「そういえばシェリーちゃん、あの約束まだ~?」
「約束…?」
式神を対処した翌日、日曜日の朝のこと。シェリーは学食にてノアに詰め寄られていた。
高専は学費免除な上に、食事も普通に提供されることから学生の懐事情には非常に優しい。貧困家庭出身であろうと呪術を扱えさえすれば生活が可能なので、そういう意味では間口が広いともいえる。最も、命の危険がある呪術師という仕事をするにあたっては最低限のバックアップではあるのだが。
ちなみにノアは相変わらず集中力が高いようで、朝食の時間になっても部屋を出てこなかった。
そのため、今朝シェリーは彼女を起こすために部屋に迎えに行っている。スプレー缶のシンナー臭の影響か他の高専生はノアと若干離れたところで食事をとっているが、良くも悪くも彼女はそういうものを気にしないので、平然と彼女の隣に座っていた。
(約束……ノアさんとですか?何かありましたっけ……あっ!)
ノアと過ごした数日の記憶を思い返すシェリーだったが、なにぶん期間が短いことから答えにはすぐにたどり着く。
それは昨日のこと。虎杖と共にノアの部屋を訪れた時である。
「美術室に案内する予定でしたね!食べ終わったら一緒に行きましょう!」
「シェリーちゃん、今忘れてたでしょ~」
「あれ? ばれちゃいました? 思い出したので許して下さーい!」
「仕方ないな~」
えへへと照れるシェリーを見て、ノアは満足げな顔を浮かべる。
二人は急いでパンを頬張ると、学内マップを片手に目的地を目指すのだった。
◆
「あ! 皆さん! 任務お疲れ様です!」
「あ、シェリーちゃん!」
「橘か」
「ええ。あなたも忙しかったと聞くけど」
美術室の前で待機していたシェリーたちの前を、伏黒、ナノカ、エマのグループが通りがかる。伏黒と、彼が担当監督官を務める二人である。お互いに任務に出ていたこともあり、ここ数日はいずれも顔を見ていなかった相手だ。
とはいえ、ナノカが出張任務から戻ってきているのはシェリーも把握していた。これは出先でも彼女から数時間おきに連絡が来るためである。ナノカとしては「遠出するなら居場所はちゃんと報告すべき!」という姉からの教えを忠実に実行しているだけなのだが、本来家族に対して行うものであるそれを友人に対してまで行うことのズレについて、彼女に指摘してくれるものはいなかった。
「いえいえ、こちらはノアさんのおかげで楽ちんでした! ユージさんやミリアさんもいましたしね」
「ふふん」
「エマさんも、お使いがあるとのことでしたが」
「昨日の間に終わったよ。ボクは単に魔除けの確認しただけだし、みんなに比べれば大したことじゃ……メグミさんどうしたの?」
「いや、何でもない」
エマが魔除けの確認、言った直後伏黒の顔が歪む。
エマは前日、日下部からのお使いということで予定が合わず、式神の討伐には同行していなかった。そのお使いというのがこれなのだろう。とはいえ特に問題もなく終わったのであれば、現在は手が空いている、ということでもある。
「ふむ、つまり、皆さん今はお時間があるということですね」
「……なにか依頼でもあるのか?」
「はい! 皆さんいっしょにここを大掃除をしませんか!?」
「しよ~!」
「唐突ね……」
マイペース二人組のハイテンションな様子に、ナノカが一歩引く。
そんな彼女の態度は心外と言わんばかりにシェリーは続けた。
「今ノアさんと中を見たんですが、これが信じられないぐらい荒れてたんですよ! 一回ちゃんと掃除した方がいいと思うんです。とりあえずユージさんは呼んだんですが、人手が多いにこしたことはないので!」
「用務員に伝えればいいんじゃない?」
「ノアさん曰く、使えそうなものがまだ残ってるそうで、自分で確認したいとのことです」
「うん。絵具に筆にキャンバスに、新品がいっぱいあったんだ~」
「なるほど……なんというか、芸術家らしいわね」
「メグミさん達も手伝ってくださーい!」
シェリーに熱い視線を送られた伏黒だったが、それをパスするかのように彼はエマへと顔を向ける。
「だ、そうだが、どうする? 桜羽」
「ボクは全然時間あるし、友達のためなら頑張るよ!」
「わー! ありがとうございます!」
「悪いが俺は任務の報告がある。合流は遅れる」
「あ、来てはくれるんですね! ありがとうございます!」
後ろ手を振り去っていく伏黒。
そんな彼と入れ違うようにして、廊下の角からシェリーがよく知る人物が姿を表した。
「おーい、橘。用事ってなんだ……っとなんか大所帯だな」
「ユージさん! 今から美術室の大掃除するんですけど、一緒にやりませんか!」
「あ~美術室ってことは城ケ崎の? そういえばうやむやになっちゃってたな」
「そうだよ~。シェリーちゃんが用意してくれるんだって~」
