男女比1:10の世界で、俺は「私だけ」を作ることにした   作:晴口 丸

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「ただいま戻りました……。お兄様をお連れしました」

 

 サオリが緊張に声を震わせながら玄関を開けると、奥からどたどたと無粋な足音が響いてきた。

 

「あらおかえり! ちょっと遅かったじゃない」

「あんた、こんな時間までどこをほっとき歩いてたのよ。お腹すいたわ」

 

 出迎えたのは母の華子と、姉の美月。

 息子のいる家庭という、この世界で最強のアドバンテージを持つ、勝ち組の女性でありながら、その言葉の裏には俺の機嫌を伺うような、卑屈な響きが混ざっている。

 俺はふっと、形の良い唇を優美に弧へと歪めた。

 

「ごめんなさい、少し寄り道をしてしまったんだ。……これ、途中で見かけたショコラティエで、二人の喜ぶ顔が見たくてね。夕食の後に、みんなでいただこうか」

 

サオリと半分ずつ持っていた荷物の中から、まるで宝石箱のように気品ある深い藍色のボックスを、しなやかな手つきで差し出す。

 

「え……?」

「アンタ……今、なんて言ったの?」

 

 リビングに、冷や水を浴びせられたような静寂が訪れた。

母と姉は、信じられないものを見るかのように目を丸くしている。

この世界の男性は、与えられる贅沢を傲慢に貪るだけの存在だ。ましてや、自分の意思で女性のために美しい菓子を選び、「みんなで食べよう」などと、彼女たちを同じ目線へ引き上げるような高貴な慈愛を口にする男など、存在し得ない。

 

「いつも僕を支えてくれている、二人のためさ。たまには、これくらいの我が儘は許してくれるだろう?」

 

流れるような仕草で二人の元へ歩み寄り、慈しむような、けれど抗えない色気を孕んだ眼差しで、二人の髪へ愛おしげに指先を滑らせる。

 

「な、何よ急に……変な湊」

「いいのよ、そんな気を使わなくてもぉ! お母さん、今すぐ最高のご飯作るからね! 好きなもの何でも言ってもちょうだい!」

 

 二人はそのつやっぽい仕草に完全に気おされ、先ほどまでの不満は完全に脳内から消え去った。

 姉は家族だというのにそわそわと、ふれられたばかりの髪を指先でササッと整え、母は頬を上気させながら、キッチンへと足早に消えていく。

その光景を、背後からサオリが、射すくめるような鋭い視線で見つめていた。

俺の手を姉に見えない角度でぎゅっと握りしめてくる。

家族ですら手に入らなかった、彼の中の「真の特別」となったのは自分だという、狂おしいほどの特権意識。それが彼女の胸の内で、甘美な独占欲へと変質していく。

 

 

母の作った料理に舌鼓を打っていると、ふと思い出す。

 

「そういえば、俺の入学式ってもうすぐなんじゃないの?」

 

 そういうと、楽しい雰囲気の団らんは水を打ったように静かになる。

 

「え、ええ。そうね……一週間後だったかしら」

「でも湊はこの間まで病に伏せていたでしょ。焦っていかないでいいんじゃない?」

「ええ? 入学式から言ったほうが、クラスになじめると思うんだけど」

「お母さんは、無理してなじまなくてもいいんじゃないかなって思うわ」

「私も」

 

 母と姉は俺が学校に行くことを快く思っていないようだ。まずは味方から作ることを始めようか。

 

「サオリちゃんはどう思う? 俺たち同年代でしょ? 一緒に登校したり、試験で分からない所教えあったり、行事を一緒に楽しんだらすごくいい思い出になると思うんだけど」

「はい、もちろん。お兄様と一緒ならどこへでも」

「ダメよ。湊は危機感が足りてない! 獣の巣窟に湊を送り込むなんてヤダ!」

「悪いことは言わないわ。やめておいたら? お母さんがこれからも養ってあげるから」

 

 こうなったら頑として意見を曲げないだろう。でも学園にはいきたい。

 

「でも、学園にはいきたい」

 

 俺がそう言い切ると、母と姉はそろって難しい顔をした。

 

「湊、お願いだから考え直して。学校には同年代の女の子がたくさんいるのよ?」

「そうよ。何かあってからじゃ遅いんだから」

 

この世界の常識の範疇にいない俺としては、何がそんなに問題なのかいまひとつ実感がわかない。

 

「そんなに危険なの?」

「危険よ!」

 

 二人の声が見事に重なった。

 

「……お兄様」

 

 その時、静かに口を開いたのは黙って聞いていたサオリだった。

 

「学園には『学生補佐制度』というものがあります」

「学生補佐制度?」

「男性生徒一人につき、クラス内で二~三名、成績、素行、男子生徒からの要望などから女子生徒が補佐役として指名される制度です。学園生活の支援や相談、他の生徒との調整などを担当します」

 

 へえ、じゃあどの人たちが主な獲物になりそう。

 

「基本的に、他の女子生徒が男性へ直接接触する際は、まず補佐役を通します」

「そんな芸能人みたいな」

「男性というものは皆そういうものです。受け入れてください」

「だったら尚更よ。知らない子に湊を任せるなんて……」

「そうね。学校側に決められた子なんて信用できないわ」

 

母と姉は顔を曇らせる。

 その時だった。

 

「でしたら」

 

 サオリは一度視線を伏せ、小さく息を吸った。

 

「私を指名してください」

「え?」

「私が、お兄様の補佐役になります」

 

 食卓が静まり返る。

 母と姉は複雑そうな顔を見合わせた。

 

「まあ、……サオリちゃんが一緒なら」

「少しは安心……なのかしら」

「ありがとう、サオリ」

「お礼なんて」

 

 サオリは小さく首を振る。

 

「私は、お兄様の力になりたいだけですから」

 

 そう言って微笑んだ彼女の横顔を見ながら俺は内心で考える。

 

(まあ、その補佐役なるものにこちら側の人間がいれば、残りを堕とすのも楽になるか)

 

 俺は納得し、サオリへ笑いかけた。

 

「じゃあ、よろしく頼むよ」

「……はい」

 

 彼女は小さく頷いた。

 

「お兄様のことは、私が責任を持ってお守りします」

 

 その言葉に、母と姉は安堵したように息を吐く。

けれど、サオリだけは違った。その視線は穏やかで。どこか、逃がすつもりなど最初からないような色を帯びていた。

 

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