あたち神様に幼女にされちった! 作:あるがままに在れる世界
気を整え、拝み、祈り、構えて、突く。
武闘家のような道着に身を委ね、一連の動作を延々と繰り返す。いつからだろう。無意味なこの行為に、意味を見出すようになったのは。いつからだろう。この行為に、意味があると錯覚するようになったのは。
…………遠坂杏。当初の転生による誕生から幾年かが過ぎて、今年度小学六年生に昇級。義務教育を再度受けることによる羞恥と屈辱を感じた彼女が、悩みに悩み抜いた末、たどり着いたさきが。
一日千回。無我の正拳突きであった。
なお、人はそれを、俗に現実逃避という。そしてこういう時に限って、やつが来るのだ。それはもう逃れようもない運命。だからこそ、杏は、その無我の境地でもって、全てを、優しく受け入れていた。
「くっくっく。迷える子羊が今日もひとり。なんと哀れな。おお神よ。どうかかのものをお救いください」
遠坂邸の地下の修練場。そこに突如響く清廉な声。言葉だけ見ればなんとも素晴らしい姿勢を持つ神父に見えるが、その実態は真逆。清廉ではなく、敬虔ですらなく。
いや敬虔ではあるのだろうか。いずれにせよどうでも良いことだ。今の杏は成長期真っ只中。老い衰えたものの言葉など所詮戯言。杏の心には響かない。
「何かから逃避し、そうするしかできない自身にこの上ない無力を見出す。人間であればしばしば陥る状態だ。杏、君は何も悪くない。だが」
杏の拳が空を切り裂く中、背後から足音がズケズケと近づいてくる音が鳴る。それはどこまでも無遠慮で、示唆に富んでいた。
「逃避に身を委ねることは愚かな行為だ。結果的にそれが身を結ぶこともあるだろう。今の君のような武術鍛錬であれば、あるいはいずれ未知の領域にたどり着くこともあるかもしれない。しかし、その到達が逃避の末のものであれば…………」
言わずともわかるだろう。とばかりに引き伸ばされる語句。それに杏は、ため息を吐いて答えた。
「誇ることはできない、と?」
「そうだ。逃避の為に続けていることは、逃避のためにしか続けられない。もし逃避することを辞められず、何かで達してしまった時には、その達した記憶と逃避の記憶がないまぜになり、逃げたかった事実から永遠に目を逸らせなくなる。君はそれでいいのか?」
「まあ、良くは無いだろ。でも日常のちょっとしたことから逃れるためにやってるんだからいいだろ。その程度もあたしには許されないのか?」
「クッ」
何がおかしいのか、思わずといった様子で笑いを噛み潰すその神父のごとき人物。なんとなく気に触ってその人物の方へと振り返れば、そこには出会ってから随分歳を取りより胡散臭くなった言峰がいた。
あの言峰だ。当時ですらそれはもうふざけた言動をしていたものだが、今ではもうそれを隠す気もない。本当に感じが悪い。でも言っていることは一理あるのがこれまたムカつく。
「なんだよもう。言っとくけどあたしが本気出したらお前なんかもうけちょんけちょんなんだからな。そこ忘れんなよ」
「知っているとも。だからこそ正しい意見に拳を振るえない君の姿がおかしいのだ。まさに愉悦。ふふふ」
「性格わりーな。この野郎」
呆れてものも言えない。だが、それからしばらく、聞く耳を杏が持ったとわかると、そらきたとばかりに言峰は説法を説き始め、妙に脳内に残る言葉を囁いてきた。
彼の言うとおり、正しくアドバイスにもなり得るその言葉の群れに杏が振るうべき拳はなく、結果杏は説法がモノになるまで徹底的に扱かしあげられた。
そこから開放されたのは、養子縁組の都合姉となる凛が帰ってきて地下の修練場に顔を出した時。
「ただいまー!……てあれ?ふたりともそんなところで突っ立って何やってるの?」
快活な声が空間に響き渡り、杏の対面で説法を垂れてきていた言峰の言葉が止まる。そして入ってきた凛の方へ自然と視線が向くと、言峰は凛の疑問に答えるように杏の方を一瞬見ながら言った。
「なに。哀れな獣に道理を説いていただけだ。だがそれももう十分だろう。私は失礼する。姉妹の時間を大切にするといい」
