「うっし。そんじゃとりあえずグラウンド行くか」
「はいはーい!よろしくお願いしますね、ユージ先輩!」
橘シェリーという少女は、とにかく底抜けに明るかった。
呪術師の多くはその仕事内容の影響か特有の“暗さ”や“狂気”纏う……端的に言うと頭のねじが飛んでいる者も多い。そういう部分が感じられないのは、彼女が一般家庭の出身だからだろうと虎杖は結論する。だが、それゆえに虎杖には確認したいことがあった。
「なぁ、橘」
「はい、なんでしょう?」
「橘はなんで高専に来たんだ? 志願してくれてくれたとこちょっとアレなんだけど、正直言って呪術界ってあんまりいいとこじゃねえぞ?危ないし嫌なもんいっぱい見るし」
基礎訓練へ向かう廊下を歩きながら、虎杖は率直に疑問をぶつける。
呪霊の存在が公になったとはいえ、好き好んで命の危険がある仕事に就こうとする人間はいまだそう多くない。ましてや彼女のような小柄で年端もいかない少女ならなおさらだろう。
(今年の新入生は一般家庭出身も多いしな)
そういうわけで、虎杖としては彼女の考えを確認しておきたかったのだ。
「ああ、それですか!実は私、呪術師のお仕事にすっごく興味があるんですよ!」
「興味ぃ?」
シェリーがあっけらかんと言い放つ。
「呪術師って、人から依頼を受けて動いたり、事件の調査をするんですよね!?それってすっごく探偵っぽくないですか!?名探偵シェリーちゃんとしては、是非とも協力したいなぁ〜!って思ったんです!」
「へぇ〜橘って探偵やってたんだ。いままでどんな事件解決したの?」
「それはまだないですね」
「ないんかい」
身内を呪いで亡くしたわけでも、呪術界の因習に囚われているわけでもない。良く言えば純粋、悪く言えば場違いな動機だ。
虎杖は恩師から聞いた言葉を思い出す。
『呪術師はさ、イかれてる方が向いてんだよね』
彼女のその動機が果たして正常なのか、既に呪術師の世界に慣れ切った虎杖には判断ができなくなっていた。
◆
「じゃ始めるか。手加減はするけど、怪我したらすぐ言えよ」
「はーい! いきますよー!」
高専の第2グラウンドにて向かい合う二人。
虎杖の言葉を皮切りにして、シェリーは一直線に突進する。
(速っ!?)
天与呪縛による超人的な身体能力。
踏み込みによりグラウンドの地面は抉れ、彼女の背後には土が飛び散る。
(けど──)
だがその動きは洗練された武術とは程遠く、ただひたすらに力任せの「素人の攻撃」。虎杖は軽く身を躱し、彼女の隙だらけの拳をいなす。虎杖ほどの経験値であれば、喧嘩慣れもしてない少女の攻撃を捌くのは容易いことだった。
「ええいっ!」
掛け声とともに振るわれた右ストレート。
腰も入っていない、腕の力だけで振るわれた一撃。当然ながら虎杖にとっては簡単にいなせる程度のもの。だが虎杖は反撃せず、あえてそれを両腕を交差させてガードした。彼女のフィジカルの『上限』を測るためである。
——ドガッ!!
ガードした虎杖の体が、衝撃によって数メートル後方へズサァッと押し込まれる。
コントロールされていないということは、ブレーキが一切かかっていないということである。純粋な暴力に、虎杖は内心で冷や汗をかくが、それは表に出さない。
「っと、すごいパワーだな橘! でも足元がお留守だぞ!」
虎杖は踏み込み、シェリーの足を軽く払った。
彼としては避けられる程度の速度で攻撃したつもりだったが、戦闘慣れしている虎杖の基準は素人には厳しい。追撃しようと勢いをつけていたシェリーは足払いをもろに受けてしまい、バランスを崩す。
「あれ?」
「うおっと!?」
完全に顔から倒れそうになったシェリーを虎杖はギリギリのところで引き上げた。
おかげで顔から地面に突っ込むことは免れたが、それでも膝は地面についてしまっている。
「悪ィ! 大丈夫か!?」
「問題ないです!」
やりすぎたか、と虎杖が慌てるものの、そんな心配はよそにシェリーはすぐに立ち上がる。
しかし、彼女の足の露出した部分からは血が滲み、制服が土埃で汚れていた。本人の膂力もありかなり勢い激しい擦過傷見えるが——シェリーが怪我を気にする様子はない。
「いや、ばい菌とか怖いし、水で洗ってから家入先生のとこ行こう。歩けるか?」
「えへへ……すみません……。それではお言葉に甘えて」
虎杖はシェリーを背中に背負うと、医務室への道を歩き始めた。
呪術の世界には呪力による強化がある。女子供だからといって見た目通りの膂力だとは全く限らない。特に彼女の場合は天与呪縛があるためその倍率は桁違いである。故に虎杖は警戒してなかったわけではないのだが──
少しして、背中から声がする。
「あの」
「ん?」
「ユージ先輩、私の、さっきの大振りをガードしてから左手を庇ってませんか? もしかして痛めましたか……?」
血を流す彼女は自身の怪我には一瞥もくれず、淡々と虎杖に対する『分析』を口にした。
「い、いや! 大丈夫!インパクトのとき呪力でガードしてるし、血も出てないだろ?」
「ふーむ。それもそうですね!」
シェリーは納得したように頷くと、虎杖の背中に体重を預けてくる。
彼女の重さは年齢相応か、それよりも軽い程度。虎杖としては特に気にも留めない。それよりも彼が空恐ろしく感じたのは、彼女の観察眼の方である。
(バレてないよな……?)
