希少動物には種類がある。元から種族個体数が少ないモノ、食物連鎖により淘汰されつつあるモノ、そして何らかの理由で執拗に狩られ数の減ったモノ。
ユリは中でも小型から中型と言われる希少動物たちの保護と調査を仕事としている。最初は同業の先輩ハンターに付いて。今は保護を必要とする、保護のためにハンターの力を必要とする団体や個人が彼女へ声をかける。
今回の依頼は例外だ。
ユリが管理する希少生物の保護区で密猟が起きていることを何故か知っていたヒソカから情報提供、依頼の提示を受けた。もちろん、信用していない情報筋だ。だからこそユリは自身で調べ、見るためにその場所へやってきた。
「やあ♤」
そこにヒソカが居る可能性を信じたくないと思いながらも数えて。
初めて見る彼のマトモな格好。カジュアルな格好に髪を下ろし化粧もほぼない。一見は別人だが、隠すように抑えられたオーラの悪辣さも気味悪さも忘れられない。間違えようがない。
「邪魔しても手伝っても報酬は無いからどこかに行ってほしい、心から」
「無償で護衛してあげるよ、コワーイ密猟団が居るらしいからネ♡ ほら、キミの仕事に邪魔にならないような恰好まで準備して——」
ヒソカの言葉が言い終わる前にユリは目的地へ向けて体を向け直す。隙だらけ、と揶揄う言葉と共に背中から重さがかかる。
「重い、邪魔」
無遠慮に近づく顔へ向けて勢い良く頭をぶつける。鈍い音と共にヒソカの顔は離れてユリは片手で自分の頭を押さえた。くつくつと喉を鳴らすように笑ったヒソカの手がユリの肩に乗る。早く行かないといけないんじゃない?♢ ヒソカを睨みつけ、ユリは舌打ちをして歩みを再開する。
向かうのは保護区内にある小さな山村だ。念能力を使えない一般の人たちが住んでいる。その場所が保護区となってから「中で暮らしていきたい」と申請され、ユリを含めた管理者から幾らかのルールを守ることを条件として住むことを許可されている。どこかの国から逃げた人が居るらしいが政治的な話はユリにはよく分からないため、やり取りや手続きは他の管理者で済まされている。
ユリにとって彼らは「保護区に住み、保護区を管理する人」だ。
不測の事態があれば管理組合を経由した後に要否が選定されてユリに届けが来る。
今回は管理組合に連絡が来た時点でヒソカから情報提供を受けたユリが自発的にやってきている。結論としては管理組合もユリを呼ぶ予定だったが。
何故それを事前にヒソカが知っていたのか。
問題の解決が先だ。密猟が行われているなら捕らえられた動物たちを解放して、密猟団を捕らえる。本人から聞ける気はしないがヒソカの情報源を追えるだけ追えばいい。何も分からなければ保護区の防護を固めればいい。
向かう先に見える家々を覗くようにヒソカが少し背筋を伸ばす。
「ここがキミの管理する村?♤」
「管理してるのは私だけじゃない……くらい調べてるでしょ」
「キミ以外興味がないんだ♡」
「……ついてくるつもりなら村には来ないで。説明が面倒になる」
「はいはい、ここで待ってるよ♧」
ひらひらと手を振るヒソカを置いてユリは村へ向かう。
ここには幾らかの家と畑があり数十人が暮らしている。ここで育てた農作物と狩猟が許された動物の肉の一部は管理組合を通じて外へ輸出される。新たに生まれた子供たちでなければ全員ユリのことを知っており友好的に話をしてくれる。
ユリの姿を認めた村民が慌てて駆け寄る。
