男女比1:10の世界で、俺は「私だけ」を作ることにした 作:晴口 丸
洋館の地下にあるプレイルームは、クラシックな内装の中に最新の機材と重厚なゲーム盤が揃えられた、冷泉院の財力に相応しい贅沢な空間だった。
「今回は冷泉院のプライベートビーチにちなんで、こちらのボードゲームはいかがかしら?」
麗華がテーブルの上に広げたのは、世界中の島々を開拓し、交渉と防衛を繰り返して領土を広げるという、かなり頭脳戦を要する有名な本格ボードゲームだった。
「なるほど、お互いの領土を奪い合うゲームですか。……お兄様、私が勝って、この島の全てをお兄様に捧げますわ」
サオリが俺の腕にすり寄り、いつものように三人を威嚇するような冷たい視線を向ける。
「一ノ瀬さん、私たちがいることもお忘れなく。麗華様の領地は私が命に代えても守るから」
梓がサオリに対抗するように一歩前に出ると、その背後からクラリスも、
「ふふ、あまり熱くなりすぎて、ゲームのルールを破らないようにしてくださいね、サオリさん」
と、大人びた笑みでサオリを牽制する。
バチバチと火花が散る中、俺はそっとサオリの肩を叩いて微笑んだ。
「俺はみんなのゲームを傍観させてもらうよ。サオリ、みんなとお茶でも飲みながらじっくり楽しんでおいで。俺は少し、サロンの方から温かい飲み物でも運んでもらうようメイドに頼んでくるからね」 「え……お兄様、行かれてしまうのですか?」
サオリが捨てられた仔犬のような目で見上げてくる。
「すぐ戻るよ。勝負の行方を楽しみにしているから」
俺がプレイルームを後にすると、重厚な扉が静かに閉まり――部屋の中には、サオリと、護衛官である麗華、梓、クラリスの四人だけが取り残された。
――扉が閉まった瞬間、プレイルームの空気が、どこかフッと軽くなった。
「さて……それじゃあ、始めましょうか」
麗華がダイスを手にする。サオリは、つい先ほどまで見せていた「湊に対するじっとりとした甘え」を完全に引っ込め、表情をいつものスンとした、けれど少し不満げな少女のそれへと戻していた。
最初は、静かな膠着状態だった。 サオリは三人に対して冷ややかな態度を崩さず、梓も「一ノ瀬サオリは最も危険な存在」として、彼女の盤上の動きを執拗に監視している。
だが、ゲームが進み、梓が不注意から大きなミスをして、盤上のリソースを失いかけた時だった。
「あ、しまっ……! 交渉の計算を間違えたわ……!」
梓が青ざめて頭を抱える。これでは次のターンで、麗華の領土まで道連れに破産してしまう。
「ふふ、梓さん、それは致命的なミスですわね」
麗華が困り顔で笑う中、サオリは冷淡にその盤面を眺めていた。しかし、彼女は小さくため息をつくと、自分の手元から、貴重な「木材と食料」のカードを、すっと梓の前に差し出した。
「……え?」
梓が目を見開いてサオリを見る。サオリはそっぽを向いたまま、冷淡な、けれどどこか照れくさそうな声で言った。
「貸しにしておきます。これを使って、そこの港を買いなさい。そうしなければ、麗華さんの領土にまで被害が及びますわ。……冷泉院の護衛官が、自分の主を巻き込んで自滅するなんて、見ていられません」
「サオリ、さん……」
梓は驚きに言葉を失った。
サオリは普段、湊の前では「他の泥棒猫なんてどうでもいい」という態度を取っている。だが、こうしてゲームという対等なルールの上に立つと、彼女はそれとはまったく違う様相を見せていた。てっきり蹴落とされてしまうと思っていた梓は拍子抜けしてしまう。
「あら、サオリさん。意地悪な交渉をしてくるかと思えば、ずいぶんと淑女的な救済処置ですのね」
麗華がクスリと笑う。
「勘違いしないでください、麗華さん。私は単に、ゲームが早く終わりすぎてお兄様が戻ってきたときに、興ざめな盤面を見せたくないだけです。……それに、クラリスさん。貴方もさっきから、ダイスの出目をごまかそうとしていますね?」
「おや、バレていましたか。さすがですね」
クラリスがいたずらっぽくウインクする。 昨日からどこか考え込んでいたクラリスも、この瞬間だけは、目の前のゲームとサオリの意外な「鋭さと優しさ」に、心が少しだけ解きほぐされたように自然な笑みを浮かべていた。
「サオリさん。意外と、お世話焼きなんですのね。いつも一ノ瀬さんの前では、私たちを噛み殺しそうな猫のようですのに」
「……うるさいです、麗華さん。これでも一ノ瀬家の次期当主補佐として、周囲の面倒を見る訓練は受けています。……それに、あなたたちは、お兄様を狙う泥棒猫ですが、護衛官としては……まあ、最低限の仕事はしているようですから」
サオリはふん、と鼻を鳴らしたが、その頬は微かに朱に染まっていた。
「……ありがとう、サオリさん。助かったわ」
梓がカードを受け取り、少し照れくさそうに笑う。サオリは、そんな梓の笑顔を一瞬だけ見つめ、小さく、けれど確かに、柔らかく微笑み返した。
「どういたしまして、梓さん。次は容赦なく叩き潰しますけれど」
その言葉には、かつてのような「冷酷な拒絶」ではなく、どこか同年代の友人に対するような、茶目っ気のあるトゲが含まれていた。
しばらくして、俺がハーブティーを注文してプレイルームに戻ってきたとき、扉を開けると、そこには予想外の光景が広がっていた。
「ああっ! またサオリさんの罠にかかったわ!」
「ふふ、梓は本当に騙しやすいですわね。交渉の基本がなっていません」
「もう、麗華様まで……!」
サオリは俺が部屋に入ってきた気配を察知した瞬間、一瞬にしていつもの「お兄様命」の平常運転に戻り、トトトッと俺の元へ駆け寄ってきた。
「お兄様! おかえりなさいませ! 私が今、あの泥棒猫たちを完膚なきまでに叩き潰しているところです!」
そう言って俺の腕に抱きつきながら、サオリは一瞬だけ、三人の護衛官の方を振り返り――いたずらっぽく、ちょこんと小さく舌を出してみせた。
それは、「お兄様は私のもの」という、いつもの抜け駆けのマウンティングだったが、
「もう、本当に調子がいいんだから……」
と呆れたように笑う麗華や、
「本当に、一ノ瀬の前だと態度が激変するわね、彼女……」
と苦笑する梓の表情には、 朝のような「不気味な標的への警戒」ではなく、どこか「本当にあの子は、お兄様が絡むと駄目なんだから」という、温かい信頼と呆れが混ざり合っていた。
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