「ごめんなさい。今少し遠出していて……一緒には行けない」
「わかりました! また今度一緒に任務行きましょう!」
◆
「ボクも日下部先生にお使い頼まれてるんだ。ごめんね、絶対埋め合わせはするから!」
「そうですか~残念です」
◆
『わがはいたちは今朝戻ってきたばかりだ。休憩を要求する』
「え~私たちも昨日任務こなしたばっかりですよ? それにノアさんの状況はお二人に近いですし、助けになると思ったのですが」
「……わがはいは疲れている。シェリーは声が大きくうるさいから、休息の邪魔だ。だから、【出ていけ】」
「うわわ!? 体が勝手に!? 」
◆
「はぁ……残念です。私は人望がないのでしょうか」
言葉とは裏腹に、顔色を変えずにシェリーはつぶやく。
時刻は午後の2時過ぎ。式神を探すため、少女たちは千葉の街はずれまでやってきていた。住宅地の向こうには広大な森が見えており、今回の目的地はそこである。
式神への対処を決めたその日の内に、彼女は同期の高専生へと協力を仰いだ。しかし、ナノカを含め多くの高専生は既に予定が入っていたため、参加を取り付けることができなかったのである。これが他の少女であればどうなっていただろう、などという考えがシェリーの頭の中をよぎった。
「そんなことないよ…!おじさんはシェリーちゃんのこと応援してるんだ」
「はい! ミリアさんが暇していて助かりました! ありがとうございます!」
「べ、別に暇してたわけじゃないんだけど……まあいっか……」
「わ~い。ミリアちゃん一緒で嬉しいなぁ~」
「あはは……ありがとね、ノアちゃん」
肩を落としたミリアだったが、ノアのふわふわした態度を見て持ち直す。
結局、シェリーについてきてくれたのはミリアとノアだけだった。虎杖からは1年を連れて行くように言われていたものの、実際のところシェリーが戦闘面で頼りになると考えているのはナノカくらいで、他のメンバーは非戦闘員かサポートとして捉えている。とはいえ、水族館の一件を見るにノアがいれば戦闘になる可能性は低く、最低限の自衛ができれば庇いきれるだろうと踏んでいた。
「ミリアさん、ノアさんとも仲いいんですね」
「そうかな…? そう見えてるなら、おじさんも嬉しいな」
「もちろんです! 誰とでも仲良くなれるのはミリアさんの長所ですからね。私にはない力ですから羨ましいです!」
「うーん。シェリーちゃんの方が信頼されてると思うけどなぁ」
シェリーの言葉を聞いて、ミリアはまたいつものように困ったような表情を浮かべる。
ノアはミリアには懐いている様子だった。
思えば高専のメンバーで最初に彼女と遭遇したのはミリアである。保護することを提案したのも彼女だし、高専につくまでの車内でノアと会話を続けていたのも彼女である。そういった経緯もあってか、2人の仲は良好なようにシェリーには見える。ミリアが来てくれたのは幸いであった。
「あ、ここいい感じだね~」
「の、ノアちゃん!? ここで描いたらだめじゃないかなぁ~? ほら、シェリーちゃんも止めて~!」
「まあいいんじゃないですか? 住んでる人も喜ぶかもしれませんし」
「そうかもしれないけど、そういうことじゃなくて…!」
が、それはそれとして。
自由奔放なノアにはあまり自制の概念がないようで、思いついたかのようにコンクリート壁へスプレーを吹きかけ始める。ミリアの制止もむなしく、赤色がみるみる壁面を侵食していく。シェリーとしてはバルーンのイラストが世に増えるのはいいことなのでは、と思っていたのだが、完成した蛇のイラストがうねうね動き始めたのを見てその考えは改められることとなった。
「えい」
逃げようとした蛇を素手で掴む。
気性の荒いそれは全身でシェリーの腕に巻き付き、噛みつこうとするが、その動きを察知した彼女は特に躊躇うこともなくその頭蓋を握りつぶした。まだできたばかりでインクが固まってなかったことから、シェリーの制服には返り血のようにインクがべったりと付着してしまう。同時に彼女の真横にいたミリアもまた悲鳴を上げた。
「うぎゃわっ!?」
「あ、すみませんミリアさん! 服が汚れちゃいました」
「それは、いいんだけどね……」