管理を任されていた動物たちの一部が不自然に居なくなり、同時に武器を持った密猟者の目撃が増えた。村の近くに寄ることはないが、狩猟許可の有無にも関わらず狩りをしているらしい。
厄介だ。だが、こういった仕事をしているとよく聞く話だ。特に密猟の対象になりやすい動物たちには「価値」がある。毛や牙、爪、内臓が高く売れる。だからといって無許可で狩猟していいものではない。
この地域の密猟はかなり強く制限したはず。
村民から密猟者たちの潜伏しているであろう場所の目星を聞いたユリは考え事をしながら目的地に向かって歩く。
声をかけられなかったヒソカは村の敷地を出るとすぐにユリの隣へ並んだ。
「一時間程度歩く」
「走ったほうが早いのに?♧」
「保護区を見たい、密猟者も居れば捕らえる。念を知らない人たちだから」
ふうん。興味がないことを声色に出すくらいならさっさと消えれば良いのに。ユリは自分を覆うオーラを薄く広く、箱に敷き詰めるように広げる。
円、と呼ばれる念の応用技術。中に入れば感知ができる。念能力者がどこにいるか全く分からない状態で使うのは愚策だが、今の敵はあくまで一般の密猟者。問題はない。
「これ、範囲は?♤」
「歩きながら使うから狭い。そうでなくとも最大距離を言うわけないでしょ」
「ケチだな♢」
不満に言い返そうとしてから口を閉じる。普通のやり取りを交し合う相手じゃない。
戦闘中でなくともこんなペースを乱されるモノか。厄介極まりない。
ヒソカは暇なのか手元でトランプを取り出して遊んでいる。
密猟者たちがいるらしい山裾の洞窟は既に円の範囲内。だが、まともに動いている生き物は居ない。
「ボクが先行しようか♤」
「……何が居ても殺さないでね」
「りょーかーい♡」
可能ならそのまま中で死んでくれないだろうか。ユリの頭を過った考えを読んだヒソカがそれを復唱し「死なないけどね♧」と笑顔で洞窟の奥へと向かった。
足下を照らす最低限の明かり、入り口にはさも恐ろしいことのように赤字で進入禁止の看板があった。洞窟内に広げていた円を解除する。よほど絶の達人でも居なければ何も問題はないことはもう分かった。
少し進んで行き止まりになるような洞窟からあの男が何かを逃がすとも考えられない。気紛れは例外として。
入り口でしばらく待つと洞窟の奥から、入るときと変わらない姿のヒソカが戻ってくる。面白いものは何もなかったと、いったい何の参考になるかも分からない言葉にため息を返す。
「密猟者は居なかったってこと?」
「うーん、檻に入るのが趣味の密猟者が居ないなら。イイ趣味だよね♡」
檻? 檻。一単語の応酬。
密猟者自身が檻に入るのは有り得ないが動物が檻に入っていたのならヒソカはこの言い方をしないだろう。人。村民が捕らわれている可能性があるのか。
檻の中に。そう考えるユリは何か思い出した。
嗅いだことのない生臭さと刺激臭。誰の姿も見えない真っ暗な場所、冷たく硬質な金属の檻には常に何かの液体が流れていた。あれは血か吐瀉物か。何だっただろうか。
「檻の中に死に損ないが居ると問題?」
ヒソカから声がかかりユリは意識をその場に戻す。
「死に損ない……、いや別に。先歩いて」
「仰せのままに♢」
薄暗い洞窟の中を歩けば中から腐臭が漂ってくる。こんな匂いもあったかもしれない。記憶にないイメージが浮かぶ。前を歩くヒソカは上機嫌に鼻歌を歌っている。密猟者が動物たちを殺しているのは過去にも見たことのある光景だ。今回、ヒソカという特異な点がありながら何故、特異な点があるからこそか。何かを思い出しそうになる。
