「んで、今は保護してるわけね」
「はい! サインまでもらっちゃいました!」
「あ、ほんとにもらったの……」
ノアの部屋へ向かう道すがら、マイペースなシェリーの態度を見て、虎杖は苦笑する。
変死事件の調査を全国区で行っていることから、現2年生は近頃高専を空けることが多い。特に抜きんでた実力を持っている虎杖はその他案件も定期的にこなしており、監督官でありながらシェリーと行動を共にする機会も少なくなっている。そのため、こうして二人で話すのもかなり久しぶりで、彼女の自由奔放な態度も耳心地よいものだった。
水族館での事件の後、ノアの身柄は高専の主導で保護観察となっている。
数十トンの水を自在に操り、式神にしてしまう彼女の力は一般社会に置くには危険すぎると判断されたためである。もともと才能ある術師のスカウトは高専の任務でもあり、本人曰く戻る場所が無いというのも判断の後押しとなった。ネックは水族館側との交渉だったが、幸いにも人的被害はなかったうえに、去り際にノアが描いた絵が新たな観光資源になるとのことで特に追及されることはなかった。
「いままではバルーンとして海外で活動していたようなんですが、呪霊が公表されてから渡航制限が厳しくなっていますからね。最近日本へ戻ってきたそうです」
「海外にいたなら高専もわざわざ追わないだろうしな。てかその生活で飯どうしてたん」
「道行く人に貰ってたらしいです。さすがストリートアーティスト!」
芸術家だなぁと虎杖は感心する。
後天的に術師となった虎杖にとって生まれた時から術式持ちのノアの気持ちは想像しにくいものだったが、そうでなくとも精神性の違いは感じさせられる。もっとも、虎杖の肉体強度も一般人から見れば十分異能ではあるのだが。
「あ、ユージさんに会ったら聞こうと思ってたんですが、例の変死事件の捜査って進展ありましたか?」
「正直あんまりだな……」
苦虫を噛みつぶしたような表情で虎杖は話す。
「まず黒部の姉以降それっぽい被害者は発見されてない。これまでは毎月一人被害者が出てたけど、二か月動きがないのは多分こっちの動きに気づいてるからだと思う」
「警戒心強いんですね~。顔は隠してないのに」
「ああ。だから橘の予想してたように、実行犯の女の子以外に頭のいい協力者がいる可能性は高いと思う」
「私のお伝えした情報は役立ちましたか?」
「犯人像を絞るのに役立ったよ。サンキューな」
「えへへ~……お役に立てて光栄です!」
頬を赤く染めたシェリーが頭を掻く。
情報というのは犯人像に対する違和感のことである。受肉した術師にしては証拠の隠滅がうますぎることから協力者がいる可能性や覚醒型である可能性も疑われていたのだが、捜査により前者の可能性が高いと判断されたのだった。ナノカの姉──ホノカと接触する際、犯人は顔も隠しておらずかなり無警戒だったというのが決め手である。
「そんで、受肉型ってのを前提に死滅回遊発生以降に行方不明届が出ている10代の女の子の素性を当たったんだ。黒部の姉は犯人の人相分かるから、写真貰って確認してもらったんだけど……」
「該当する人物が見当たらなかった、ですか?」
虎杖は首を縦に振る。
シェリーの言う通り、集まった資料の中に該当する人物はいなかった。渋谷事変、死滅回遊と一般人を巻き込む呪術テロが連続したことにより、行方不明届の数は激増している。その中には単純な被害者以外に、羂索の暗躍により受肉した術師も少数ながら含まれており、犯人はその一人であろうと予想されていたのだが──
「ふ~む既に完全受肉済みの可能性もありますよね? ホノカさんのように術式が変身の可能性もありますし、諦めるにはまだ早いのでは?」
「その辺言い出したらキリねんだよね。行方不明届出てない可能性もあるし」
「それもそうですね。では手詰まりということでしょうか」
「いや、家入先生に回収した呪物の調査をお願いしてたんだ。もしかしたら釘崎の術式とか使えるかもしれないし、進展あったら教えるよ」
「ありがとうございます! よろしくお願いしますね!」
そうこうしているうちに二人は一つの部屋の前に到着。
部屋前のプレートには「城ケ崎」と書かれており、割り当てられた部屋であることは明らかである。初めて高専に来た時死刑を言い渡されたことを思い出し、虎杖は苦笑する。
「ノアさ~ん! 私です、橘シェリーです! 開けてくださーい!」
「……」
「出かけてんのかな?」
「おかしいですね~? 今日伺うとお伝えしておいたんですが。 ノアさ~ん!」
シェリーがドンドンとノックをしているにもかかわらず、部屋の中からは返事がない。
