かつて、降魔と呼ばれる異形の怪物が群れをなして人々を襲い、帝国に破滅をもたらそうとしていた。降魔の前に通常兵器は効果が薄く、応戦した部隊の悉くが壊滅する。しかし、その中にあって獅子奮迅の活躍をする者達がいた。霊力を乗せた攻撃。これこそが降魔に対する人類の剣だったのである。
逼迫する戦況と、追い立てられるように発展する霊子技術は、霊力の高い人材をより多く求めるようになった。
かくして、霊力に溢れたうら若き乙女で構成された対降魔部隊である、帝国政府直下の秘密独立防衛組織「帝国華撃団」が結成された。
時は太正十九年。暗雲極まる帝都・東京にて、後に降魔大戦と呼ばれる大激戦が勃発。帝国華撃団のみならず世界中の華撃団の活躍により首魁を討ち、降魔の大部分を壊滅させることに成功したが、同時に華撃団連合軍は大打撃を受け、帝国華撃団もまた壊滅してしまう。
このことがメディアを通じて一般大衆に知らされると、帝都民は戦場に散った乙女達を悼み、慰霊碑を建立。彼女達は英雄として称られるようになった。
***
時は太正二十九年。世は太平。
降魔大戦終結から十年が経過した今も、降魔の脅威は完全に払拭出来てはいない。では何故、人々が平和を謳歌していると言えるのかというと、降魔・妖魔といった霊的な怪物の発生が散発的且つ小規模になったからだ。降魔大戦後に世界各国で設立された、各政府直下の独立防衛組織・華撃団による精力的な治安維持活動や霊子技術の進歩もあり、その脅威は事故や天災に相当するものにまで下がっている。
これに比べたら欧州大戦のような国家間の大紛争が起きていないことの方が大きい。もはや政府が巨視的な目を向けるべきは各国間の緊張の方なのだ。その点においても今のところは均衡を保っていると言える。
「もっとも、俺はその事故に遭ってしまった不運な元艦長なんだけどな……」
日の本の首都たる帝都。その大動脈である帝国中央駅の構内で、赴任先の住所と連絡先が書かれたメモを見ながら独りごちる。
──いかんぞ神山誠十郎。帝国軍人たるものが、いつまでもトラウマを引きずっているようでは。
ほとんど無意識にメモをくしゃりと握りしめる。住所を頼りにするより人に聞いた方が早いかと思い、そのままポケットに突っ込んだ。
帝国中央駅。
壁に掲げられているプレートを確かめるように見つめてから、キヨスクのおじさんに声をかけた。
「すみません。大帝国劇場へはどう行けばいいでしょうか」
その言葉を聞いて、何故かおじさんは目を丸くする。
「珍しいねお兄さん。列車を使ってまであんな場末の劇場に足を運ぶなんて余程のファンなんだな」
「ば、場末? あの、大帝国劇場なのですが何処か別の劇場と勘違いしていませんか」
名前すら知らないという日本人などいないと言っても過言ではないほど著名な劇場である。間違っても場末呼ばわりされるような所ではないはずだと俺は動揺を隠せない。
「まあお上りさんならそう思っても仕方ないか。知名度だけはあるからなあ。でもまあ、あんまり期待しすぎてガッカリしてくれるなよ。昔ファンだった身としては幻滅されるのはさすがに寂しいもんだ」
──色々と思うところはあるがちょっと待って欲しい。そんなに俺はお上りさん丸出しなのだろうか。海軍という職業柄、方々へ飛び回っているし軍務で帝都入りしたこともあるのだが。いや待て。おじさんは状況と会話から推理しただけなのは明白だ。落ち着け俺。
「ほらよ、これで分かるだろ」
おじさんは紙の切れ端にささっと地図を書き上げると、それを笑顔とともに差し出してきた。
「ありがとうございます」
腑に落ちない思いを抱えながらも素直に礼を述べる。口はちょっと粗野なところがあるが、その手書きの地図は驚くほど丁寧なものだった。
***
簡素ながらも的確に記された目印のお陰で、苦もなく劇場に到着することが出来た。礼がてらにキヨスクで購入した、筒状に丸めた新聞を広げる。
「ああ、そう言えばそろそろそんな時期か」
世界華撃団大戦開催カウントダウン、の見出しを見て独りごちる。各国の華撃団が二年に一度集結し、その実力を競い合う世界大会だ。民間の人気は高く、華撃団の大衆化に大きく寄与している。
「まあタイミング的に職務には関係しなさそうだが──いちファンとして楽しむかね」