何度考えても霞がかかる思考。
霞の向こうで誰かと何かが痛みと苦痛に喘ぐ。引き絞ったように掠れた声。手の下で感じる拍動があった。
「ねえ、」
前を歩くヒソカが歩調はそのままに視線を背後に向ける。
「後ろからそんなオーラ当てられると興奮しちゃうんだけど♡」
「……狂人が」
押し殺した笑いを喉の奥に、ヒソカが向き直る正面からより強い腐臭が匂う。
天然の洞窟を人工に削り込んだその場所に腐臭が凝り固まっていた。
最低限、一組の机と椅子。剥き出しの岩壁。机に置かれたランタンが辺りを照らす。
最低。ユリが呟いた。地面に打ち捨てられている腐臭の元となった身体。四足で地面を駆ける大型犬程度の大きさのそれはユリが管理する希少生物の一種。希少さの所以である毛皮は荒く剥ぎ取られ不要となった身体が捨てられている。机の上にある書類には汚い字で「収獲」、つまりはどれだけの動物を狩ったかが記載されている。
「可哀そうだねえ♤」
ヒソカが屈みこんで声を向けているのは檻の中。
何人かが檻の隅で重なり合っている。
人によっては五体を損傷しているが村民と同じ格好だ。行方不明の届けはあっただろうか、血がまだ新しい。この一日内で捕まったのか。
「————」
人の言葉とは思えない唸りのような呻きが檻の中から響く。
「目は潰されてるし、手足もまともに動かないようにされてるね♧ ここまでするならいっそ殺してあげた方が楽だろうにねえ」
ボクが。ヒソカが片手でトランプを弄ぶと目の前の檻の外側に念の箱が作られる。
勝手なことしないで。暗がりの中に渡る平坦な声。檻の中の人たちが一瞬、身体を震わせると同時に念で作られた刃が檻の中を一閃した。
身じろぐ音も呻く声も消える。
「優しいんだね♡」
「うるさい。村の人に警戒と管理組合に報告するから戻る」
「はあい♢」
檻の方を一瞥したユリはヒソカへ背を見せることを厭わず足早に洞窟の出口へ向かう。立ち込める匂いと檻が気に障る。
ユリが視線を外すと念で作られた箱は消える。檻の中に居た人たちは一太刀の下で即死している。薄い念の刃、纏が使える人間を殺すことは出来ない程度の威力。念能力が使えず「弱い」人間なら目の前で見たまま。容易く命を奪える。
ヒソカは嘘を言っていない。檻の中に居た人間は目を奪われ足を、モノによっては手を潰されていた。
けれど。物言わぬ肉塊を眺め、遠ざかるユリの足音を聞きながらヒソカは口元を歪め嗤う。
彼女は分かっていたのだろうか。これらが殺される直前「怯えて」身を震わせたことを、ユリの気配か音を感じ取り唸るように「助けて」と音を出したことを。
どれだけ暗くとも彼女には見えていたはずだ。箱を作るには「視る」のが前提なのだから。
「可哀そうだねえ♤」
既に生き物としての命を終えた檻の中のモノへとそう声をかけ、ヒソカはユリの後を追った。
村への状況説明をしたら他の管理人たちと対応について話し合いが必要になる。村民の被害、動物たちの被害、密猟者の捕縛に。一気に増えた仕事量を考えるとため息が出る。
マトモな仕事は大変そうだ。と、トランプを片手で弄ぶヒソカが笑う。先ほどの檻とこれからの仕事がチラつく中での返事すら億劫なユリの円に生きて動くものが引っかかる。念を使っていない人間がひとり、ユリたちが居る方向へ駆けてくる。走る速度も一般人が走る速度と変わらない。村の方向から走ってきているということは村民のひとり?