ミリアはなにかを言いたげな表情だったが、それよりもはやくノアが二人の前へ飛び出す。
「のあに任せて~!」
小柄な少女がそう言うと、シェリーの制服にかかったインクがうねうねと蠢き、ノアの立てた指先へ吸い込まれるように引き寄せられていった。インクは球状の塊となり、こぶし大程度の大きさでノアの目の前を浮遊する。汚れていた二人の制服はさっぱり元通り──なんなら元の状態よりきれいになっているようにすらシェリーには思えた。
「はい! きれいになったね~」
「ノアちゃんすごいね~!? これなら洗濯機いらずだ」
「ありがとうございます! 制服汚しちゃうとユージさんに怒られちゃいますからね」
シェリーの脳裏に廃ビルでの一件が過る。
「あ、でも蛇さん、殺しちゃいました。すみません」
「別にいいよ~もともと蛇なんて描くつもりなかったし。描きなおすね」
「あ、ノアちゃんダメだよ~!」
「え〜」
ミリアの忠告にノアが不満そうに口を尖らせる。
気の弱いミリアは、不機嫌の相手が自分よりはるかに小柄なノアだとしても気圧されてしまう。
「でもほら、昨日みたいに大きな式神が逃げたら大変だし……」
「? それってダメなことなのかなぁ?」
「ダメというか……危ないというか……」
そんな二人を横目で見ながら、シェリーはノアの術式の動きをつぶさに観察していた。
(さっきのはインクが固まっていなかったから操作できたということでしょうか? 服に染み込んだインクまで吸い取れているということは、見えてない範囲でもある程度は操作可能? となると操作範囲は『視界内』ではないですね。ありがちなのは術師から一定の範囲内というものですが、それなら離れた場所で式神が長時間起動しているのはおかしいですし……)
シェリーには、二人には隠している背景があった。
(ふふーん! ノアさんの術式について探る任務……探偵らしくて高まりますね!)
◆
「橘、任務に行くなら城ヶ崎の術式について探っておいてくれ」
「え〜なんでですかメグミさん」
「本人は2体と言っているが、術式の影響範囲が不明な以上、これまでにどれだけの数の式神が脱走したか分からない。制御方法を学ばせるのは急務だ」
◆
(メグミさん、何か隠している感じでしたね)
ノアの術式は確認されている範囲でも非常に強力、かつ影響範囲が広いものである。しかし、本人はあまり術式の制御方法を理解しておらず、今後も何かの拍子で術式が暴発する可能性があった。故に、その能力の実態を知り、どのように術式を活用できるかを把握しておくのは必要な対応であり、それ自体がおかしいというわけではない。
ただ、妥当であることは建前として優秀、ということでもある。
彼の態度になんとなく感じた違和感も、おそらく気のせいではないだろうとシェリーは考えていた。
「ふんふふ~ん」
──当のノアはといえば特に気にしていない様子だったが。
「ミリアさん、お疲れ様です!」
「ははは……確かにこれは疲れるかもね……」
「なんだか普段以上におどおどしてませんか? 体調悪かったりします?」
「ううん、大丈夫だよ。でもちょっと、ノアちゃんの呪力にあてられちゃったかも……」
「呪力ですか~。私にはわかりませんが」
少しだけ緊張した面持ちのミリアが頬を掻く。
彼女の言葉で、シェリーは水族館でのナノカの言葉を思い出した。彼女はノアの呪力を「不気味」と評していたが、その際一人の人物を浮かべている。
(式神の呪力は本人のもの……呪力が切れると式神も消えるとメグミさんは言っていました。ユウタさんは常に式神を侍らせてると聞きますが、ノアさんも同じなのでしょうか?)
現3年の先輩、乙骨憂太。
シェリーは彼と話したことはないが、遠目に見た限りでは極めて普通の高校生にしか見えなかった。しかしその実、彼は現代において唯一特級の名を冠する呪術師である。彼もまた式神を使役するタイプの呪術師であるが、その最も特異な点は内包する呪力量。五条悟をも凌ぐといわれるその呪力量は、現代において並ぶ者はいないとされている。
彼と似た呪力を持ち、式神を作り出しているノアは──
(なんにせよ、この捜査力が試される場面……名探偵として、がんばりますよ~!)