大帝国劇場を見上げながらこれからの任務に思いを馳せ──ようとしたが特に思い浮かぶことはなかった。というのも、帝国華撃団への転属を命ずるという一言とともに任命書を渡されただけで、具体的なことは何も聞かされていないからだ。
帝国歌劇団という一介の劇団が、帝国華撃団という秘密戦闘部隊であったことも今は昔。降魔大戦直後にその存在は公のものになった。しかし、降魔大戦終結以降、帝国華撃団として活動している形跡はなく、再建されたという噂も聞いた覚えがない。逆に解散したという話も聞いた覚えはないのだが──辞令を貰っている以上、少なくとも現存はしているということだ。
では現状、鳴りを潜めている帝国華撃団の代わりに誰が帝都の防衛を担っているかというと、それは上海華撃団である。ニュースを見ればそれは一目瞭然であり、帝国の二文字を目にすることはない。実際、手元の新聞の二面を見るとそこには上海華撃団の戦果が記されていた。
正直なところ、降魔大戦を最後に帝国華撃団は壊滅しており、部隊は再建されることもなく既に消滅している、というのが世間の一般的な認識だ。世界華撃団大戦への参加も見られない以上、公的な告知があったわけではなくともそう認識されるのは当然のことだろう。
では俺が呼ばれた理由はというと……。閑職という言葉が脳裏にちらついたが、いやいやと首を振る。きっと、元の隠密性を取り戻したに違いないのだ。
「ふぅ。玄関であれこれ悩んでも仕方ないか」
「え、嘘。誠兄さん……ですか?」
いざ劇場へ。そう決心したところで少女に声をかけられた。ストレートに下ろした長い黒髪に映える桜色のリボンが印象的だ。青い基調の着物には、リボンと同色の桜模様が吹雪いている。くりっとした目はまだ幼さから脱したばかりで初々しさに輝いていた。
──はて。こんなに可愛らしいお嬢さんに兄さんと呼ばれるような覚えはない筈だが。
「え、と。人違いではないでしょうか。自分は神山誠十郎という者なのですが……んん? せい……誠兄さん……もしかして、さくらちゃんか?」
幼馴染みの天宮さくら。思い出の中の”さくらちゃん”から今の年齢を弾き出す。ちょうどこのぐらいの娘に成長しているであろうと思い至る。
「はい! わたしです。さくらです。誠兄さん」
「いや、見違えたな。全く分からなかったよ」
「誠兄さんも凄く大きくなりましたね。その……大人の男の人、って感じです」
「ははは。図体だけで中身はまだまだガキ同然だけどね。さくらちゃんはすぐに俺と分かったみたいだし」
「ふふ、分かりますよ。仕草や雰囲気が誠兄さんそのものでしたから」
「やっぱりさくらちゃんから見ても中身はあまり変わってないってことかな」
「ちゃんと成長した誠兄さんに見えているから大丈夫です」
にこりと笑って自然に腕に抱きついてくる。
「さ、さくらちゃん……?」
──中身が変わっていないのはさくらちゃんの方だったのかも知れない。この年で昔のように抱きつかれるのはさすがに……。
「ところで、大帝国劇場に用事があるのですか? 建物を見上げて物思いに耽っていたようですけど」
「あ、ああ。実はここの支配人に所用があってね」
──そんなことよりそろそろ腕を放して欲しいのだが。破廉恥な、という周りの視線が痛い。
「そうなんですか。それじゃあご案内しますね。実はわたし、ここで働いているんですよ」
「ええ! そうなのか。もしかして劇団員?」
「ひよっこですけどね」
照れくさそうに、ちょっとだけ誇らしそうに笑う。そこで思い出した。彼女の夢を。
「ああ、そうか……。さくらちゃんは夢を叶えたんだな」
「覚えててくれたんですね。誠兄さん」
さくらちゃんは上機嫌になって歩みを早める。結局、支配人室の前で別れるまで彼女が俺の腕を放してくれることはなかった。
***
「神山誠十郎少尉、着任しました!」
海軍仕込みの正確無比な敬礼だが、心なしかいつもよりも気合いが入ってしまったようだ。それも仕方がないだろう。何せ目の前に居るのは伝説のトップスタァ神崎すみれ女史なのだから。同時に、降魔大戦を戦い抜いた英雄であり、当時の華撃団の数少ない生き残りでもある。しかも、戦闘要員としては唯一であるらしい。芸能人としても軍人としても畏敬の念を禁じ得ない相手であり、まさに生ける伝説といって過言ではない傑物だ。掲げた手が緊張で震えていたりしないだろうか。
俺の内心を知ってか知らずか、支配人室の主としてデスクに鎮座しているすみれ女史がクスリと笑った。
