男女比1:10の世界で、俺は「私だけ」を作ることにした 作:晴口 丸
ふかふかの天蓋付きベッドの中、冷泉院麗華は枕を抱きしめたまま、何度も寝返りを打っていた。
思い出すのは、夕暮れ前のあのテラス。 誰の目もない空間で、彼のすぐ隣に座った時の距離感。
『本当の俺を知ってるのは麗華だけ。違う?』
そう囁かれ、形のいい指先で唇をなぞられた時の、心臓が爆発するかのような衝撃が、未だに身体の芯を焦がしている。思い出すだけで顔が火照り、シーツをキッと握りしめた。そして、なぞられた唇を確かめるように触る。さながら初めて恋人を持った乙女の様相だ。
「湊……貴方って人は、本当に……っ」
大衆の前では見せない、自分だけが知っている彼の甘えたような、それでいてすべてを支配するような眼差し。甘美で耐え難い恋慕が心を焦がしているのがわかる。
「湊は私の生涯の伴侶。ええ、これはもう決定事項です」
残りの三日間で、どうやって彼をこの冷泉院の檻に、私の隣に縛り付けておこうか。傲慢で甘やかな独占欲が、彼女の脳をじりじりと焼き続けていた。
一方、別の客室では、梓が備え付けのソファに座り、自身の唇を指先で何度も強く拭っていた。
「なんなのよ、もう……っ!」
昼間、パラソルの下で一ノ瀬湊から手渡されたアイス。それを何の疑いもなく咥えてしまった自分。
『俺の食べてたアイス、梓が咥えてるやつだから』
からかうような彼の声と、間接キスという事実。男嫌いとして生きてきたはずなのに、胸の動悸がどうしても収まらない。
ポケットに隠していたアイスの棒を取り出す。もちろん彼の残滓が残っているわけではない。どうしてか捨てられない自分がいた。
彼女は激しい自己嫌悪と、それ以上の「何か」を自覚し始めていた。
翌朝。 島を包む空気は一変し、どんよりとした重い雲が空を覆い尽くしていた。 天気予報の通り、午後から島を孤立させるほどの激しいゲリラ豪雨が迫っている。
二日目の朝。洋館のロビーは、どこか緊迫した空気に包まれていた。
窓の外はどんよりとした重い鉛色の雲が垂れ込め、天気予報は午後からの猛烈な線状降水帯の接近を告げている。
「おはようございます、湊さん。生憎の天気で、海へ向かうことはできませんが、この館には様々なテーブルゲームやビリヤード、カラオケや地下にはボウリング場も用意していますので、退屈はさせませんわ」
麗華はいつも通りの「冷泉院の令嬢」としての誇らしげな笑みを浮かべ、俺を出迎えてくれた。
「おはよう、麗華。まさか地下にボウリング場まであるなんて、本当に凄い別荘だね。何日あっても遊び尽くせそうにないよ」
「ふふ、驚くのはまだ早いですわよ? 冷泉院のこだわりはこんなものではありませんから」
俺の言葉に満足げに微笑む麗華は、やはりどことなく誇らしげで、そして昨日テラスで見せた「湊」と呼んでいた甘い少女の面影を隠すように、完璧なホストとしての仮面を被っている。
「……お兄様、おはようございます。あのような派手なだけで底の浅いおもてなしなどより、私の淹れたコーヒーの方が、お兄様の体を暖めて差し上げられますわ」
トコトコと歩み寄ってきたサオリが、俺の腰へと滑り込むように抱きついてくる。テーブルには、湯気を立てるマグカップが置かれれていた。
「ありがとう、サオリ。とても良い香りだ」
「はい。お兄様のためだけに、最高の一杯をご用意いたしました。……そこの泥棒猫たちには、指一本触れさせません」
サオリがチロリと、麗華、そしてその背後に立つ梓へと冷ややかな視線を送る。
梓は相変わらずカチッとした制服姿で、サオリの視線をスルーしながら俺の方をちらちらと盗み見ていた。昨日の間接キスの感覚がまだ残っているのか、目が合うと一瞬だけ肩を跳ねさせ、すぐに不自然にそっぽを向く。
「湊さん……おはよう、ございます」
その視線のやり取りの最中、不意に、少し掠れた声がロビーに響いた。
声の主はクラリスだった。 いつもなら、サオリや麗華を挑発するような聖女の微笑みを真っ先に向けてくるはずの彼女が、今日はどこか覇気のない、うつむきがちな様子で階段を下りてくる。
「おはよう、クラリスさん。少し顔色が悪いようだけれど、よく眠れなかったのかい?」
俺がそう問いかけると、彼女は一瞬だけ、怯えるように自分の肩を抱きすくめた。だが、すぐにいつもの完璧な聖女の笑みを作り直してみせる。
「いいえ……とてもよく眠れましたわ。ただ、この島の空気は、私の故郷とは少しばかり重さが違うようで……少々、考え事をしておりましたの」
そう言って、彼女は俺の視線を避けるように、サロンの窓際へと歩いていってしまった。窓の外は、すでに細い雨がシトシトと降り始めており、その向こうの崖の上には、暗雲に煙る古い礼拝堂が不気味に佇んでいる。
クラリスが残していった、どこか冷たく、ざらりとした違和感。 だが、その不穏な気配をかき消すように、麗華が手を叩いた。
「さあ! 嵐が本格化する前に、まずはゲームルームへまいりましょう! 湊さん、今日は私と勝負ですわ!」
「お兄様、私も参加します。お兄様の隣は私の特等席ですから」
そんな賑やかな彼女たちのやり取りを微笑ましく眺めながら、俺は午前中の明るいロビーを歩き出す。
これから訪れる、すべての光を奪い去るような猛烈な嵐の予兆など、まだ誰も気にしていなかった。
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