ユリは足を止め、ヒソカへ念のため手を出さないように告げて円に引っかかった人を待つ。
彼女の想定通り村民と同じ格好をした中年の女がユリの名を叫びながらその手の中へと駆けこんだ。
ユリさん、うちの子供たちが居ないんだ。
悲痛な叫びを落ち着かせるためにユリは極力優しい言葉をかけ、優しい所作で女を抱き留める。
しばらくそうしていると女は泣きながらも駆け込んできた時よりは落ち着き、ユリから少し離れた。
「落ち着いて話、聞けますか?」
やたらと静かにたたずむヒソカに気味悪さをより強く感じながらユリは泣きじゃくる女の肩に触れる。
この言い方で先の言葉を察した女がユリの腕を掴み返す。
希少動物たちの遺骸があった場所の檻の中に居た姿は、子供だった。
「あの場に、貴女の子か分かりませんが子供が居て——」
「あまりに酷い怪我だからユリちゃんがトドメを刺してあげたんだ♧」
横入したヒソカの言葉。女は掴んでいたユリの腕を放す。
ユリは眉間に皺を寄せてヒソカを睨む。結果だけを話せばまだ混乱が少なく済むかもしれないのに何故全て言うのか。酷く愉し気なヒソカが言葉を続ける。洞窟の中の惨事、檻の中で重なっていた人影。そしてユリがトドメを刺して「終わり」にしたこと。
余計な話ばかり。ヒソカを黙らせようとしたユリの鼓膜を金切る声が裂いた。
何故、どうして。ユリが落ち着かせるために差し出した手を、女は目いっぱいの力で弾いた。
どうして殺したの。
ユリが女を守るために向けようとしていた手が止まる。
どんな状態でも、どんな怪我をしていてもあの子は私の大事な子。生きていてくれれば良かったのに、もう会えない。お前のせいで。人殺し。
人殺し。ユリの中で言葉が響く。目の前の女の声で。頭の中の誰かの声で。
女へ伸ばしかけた手がユリの目に留まる。
檻の中に在った命は確かに斬った。それは酷い状況だったから。それは「殺人」か。
檻の中に居る命は「保護」をする。保護の力だから。苦しんでいるならば「助けて」あげるのが彼女の仕事。
子供を返して。甲高い声がユリの頭に響く。中途半端に持ち上げたままの手が誰かに掬い上げられる。視線を上げると愉悦に目を細めたヒソカと視線が合う。
「キミは優しいよねえ、子供が『助けて』と言って『怯えて』いても苦しさから解放してあげた♢」
助けてと言った? 怯えていた? 何が、誰が。
暗い視界、檻の『中』で自分の手を伸ばしたことがあった。アレも「助けて」と。喘いでいた。
私が、殺した。
小さく呟いたユリの言葉は、ユリから逃れるように泣き叫び後ずさる女の叫び声に掻き消える。
うるさいな。ヒソカの冷たい言葉を聞き反射的に女を守るために念能力で箱を作り女を囲う。だが突発的に作った箱は外からの攻撃を防ぐための力の反転が間に合わず、外から飛んできたヒソカのトランプをそのまま迎え入れた。
女の身体が倒れた。もう動かない。
「ほら♤」
軽やかなヒソカの言葉。取られたままの手のひらを柔らかく撫でられる。
「言った通りだろ?♧ キミの能力は『外に居る存在が中の存在を壊すための檻』だよ、それも『弱者だけは出られない』 悪質で、非道で、ボク好みの、ね♡」
違う。否定する言葉が喉を通らない。音にならない。
「本当はもう少し愉しんでから壊そうと思ったんだけど、ザンネン♢ 本命の子がもうすぐボクを訪ねてくるんだ。だから」
ヒソカは手を放し、背を向けて数歩ユリから距離を取る。目の前で倒れる女を殺したやつだ。倒さなければならない。震える手が持ち上がらない。
「他の誰かに壊される前に、ボクの目の前で壊れてもらおうと思ってここに来た♤」
振り返り道化師のように両手を広げるヒソカが嗤う。
「想像通りだよユリちゃん、君は綺麗で歪で面白かった♧ でも、動かない玩具に興味はない」
とん、と軽く肩を押された。ユリが押された肩を見ると、トランプが一枚突き刺さっている。普段なら身体がふらつくこともない衝撃にユリは青空を見上げるように倒れた。