ドアが壊れてしまう前に、虎杖は彼女の手を止めたのだが、同時に一つの異変に気付く。
「…なんか変な匂いするな」
「え? そうですか? よくわかんないですね~」
「なんつーか、ガスみたいな……」
シェリーから同意は得られなかったが、虎杖の鼻は確かに異臭を捉えている。
シンナーのような刺激臭。少なくとも体に悪いのは確実。ここまで漂っているとなると換気されていない可能性も高い。何らかのガスが発生して倒れているのだとすれば、すぐにでも救出する必要がある。
「橘は一応離れといて」
「ユージさんは大丈夫なんです?」
「俺は毒に耐性あるから」
虎杖がドアノブに手をかけた。
「開けるぞ」
扉にカギはかかっておらず、思いのほかすんなりと開く。
中に広がっていた光景は二人にとって予想外のものであったが、それぞれの反応は異なっていた。
「ヴッ……なんだこれ……」
「わ~!? すごいです! 一面真っ白ですね!」
シェリーの言う通り、部屋の内部は真っ白に塗装されていた。
ここもまた呪術高専の内部であり、当然本来は木の壁が見えるはずなのだが、それらはほとんどがインクに覆われており、表面の質感からかろうじて木造であったことがわかる程度である。いたるところに散乱していたスプレー缶を見る限り、漂う刺激臭の元凶はこれで間違いないだろう。
「zzz……」
そうして白いキャンバスの如くなった部屋の中央には、一人の少女が横たわっていた。
着ている服はインクで白く汚れ、肌や髪にまでその色が付着していた。気絶しているのかと思い虎杖はすぐさま駆け寄ったものの、抱きかかえた彼女は脈も息も普通にしており、ただぐっすりと眠っているだけであった。
「初日からずいぶんやんちゃだな……」
「マイペースに見えましたからね~。さすが芸術家さんです!」
「橘も大概だと思うけどネ……」
──ノアが目を覚ますのはそれから数分後のことであった。
◆
「いっぱい塗ってたら眠くなっちゃったんだ~。ごめんね~」
「いや、それはいいよ。うん」
目を覚ましたノアは少し間延びした口調で謝罪を口にする。
虎杖としては気になる部分は他にいろいろあるのだが、ひとまずは横に置いておくことにした。
「確認だけど、城ケ崎ノアで間違いない?」
「そうだよ~。え~と」
「虎杖悠仁。呪術師やってる」
「改めて! 私は橘シェリーっていいます! 名探偵です!」
「こっちも呪術師ね」
「そうなんだ~」
シェリーの言葉に突っ込みを入れる虎杖。
それからしばらくの間、3人はそれぞれ軽い自己紹介を行った。ともすれば退屈であろう呪術師という仕事の説明についても、ノアは興味深そうに耳を傾けている。幼い雰囲気と体格から虎杖はノアを小学生~中学生ぐらいだと予想していたのだが、本人曰く年齢は皆と同じ15歳だという。この少女が一人で海外を放浪していたというのは信じがたい話であった。
「え!? ノアさん呪術のこと知らないんですか!?」
「これってそんな名前なんだね~」
ノアがインクの蝶を宙に浮かせながら言う。
彼女は呪術のことを全く知らなかった。水族館での一件しかり、彼女は明確に呪いを認識し使いこなしてはいたものの、呪術として体系的に学ぶ機会がなかったことからそれをどう呼ぶかなどについては全く無知だったのである。
(まあそれは俺も似たようなもんだけど……)
一通りの自己紹介を終えたところで、虎杖は気になっていた件について質問することにした。
「ところで城ケ崎、なんか部屋真っ白になってんだけど……これは一体?」
「んーっとね、絵が描きたいなって思ったの」
「キャンバスが欲しかった、ということでしょうか?」
「そうだよ~。この上にね、いっぱいいっぱい絵を描くんだ~! シェリーちゃんはリクエストとかあるかな~?」
「おぉ! サインだけでなくリクエストまで! 嬉しいです!」
少女二人がシンパシーを発揮し、虎杖は頭を抱えた。
彼は二人のことをマイペースだと表現したが、その見立ては正しかったといえる。
「はいはい。盛り上がってるとこ悪いけど、この部屋は来年度とかも使うから、絵描かれると困るんだ。この壁も元に戻さないと」
「え~。それじゃあどこで描けばいいの~?」
「はいはーい! 美術室はどうですか? 入学の時しおりで見ました!」
「美術室!のあ行きたい!」
「そういやあるって聞いたことあるな」
呪術高専のカリキュラムにおいて美術は選択科目である。
他の授業で訪れることもないため、その存在は彼の思考から外れていた。加えて一般的な高校に比べると在校生は極端に少ないということもあり、1年通っている虎杖も訪れていない部屋は多い。