左腕に感じる違和感というには大きすぎる痛み。
明らかに骨まで達しているそれは、シェリーの異常なほどの膂力を証明していた。
シェリーに伝えた通り、虎杖は攻撃されたタイミングで呪力を使ってガードをしている。
もちろん全力というわけではない。本気でガードすれば逆にシェリーを傷つける可能性があったため、普段ほど呪力は込めておらず手も抜いている。それでも防御態勢に上乗せしてガードを固めていたのは事実。にもかかわらず正面から受けたシェリーのパンチは虎杖にダメージを与えるほどの威力を残している。呪力を使っていなければ、腕が文字通り吹き飛んでいたかもしれない事実に虎杖は背筋が凍る。
(これ……交流戦の時の真希さんよりも全然……下手したら俺よりも…?)
責任を感じさせぬよう、気取られぬよう、虎杖は反転術式を使いながら思う。
(橘は……本当にただのフィジカルギフテッドなのか?)
少しだけ申し訳なさそうにする背中の少女について、虎杖の胸には小さな疑念が芽生えていた。
◆
「これでいいか。応急処置だけど」
「いや〜お手数おかけします〜」
「気にすんな。怪我させたの俺だし」
たまたま出張だったのか、医務室には家入はいなかったので、シェリーの手当ては虎杖が行うことにした。
ケガ自体は実際大したことはない。簡単な応急処置を施し、絆創膏を張り付けて終わる程度のものである。とはいえ訓練を続行するわけにもいかないので、二人はここで次の授業まで時間を潰すことにしていた。
「っと、そういや橘にプレゼントがあったんだ」
「え〜!?なんですか!?」
「おお。先輩からの入学祝いとでも思ってくれ」
虎杖が取り出したものは、一見するとただの虫眼鏡、もといルーペ。
木製の持ち手に大きなレンズが取り付けられており、少し年季を感じるものの見た目としては特になんの変哲もない一品である。
「これは…虫眼鏡、ですか?」
「ああ。でもただの道具じゃないよ」
──フィジカルギフテッドは呪力が一般人並みという特徴がある。
ゆえに、呪いを見ることができない。だが今後実地研修を行うにあたって呪霊が見えないとなると非常に困る。そのため虎杖は対策を用意してきていた。
「これは呪具って言って、簡単にいうと呪力の宿った便利な道具ね。効果は二つ。一つ目は単純で、これを通すと呪いが見えるようになる」
「へ〜!便利ですね!すごいです!」
呪いが見えるようになる呪具、というのは呪具の中だと比較的メジャーな効果である。
基本的に術師には必要のないものではあるが、窓の人間が残穢を探すときや、非術師に呪いを説明する際など需要がないわけではない。虎杖が取り出したのも本来そういった人間に貸し出すように持ち歩いていた私物である。
「二つ目に、これで覗いた呪いは以降使用者の目にずっと見え続ける……簡単に言うとマーキングみたいなもんだな。橘の性質には合ってると思うけど、どう?」
「ありがとうございます!この道具、探偵みたいで高まりますね!」
シェリーは「おお~!」と言いながらいろいろなものを見て回っている。
呪力強化がある都合、呪具は基本的にかなり丈夫である。故に多少雑に扱うぐらいなら問題はないのだが、その多くははめちゃくちゃ高額なので、値段を知る虎杖は内心冷や汗をかいた。
「それで……なんですが……」
もじもじと何か言いたげなシェリー。
彼女にも恥じらいのようなものがあるのか、と、虎杖は少し失礼なことを考える
「このような呪具を頂いたということは、さっそく任務……ということですよね!?」
「……察しが良くて助かるよ」
出会って数時間だが、虎杖はシェリー驚かされっぱなしだった。
これだけ聡明ならば、問題はないだろう。そう思いながら虎杖は次の言葉を口にする。
「週末に任務が入ってるんだ。研修も兼ねて、そこで橘には実際に呪霊を祓ってもらおうと思う」
「!」
「もちろん監督官として俺も現場には同行する。現場の呪霊も等級は低いし、橘の実力なら問題ないと思うけど……どうする?」
虎杖の言葉には、「断ってもいいんだぞ」というニュアンスが含まれている。
初陣の通達。呪術師の卵からすれば本来それなりに緊張を覚えるのが普通といえよう。ましてやシェリーは一般家庭出身で、もっと段階を踏んでもよいぐらいだ。しかし、彼女の顔にあるのは未知の事件に対する純粋な期待のみ。彼女のオレンジ色の瞳が、期待と興奮でパッと輝く。
「お任せくださいユージ先輩! どんな難事件も悪霊も、この名探偵シェリーちゃんがズバッと解決してみせます!」
その快活な宣言とポーズは、決して強がりではない。
どこまでもマイペースなそのシェリーの立ち振る舞いに、虎杖は期待も半分にため息をつくのだった。