とびかかってきた巨大なサソリのような式神を、シェリーは正面から迎え撃つ。
外骨格を持つ生物が巨大化した場合、その防御力は文字通り戦車並みだと言われている。しかし、それは物理的な実体があればの話。式神の肉体は呪力で束ねた水の塊に過ぎない。無論打撃で倒しきることは難しいが、その形を崩し、動きを咎めることは容易である。それをわかっているシェリーは、攻撃を前にしても臆することはなかった。
「えーい!」
有り余る膂力を乗せた拳は、サソリの突き出した右の鋏を爆砕する。
前回は空中ということもあり手も足も出なかったが、今回の相手は地上を這いずり回っており、その巨体故に動きも鈍重。そして、この距離は彼女の得意とする間合いである。パーツごとに次々に破壊されていくその情景は、はたから見れば一方的な殺戮にも見えるだろう。
「ノアさん!」
「まかせて~」
後方に控えていたノアが意識を向けると、サソリの体はみるみる丸まっていき、最後には巨大な水の塊へと戻っていた。
動作中であろうと、液体であれば問題なくノアの術式対象に含まれる。あるいは元がノアの術式で生み出されたものだからかもしれないが、本人に自覚がない以上それを判断するのは尚早だった。安全になったのを確認し、シェリーはふうっと一息を吐く。
「これにて事件解決ですね!」
「ね~」
「ノアさんが上手く吸い込めないと言ったときはどうしようと思いましたが、何とかなってよかったです!」
「なんでだろうね~わかんないや」
「式神の抵抗でしょうか? しかし昨日はできてましたし……謎が深まりますね~」
本来、式神との戦闘は遭遇時点でノアが対処する予定だった。
しかし、直前で彼女の術式の制御が失敗。とりあえず時間を稼ごうということでシェリーが出撃した形となる。クジラの時のように千日手になることを警戒していたのだが、結果としては危なげなく対応には成功しており、細かくなった式神をノアが完全に無力化する形で解決するに至ったのだった。
「だ、大丈夫だった二人とも…?」
「ミリアさん! この通り無傷です! 昨日に比べれば余裕でしたね~」
二人のはるか後方から姿を現したミリア。
シェリーが大きく手を振ると、ミリアはほっとしたように息をつき、二人に歩み寄る。
「ユウジ先輩から連絡あったよ。向こうはもうお仕事終わったって」
「ええ!? 早すぎませんか!?」
「あの人一級術師だからね~……シェリーちゃんと話したいらしいから、終わったら高専戻ってきてほしいって」
「おや。もしかして私モテモテですかね?」
そうして三人での遠征は、予想以上に早く終了するのだった。
◆
「すー……すー……」
「ノアさん、すっかり眠ってますね」
「ふふ……そうだね」
式神を撃破したあとの帰り道。
気持ちよさげに眠ってしまったノアは、ミリアに肩を預けていた。歩き疲れたのか彼女の眠りは深いようで、シェリーがまじまじと顔を見つめても起きる気配はない。日は長くなっては来ているものの、19:00ともなると車窓の外は薄暗くなっており、シェリー自身もどこか甘い眠気を感じている頃合いである。
「私も二連勤ですし、ちょっと眠気が来てます~」
「近くなったら起こすよ?」
「連勤なのはミリアさんも同じですし。それに戦闘員は私だけなんですから、高専に着くまで眠るわけにはいきません」
「え、な、なにかに狙われてるの!?」
「いえいえ。そういうわけではなく」
にわかに慌て始めるミリアを、シェリーがニコニコとしたまま宥める。
「ノアさんの式神って、本人の意思とは無関係に発動してるじゃないですか? もしノアさんが眠っている間も式神が生まれる場合、それを対処しなくちゃいけませんから」
「あ、ああ~……ははは……。確かに……」
今の今までその可能性を全く考えていなかったミリアは、引きつった笑みでシェリーの言葉に同意する。
呪術は通常術式という回路に呪力というエネルギーを流して起動するため、強制発動するものは多くない。しかし、使い手が人間である以上イレギュラーはどうしても発生する。天与呪縛を持つシェリーがその可能性に行きつくのは、ある意味では当然のことであった。