「せめてものお詫びに、ここに居る密猟団はボクが消してあげる♡」
じゃあね。
誰かの別れを告げる声が薄く遠く聞こえ、ユリは目を閉じた。
———
天性の才能を持ったふたりの少年を見送ったウイングは変わらず天空闘技場に挑戦する弟子、ズシの指導にあたっていた。あまりの才能にズシが落ち込む可能性もあったがいろんな出来事が一緒に起きたからか、ズシ自身の才能か、修行へより真剣に、よりひたむきに向かうようになった。
まだ子供なのだから遊ぶことと修行は半々に。そう言っても修行をしたいと、ふたりが去った直後は言っても聞かない程だった。
今日も今日とて練、水見式を使った能力者の系統判別を行うズシを見守るウイングの携帯端末に一本の着信があった。
知らない番号だ。一度手元で着信を拒否するために終了を押すが同じ番号からすぐに掛け直された。
大事な用件では。ズシにそう言われてウイングは修行中のズシとは違う部屋に入り扉を閉めてから通話のボタンを押した。
『あーもしもーし、これ念能力の覚えが悪いシャツ出し指導者ウイングの携帯?』
切ってやろうか。聞き間違いかと一度耳から端末を離すと向こう側から全く同じ言葉が聞こえてくる。
「どちらさまですか?」
不機嫌を隠さず返事をすると端末の向こう側で男が笑っている。
『悪いんだが俺は次の飛行船乗るから用件だけ伝えさせてもらうな? 最寄りの飛行船発着場にユリを連れて来てる』
「……ユリさんを?」
『そ。簡単に言うとお前のとこで療養させてくれ。宿はお前の部屋の隣。念は基礎的なところを使える程度。身体の傷はほぼ治ってる』
羅列される情報に気になることが増えていく。ウイングの質問を許さないまま端末の向こうの言葉は止まらない。
『この電話は公衆電話借りてる、コイツの端末は発信機付けられてたから俺が壊した。あとはなんだ、あ、費用はユリ自身に持たせる』
「貴方は——」
『以上。不肖の弟子を頼んだ』
受話器を強く置いた鋭い音が携帯端末からウイングの耳を刺した。思わず端末を耳から遠ざける。通話終了の機械音が流れている。
端末の向こう側に居たのは、ユリの師匠。実際に見たことはないが同僚時代のユリが何もかもテキトーだと愚痴を言っていた。ユリが念を習得しハンターとなった後に別れたらしいが、共に仕事をしていたのか。療養とは。傷とは。念能力は基礎のレベルではなかったはずだが。
ウイングはため息を吐いた。考えて分かるはずがない。公衆電話を使ったのであればかけ直したところで相手は恐らくもう居ない。
ズシにしばらくの不在を伝えウイングは電話で言われた飛行船の発着場へ向かう。
天空闘技場に一番近い飛行船発着場はいつでもにぎわっている。闘技場の参加者に、観客、闘技場は見ずとも辺りの賑わいに参加する商売人やその顧客。多様な人が居る中で彼女の近くには不思議と人が居なかった。発着する飛行船を眺めることが出来る大窓に白の手袋をした片手を置いた彼女は普段よりも外向けの女性らしい姿をしているようにウイングには見えた。
「ユリさん」
声をかけた。彼女は振り返った。
「ウイング、闘技場参加以来だね。おはよう」
静かで穏やかな口調だった。穏やかだが、何も感じられない。
「もうお昼も過ぎていますよ」
「お昼? そっか、お昼か……。じゃあ、こんにちは」
打てば返る言葉が在るのにユリ自身はどこか別の場所に居る。そんな感覚。
「お昼ごはん——いえ、今日起きてから何か食べましたか?」
存在すら希薄に感じるユリは問いかけられると大窓から手を放して僅かに首を傾げる。
「うーん、飛行船で師匠から携行食は渡されて食べたかな」
そういえばユリの師匠は。ウイングが辺りを見渡すとユリが「あの人は次の仕事に向かったからもう居ないよ」と告げた。