言峰はニヒルな笑みを浮かべながら、杏のそばに置かれていた体を動かし、この空間の出口へと向かっていく。
その最中、必然的に凛と体を交差させるが、目の前を横切られた凛は何がなにやらといった様子だった。
ひとまずそうして言峰もいなくなり、場に平穏な時間が戻り始める。杏がそれに安堵していると、疑問符を浮かべた凛が側へと駆け寄ってきた。
「あいつ相変わらず変な奴よねえ……なんか杏疲れた様子だけど、大丈夫?変なことされてない?」
「変な事はされてないけど、疲れた」
「じゃあ今日の模擬戦やめる?もしかしたら私が勝っちゃうかもだしね!」
「そう言うなら、やる」
目の前で挑発気味に見下ろしてくる凛に、杏は少しムカッと来て応戦する。本来ならここは大人の余裕を見せるところだが、長い義務教育期間が、杏の大人としての感性を無と化させた。
その杏の態度に、凛は待ってましたとばかりに杏から少し離れて準備運動を始める。
念能力という力は、生命力「オーラ」を纏う事で爆発的に身体能力を増強するため、杏は何気に凛からライバル視されているのだ。何せ凛も体術を嗜んでいる故。
いくら念能力が彼女から見て特異な魔術のようなものとはいえ、負けてばかりもいられないのだろう。
「よーし!準備OK!いつでも来ていいわよ!」
体勢を整えた凛が、八極拳の崩拳の構えを取り、十数歩先の距離で待ち構える。現在凛は中学三年生。隙のない良い型だ。とはいえ、それを品評できるほど杏が熟達している訳では無いが。
それでもよく練られていると思う。だが、それはそれとして、杏がそれを見ながら一歩強く踏み込んだ瞬間、凛の視点が困惑に揺らいだ。
杏としてはただ一歩踏み込んだだけ。
小細工も何もなしに、ほぼ一直線に。結果、今杏は凛の背後に立っている。どうしてやろうか。そう考えながら杏は、あるところに手を添え、声をあげた。
「ぎゅー」
「ひゃああああああ!?」
杏が凛の首に手を添えると共に戯れに出した声に、凛が過剰な反応を見せる。とても年頃の女の子とは思えない様相で、その場で大きく飛び跳ねた。
「……うっ、首が」
「あれ?やりすぎた?」
「なんて…………嘘に決まってるでしょー!」
凛がこの上ない痴態を晒したあと、不意にうずくまるので、どこか寝違えたかと心配して跪くと、そこに合わせるように「ちょいさー!」という絶妙に抜けた雄叫びが響く。
その声に反応した訳ではないが、杏はその時なんとなく身を引いた。それと同時に、杏の目の前を裏拳が迸る。身体強化の魔術が乗せられた強力な拳で、そこに容赦はなかった。
「うわ。危ないな」
「ちょっと!避けるんじゃないわよ!そこは受けるところでしょ!妹としてェ!」
「そんなこすい手にハマる妹はいません〜。残念でした!」
「んぬぬぬぬ。貴様杏こっちこい!私が姉として説教してやるわ!」
怒った凛が体を起こして迫ってくる。それを杏は躱し、生意気な煽りを入れてはさらに凛を激怒させる。ある意味普通の姉妹の日常がそこにはあった。厳格な姉と生意気な妹。
義理とはいえ長年の蓄積で築いたその関係は、ごく自然なものとなっていた。しかし杏はその中で思う。何かが違う気がすると。言語化はできないが、何か本来あるべき関係とは違うような。
そんな印象を杏は受けた。だがそんな違和感を置いて、時は更に過ぎていく。季節は夏を過ぎた頃。遠坂家にふと嘆きが湧いて出た。
「なんか最近魔術の鍛錬が上手くいかないんだけど、なんでだと思う?」
「すまない凛。全て私のせいだ。まさかここまでとは。神父たる私に魔道の道は早かったようだ」
「いやそうじゃなくて、預金残高の桁がなんかひとつかふたつ違う気がするのだけど、気のせいよね?」
「すまない。我が師時臣の資産をこのようなくだらぬ事で失ってしまうとは。我ながら度し難い」
広い遠坂邸の一室で、凛が椅子に座りながら言峰に詰問する。どこか寂しげな預金通帳を手に、凛は困惑を浮かべていた。怒りですらない。
魔術師一家として家伝の宝石魔術。それは非常に金を食うもの。だからこそそれを使うならば逆説的に莫大な財産を持っていなければならない。しかし現状はどうか?