「黒部達はその手伝いってことか。いいよ。今日は休みだし」
「ありがとうございます! それじゃあ開けますよ~!」
ガラガラと音を立てながら、シェリーは戸を開く。
内部の美術室の状況は、シェリーの言うようにかなりの荒れ具合であった。窓から差し込む光は舞い上がった埃で白く濁り、床には足跡が残るほど分厚く汚れが積もっている。傾いた棚や無造作に積まれた木箱が行く手を塞いでおり、奥までたどり着くだけでも一苦労しそうだった。
「棚が倒れそうだよ……」
「最低でもお昼は過ぎそうね……」
「思ったよりひでえな」
「みてみて~! これまだ使えるよ~!」
ノアが床に散乱していた絵具セットを取り上げる。床に転がっている割に封自体は空いていない。
辺りに落ちている画材類も埃こそかぶっているが痛みは少なく、ノアの言うようにまだ使えそうなものをもちらほらと確認できる。
「確かに、これは捨てるにゃもったいないな」
「よーし! それじゃあみなさん、頑張りましょう!」
「「お~!」」
◆
「わわっ!」
「エマさん!?」
「きゃんっ!」
高所に積みあがった画材類を降ろそうとしたエマだったが、バランスを崩したそれらをエマは頭からかぶることになってしまった。画材と言っても重いものではなく、ただの画用紙やら筆やらである。曲がりなりにも呪力を扱えるエマが怪我をするというようなことはなかったが──
「ケホッ! 埃被っちゃった……」
「ドンマイです! エマさん!」
励ますようにシェリーが親指を立てる。
エマの白髪にはところどころ灰色の埃が降り積もっている。その姿を見て、シェリーは彼女を散歩帰りの犬のようですね~などと思った。
「お怪我ありませんか? 医務室運びましょうか!?」
「大丈夫! ボクも呪術師だし、このぐらいなんともないよ!」
シェリーに心配をかけまいと胸を張るエマ。
そんな彼女が少しだけ頬を染める。
「それに、こうやってみんなでなにかやるのってちょっと憧れてたんだ。仲良しって感じがして……」
「なるほど~! 私も皆さんが協力してくれてとてもうれしいですからね。わかりますとも!」
そうして笑いあう二人は、傍目には仲のいい友人同士そのものであった。
◆
「脱兎」
「わ~!」
作業開始から一時間ほど後のこと。
報告を終えた伏黒がメンバーに合流していた。彼が印を作ると、ウサギ型の式神が床を埋め尽くさんばかりに噴出する。脱兎は戦闘力こそ低いものの消費呪力が少なく、一度に数百匹単位で呼び出すことができる伏黒の愛用する式神である。加えてふわふわとした本物のウサギそっくりの見た目は、少女たちには非常に受けが良かった。
「かわいい~!」
「いいな~」
「……」
ノアやエマが脱兎をめでている横で、ナノカは無言で一匹の脱兎を抱きかかえた。その目元は普段の彼女の表情に比べ、心なしか緩んでいるように見える。同じく拾い上げた脱兎をよしよししていた虎杖だったが、友人の行動には疑問を浮かべる。
「なんで脱兎?」
「脱兎は俺の呪力が続く限りいくらでも呼び出せる。加えて式神は俺の命令をを正確に追随する」
「なんで今術式の開示?」
「城ケ崎。その辺りに水を撒けるか?」
「いいよ~」
伏黒の願いを聞き、ウサギと戯れていたノアが意識を向ける。
美術室ということもあり、絵具を落とす用の水道は整備されている。ひねられた蛇口うねうねと動き、伏黒が示した場所── 室内でも特に汚れていた一角を水浸しにする。
「いけ」
伏黒の指令を受けた脱兎たちは、一斉に水の方へ向かうと、その体を汚れへとこすりつけ始めた。ふさふさで白かった毛並みは一瞬にしてずぶ濡れの黒色へ変化していき、その暴挙を見た面々はあっけにとられる。
「何やってんの!!?」
「真っ黒だね~」
「よし。そのまま外に行け」
「は?」
黒く変色した脱兎たちは、我先に外へと飛び出していく。
彼らは校舎から少し離れたところで消失し、あとには黒いシミだけが残った。
「式神が消えるとき付着していた汚れは俺が収納するかその場に残すか選べる。後者を選べば汚れだけを分離できるからな。これなら人間が雑巾がけするよりも何倍も効率がいい」
「鬼! 悪魔! 呪霊!」
「伏黒恵には人の心がないの?」
「なんで俺が責められてんだよ」
そんな伏黒を見てシェリーがぽつりとつぶやく。
「流石メグミさん! 術式の運用に無駄がないですね!」
「ズレてるやつがもう一人いんな……」
◆
「橘~準備いいか?」
「おっけーです!」
「うっしじゃあせーのでいくぞ」
固定されていない重量物を運ぶのはフィジカル強めの二人の仕事である。
呪力強化があっても大きなものは持ちにくい。逆側の持ち手を掴むシェリーへ、虎杖は声をかける。
「せーのっ!」
「よいしょ~!」
