男女比1:10の世界で、俺は「私だけ」を作ることにした 作:晴口 丸
46
セミの声が容赦なく校舎の窓をたたいていた。
7月、終業式を終えた放課後の教室。担任の締まりのない連絡事項を聞き流しながら、生徒たちは一様に浮足立っている。
明日から始まる、約一か月半の長い夏休み。
誰もが海だ、祭りだ、旅行だと声を弾ませる中、その教室の一角だけは、妙に密度の高い熱をはらんでいた
(夏休み……。学校という『公の場』が失われるということは、麗華さんたちとお兄様の接触が途絶えるということ。……いえ、逆ね。監視の目が消えるからこそ、あの子たちは手段を選ばなくなる)
サオリは、教壇へ向けるべき視線をわずかに斜め前にずらし、愛おしいお兄様の背中を見つめていた。
先日の訪問から麗華たちは学園でさらに積極的に彼にアピールをしている。
偽りの愛にすっかり溺れきってしまい、なんともお労しい限りである。
(お兄様の隣にいていいのは、共犯者である私だけ。夏休みの間、お兄様の視界を外の女たちで濁らせるわけにはいかないわ)
じっとりとしたサオリの視線。俺はそれを背中で感じながらも、気づかないフリをして窓の外を眺めていた。
この夏休みは絶好の熟成期間だ。学校という縛りがないからこそ、彼女たちが「一ノ瀬湊のすべてを奪い愛したい」という破滅的な愛を、より純粋に、より狂暴に育てるための環境が整う。
ふと、視線を感じてわずかに首を巡らせる。 視線の先――真横に座る冷泉院麗華と、バチリと目が合った。
「っ……」
麗華の肩が、ピクリと跳ねる。
彼女は一ノ瀬家への訪問で、サオリの「日常マウント」にプライドをズタズタに引き裂かれていた。だが、今の彼女の瞳にあるのは絶望ではない。むしろ、夏休みという「誰も見ていない時間」を使って、湊を自分の世界の特等席へ引き摺り込もうとする、財閥令嬢としての執念だ。
俺は、そんな彼女に向けて、周囲の誰も見ていない隙をついて、小さく微笑みかけた。
「夏休みも、よろしくね」。言外に伝えた甘い毒。それを受け取った麗華の頬が一瞬にして赤くなり、緩んだ。
「――以上で、連絡を終わる。みんな、羽目を外しすぎないようにな。解散!」
担任の言葉と共に、教室が一斉に騒がしくなる。 サオリがすっと席を立ち、俺の元へ歩み寄ろうとした、その瞬間。
「湊さん、少しよろしい?」
落ち着いた、超然とした声が二人の間に割り込んだ。
「クラリスさん。もちろん大丈夫だよ。何かな?」
「夏休みの予定を聞いておこうかと思いまして。『所有物』として、主のそばにいつでもいないといけませんから」
「お兄様、かような存在、放っておいてよろしいかと。私がいつでもお兄様の側にいて支えることができますので」
「あら、それには及びませんわ」
そういって割り込んできたのは麗華とそれに続く梓。
「あら、それは私の護衛だけでは不満がある、と?」
「ええ、護衛官は協力関係。私としては夏の間、冷泉院所有のリゾートで一ノ瀬さんには安全で、決して退屈させない夏をお約束いたしますわ」
麗華の不敵な笑みとともに、ホームルームが終わったばかりの教室が一瞬にして「戦場」へと変貌する。
サオリの向けた、氷のように冷徹な黒い瞳。
麗華の、財閥の絶対的な権力を背負った傲慢なまでの微笑み。
その背後で、職務に忠実でありながらも、どこか張り詰めた空気を崩さない梓。
そして、聖女の微笑みを浮かべたまま、一歩も引く気のないクラリス。
少女たちの視線が火花を散らす中心で、俺はただ、いつものように穏やかな笑みを浮かべていた。
麗華の顔には夏休みという丸々一ヶ月以上の期間、俺を自分の「檻」の中に完全に囲い込もうという、傲慢で甘やかな独占欲が透けて見えていた。
「冷泉院のプライベートリゾート、ですか。……さすがは日本を代表する財閥ですわね」
クラリスが感心したように、けれどどこか他人事のような、完璧な聖女の微笑みで応じる。
「お断りいたしますわ、冷泉院さん」
だが、その言葉を遮るように、サオリが湊の袖をぐっと引きながら、抑揚のない、けれど絶対的な拒絶を孕んだ声で告げた。
「お兄様は一ノ瀬の跡取り。母様――華子様から仰せつかっております。男性をあまりに長い時間拘束するようなスケジュールは了承しかねないと。いくら冷泉院の誘いとはいえ、外の女の身勝手な我が儘に、丸々一ヶ月も付き合えませんわ」
「なっ……我が儘!?」
麗華の眉がぴくりと跳ねる。「母様」という、一ノ瀬の絶対的な存在を引き合いに出されては、さしもの冷泉院令嬢としても力づくで押し通すことは難しい。サオリは、お兄様を囲い込もうとする麗華の計画を、最初からこうして「親というカード」を使って拒否するつもりだったのだ。
「……では、そうね」
麗華は、まるで憐れむように自分をを見据えてくるサオリを見ながら思案する。
「お兄様の最初の【三泊四日】……それだけなら、常識の範囲内……これでどうかしら」
「三泊四日……」
サオリはあくまで上から、という立場を崩さず、麗華の提案に対し考え込む。一ヶ月以上の監禁――もとい、蜜月の予定が、わずか四日間に短縮されたのだ。麗華としては苦々しいものがある。しかし、ゼロになるよりは遥かにマシである。
「……お兄様」
「まあ、いいんじゃない? 元々予定らしい予定なんてなかったでしょ。暇つぶしにはちょうどいいよ」
「……ではそのように手配いたしますわ。その四日間で、冷泉院の、そして私の『特別』を、一ノ瀬さんの脳裏に刻み込んで差し上げますわ」
こうして、夏休みのタイムリミットは「四日間」へと強制的にロックされた。
麗華たちの焦燥感と飢餓感が初日から最大化される中、俺たちを乗せた船は、冷泉院が買い取ったという、かつて華族が所有していた由緒ある孤島へと向かうことになる。