「帝国華撃団総司令兼、大帝国劇場支配人の神崎すみれですわ。よろしくね、神山くん」
まさかこれほどの有名人が直属の上司になるとは。写真でしか見たことのない英雄を前にして、衝撃で舞い上がっているのを自覚するがそれを無理矢理に押し込む。
「はっ。よろしくお願いいたします。すみれ支配人」
「そう堅くならなくてもよろしくてよ。支配人は付けなくていいですわ」
「了解しました。では……よろしくお願いします。すみれさん」
「ふふっ、結構」
そう言ってすみれさんはまた笑う。伝説からイメージしていた像とは違って、柔らかい物腰の女性だ。降魔大戦時の華撃団は秘密部隊だったので詳細は非公開のまま語られていないが、公開されている範囲と漏れ聞こえてくる噂によると帝国華撃団きっての武闘派である桐島カンナさんと肩を並べて切り込み役をやっていたらしい。
昔は勇猛で鳴らしていたと言われてもちょっと想像できないな。敬礼を引っ込めて、後ろ手で休めの体勢を取る。
「さて。お互いの挨拶も済んだところで神山くん。貴方は花組という名前は聞いたことがあるかしら?」
「帝国華撃団の戦闘部隊でしたよね。印象としては帝国華撃団とイコールで語られがちですが」
「そうね。劇団としても久しく活動しておりませんし、花組の名前は世間では薄まっているのでしょうね。神山くんの様子だと、海軍の方でも」
すみれさんが少し寂しそうな表情を見せる。
俺個人の感覚は置いておいて、一般的に言えば花組──というより、帝国華撃団の存在自体が少し遠い世界のような感覚だろうか。降魔・妖魔の発生はそう頻度が高いわけではない。また、その多くは帝都に集中しているため、帝都在住でない限りあまり身近に思えないのが一般大衆のみならず多くの軍関係者としても正直なところだろう。
華撃団同士の競技会である世界華撃団大戦は一種のショウとして興行的に成功しており、そういう意味においては身近になっているとも言えるが、防衛機構たる戦闘部隊としてという意味合いとは異なる。
襲撃があれば必ず全国ニュースにはなるし被害状況も詳細に報道されるが、多くの人々にとっては比較的関心が薄いと言わざるを得ない。やはり滅多に起こらない事故や天災に近しい出来事なのだ。
強いて言えば、国防の一端を上海華撃団に任せきりになっているように思える現状を軍人として憂う者はそれなりに多かったか。その点に関して言えば俺もその一人だ。
「神山くん?」
少し考え込んでしまったせいか、すみれさんが怪訝そうに首をかしげた。
「いえ、すみません。何でもありません」
「そう。じゃあ続けますわね。それで、神山くんにはその花組の隊長をやってもらいたいのですわ」
「……なるほど。実は戦闘部隊はいまだ健在だったと」
そう言って、しまったと口を押さえる。──神山誠十郎一生の不覚。軽々しく、既に解体したと思い込んでいたような節を見せてしまうとは。これでは、健在の割には仕事をしているように見えない、と嫌みを言っているように受け取られても仕方ない。
「ふふっ。まあその反応は仕方ありませんわね。今の帝国華撃団は開店休業状態。上海華撃団にお株を奪われていますもの」
すみれさんはあまり面白くなさそうに微笑んだ。苦笑いというやつだ。
「今のは失言でした、すみません。ですが、軍の組織が開店休業状態というのは……。事情をお聞かせ願えますでしょうか」
「では、順番を追って説明いたしますわね。まず帝国華撃団は一度も解体されてはいませんわ。神山くんが思っていたのと違ってね」
「……もう一回謝っておきます。すみません」
「ふふ、意地悪でしたわね。ごめんあそばせ。ただ、世間様も知っての通り大戦終結と同時に帝国華撃団は壊滅、その活動は実際のところ休止せざるを得ませんでしたわ。……長期に渡ってね」
「それは……」
俺の表情を読み取って、すみれさんが言葉を継ぐ。
「ええ、その期間が、壊滅から今日までの十年だった、ということですわね」
「…………」
「話を戻しますわね。降魔大戦は日本のみならず世界の危機でしたので、諸外国と手を取り合って戦いましたわ。まさに総力戦でしたわね……。団の壊滅という代償は帝国だけではなく、巴里、紐育といった各国の華撃団にも及びましたの。そこで、世界は華撃団の早急な再建を求めたのですわ。降魔の大部分を討ったとは言え、討ち漏らしや世界中の霊的な怪物が根絶できたわけではないのですもの。当然よね。そこで出てきたのが世界華撃団連盟ですわ」