「う、う……宝石魔術使うのにいっぱいお金が必要なのに。お金が無い。どうして?」
「す、すまない。だが幸いまだ時臣氏を初めとして遠坂一族が築き上げた魔術的特許の数々がある。私が言えたことではないが魔術の研鑽は続けられるはずだ」
「……ほんと?」
「ああ。資産を失ったのは全て私の運用が拙かったせいだ。だが特許は運用など関係ない。だから大丈夫。のはずだ」
歯切れは悪くも、何とか凛を安心させようとする言峰。いつもならなんなら凛の状況に愉悦とか言うはずだが、幸い自身の過失によるものだからか、言峰は意外と真摯に対応していた。
それに外で見ていた杏も感心する。だが同時に、本当に大丈夫なのか?という疑問も生じる。
そもそも杏はその特異性から凛の解析によると普通の魔術を学ぶ意味はあまりないとの事だが、それでも杏にも多少の魔術知識はある、そこからすると、宝石魔術は本当に金食い虫だ。
宝石にも色々種類はあるが、宝石魔術において最高の材料は長い年月を地中という自然で過ごし、特殊な霊を宿したもの。その性質上魔術の使用に最適なのは世間的に価値が高いとされる宝石。
それは数百万だとか、数千万だとか。そういうレベルの。遠坂家の先代はある事情により無くなるまでに莫大な遺産を残したとされているが、その遺産も物質的なものは言峰の愚直な資産運用により空中分解。
金銭的な資産も凛が言うように魔術の鍛錬によってほぼ食い潰しかけている。どう見てもこのままではまずい状況。
そんな中で、杏は声をあげた。
「そんなに金銭的にまずいならあたしが稼ごうか?実はただの素材からでも魔術的な効果を持つものに近いのを美容液とか限定で作れるから、富裕層向けに販売すれば売れると思うよ」
無論嘘だ。そんなこと出来はしない。しかし「発」を使えばできる。そもそも発とは念能力によって固有の能力を作る技術のこと。マジカルエステやパーフェクトプランもその発に分類されるものだ。
そしてその発の中でもマジカルエステを利用すれば、美容液を作ることも不可能では無い。
なぜならマジカルエステとはそもそも美容液を生命力/オーラから作り出し、それを利用してマッサージを施す能力だから。
それを少し発展させてやるだけで一般向けの美容液を作り出すことも不可能では無い。そしてマジカルエステ並みの効能を得られる美容液とくれば、稼ぎは保証されたようなもの。
ただ発にも個人による限界があるから、その限界を削るような行為はあまりやりたくないが。遠坂の家の力は実は相当なものだから、倒れられると困るのは他ならない杏。
そう思い声をあげたのだが、予想通り、お金の話で困っていたふたりが杏に返してきた反応は予想外のもののそれ。
「なに?杏。貴様の起源は強化/無のはず。起源と言えば存在の根幹をなす根源的な要素。そのお前に高度な錬金術の真似事など不可能に思えるが」
「そ、そうよ!起源は誰しもが持ってる生まれ持った宿命のようなもの。それが属性などとして表出してくることは基本ない。でも杏は、起源が表に出ているから魔術をまともには扱えないって話を私したじゃない!」
その通り。どうやら神様の仕業か、杏の念能力は外からは起源による力だと見られているようだ。マジカルエステは簡易的な治癒魔術を"強化"したことにより発生する事象。
パーフェクトプランは無の起源を"強化"したことにより起きる事象。全てが起源で説明できなくもない。そして今回の事象も起源で説明出来る。
「そう起源だよ。あたしの起源は強化/無。そしてこのうち起源の強化を使えば、あらゆる概念を強化できる。あとは、わかるよな?」
この強化とは、念能力のことを指しているのだろう。そして本来なら神も強化だけで今後杏が起こす現象を説明するつもりだった。ところがパーフェクトプランはその能力があまりにも強すぎた。
だから無の起源を強化することで成立しているように見せかけていた。でもここまで来れば関係ない。逆に無の起源を強化するだけであれほどの隠遁をできるのだから、強化だけでももっとできてもおかしくない。
というアホみたいな逆説論。
「な、なによそれ。反則。それこそ封印指定ものじゃない」
「くっくっく。なるほど。そこまでの能力ならば確かに矛盾はない。だがそれは人間には許されていない業だ。そして私は異端を嫌う聖堂協会の使徒。あまりにも迂闊ではないかね?」
動揺に体勢を崩す凛と、妖しい笑みを浮かべる言峰。だが反論は既にあった。自分の発言が問題になるならそもそも杏は発言していない。
「それはおかしい。お前が言ったんだぞ言峰。起源は存在の根幹。根源的な要素だって。凛は人間に課された宿命とも言った。それを利用するののどこが異端なんだ?人の業ではない魔術も表向き許されてるんだろ?じゃああたしもいいじゃん」
至極当然の論理。そもそも起源は人の業であり、人の業ではないとされている魔術も表向き許されているのだから異端と言われるいわれはない。
「違うか?」
「いいや違わない。杏。貴様は間違っていない。どうかこの愚かな神父の戯れを許してくれ」
「うん、いいよ」
こうして、何も問題なく杏は能力を大っぴらにして稼ぎを狙う。だが何か忘れていることがあるような。
「ちょっとまったぁー!」
「うん、どうしたんだ凛?あたしが稼げるなら稼げた方がいいだろ?」
「いや、いやいやいや!エセ神父の言葉で流されたけど封印指定よ封印指定!そりゃ魔術師からしたら名誉なことだけど、最悪一生幽閉生活よ!前に魔術師は血も涙もないって言ったわよね!?覚えてる!?」
「ああ、そうね。でもしょうがないだろ。元々そういう能力持って生まれたんだから。だいたい凛が言わなければいい話だろ?」
無責任にもそう言う杏。その姿に、凛は色んな感情がないまぜになった顔で崩れ落ちた。「こいつはどうしようもない」とでも思ったのだろう。
封印指定くん「杏ちゃん、アウトー!」