、最後にその「悪意」を共有し、本当の意味で彼と同じ地獄を歩めるのは……私だけ。……さあ、お兄様。邪魔者は帰りました。今夜も、私だけに本当の毒を飲ませてくださいな」
玄関の鍵が閉まる重厚な音が、一ノ瀬家の「外向きの顔」の終わりを告げた。 サオリは高鳴る鼓動を抑えながら、静まり返った廊下を通り、湊の自室へと向かった。
ドアを軽く叩き、返事を待たずに中へ入ると、湊は制服のシャツのボタンをいくつか外し、ベッドの端に腰掛けていた。
「……お疲れ様、サオリ。あいつらを追い出すの大変だっただろ?」
湊の声は、先ほどリビングで見せていた「優しげな少年の声」よりも一段低く、冷ややかで、それでいてひどく甘美な響きを帯びていた。 サオリは湊の足元に膝をつき、彼の膝の上に顔を預けた。
「いいえ……。あの方たちが、お兄様から与えられた『偽物の特別』を大事そうに抱えて帰っていく姿を見るのは、最高の娯楽でしたわ」 「はは、俺も見たかったかも。……麗華さんには『弱さ』を、梓には『信頼』を、クラリスには『不徳』を……。彼女らが一番欲しがっているエサを、少しだけ分けてあげただけさ」
湊はサオリの顎を指先で持ち上げ、その瞳を覗き込んだ。そこには、学園の女子たちが決して見ることのできない、暗く澱んだ、けれど圧倒的に純粋な「悪意」が宿っている。
「彼女らは明日も、僕が自分だけに向けたものだと信じ込んでいる『嘘』を糧に、僕のために動いてくれる。……便利だよね、恋をする女っていうのは」
湊はサオリをぐいと引き寄せ、彼女の耳たぶを甘く噛むように囁いた。
「外の女たちに振りまくのは、彼女たちを操るための『薬』。でも、サオリ……君だけには、本当の『毒』をあげるよ」
湊の手が、サオリの背中を這うように愛撫する。
「僕が誰をどう汚しても、最後に僕の手を引いてくれるのは、君だけ。……明日も、学校でよろしくね。僕の『完璧な共犯者』として、あいつらが僕に溺れて壊れていくのを、一番近くで笑って見ていてよ」
「……あ……っ」
サオリの肺から、熱い溜息が漏れた。
「はい……お兄様。明日も、明後日も……お兄様が世界を欺くたびに、私だけがその『罪』を抱きしめて差し上げます」
サオリは湊の首筋に深く顔を埋め、自分だけに向けられた「本物の魔王の冷たさ」に、狂おしいほどの幸福を感じていた。 暗い部屋の中で、二人の影は一つに溶け合い、明日という名の新たな「遊戯」を待ちわびる――。