この辺りは学校で習う座学の範囲だが、すみれさんも承知の上だろう。話の腰を折らず合いの手を入れる。
「WLOF(ウルフ)ですね。今では世界華撃団大戦の主催としてのイメージが強いですが、世界中の華撃団の設立に関与しているというのは習いました」
「ええ。連盟が各国にノウハウを提供することで次々に華撃団が出来たというところまではいいのだけれど……帝国華撃団は傷が深すぎたのね。ようやく再建の話が出てきた頃には、とっくに上海華撃団による防衛体制が出来上がってしまっていたのですわ」
「……まさか、それで上層部が良しとしていたわけでは」
「そのまさかなのよねえ。新しい対降魔兵器の開発の方に予算を多く回していたみたい」
「国防ですよ!? 確かにそちらも急務でしょうが、あり得ないでしょう」
「あり得ませんわねえ……ただまあ上層部の判断を全否定することはわたくしには出来ませんわ」
すみれさんが、ふうぅと長い溜息をつく。そこで俺はハッとした。彼女に当たっても仕方がないという当たり前のことに今更気付く。
「すみません、すみれさん。少し熱くなりすぎました」
「いいのよ。わたくしも思いは同じですからね。気持ちは痛いほど分かりますわ。で、ここからが本題なのですけれど……この団には不足しているのですわ」
「な、何がでしょう」
何となく嫌な予感がして一瞬言葉に詰まる。すみれさんは、どこからか取り出した扇子を俺へと向けながら言う。
「予算と装備。それと隊長ですわ。どうにか掻き集められたのは隊員だけですわね」
「いまだに予算を上層部は……この期に及んでっ!?」
「上海華撃団がいるから大丈夫だろう、とのことよ」
俺はギリッと歯を鳴らした。すみれさんは扇子をパチンと閉じると、まっすぐに俺を見つめる。
「神山誠十郎少尉。飛び級で海軍兵学校に入校し、海軍特務海防艦”摩利支天”の艦長として対降魔特別任務に就いた”死なせず”の男。貴方のその経歴と、なにより今見せてくれた国防への熱い意志を見込んでお願いするわ。――帝国華撃団・花組を、貴方の手で立て直して頂戴」
その視線は強く、何処までも真剣で、拒絶の余地など微塵もなかった。
予算なし、装備なし、あるのは集められたばかりの隊員のみ。
とんでもない急造組織の隊長に据えられたものだと頭を抱えたくなった。
「了解いたしました! 粉骨砕身の覚悟で頑張ります!」
もちろん命令拒否など出来るものではない。心中とは裏腹にほとんど条件反射的に景気の良い返答をしてしまうのが軍人の性というものだ。が――不思議と、腹の底から湧き上がる熱いものも、俺は否定しきれずにいた。取りあえずは前向きに考えることにしよう。
「あの、今から隊員達へ挨拶回りに行っても構わないでしょうか」
すみれさんは少しだけ目を細めた。それから、口元に扇子を当てて静かに笑う。
「ふふ。好きになさるといいわ。ああ、各種資料はそこにあるから目を通しておいて頂戴ね」
***
劇場内を一通り見て回ったがどうも現在は通常営業していないようで、人っ子一人見当たらなかった。何より、清掃はされているようだがどうも施設が生きている感じがしない。どうやら普段からこうらしい。隊員たちも本当に集められたばかりなのかも知れない。二階にある複数の個室からは人の生活臭を微かに感じたがあいにく留守のようだった。
そんなことを考えながらそろそろスタート地点に戻ってしまうなと思い至ったところで、地下室への階段を見つける。──明らかに人が出入りしている気配を感じる。
「なるほど。こちらが本命か」
独りごちながら階段へ一歩踏み出したところで──。
「……止まれ」
背後で、不意に声がした。低く、平坦で、しかし有無を言わせない響きを持った声だ。声色には幼さを感じるが、それにしてはあまりにも落ち着いている。
そして、そこには冷たい殺気があった。
「……誰」
殺気の主が誰何しながら拳を軽く背中に当ててくる。それが、刃物の存在を主張していた。冷たい汗が流れる。
「待て。顔を見れば分かると思う。お互いに。振り向いても良いだろうか」
「駄目。忍びは忍ぶもの。それに私はあなたの顔は知らない。だから聞いている」
──なるほど。これで予想が付いた。
「キミはあざみくん。望月あざみくんだろう? 望月流忍一族の」