「例えばノアさんが夢遊病──寝ながら動き回る病気だったなら、知らないうちに式神が増えている可能性はあります。実は前に呪詛師と遭遇してて、なんらかの術式で操られてる可能性もありますね!」
「そ、そうなの?」
「もちろん例え話ですよ~! 正直なところ、私も本気で警戒しているわけではありません。今日のノアさんを見ていた限り、単純に術式をうまく制御できていないだけだと思いますし」
「とはいえ、先輩たちにノアさんのことは任されてますからね~」と、シェリーは語る。
「実は私も、昔は力の制御ができなかったんですよ~。今は加減できるようになりましたが、前はなんでも壊しちゃって、よく怒られていました。ノアさんが同じようなことで怒られてしまうのは不憫ですからね~」
シェリーの怪力は、幼いころから今とほとんど変わらない。
触れる物すべてを壊さないための力加減を、彼女は時間をかけて身につけている。自分の力から逃げず、扱う責任を果たしてきたシェリー。そんな彼女の姿を見て、自分には同じことができているだろうかと思うと、ミリアの視線は自然と下へ落ちていた。
「……シェリーちゃんは偉いね」
「え?」
「やるべきことから逃げてない。おじさんは今日二人についてきただけだったし、ノアちゃんのことだって、シェリーちゃんに言われて初めて気づいたよ……。だからシェリーちゃんはすごいなって」
自虐的に語るミリア。琥珀色の瞳に見つめられながら、彼女は続ける。
「ほら、おじさんあんまり戦うの得意じゃないからさ。呪術の世界を知って、おじさんなんかでも誰かを助けられるならって思って入学したのに、結局こんな感じだし……ダメダメだね」
そこまで口にして、ミリアははっと顔を上げた。自分の愚痴で空気を重くしてしまったと思ったのだ。
が、上げた視線の先には至近距離まで接近したシェリーの顔があり、驚いたミリアは勢いよく飛び上がってしまった。
「うわっ!? ど、どどどうしたの!? おじさんの顔に何かついてたかな!?」
「今私のこと褒めてましたよね!?」
「え、うん……シェリーちゃんは偉いって言ったけど……」
「おお! えへへ……もっと言ってください!」
「え!? えっと……シェリーちゃんは偉いし、すごいよ~?」
「もっと!」
「シェ、シェリーちゃん、偉い!すごい!天才!」
「もっともっと!」
それからしばらくの間、シェリーはミリアに褒め言葉を要求し続けた。
ミリアにはその意図がよくわからなかったが、彼女のことはかなり好意的に思っていたため、素直にその願いを叶え続ける。褒め言葉が一息では言い切れないほど長くなったところで、シェリーはようやく満ち足りたように頷いた。
「いや~満足です! ありがとうございます!」
「う、うん……よくわかんないけどよかったよ……」
褒められ続けたからか、シェリーはいつにも増して上機嫌だった。
彼女を見ているうちに、ミリアの強張っていた心も少しだけ緩む。シェリーの顔が少し俯いたミリアを覗き込むように揺れた。
「私はミリアさんをダメだなんて全然思ってないです。私は呪力の探知ができないので、ノアさんの異変とかも気づきにくいんですよ。今日ミリアさんがいてくれてとっても助かりました!」
「あはは……そう思ってくれるのは嬉しいな~……」
「それに、伊地知さんのように術師から補助監督に進路を変えた人は普通にいます。噂によれば、弁護士をしながら呪術師をやってる人もいるらしいですよ! 私も名探偵と呪術師の兼任ですし、この世界は貢献の仕方も、役割も一つじゃないんです! 楽しいですね~!」
「いやぁ呪術師ってそんなに夢のある職業じゃないと思うけどなぁ……」
副業やアルバイトの感覚で呪術の世界へ入る者がいることは、ミリアも聞いていた。
額面だけを見れば、呪術師は割のいい仕事だ。しかし、危険な任務についていけず辞める者も、油断から取り返しのつかない事態を招く者もいる。兼業で長く続けられるほど甘い仕事ではない。それでも──