「んじゃ、後で行くか。そんでこの部屋の片付けだけど、城ケ崎の術式で戻せない?」
「描いてすぐならできるけど、インクが固まっちゃったら動かせないよ?」
「そうか~。じゃあ頑張って何とかするしかないか……」
黒部姉妹や覚醒型の術師など、これまでも高専では術師達の保護を行っていた。
その際に術式が暴発するなどのトラブルは度々起こっていたが、さすがに素面でこういった事態を起こす者は初めてのことである。上にどうやって説明したもんか……と虎杖は頭を抱える。しかし、その後彼女からもたらされた情報は、高専陣営にとってさらに厄介な問題を引き起こすのであった。
「固まったら動かせない、ということは、ノアさんの術式って液体を操作するものなんですか?」
「うん。のあの絵、勝手に動いちゃうんだ。絵だけじゃなくて、液体はね、全部勝手に動くの」
「なるほど~! 昨日のクジラもそうして生まれたというわけですね!」
シェリーがポンと手を叩く。
ふと、虎杖の視線が窓の方へと向く。
そこは、先ほど彼女が描いた蝶が、換気のため開けられた窓から外へと出て行ってしまうところだった。二人はそれを何ともなしに見ていたが、はたとその可能性に行き当たる。
「なあ城ケ崎。描いた絵は勝手に動くって言ってたけどさ」
「うん」
「それって……ちゃんと元の絵に戻るんだよな…?」
虎杖のすがるような目線に対して、ノアは少しだけ頭を傾け、困ったように笑みを浮かべた。
「ううん。みんな好きにどこか行っちゃうよ。固まっちゃったらのあも消せないし」
「……マジか」
虎杖の顔が引きつる。
ノアは描いた生き物が勝手に動くと言っていた。勝手に、という事は、自分の力で制御できていない事を意味する。今のようにただの蝶々程度であれば問題は無いだろう。だが、彼女の力がその程度でないことは昨日の水族館での出来事が証明している。加えて固体になってしまった場合は物理的に破壊するしかないときた。つまり、
「(この子、これまでも2級レベルの式神を無意識にバラまいてたってことかよ…!)」
「ノアさんはどうして水族館にいたんですか?」
何やら考え込んでいたシェリーも手を上げて質問をする。
彼女の質問はもともと虎杖が効く予定だったものでもある。それを察してくれたのだと判断し、虎杖は内心小さな感謝を送った。椅子に座りプラプラと足を振るノアは事態の重さをあまり理解していない様子で、平然とシェリーの質問に答える。
「昨日はクジラさんを探してたんだ~。見つけるまで三日ぐらいかかっちゃった。あの子も絵じゃないから、ちゃんと消さなきゃって思ったの」
「確かに、あのクジラはインクじゃなくて普通の水でできていましたね」
「あの子
ノアの含みある言い方が引っかかり、虎杖は口をはさむ。
「ええっと、もしかして、クジラ以外にも逃げてる絵いる?」
「うん。他にも2匹、逃げちゃって困ってるんだ。本当は今日探しに行くつもりだったけど、シェリーちゃんに呼ばれちゃったから待ってたの」
「あれ!? もしかして私なんかやっちゃいました!?」
「いや、むしろこの段階で気付いてよかった」
シェリーへ向けた言葉は本心である。
虎杖は現地にこそ行っていないが、ミリアが書いた報告書は読んでいるためクジラの式神の危険度については理解していた。
仮にノアの作り出した2体の式神が同じレベルのものであれば、等級で言えば少なくとも2級相当、ヒグマレベルの猛獣と考えなければいけない。当然それが人里で暴れる危険性は無視できないものになる。この段階でそのリスクが判明したのは不幸中の幸いと言えるだろう。
「……逃げた絵を探しに行くつもりってことは、ある程度探す当てがあるってことだよな?」
「なんとなく、どのあたりにいるかな~っていうのはわかるよ? でもどっちも少し遠いとこにいるんだよね~」
「おけ。じゃあ絵を探すの俺らも手伝うよ。2匹が離れたところにいるなら人手はあった方がいいだろ?」
「ほんと? やった~」
喜ぶノアとは対照的に、虎杖の顔は深刻なものだった。
その理由を理解していたシェリーは、彼が小声で伝えてきた内容に対して驚くことはない。
「式神は俺らでなんとかしよう。片方は俺が対応するから、橘は手が空いてる1年何人か集めて対処してほしい。狗巻先輩達も昨日帰ってきてるから、そっちに協力仰いでもいいと思う」
「わかりました! この名探偵兼準2級術師の橘シェリーにお任せください!」
「頼んだ」
了解とでもいうようにびしっと敬礼した彼女の態度に、虎杖は少しだけ苦笑するとともに、少しだけ安心するのだった。