「!? 何故それを」
「今日からここに配属になった神山誠十郎だ」
「……ああ、そろそろ隊長が来るとか言ってたけどソレ?」
「そう、ソレ。振り向いても良いかな?」
「……いい」
冷たい殺気が鳴りを潜める。ふぅ、わりと本気で殺されるかと思った。名簿に大真面目に忍者と書かれていたので目を疑ったのだが、どうやら本当に忍者のようだ。
だって、振り返って目に飛び込んできた目の前のちんまい娘さんが着ている衣服、どう見ても忍者なんだもの。というか、いたんだな忍者。全く忍んでいないけど。全身黄色という奇抜な色使いだしパッと見、給仕さんのようなエプロン姿だが、全体の雰囲気が凄く忍者している。ものすごく目立っているけど。
「ありがとう。実は隊員達へ挨拶に回っているんだが、皆はこの奥にいるのか?」
「いる……こともある。普段は。けど今は誰もいない。数日戻ってこない……と言っていた。確か」
「ん? そうなのか? ふぅむ、それは残念だな。あ、でもさくらは? ちょっと前に会ったんだが見当たらなくてな」
「さくらはいる、けど今はいない……えっと……多分、買い出し?」
「なるほど」
ファーストコンタクトの鋭角さとは裏腹に、中々に親しみやすい忍者娘のようだ。
「よければなんだが地下室を案内してもらっても良いか?」
「……付いてきて」
***
「うーん、見事に何もないな」
空っぽの格納庫を見てつい愚痴がこぼれ落ちる。施設自体は生きている感覚はあるのだが、肝心の装備が何も見当たらない。先ほどザッと目を通した資料からすると、部隊運用としては霊子甲冑を想定しているはずなんだが……すみれさんが言っていたように今は本当に何もないんだな。
あらためて、取りあえず人だけ集められた感を噛みしめる。
「どう? 面白い?」
「あー……興味深くはあるかな?」
「……そうなんだ」
あざみくんの首がコテンと傾げられる。
「あざみくんはここにはまだ来たばかり?」
「……あざみ」
「ん?」
「くんはいらない」
「ああ、了解。あざみ」
少しだけふくれっ面で不満げな表情。意外に分かりやすい娘のようだ。
「そろそろ半月ぐらいです。だよねあざみちゃん」
そう言って、あざみを背後からさくらちゃんが抱きすくめた。……いや、気配を全く感じなかったぞ、おい。
「……ちゃんはいらない」
「うーん、それは我慢してください」
にっこり笑うさくらちゃん。裏を一切感じない天然ものの笑顔だが、有無を言わせない迫力が少し怖い。
「あ、誠兄さん。ちなみにわたしにはちゃんはいりません。さくらと呼び捨ててください」
……なんとも逞しく育ったものだ。
「了解した。──さくら」
「はい! あ、そう言えば誠兄さん呼びは不味いですね。隊長さんになるんですから」
「確かに。二人きりの時はいいが、それ以外は出来れば避けてくれると有り難いかな」
「二人きり……ふふっ、了解しました。神山さんっ」
「ああ、よろしく頼むよ、さくら」
「はい。それと、お昼ご飯、持ってきましたよ。二人とも、どうせ今日は食堂閉まってるのに気づいていないと思って。これあげるからちゃん呼び許して、あざみちゃん」
「……そうだったのか」
軽く目を見張るあざみ。
「あざみちゃんは絶対こういうとき忘れるんです。それを戒める掟はないんですか、108条の中に」
「……里の掟74条買い食いは、禁止」
「ぷふふっ」
思わず吹き出したさくらに、自分でも引き合いに出す掟を間違ったなと思っているのかあざみは渋い顔をしたが、弁当は素直に受け取った。
さくらがどこからか持ってきた茣蓙を格納庫の床に敷き、三人で座って弁当を広げる。寒々しい格納庫の室温が心なしか上がったように感じる。
「隊長就任おめでとうございます。神山さん」
「ああ、ありがとうさくら」
「今日から、本当に始まるんですね」
さくらが空でも見ているかのような目で天井を見上げた。
「そうだな」
あざみは黙って箸を動かしていたが、何かを思い出したのか、しばらくして箸を置いてこう言った。
「……里の掟79条おやつで買収されるな」
「じゃあ昼食でなら買収されても大丈夫だな」
はっはっはと高笑い。
「……今日は調子が悪い」
さくらがまた吹き出した。あざみは照れたように顔を背けたが、その口元がわずかに動いたのを、俺は見逃さなかった。
帝国華撃団・花組の再始動は、こうして始まった。