タイミングを合わせ持ち運ぼうとする二人であったが、いざ持ち上げようとした瞬間、メリッという嫌な音が聞こえるとともに、シェリーの掴んでいた方の持ち手が千切れてしまう。木製の取っ手だったものと虎杖を交互に見比べたあと、シェリーは頭にこつんと手を当てる。
「てへっ☆」
「……俺がいうのもなんだけど、あんま人に向けんなよそのパワー……」
「最近は結構コントロールできるようになったんですけどね~。もしかして、私も成長しているのかも!」
「昔はもっとひどかったの?」
「はい! 何を触っても壊して、よく怒られていました!」
はにかむシェリーの様子を見て、虎杖は複雑な表情を浮かべる。
虎杖の身体能力は常規を逸しているが、彼は生まれた時から力の制御をうまくできていた。よくも悪くも親からの寵愛を受けていた彼は、そういった部分で困っていた経験がない。どこまでも自由にアクセルを踏める虎杖に対し、シェリーの怪力はアクセルの反応が良すぎる、というようなものである。二人は似たような能力を持っていながらもスタートラインは異なっていた。
「でも時間をかければ慣れると思いますよ。ノアさんもいっぱい練習すればいいんです」
「それでこうやって美術室まで用意してあげてるってこと?」
「まあ、端的に言えばそうかもしれませんね」
「……橘って、案外いろいろ考えてるよな」
「え~! 案外って何ですか! 褒めるならもっとちゃんとほめてください!」
むすっと不満をあらわにするシェリーを見て、虎杖は苦笑した。
◆
「ふ~! これで最後ですかね~」
額の汗をぬぐいながらシェリーがつぶやく。
美術室の内部は、数時間前とは見違えるほどきれいに整っていた。積み上がっていた木箱は壁際へ並べられ、埃に曇っていた窓からは明るい陽光が差し込んでいる。床の中央には作業机やその他もろもろを置けるだけの空間が広がり、ようやく美術室らしい姿を取り戻したといえる。
「皆さんお疲れ様です! ありがとうございました!」
「気にすんな」
「ボクも、友達といっしょになにかやれてすっごく嬉しかったよ」
「どうですか、ノアさん!」
仲間たちの仕事を誇るように、シェリーが両腕を大きく広げる。
ノアはすぐには答えず、部屋の中央までゆっくりと歩いていった。並べられた画材や、いつでも使えるよう空けられた作業机を一つずつ確かめ、最後に部屋全体を見回す。
「ここ、のあが使っていいの?」
「もちろんです! そのために皆さんにも手伝ってもらったんですから!」
「そっか~。みんな、ありがとね~」
振り返ったノアが柔らかく微笑んだ。
それぞれが言葉や仕草で応じる中、シェリーは期待に瞳を輝かせながら、何も置かれていないイーゼルへと目を向ける。
「それで、最初は何を描くんですか?」
「そうだね~。いっぱい助けてくれたみんなのために、みんなが喜んでくれるような絵を描くね!」
そう口にした彼女は、先ほど回収した絵具を中空へ投げ出す。
絵具で色を変えた水球は、液体を操作する彼女にとってはパレットに他ならない。
「それ~!」
「うおっ!?」
空を舞う多種多様な色水は屋内に虹のような弧を描く。
壁に殺到したそれらはみるみるうちに見覚えのある情景へと姿を変えていき──
「完成~」
「早ッ!?」
「すごい……」
「うわ~!感激です! バルーンの制作を間近で見れるなんて!」
数分もかからないうちに、美術室の壁は彼女のキャンバスへと変化する。
彼女が描いたのは今日の思い出。
絵の中にはデフォルメされたエマや虎杖達の姿が並んでいた。仕分け作業をするナノカや石膏像を運ぶシェリー、伏黒の周りにはたくさんのウサギが描かれている。今日は来ていないはずのミリアの姿もあるあたり、その絵にはここに来てからの彼女の感謝が詰まっているようだった。
「すごいですノアさん! 今度ミリアさんにも見てもらいましょう!」
「あ、また壁汚しちゃったね。メグミくんに怒られちゃうかな……?」
「……いや、いい」
伏黒はもともとノアのことをかなり警戒していたようだったが、そんな彼も今回ばかりは何も言わず、ただ作品をじっくりと眺めている。彼の態度を見て安心したのか、ノアはシェリーの元まで駆け寄ってきた。
「シェリーちゃん」
「どうかしましたか?」
上目遣いのノアは少し緊張しているのか、少し頬が赤いようにシェリーには見える。視線を合わせるためにかがんだ彼女の耳元へ、ノアは口を寄せる。絵に夢中になっている他の皆に聞こえないぐらいひそひそとした声で、ノアは続けた。
「さっきみんなにありがとうって言ったけど……シェリーちゃんにはもっとありがとうって思ってるよ」
「っ!」
「のあ、シェリーちゃんと仲良くなれてよかった」
──そう言って離れたノアの満面の笑顔を見て、シェリーは少し遠い目でほほ笑むのだった。