男女比1:10の世界で、俺は「私だけ」を作ることにした 作:晴口 丸
「明日は、いよいよ学校か」
深夜の自室、俺は鏡に映る自分の顔を眺めながら、心の中で深く、昏くほくそ笑んでいた。 家庭内という閉ざされた箱庭でのチュートリアルは、これで終わりだ。母も姉も、そしてサオリも、それぞれのベクトルで俺の毒に溺れ、手のひらの上で踊っている。
明日からは、男女比1:10の学園という名の広大な猟場だ。あそこにひしめく飢えた女どもに、さらなる『私だけ』の幻影を植え付け、俺の世界の支配権を盤石なものにしてやろう。
翌朝、食堂の席につくと、サオリは俺の隣に座り、俺を優先して食器を並べていく。手足として満足のいく振る舞いに朝から気分がいい。
「お兄様、本日の登校から、もちろん私が補佐役としてお護りいたしますね。……羽虫のようなはしたない女たちが、お兄様の気高き肌に触れることなど、この私が決して許しませんから」
サオリの握ったフォークが、カチリ、と硬質な音を立てた。
朝早くから整えていた髪の隙間から覗くその瞳の奥には、私こそが真の理解者だと言わんばかりに昏く、愛おしげな独占欲の光がゆらゆらと揺らめいていた。
実質的には女学校に近い、格式高き学び舎――「聖マリアンヌ学園」。 その重厚な校門をサオリと共にくぐった瞬間、肌を刺すような熱気が押し寄せてきた。
「お兄様、私から離れないでください。最近は、男に飢えた不作法な野良が増えていますから」
サオリはごく自然な所作で俺の腕を抱え込み、周囲の女子生徒たちを、侵入者を警戒する猛獣のような冷徹な視線で射抜いている。いや、所有権をアピールでもしているのだろうか。
校門から昇降口までの、わずかな距離。
「……嘘、本物の男子よ」「ご覧になって、あの息を呑むような美貌……」「あんな距離で腕を組まれるなんて、一ノ瀬家の分家はなんて大それた真似を……」
品性を気取る淑女たちの間から、隠しきれない羨望と熱を孕んだ囁き声が波紋のように広がっていく。傲慢に踏んぞり返る通常の男子とは一線を画す、俺の放つ洗練された佇まいは、彼女たちにとってあまりにも刺激が強すぎるらしい。
だが、俺の目的は「男」という記号でチヤホヤされることではない。
彼女たちの心臓に、生涯消えない「私だけが彼の理解者」という依存の楔を打ち込むことだ。
教室の扉を開けると、室内の温度が一段と跳ね上がった。 俺が割り当てられた席へと向かおうとした、その時。一人の女子生徒が、滑らかな足取りで俺の前に立ち塞がった。
長く艶やかな黒髪を完璧に整え、瞳の奥に硬質な理知を宿した少女。
「えっと、ごめんね。俺の席、その奥なんだ」
「あら、失礼、男性の方でしたか。私の名前は
鼻につくような高貴なたたずまい。おおよそ男という存在を「希少価値が高いだけの、法で守られた無能」かなにかとしか思っていないのだろう。冷泉院といういかにもな家名からもイイトコのでなのだろうなとうかがえる。
「新入生のあなたに、最初に警告をしておきます。この学園は由緒正しき淑女の学び舎です。いくらあなたが男子であろうとも、学園の秩序を乱すような特別扱いは――」
毅然とした態度で俺を見下ろす麗華。 だが、規律を重んじるあまり焦っていたのだろう。彼女の制服の襟元にある、格式高いクロスタイのリボンが、わずかに斜めへと歪んでいた。
俺は彼女の言葉を遮るように、静かに、一歩だけ歩み寄った。
「なっ……!?」
麗華が息を呑む。 この世界の男が、女のパーソナルスペースに自ら進んで踏み込むことなどあり得ない。だが俺は、彼女が気圧されて後ろに下がるよりも早く、しなやかな指先を彼女の白い首元へと伸ばした。
教室内が、凍りついたように静まり返る。 周囲の女たちが息を殺して見守る中、俺は極めて優雅な所作で、彼女の歪んだリボンの結び目に触れ、左右対称の完璧な形へと整え直した。 指先が、彼女の柔らかな肌に微かに触れる。
「……麗華さんの装いが、ほんの少し乱れているのが気になってね。君のような気高く美しい人は、完璧な姿で凛と立っているのが、一番よく似合う」
ホストで働いていてよく見た流れだ。お金だけ持っていて欲望の健全な発散方法を知らない人間がたどり着くのは性。格式張ったりプライドが高い人間ほど、それを刺激してやるだけで簡単に金も心も掌握することが出来る。
こんな下らないお姫様扱いだってきっと彼女にとっては未体験の領域。……簡単だ。いつも通り、その凝り固まった男性観、ぐちゃぐちゃにしてあげようか。
至近距離で麗華の目を真っ直ぐに見つめ、形の良い唇を優美に弧へと歪める。
「……っ……あ……?」
麗華の頬が、一瞬で真っ赤に染まった。 普段、男たちから「おい、これをやれ」「私の機嫌を取れ」と傲慢に顎で使われ、その理不尽さを理知で抑え込んできた彼女だ。そんな彼女の張り詰めた糸を、俺の「気遣い」と「彼女自身のプライドを全肯定する言葉」が、完璧な角度から内側へ爆破した。
「皆が見ているから、続きは後で。……でも、君のその厳格なところ、俺は嫌いじゃないよ。自分を律することができる女性は、とても素敵だ」
周囲に聞こえないほどの低い声で囁き、そっと身体を離す。
「――っ!!」
麗華は、喉を詰まらせたように固まった。 他の女たちは、私の「男子」という肩書きしか見ていない。 けれど、この人は――この人だけは、私が必死に維持してきた「内面の努力」を、見抜いて、認めてくれた……俺が落としてきた人間は皆一様にそう言ってきた。どうせ彼女もそうだろう。
家族や友人だって同じように認めてくれてると思うがな。夢を見ている彼女たちは本当のことなんて直視できやしない。
彼女の瞳から冷徹な光が霧散し、ドロドロとした熱っぽい、独占的な色彩が混じり始める。
「……お兄様? 今、あの女に、どのような呪いを吹き込んだのですか?」
自分の席について、横から話しかけられる、鼓膜を凍らせるような低い声。
サオリが、完璧な無表情のまま、瞳の中にどす黒い嫉妬の炎を宿して佇んでいた。
「いや。冷泉院の服が少し乱れていたから、直してあげただけだよ」
「……そうですか。お兄様は本当にお優しい。……ですが、その『本物』を安売りしてはいけません。……お兄様を正しく統治できるのは、私だけなのですから」
サオリは俺の腕を肉に食い込むほど強く抱きしめ、麗華を侵入者として明確に牽制する。
一方の麗華も、激しい動揺を冷泉院としての威厳で覆い隠しながらも、その視線は蛇に睨まれたように俺から離せない。
(いいぞ……これだ。完璧な滑り出しだ)
万人に優しい「高貴な王子」を演じながら、標的の心の隙間にだけ「本当の俺は君を見ている」という劇薬を流し込む。 この学園が、俺を狂信する「共犯者」たちで埋め尽くされる日は、そう遠くなさそうだ。