何にしてもこの賑やかな場所から移動をしよう。ウイングはユリの師匠を探すために外へ向けた視界の端でユリの様子を伺う何人かの年若い青年を見た。念の力は感じられないが、厄介事は避けたい。
「適当な軽食を買いつつ貴方の宿に行きましょうか。ユリさん希望はありますか?」
「……食べやすいやつ?」
「道中で探しましょうか。宿の場所は聞いていますから」
歩み出したウイングの後を数歩空けてユリがついていく。天空闘技場が近くなればなるほど喧騒は大きくなる。
歩調を合わせてようやく隣へ並んだユリは喧騒へ目は向けるが留まることなく視線は流れていく。食事を提供する店の前を通り過ぎ匂いが満ちていてもウイングが声をかけるまで足を止めない。
彼女の好みが変わってないことを祈りながらいくつかの軽食と飲み物を買うと「お金払おうか」と問いかけられウイングは笑って返した。「再会を祝して、ここは私が奢りますよ」と。
ユリは薄く微笑み、購入された袋を受け取った。
ユリの師匠が用意したという部屋は確かにウイングが借りている場所の隣だった。彼女はゆっくりとした動作で鍵を開けるとスペアキーをチェーンから外し、差し出した。
「師匠がウイングに持たせとけ、って」
「……どうかと思いますけどね。分かりました。何かあればいつでもどうぞ」
「うん、ありがとう」
「携帯端末は持っていますか?」
「……色々あって師匠が壊したから持ってないよ」
——発信機付けられてたから俺が壊した
通話で話したユリの師匠の言葉が思い出される。だったら新しいのを持たせておいて欲しいものだが。持とうという気にもならないのはユリ側の問題。
「明日の午後になりますが買いに行きましょうか」
「うん、分かった。明日ね、おやすみ」
目の前でユリの部屋の扉が閉まってウイングは視線を逸らした。
「今はまだ夕方にもなってませんよ」
翌日の昼。ユリからウイングの部屋を訪ねてくることはなく、ウイングから訪ねた。インターホンを押しても返事はなくノックをしても返事がない。
僅かな躊躇いの後、彼は渡されていたスペアキーを扉へ通した。扉の向こう側から風が吹く。風が運ぶのは昨日と同じ匂い。
リビングの机に乗っている紙袋。昨日街中でユリに買った軽食だ。その中のひとつが外に出ているが、ほとんど食べられた形跡がない。
ユリはリビングのソファーで眠っていた。
昨日と同じ格好で、窓を開けたまま。
ウイングの足音にも扉が開く音にも気づかない。目の前で眠っているはずのユリの目元に暗い隈がある。
近くで屈み、声をかける。
「ユリさん」
ユリは唸るように声を出すと体を縮めた。
「ユリさん、寝るならベッドに行きましょう。起きられますか?」
何度か同じ言葉をかけてようやくユリは目を開いた。
「ウイング……?」
「はい、ウイングです。おはようございます」
「……ごめん、ごはん」
「問題ありませんよ。少し食べられたじゃないですか、それに。疲れた日には少し重かったですから、次はもう少し軽い物にしましょう」
「うん、ごめん……」
そして謝ったままユリは目を閉じた。無理に起こすのは悪手だ。ウイングは物音を立てないよう気を付けて窓を閉じ、カーテンをかける。机の上に置かれたままの食事は日持ちするものと飲み物を冷蔵庫へしまう。
悩みながらも寝室へ入り、使われた様子のない毛布を取ってきてソファーで寝たままのユリの身体にかける。
携帯端末の購入は今度で良い。彼女が買いに行けないなら買ってきても良い。
ウイングが部屋の扉に手をかけると背後から小さく「ありがとう」と聞こえてきた。寝言かもしれない、気のせいかもしれない。ウイングは振り返りユリが眠っているソファーのある方向へ笑いかけた。
「おやすみなさい、ユリさん」
外はまだ日が高い、お昼のことだった。
本編としてプロットを書いていたのはここまで。
以降のお話は気が向いたら書きますが、ここまでの流れよりもキャラ崩壊が著しく、ユリちゃんを甘やかす方向になるかと思います。