「でもそっか……弁護士をやりながらかぁ……会ってみたいなぁ……」
「ふぁ……あれ? のあ、眠ってた?」
「あ、すみません! ノアさん起こしちゃいました!」
「ちょっと騒ぎすぎちゃったね。でもあと一駅だからちょうどよかったかも」
窓の外はいつの間にか日が落ちきっていて、見えている景色もかなり田舎のものになっていた。
任務の帰りにいつも目にする、少しさびれた車窓の景色を横目に見ながら、ミリアはシェリーにかけられた言葉を反芻していた。
◆
「あ、あれ先輩じゃない?」
「本当ですね! ユージさーん!」
高専へ戻ってきた一行は、遠目に虎杖の姿を見つける。
真っ先に手を振ったシェリーだったが、そこではたと気づく。
虎杖の隣に、見慣れない男が立っていたのだ。切れ長の三白眼にオールバック。皺の少ないスーツを自然に着こなす姿からは、隙のない大人という印象を受ける。高専に常駐している人間は多くないため、この数か月でシェリーはほとんどの人間の顔を覚えていたが、彼女の記憶の中にはその男の姿はない。虎杖は彼となにやら話しているようだったが、シェリーたちに気づくといつも通り手を挙げて応えた。
「あれ、橘もう戻ったの!? 早かったな」
「はい! ただいま戻りました! 寄り道もしたんですけどね~」
「ね~」
「随分仲良くなってんな」
ノアと笑いあうシェリーの姿に、虎杖は苦笑する。
ノアやシェリーの境遇に少しシンパシーを感じていた虎杖としては、二人が打ち解けているのは喜ばしいことだった。そんな彼女たちの背後から、不安げな表情をしたミリアが顔を出す。
「ええと、そちらの方は……?」
男の様子を窺うミリア。
彼に見覚えがないのはミリアも同じである。その意図を察した虎杖は、隣に立つ男へ自己紹介を促した。
「ああ、この人は──」
「日車寛見。高専と協力関係にある者だ。よろしく頼む」
「よろしくお願いしまーす!」
「日車……どこかで聞いたことあるような……」
日車と名乗った男の恭しいお辞儀につられ、シェリーもまた深く腰を折った。
彼の名前を聞きミリアが考え込む横で、青髪の少女は興味津々とでもいうように日車へと詰め寄る。
「協力関係ってことは、ヒロミさんは術師じゃないんですか?」
「一応呪術は扱えるが、本業ではない」
「……謙遜してるけど、コイツ普通に一級レベルだぞ」
「ええ!? 副業で一級術師ってことですか!?」
「高専で呪術を学んでいない私には正式な等級が付与されていない。書類上呪術師でないことは事実だとも」
「おお~! なんだかかっこいいですね!」
虎杖に耳打ちされたシェリーが目を輝かせる。
日車は現在、主に受肉型術師の処理のために高専へ協力していた。本人の言う通り定義上「呪術師」でないのは真実だが、死滅回游、新宿での決戦を踏まえ、彼の実力が一級術師と遜色ないことは高専メンバーの間では周知の事実である。加えて総監部が丸ごと一新された現在は等級の付与方法についても意見が割れているただ中であり、特に事実上呪術界の最高戦力となる一級術師の選任条件は混迷していた。
ただ、シェリーの興味は既にそこからは移っている。
「へ~! ちなみに、その本業って聞いてもいい感じです?」
「構わんが、これ以降の質問には料金が必要になるぞ。一問につき千円だがどうする」
「え~! ケチすぎます! ヒロミさん、もしかして悪徳弁護士さんなんですか~!?」
「日車……あんまり後輩をからかわないでくれない?」
「冗談だ。業務でもないのに相談料は取らない」
「いや~安心しました!」
一瞬本気で驚いていたシェリーだったが、冗談と言われたからかにへらと口元が緩む。
そんな彼女の反応に満足したのか、日車は続ける。
「だが、弁護士というのは間違っていない。もっとも、今は開店休業中だが」
「え……」
ミリアが顔を上げる。
日車のスーツの左襟。そこについている十六弁のひまわりと秤の意匠が施されたバッジに、ミリアは見覚えがあった。
◆
『弁護士をやりながらかぁ……会ってみたいなぁ……』
◆
──彼女が望んでいた邂逅は、思いのほか早く訪れたのだった。