再び近場の壁にスプレーを使おうとするノアと、それを止めようとするミリア。2人の背中を追うように、シェリーは歩みを進めた。
◆
シェリー達が現場に向かっていたちょうどその頃、虎杖は既に式神を見つけていた。
巨大な蛾の形をしたその式神は、彼が近づいても特に反応を見せない。郊外の森林の中、特に空を飛ぶということもなく地面に降り立っていたそれは、時折羽ばたくような仕草をするのみで特に何をするわけでもなかった。水族館のクジラと同じく体は水でできているようで、半透明の肉体は木漏れ日をキラキラと反射している。
「ゴメンね」
内心謝りながら彼が拳で一突きすると、たやすく式神は水へと戻ってしまった。
虎杖の目の前で、式神がパシャリと音を立てて溶け崩れる。人間数人分のサイズとはいえ、無抵抗の生き物を祓うのは虎杖としては気が進むものではない。とはいえ任務は任務。民間人に危険が及ぶ前に対処すべく、彼は心を鬼にして仕事を遂行するのだった。
「橘たち大丈夫かな」
一仕事終え、後輩たちのことを気にかけていた彼の元へ、一本の着信が入る。
森の中とはいえ、彼のいる場所は郊外の近く。普通に電波も通じる範囲だ。虎杖が早めにやってきたのも、人目がある場所だからという背景がある。
スマホの画面には家入の名前が表示されていた。
連絡理由に心当たりがあった虎杖は、すぐさま通話ボタンを押す。
「お疲れ様です、家入先生」
『お疲れ~。任務中?』
「ちょうど終わったとこっす。呪物のことなんか分かりましたか?」
『ああ。その件について報告しようと思ったんだが、高専にいなかったからね』
あ、と虎杖は間抜けな声を上げる。
というのも、彼は今日留守にすることをシェリーぐらいにしか伝えていなかったのだ。一級術師となった虎杖は任務に依頼に大忙しで、ここ最近は常に遠征している状態である。とはいえ、総監部からの正式な任務であればともかく、今回は半分ぐらいは私用扱い。自分が今安否不明になっていたことに今更気づき、彼は少し赤面した。
『まあ無事ならいいさ。それで、黒部ホノカから摘出された呪物だが、おもしろい仕様が分かったよ。まず、この呪物には呪力を投射するとそれを増幅させ、所有者に還元・蓄積する能力がある』
「へぇ~、それは……便利、なだけじゃあないっすよね」
『そうだね』
虎杖の煮え切らない言葉を電話口の家入も肯定する。
『呪術に関わってると忘れがちだけど、呪いってのはそもそも人間の出す負の感情をベースにしてる。負の感情ってのは、要するに妬みつらみに憎しみなわけだが、それを強化されたらどうなると思う?』
「……手当たり次第に暴れたくなる?」
『まあ大体正解』
満足いったとでもいうような家入の声に、虎杖は苦笑する。
それなりに深刻な内容にもかかわらず、どこか楽し気な彼女の態度に、彼は内心ほんの少しの不安を覚えるのだった。
『頭の中が憎しみやら怒りやらでいっぱいになってる状態は、他人から見たら正気を失ってる状態と変わらない。つまり、この呪物は所有者を狂わせる超危険な代物ってこと』
「家入先生は大丈夫なんすか?」
『私は反転術式があるからね。負のエネルギーも相殺できる』
「よくわかんないけどよかったっす」
高専に戻ったら家入が暴走してたとでもなったらシャレにならない。虎杖は胸をなでおろす。
『まあこの手の呪物自体はないわけじゃない。こいつが異常なのは増幅させる量だ』
「どんぐらいっすか?」
『そうだねえ。わからない』
「え?」
『今のところ天井が見えない。少なくとも、私の呪力量の数倍はある。下手したら上限なんてないかもしれないな』
「……冗談っすよね?」
『冗談で済むことを祈ってるよ』
呪力を青天井に増幅させる呪物。
これが出回る危険性は語るまでもない。現在は少数の少女たちに配られているだけの状態だが、これが悪意ある呪詛師に渡ってしまえば犠牲者は今の何倍にも膨れ上がるだろう。虎杖は空いている方の拳を握りしめる。
『他の被害者から呪物が見つかってない以上、おそらくこれを撒いた呪詛師が回収しているんだろう。その場合、犯人はとんでもない量の呪力を蓄えていることになる。一体何を企んでるんだか……』
「……とにかく早く止めないと、っすね」
『3年生にも共有しておくよ。これはもう特級案件だろう』
「あざっす!」
電話を切った虎杖はひと際大きなため息をついた。
家入の言葉から、彼の脳裏に浮かぶのは死滅回游、その最終段階。新宿で行われた呪いの王との激戦である。決戦から半年、早くも新たな特級案件が発生するとなれば、未来が憂鬱になるのも仕方がない。加えてあの時に比べ、呪術界からは最強の術師こと五条悟がいなくなってしまった。残された自分たちだけで新たな脅威に立ち向かわなければならないことを思い、虎杖の胸中にほの暗い感情が落ちかけるが──
『五条悟とかどーでもよくない?』
「……よしっ!」
頬を叩き、虎杖は立ち上がる。
自分が先生と並んだなどとは微塵も思わない。それでも自分たちは確かに託された側である。いつか超える日が来るのだとしても、それはまだ今ではないから。