「…………………………」
(私は………どう在れば…いいのでしょうか……………)
「………逃げたい……………」
早朝の私室にて、か細く紡がれた言葉。
部屋の主は歌住サクラコ…トリニティ総合学園シスターフッドの長である。
本人の言葉の使い方や時折見せる立ち振る舞いにも原因はあるものの、とかく根も歯もない悪評や噂が絶たない。
ただ少女が夢見た、青春の思い出を作りたいだけであるのに。
(………そろそろ…起きましょう…………)
緩慢な動作も無理矢理ベッドからその身を這い出す。
制服として纏う修道服の姿になり、どうにか普段の様相を取り繕うことができた。
****
この歌住サクラコは、あなた達の知るその人ではない。
歌住サクラコその人そのものではあるが、『今までの歌住サクラコ』に擬態しているのである。
最早『今までの歌住サクラコ』は実質死したも同然であるというのに、それでも未だ以前の姿で立とうとしている。
『今の歌住サクラコ』を見せるのが怖くて仕方がないのだ。
「おはようございます、サクラコ様」
「お、おはようございます…マリー…」
温和な性格である伊落マリーとの会話でさえ、今の彼女には精神的な消耗が激しい。
慕い付いてきてくれることも、今や重責のうちの一つ。
「サクラコ様?ここ数日、あまりご様子が優れないようですが…」
「え…あ、い、いえ。問題ありませんよ?」
嘘である。
アルカイックスマイルのような表情になってもいるが、もちろんこれも嘘である。
必死にこれまでに見せてきた笑顔を模倣して行い、『今までの歌住サクラコ』であることを死に物狂いで主張しているに過ぎないのだ。
過剰なまでにこれまで通りを演じているだけ。
「……」
「…?」
「…………」
「……!……」
(……やっぱり、今日もなのですね…)
ザラザラ。ジリジリ。と、ノイズが聞こえて来た。
有りもしない噂を、馬鹿の一つ覚えのように粗製し拡散する者達。
今のサクラコに余りにも効き過ぎる毒。
背筋が凍て付き、頭部が石化でもしたかのように重くのしかかる。
「え、ええと、参りましょうか!」
「へっ?あ、はい!」
取り繕う為の仮面にヒビが入り、僅かに冷や汗も伝ってきた。
マリーに悟られぬよう、足早に下卑た井戸端会議場を抜けていく。
残念ながら、サクラコの状態に疑念は持ちつつもマリーはそれに対する確信は得られなかった。
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「……っひぐ……っうぅ…」
一人になれる場所がある。
聖堂の片隅、陽のない裏口。
私室以外にはここでしか感情の奔流を溢れさせられない…あるいは、溢れさせる度胸がないとも言えるだろうか。
雫はしとどに落ちる。
幸いにも止めるのに時間はあまり掛けずに済んだ。
(朝からこれではいけませんよ私っ…私は大丈夫ですから)
(…ダイショウブ、ですから)
再び仮面の下へ苦悩を隠し、シスター達の元へ向かう。
既に苦悩の地層は重たく嵩み過ぎているのに。
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「『ある本』について、『お話』したいと思いまして…」
そこから始まった曲解のストーリー。
彼女はただ世間の流行を知りたいと買った漫画の感想を、語らいたいと思っただけだった。
巡り巡って、その会話は『シスターフッド内でその漫画を禁書とする』という話にすり替わっていたのである。
どうにか本当にそのような展開となるのは避けられたが、実際に焚書されかけた時には『古書館の魔術師』古関ウイにとんでもない顔をされながら責任を追及される次第となってしまった。
「あなたという人は…!今回は誤解だったのかもしれませんがね!次にまたこのような騒動を起こしてみてください?!誤解だったとしても許すことはありませんよ!?」
「はい…申し訳ありませんでした………」
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言葉遣いを間違えてしまったのだと思います。
あの本を読んでいるんです、とか分かりやすい言い方で!
今度は皆さんとお話できるように頑張りましょう!
またまちがえないように…!
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次の日も、誤解がサクラコを蝕む。
救護騎士団の団員と話す機会があった時に、またも話し口における癖が出てしまい動揺させてしまう。
そこまでであれば良かったのだ。
「サクラコさん…!?」
団長蒼森ミネが、その現場を見てしまった。
「あなた、問題はありませんね!?さてサクラコさん、これはどういった了見でしょうか?」
「え、いや、ちが…」
「シスターフッドの長が救護騎士団団員を篭絡するような動きを、見て見ぬ振りなど出来るわけがありません!」
「…ち、違うんです……」
話をする中で、ただ『相談』したいことがあったと言っただけなのだが、それを弁明するのもはなから封殺されてしまう。
これに関してはミネにも大いに非があるとはいえ、一件はサクラコの精神をさらに擦り減らすのに事足り過ぎる事柄であった。
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わたしはどうして誤解させる言い回しをしてしまっているのでしょうか…。
ミネさんにも怒られてしまいました。
でも、出来るようになります!
私は大丈夫ですから!
だいじょうぶ、おかしくないですから!
だいじょうぶだいじょうぶだいじょうぶだいじょうぶだいじょうぶだいじょうぶだいじょうぶだいじょうぶだいじょうぶおかしくないおかしくないおかしくないおかしくないおかしくないおかしくないおかしくないおかしくないおかしくないおかしくないおかしくないおかしくない
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(…………いまは……何時でしょうか………)
ミネとの一件から数日後の朝、しかし朝といえど日の上がって久しい時間。
サクラコは未だベッドから出ていなかった。
果たしてそれは『出られない』が正しいのか。
意識は習慣付いて早朝から起きているのに、身体が異常に重く感じられる。
風邪をひいている訳でもない。
(喉…渇いてますね………)
そう思うだけである。自覚はあれど、水を飲もうと身体を起こす気にならないのだ。
(どうしてしまったのでしょう……お休みの日でも、皆さんの……手本になるような姿を見せないと……………そんないつもの事さえ…)
自罰感情が湧き出てきた刹那に目が熱くなって、しとどに涙が落ち始める。
ただベッドの上で、胎児のように丸くなって泣くことしか出来なくなってしまった。
ただそれだけをして、休息日は過ぎ去ってしまう。
そのような自分へ更に憎悪を深めて。
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それでも、自分は壊れていないと言い聞かせて動いてしまっていた。
次の日にシャーレの当番へ赴き、先生の手伝いをしている。
“手伝いに来てくれてありがとう、サクラコ”
「はい…」
人によってはこの様を滑稽と思う者もいるかもしれない。
既に精神状態は限界を超えたはずが、シャーレの先生の前では必死に取り繕っているのだから。
本当は、いつ形状崩壊してもおかしくない心について相談したいのが本音だ。
しかし、その心が意志を阻害する。
相談することが先生への迷惑にならないか…低調な回答でさらに傷付く結果にならないか…。
“…サクラコ?”
「…はぇっ!?あ、すっ、すみません!」
思考が先生の業務補助から完全に外れていた。