「そういうわけだから、日車にも協力してほしいんだ」
7月某日、高専敷地内にて。日車は虎杖から告げられた言葉に考え込む素振りを見せた。
日車と高専は現在協力関係にある。宿儺との決戦以降も、受肉型の術師の被害は散発的に発生している。彼らを元の人間に戻すためには呪物として取り込まれた過去の術師の魂を何らかの方法で引きはがす必要があるのだが、日車の術式はその有効な手段の一つだった。
「連続変死事件と呪物、背後にある呪詛師の影か……きな臭いな」
「やっぱり厳しい?」
「いいや。元より君たちには恩がある。断る理由は無い」
「じゃあ──」
「だが、力になれるかは分からないな」
期待を遮られた虎杖は、わずかに眉を下げる。
それを見た日車は、断言を避けた理由を説明し始めた。
「知っての通り、私の術式は魂にも作用するが、それはあくまで結果に過ぎない。君や来栖華のように呪い自体に干渉できるわけではない以上、受肉を目的としていないその呪物への有効性は保証できないな」
「呪物だけを刺そうとしたら、ミスって被害者が死んじゃうかもってこと?」
「然り」
虎杖の問いを日車は肯定する。
彼の術式は領域内で行われる疑似裁判に勝利することで、対象に複数の負荷をかける、というものである。没収が発動すれば相手の術式や呪具を奪い、一方的な戦闘が可能になる。特に死刑が宣告された相手にのみ使用できる処刑人の剣は、命中した相手を確実に死に至らしめるという強力な効果を持っている。対象以外へ危害を加えることはできないが、受肉術師の引きはがしをするにあたってはこの仕様はむしろメリットとして働いており、元の肉体の持ち主を傷つけない点で優れた方策となっていた。しかし、今回のケースにおいてはその強みは活かしにくい。
「私がこれまで分離させた過去の術師達は、言わば呪物の中に封じられていた人格が、宿主の体を凶器として使用している状態と定義できた。これは呪物の方に人格がある故だが、受肉が目的でない呪物には人格が宿っていない可能性が高い。ナイフをそれ単体で法廷に立たせることはできないように、意思のない呪物相手に裁判を開廷することはできないだろう」
「なるほど。でもそれなら没収の方でなんとかならないの? ほら、宿儺の時みたいに」
新宿の決戦において、日車はその術式により彼の所有していた呪具、「神解」を没収し勝利に貢献している。
没収は通常、術式を一定時間使用不可能にする効果をもたらすが、呪具を所持していた場合は代わりにそちらが優先して対象となる仕様がある。埋め込まれた呪物を没収することで被害者と呪物を分離できるのでは、というのが虎杖の考えだったが──
「それも難しいな。最高裁の判例では『所持』とは物品に対する実力的な支配関係があるかで判断する。例えば拘束され身動きが取れない状況で銃器を持たされたとして、それは身体に近接しているだけで所持しているとは言えないだろう」
「む、確かに……」
「黒部ホノカの事例を聞く限り、被害者は単に呪物を押し付けられているだけと推測できる。それでも自身の意思で保持していれば没収の対象になりうるが、呪物の暴走により意識が混濁しているのであればその判断も難しい。配っている呪詛師本人から奪うことは可能だろうが、被害者から安全に奪取する手段としては信頼できないだろうな」
「そっか~……」
術式の仕様には本人の考え方が大きく影響する。
日車の解釈はあくまで本人の物でしかないが、仕様が作られているのは日車の中。彼の判断がそのまま裁判の内容に反映される可能性は高い。空気は重苦しいものに遷移していたが、そこで日車はフッと力を抜いた。
「とはいえ、それもあくまで私の考えでしかない。できる範囲で協力はするさ」
「恩に着るよ」
その後、部屋を出た二人は今後のことについて相談を行っていた。
任務を終えたシェリー達が合流するのは、そのすぐ後のことである。
◆
「弁護士……」
日車の名乗りをミリアは疑わなかった。
彼の襟には弁護士バッジが輝いている。それはかつて自身を救ってくれた、ある人物が持っていた同じデザイン。少しのなつかしさと憧憬が彼女の心に広がっていく。
「弁護士さんでしたか! それで、高専にはどういったご用件で?ユージさんに呼ばれたんですか?」
「いかにも。彼が追っている事件について協力を要請されたんだ」
「じけん? どんなの~?」
「あ、城ヶ崎にはなんも伝えてないのか」
「一応部外者ですからね」
「え~のあだけ仲間外れ~?シェリーちゃん達のけち~」
「いや~困りますね~!」
頬を膨らませるノアを応対するシェリーはいつも通りの雰囲気を保っており、本当に困っているのか判断がつかない。
嬉々として自身の推理を披露する彼女だ。このままぽろりと捜査情報を話してしまう可能性もあるのでは……とミリアは心配していたが、同じことを予期していたのか虎杖が「仕方ねえか」と声を上げる。
「ニュースになってる範囲なら教えてもいいよ。このままじゃ橘が全部話しちゃいそうだし」
「わ~い。シェリーちゃん行こ~」
「え~! さすがにそんなことしませんよ~!」
ノアと入れ替わるように不満そうにしたシェリーは、そのまま彼女に手を引かれどこかへ歩いて行ってしまった。
本来であれば不謹慎な内容のはずだが、マイペースな二人は妙にシンパシーがあるようで、その辺りを気にする素振りはない。ナノカがいたらこんな話はできないだろうなぁと、一人残されたミリアはそんなことを思った。
「ええと……それじゃおじさんもこの辺で……」
「おじさん…?」
「あ、違くて! おじさんっていうのは日車さんのことじゃなくて、おじさ……自分っ!自分のことでっ!」
「気にしなくていい。少々遺憾ではあるが、老け顔とはよく言われる」
「ふっ……アハハ!」
「?」
ミリアの一人称を知っている虎杖が、その奇怪な状況に吹き出す。
日車は本当に気にしていないようだったが、ミリアとしては誤解を解きたい気持ちが大きかったので、大慌てで弁解を試みていた。そんな彼女を不憫に思ったのか、ひとしきり笑った後、虎杖が彼女に助け船を出す。
「日車、佐伯は一人称が『おじさん』なんだよ」
「? 最近の学生の間ではそういうのが流行っているのか。知らなかった」
「本当におじさんみたいなこと言うじゃん……」
「は、流行ってるわけじゃないです!」
早口で訂正したミリアは、羞恥に熱くなった頬を押さえながら小さく息を吐く。
そんな彼女を眺めていた日車が、ふと自身の顎に手を当てた。
「それで、君は私になにか用件があるのか?」
「え?」
「君の友人たちはもう行ってしまったが、君はすぐにはついていかなかっただろう。私か、あるいは虎杖に聞きたいことがあるのかと思ったんだが」
「あ、いや、その…………はい」
真意を見透かされてしまい、ミリアは思わず俯く。
それと同時に、小さな挙動から当たりをつけられ、この人は本当に頭がよいのだろうとミリアは感じた。その手に思わず力が入り、握りしめた拳が小さく震える。
「……弁護士に、なりたくて」
「ふむ」
「日車さんはものすごく優秀な人に見えたので……お話を聞きたいんです」
「私でよければ構わんよ。専門職は常に人手不足。熱意ある若人は歓迎されるだろう」
その言葉は、少しだけ他人事のようにミリアには思えた。
もっともそれは彼女と日車との距離ではなく、日車と弁護士という職業との間の物である。とはいえ、それに気づかなかった彼女にとっては、安易に踏み込んでこない彼のスタンスは心地の良いものに見えていた。
「さて、君はなぜ弁護士を志す」
「……前に弁護士の先生に助けてもらったことがあって……それから、法律や、それに携わる人達のことを尊敬してるんです……」
「……」
「日車さんは一級呪術師で、弁護士で……すごく強い人なんだと思って……先生や日車さんのようになれたら、おじさんも今よりマシな人間になれるかな~って……」
「……なるほど」
日車はチラリと虎杖の方へ視線を向けるが、その頃にはもう虎杖は踵を返していた。
自分が関わる話でないのを察していたのだろう。その心遣いに日車の表情が少しだけ緩むが、直後に普段通りの無表情へと戻り、質問を投げかけた少女へと向き直る。
「マシな人間か……君は現状に満足していないのか?」
「あ、あはは……そう、です……。 術師としても半端だし、すぐに焦って迷惑かけちゃうし……自信がないです……」
「君の言い分は理解できた。その上で二つ反論させてもらう」
ぴしゃりと言い放った日車の態度に、ミリアの肩が強張る。
彼の鋭い眼光が、まるで自身を糾弾するもののように見えたからだ。
「1つ。弁護士になることは、君を強くすることには結びつかない」
「っ…!」
「2つ。君は私のことを強いと表現したが、それは間違っている。私は強い人間ではない。人より法律を知っているだけのただの人だ」
「でも、日車さんは一級術師ぐらい強いって……」
「暴力を備えていようと、本質は変わらぬとも。人は誰しも弱さを抱えている。それは私も例外ではない」
影の落ちた日車の顔は、ある種の哀愁が漂っている。
他人の目線や機微に聡いミリアは、その時日車がなにかを後悔しているであろうことを察していたが、特にその内容を聞くことはしない。
「弁護士は他人の弱さを見続ける仕事だ。自らのそれを直視できなければ、遠からず内に私のように……誰の目も見れなくなってしまう。弁護士になるなとは言わないが、自身を変えたいという理由で目指しているならば、そこに求めるものはないだろう」
「……」
「……説教臭くなってしまったな。すまない。自虐が入ってしまった」
「い、いえ! 全然! 気にしてないです!」
大仰に手を振り否定するミリアだったが、その振る舞いは明らかに何かに動揺している様子。
事実、数瞬の後に彼女の表情は徐々に暗く沈んでいく。日車は自虐というが、彼の過去を知らないミリアにとっては、図星を突かれたような形となる。日車の言葉は、少女の心に容易く突き刺さっていた。
「……やっぱりおじさんなんかが弁護士になるなんておこがましかった、ですよね……手間かけさせちゃってごめんなさい」
「ふむ。それは違う」
「え……?」
「私が疑問視しているのは、君が自分の弱さを罪のように扱い、それを捨てようとしていることだ。誰もが弱さを持つこの世界において、君のそれだけが罪になるはずもない」
日車の言葉に偽りはない。
弁護士は原則として虚偽の主張をすることを禁じられている。それはプライベートすら縛るようなものではなく、当然呪術的な縛りになっているわけでもないのだが、日車はそういった誠実さに対して真摯に向き合っている。そういった普段のふるまいがこの場でも発揮されたが故に、続く彼の言葉はミリアの心に静かな納得をもたらした。
「私もかつて暴力による簡単な解決を望んだことがある。それまで信じていたものをまっさらに捨て、この歳になってグレてしまったわけだな」
「今はもう……いいんですか?」
「ああ。絶望した私を初心に返したのは、その弱さを持った少年だったよ。結局、知識も力も私を別の人間にはしてくれなかったわけだ」
日車はミリアの過去へ強く踏み込んでこない。故に、自身も無理に踏み込むべきではないと思ったのだ。
彼の言う少年というのが誰なのか、ミリアは知る由もない。ただ、しっかりとした大人である日車が、少年と表現される誰かに救われていたという事実に、ミリアは立場こそ違えど、どこか近しいものを感じた。
「自分を見直すきっかけは、周りの人間との関わりで生まれることもある。私の場合はあの少年だったが、君の場合はどうだろうな」
「おじさんの、周りの人……」
ミリアの脳裏に真っ先に浮かんだのは、あの日踏切の前で手を引いてくれた先生。
そして──
◆
「今日ミリアさんがいてくれてとっても助かりました!」
◆
「あなたの術式は役に立っているわ」
◆
同級生たちからかけられた労いの声を、ミリアは覚えている。
「先生やみんなに言ってもらえたことは、嬉しかったです。おじさんでも誰かの役に立てるんだって、その時だけは思えたから……」
臆病な自分でも、他の人の役に立てた時だけは自分を肯定できる。
皆からもらった言葉は、ひとりでは見つめられなかった自分へ目を向ける、小さな足掛かりになっていた。しかし、何もできなかった自分まで同じように認められるかと問われれば、それにはまだ自信がない。
「でもやっぱり、先生やみんなみたいに強くもなりたい気持ちもあるし……弁護士への憧れも、きっと嘘じゃない……けど、日車さんの言ってることも正しいと思うし……まだよくわからないです……」
「君は1年だろう。この先まだ多くを学び、考える時間がある。答えはゆっくり出せばいい」
日車は胸ポケットから1枚の紙を取り出す。
そこには彼の名前と、弁護士事務所の住所、電話番号などが記されていた。彼の名刺である。
「また聞きたいことがあれば連絡したまえ。私の言葉が、君の思考の一助になれば幸いだ」
そう言って、日車は少しだけやわらかい表情を浮かべる。
その顔が、これまでの彼とあまりにもギャップが激しかったので、ミリアは少しだけ笑ってしまった。